DAYS2 -2- 『だったらどうして』

 その青い刀を携えた女性が駆け寄ってくるのは心配からだろうか。というよりも、愛情からなのだろうなと気付いたのは、彼女がヨミを押し倒さんとする勢いで突っ込んできたからだった。


 持っていた青い刀は走ってくる最中に思い切り壁に突き刺しているのが見えた。

両手を開いている彼女はハグ準備OKと言わんばかりにヨミを目掛けて走っている。その勢いがやや狂気じみていて、何か良くわからないモノが飛び込んでくるような気すらする光景に目眩を覚えかけた。とはいえ再会は悪いものではないのだが、方法というものがあるような気がする

「よーーーみーー! 良ーーかったっ!」

「たっ!」と言いながらヨミを抱きしめようとした女性は、スルリとヨミに避けられ「おっとっとぉ!」と言うベタなよろけ方をするが、それでも三泊目の「とぉ!」の所で綺麗に足元を切り返し、ヨミの手を握る。そうして握った手をブンブンと振っていた。


「心配したよ!? ていうかまだ心配してるよ! ……この人、誰?」

 ヨミはまだ腰に巻いたシーツを鼻にあてがっていた為、ヨミの太腿とあられもない衣服は丸見えである。その太腿と俺の顔を交互に見たその女性は、とりあえずヨミの手を振り回すのを止め、それでも手は握ったままに視線だけをこちらに向けた。

「ヨミ、誰?」

 少々どころか思い切り俺の顔を睨みながら、彼女は改めてヨミに俺の説明を求める。その敵意に気付いたヨミはどうしてかえらく慌てたようで、急いで説明を始めてくれてホッとした。

「どうどう……、この人は二十三番さんです。悪い人じゃ無いですよ、多分。いや、悪い人じゃないです」

 まだ会って間も無い俺を『悪い人ではない』と言い切ってくれたのは嬉しかったが、まだ名前も知らない彼女の目つきはより鋭くなった。

「私の部屋があっちで、おにーさんの部屋が此処。気付いたなら行かない選択肢なんて私には無いですし。なむちゃん呼んでる暇も無かったんですってば……、分かるでしょ?」

 真後ろにある俺の部屋を指差した後に、ヨミは自分の部屋の方を指差す。どうやら部屋は俺の部屋に近いようだったようだ。

「んー……? おにーさんんん……?」

『なむちゃん』と呼ばれたその女性はヨミの手を離し、俺に睨みを効かせたまま、こちらの顔を訝しげに覗き込んで来る。その強い視線の奥に、何か暗い物が見えて気がして、思わず顔を背けてしまう。先程使った感覚の青の効果はもうほぼと言っていい程安定して制御出来ている。音も光も匂いも強く意識しなければ気にならないレベルになっていた。だというのに、そして光ならまだしも、どうしてその黒々とした目の奥に恐怖を感じたのかは分からなかった。


「どうもはじめまして……、七十六番……さん?」

 語呂合わせというなら、そういう事だろうと思い、出来るだけ笑顔を作って挨拶をしてみる。挨拶は大事だ、常識的に考えてとても大事なはずだ。この環境に身をおいているヨミも言っていたくらいだ。

「ナムでいいