DAYS2 -3- 『殺して生きていく』
少女が無邪気に微笑んでいる。その顔には見覚えがあった。ほんの少し前まで見ていたような、そうしてよく知っているような。だけれど何処か違うような、言いようの無い気持ち悪さに、この状況を疑った。
何より、少女の顔は笑顔だと知っているのにも関わらず、その顔自体が分からないのだ。
意識では笑顔だと分かっていても、その表情は黒塗りになっている、夢にしたって意地悪ではないだろう。だけれど俺はこの状況を良く知っている気がしてならなかった。
場所はこの施設の、誰かの部屋のベッドの上。運んでもらったのだろうか。それともこの黒塗りで消されている顔を思えば、これは俺の夢なのだろうか。どちらにしても意識がハッキリとしない。
「ヨミ……? いないのか?」
ヨミがいないかと彼女を探すが、彼女の姿もナムの姿も見えなかった。ただ少女だけが俺の顔を覗き込んで「どうしました?」と微笑んでいる。
少女の年齢は十二歳から十三歳くらいだろうか、短い黒髪を後ろで括って、小さなポニーテールを作っていた。それもまた、何処かで見たような気がする。
服は施設で配られた物だろうか、病院着のような物を身にまとって少女は機嫌良さげに俺が横たわっていたベッドに腰掛ける。
「ふんふふーん……♪」
楽しそうな雰囲気を出してはいるが、俺からするとやや不気味な存在に見えた。微笑んでいる事も機嫌が良い事も分かる、その姿もハッキリ見える。だけれどその顔の輪郭は変わらずにぼやけていた、誰か知っているはずなのに、誰かは決して分からない。黒く、黒くモヤがかかったように塗りつぶされている。
その奥で、笑顔だったというおぼろげな記憶が彼女の顔を無理やり脳が創り出そうとしている、だがそのモヤは晴れない。
――あぁ……、やっぱり夢なんだな」
受け入れた俺は顔が分からぬ笑顔の少女の話をボウっと聞いていた。今日、あの子はどうだったとか、この子がどうしただとか、彼女の友達であろう人の話を矢継ぎ早に話された。彼女は妙に俺に懐いているように思える。だが俺は少し困りながら頷く事しか出来ない。何故なら具体的な返事が出来ないのだ。
実際の所、その少女は"あの子"と言ったわけでも"この子"と言ったわけではなかったからだ。彼女がそれらの言葉を発した瞬間に、彼女の発する声が油の差していない機械を無理やり動かしたような音になって聞き取れなくなる。
だからこれは、きっと悪夢だ。けれど、その少女の声そのものは、聞くだけで優しい気持ちになれるような不思議な声をしていた。
「ねえ、お兄さんの下の名前って、なんていうんですか?」
少女は俺の胸元を見ながら問いかける。
俺の、名前。
名前、そうだ俺の名前。だがいくら考えても思い出せない。少女によって開かれそうになった記憶は、すぐに閉じていく。俺の名前も、思えば俺の眼の前のこの少女の名前も、俺は知らない。
「ねえ、おにーさん。聞いてます? ねえ?」
俺は、俺は何だ?
そう自問自答していると、都合良く目の前に鏡が置かれている事に気付く。そして、その鏡に映った自分を見て、その格好にハッとする。
――真っ赤な目をした、白衣の男性がそこにいた。
「ねえ、おにーさんってば!!!」
少女の声が、急に少し大人びた。すると同時に、自分が夢で会っていた少女が、この声の持ち主だったのだとやっと気付く。
「あぁ……、夢を見てた。ごめん、ヨミ」
目を開けるとそこは先程の廊下、どうやらナムが切り刻んだ大型ノッカーの血の海には浸かっていないようでホッとした。
「もーー、ほんとに、急に倒れるとか無しですよ。いくらなむちゃんがキレかけてたからって……、いや、あれはキリかけてたの方が正しいか……。じゃなくって!」
彼女は俺が急に倒れた事に相当焦っていたのだろう。
それは俺が目覚めて安堵した声と、言う事のくだらなさで分かった。
「何度も心配をかけて悪い。けれど、俺はあの時斬られたって仕方なかったって、今も……」
言いかけた所で、近くで壁にモタれかかったままのナムの声に遮られる。
「その通りだよ。話は概ね聞いた。ヨミが盛った部分も含めて、ね。それでもやっぱり、アンタの印象は良くないよ。アンタの固有武器をヨミが出る前にさっさと確認していたなら、この子が死にかけるなんて事は無かったんだから」
吐き捨てるようにナムが言うのを、ヨミが制する。
「だから、それは何度も言うように大型+αなんて事、私じゃ絶対処理出来なかったから、急いでたんですよ……。なむちゃんもずっとそんなツンケンしてたら、私ちょっと距離置いちゃいますからね……」
頬を膨らませたヨミを見て、たじろぐナム。
成る程、ナムはこう扱えばいいのか。そう思って軽く頷きかけていた首は、ナムの睨みで一閃されて項垂れるに至った。つまりは、俺には扱いきれない女性なのだろう。扱うという言葉も失礼だが、俺は彼女の言う事を聞き続けていた方が良さそうなのは確かだった、しかし俺は軽い溜息をつく。
「とにかく、ヨミを危険な目に合わせたこと、すまなかった。 それと、大型ノッカーの処理、助かった。きっと俺達では……」
俺は未だ壁にモタれているナムの方を真っ直ぐ向き、深々と頭を下げる。するとナムは壁から一歩だけこちらに歩み寄り「顔、上げてよ」と言うと背筋を伸ばし、真っ直ぐと俺の目を見た。
「分かった、分かったよ。挨拶も謝罪も感謝も大事、その三つが出来るんだから、悪いヤツじゃないんだろうって私も思うよ。だってノッカーはその一つも出来ないんだから。だから、仲良くしてあげられるかは期待しないで欲しいけれど、とりあえず私の身勝手な敵対関係はこれでおしまい。こっちこそ悪かったわね、にーさん」
彼女はこちらに右手を出してくる。一度俺が振られて終わった握手のやり直しをしようと言うのだろう。俺はその右手を軽くパンと叩いてから、少し強めに握ると、ナムは少しだけ気恥ずかしそうに笑いながら思い切り俺の手に力を込めた。
痛みに耐えつつも、そんな顔も出来るのだなと思い彼女の目を見ると、優しい目をしていた。だがその優しい目は俺に向けられたものではなく、視線は既に彼女より大分背の小さいヨミへと向けられていた。
「ヨミはさ、大事なんだよ。にーさんにはまだ分からないかもしれないけどさ。私がこの地獄のような三年間でやっと出会えた、大事な仲間なんだ。まあ、私が眠っている間に無謀にも一人で飛び出して部屋開きの救助に向かうなんて事をやってくれちゃう子だけどね」
「そ、それは、だって開いた部屋の一番近くにいるのが私だってすぐわかったし。
一体なら一人でもなんとかなるかなって。この前は普通のヤツが三体だけだったし……」
言っている事こそ言い訳ではあるが、その実俺はその行動に救われたのだ。
けれどナムはその叱咤を止める気は無いようだった。
「それでも部屋主が扉を開けたからどうしようも無かったじゃない、だから見回りもやめたんだよ? そもそも、それっていつのことで、誰と一緒だった?」
ナムがそう突っ込むとヨミは小動物のように縮こまる。
「半年前です……。なむちゃんと一緒でした……」
「ね? そうだよね? だからさ、もうやめてね?」
そんなヨミの頭を優しく撫でながらナムは笑う。
「今回みたいなのは流石に例外だとしても、今度は絶対に一人でノッカーに立ち向かわない事。もう一人だって死ぬのは勘弁なんだから。にーさんも頼むね。流石に寝起きのアンタじゃちょっと頼りないけど、私の手が離せない時にヨミが一人きりだったら、絶対に助けてあげて。絶対に」
荒っぽかったナムの言葉が、真面目なトーンに代わり、俺は思わず背筋を伸ばして彼女の目を見る。彼女の目は真っ直ぐに俺を見つめていて、その目には、もう光しか灯っていなかった。
彼女の視線は俺のズボンのポケットに移り、その軽い膨らみを見てから、もう一度俺の目を見て頷く。どうやら俺の固有武器の説明も、俺が気絶して夢を見ている間にヨミが伝えてくれていたようだった。
彼女の視線に俺も頷き返してから、ほんの少しだけ関係が良好になったことを感じ、固有武器の説明を求めてみた。
「そういえば、固有武器と言えばナムのそれは刀だよな? すごく綺麗だけど」
「やめてよね、にーさん。人の武器口説かないでくれる?」
ナムは笑いながらススっと刀を後ろ手に隠す。
「あー! また武器口説いてる! おにーさんそういう癖ですか!?」
「またって事はヨミのも!?」
二人で青い顔で武器を隠しながら二歩程後ろに下がる。
「「こ、こわい……」」
怖いのはこちらでしか無いはずなのだが、やはりネジが多少飛んでいるのが生き残る条件なのだろうか。
「いや、口説くとかじゃなくて……。単純にどんな武器なのか知っておけば楽だろうって思っただけで。ほら、俺のみたいに変なのもあるわけだし。でもまぁ、見たところただの刀……」
と言いかけた所でナムが後ろ手に持ったままの青い刀の刃先が小さい音を立てながら輝いているのが見えた。
「じゃ、ないみたいだな……」
ナムはおそらく俺が喋っている最中に何らかの細工をしたのだろう。
数歩下がって、その細かく震える刀身を俺に見せる。
「そう、ただの刀じゃないよ。ただの刀にしても強いけどね、だって使い手が強いから!」
ナムが胸を張ると、少し揺れたのがハッキリ分かった。決してそれを凝視していたわけでは無かったが、それでも俺の視線の動きを見ていたであろうヨミが俺の腰に肘打ちをした。
理不尽だとは思いつつも、まあ見えた物は仕方がないので甘んじて痛みを噛み締める。どちらかというと言葉で責められるよりはマシだ。ナムが気付いていないなら尚更。
「なむちゃんは元々、剣や刀の訓練を積んでたみたいですよ。私なんて銃なんて撃ったことなんてないはずですし、差があることなんて当然です!」
その差とやらが、どの差について言っているのかは、ヨミの視線がナムの胸から一切動かなかったのでわかりかねたが、どうやら固有武器にも聞いての通り当たりと外れがあるようだった。
「ま、道場か何かに通っていたんだろうね、朧げだけれど覚えてる。でも強くなったのは此処に来てから、かな。
道場には私くらい強い子だっていたんだけどね……。名前は思い出せなくされたけど、切磋琢磨してたのは覚えてる。どっかで生きてたらいいなぁ……」
ナムが遠い目をしながら語る。どうやら彼女は薄いながらも記憶があるようだ。
しかし名前が出てこないあたり、個人差はあれど名前に関する記憶を消す事は最重要事項らしく、何者かによって等しく消されているらしかった。
「ともかく、私を狙ったように強い武器なんだけどさ。ほら、この柄の部分、全体がスイッチになっててね。これをしっかり握ると……」
青い刀が小さい音を立てながら振動しているのが分かる。その状態でナムが壁を刀で撫でると、スーッと音もせずに壁に線が引かれた。
「いわゆる高周波ブレードってヤツになっちゃうわけ。私、こういうのって有り得ない技術だと思ってたんだけどね。まぁそれでもそこまで便利じゃなくて、限界はあるよ。壁なんて切っても切ってもこの施設からは出られないし、逆に下手にやりすぎるとノッカーが湧きはじめる。ヤツラが壊れた部分を直しに来るの。ま、そいつらはものっすごく弱いんだけどね」
ノッカーの知能は低そうに見えたが、何者かによって操られているのだろうか。
「そういう出現パターンもあるのか」
「なんでなんだろうねぇ。ただの化け物っていうには色んなヤツがいるし、色んな役目のヤツがいるっぽいんだよね。戦闘用と、また別のジャンルがいる感じっていうのかな。それでもノッカーはノッカーだから、下手に刺激はしないようにしてる」
食事等が運ばれた時もノッカーは現れると言っていた。それに加えて壁を直しに来て、部屋が開いた途端にノックをしにくる。
まるでそれらは自分達というよりもノッカーの実験のような気すらする。というよりも生存競争か何かなのだろうか、この施設の生物はノッカーも含めて丸ごと被験者なのかもしれない。
だが、何の被験者なのかは、未だに思い出せないし考えたところで分からなかった。
生き残れる長さを確かめる為だというならな、彼女らが過ごした三年はあまりにも長過ぎる。
「まぁ私らはずっと出られないし、あいつらは殺しに来る。だから殺して生きていく。基本的に此処での生活はそれだけだよ」
俺の考えていた事が見抜かれたかのように、ナムは少し厳しい目で俺を見た。
「ほ、ほらほら! とりあえずは仲直りもしたことだし! とりあえずはホール行きましょう! 皆にもおにーさんの事、紹介したいし」
ヨミが気を利かせて俺の背中を押した。その手が妙に冷たく、少し不思議に思ったが、ナムも俺の前を早足で歩き始めたので急いでそれについて行く。
「ところで、ナムも刀に名前つけてるのか?」
「あぁ、ついてるよ。でもにーさんには教えない」
なんとなしにふわっとしたところから会話を試みたが失敗した。信頼度の低さが伺える返事だ。
「えぇー、いいじゃないですか! 可愛いですよ! さんまちゃ……」
ヨミの突然の暴露はギリギリの所で防ぎきれなかった。ヨミの口を抑えるナム、モガモガと抵抗するヨミ、聞かなかった事にしても遅いだろうと溜め息を付く俺。
全員の歩みがピタリと止まり、俺よりも大きな溜息が一つ。
「まぁ……、ヨミはぴーちゃんだしな……」
「そうです! 生きる元気ってそういうところからですよ!」
俺達のフォローの甲斐もなく、というよりそれがトドメの一撃だったようで、ナムは刀を壁に何度も刺した後、『さんまちゃん』を壁に刺しっぱなしにしたまま、顔を覆っている。
耳まで赤いのが見て取れたが、これ以上は何も言わないでおこうと傍観していた。
秋刀魚……、食べたかったんだろうか。確かに青い魚とは言うけれども……。
「ヨミぃ……。 私はヨミの事がとても好きだし凄く凄く大事には思っているけれどね。 そういうところ、良くないと思うんだよねぇ……」
ナムはまだ赤い顔をしながらも弱々しく抗議の声を上げる。
「私は私のこういう所、大好きですよ。だから二人とも、私のそんな所もまとめてまるっと好きになってくれると、嬉しいかなあなんて!」
あははと笑いながら俺もその一人に加えてくれたあたり、ヨミの優しい心根が垣間見える気がした。そうしてある意味で二人の言葉の力の差が、見えたような見えないような気もする。
とはいえ差と言っても色々あるしな、と横目でヨミの胸部をチラリと見ると、どうしてかこういう時ばかり勘付かれてしまう。女性特有の気配察知方法でもあるのだろうか。俺は頭をジャンピングチョップされ、ヨミが小さく吠える。
「おにーさんはそういうとこ! 本当に良くないですよ!」
さっきは生命のやり取りを仕掛けた俺達が、死にかけていた俺達が、並んでくだらない話をしている。それを受け入れ始めている俺もまた、もしかすると少しだけネジが外れかけているのかもしれないなんて事を思っていた。出来れば、気づかないだけでネジが外れきって無いことを小さく祈って、俺は未だにヨミの『さんまちゃん』暴露によってうなじすら赤くなっているナムの後ろに続いた。
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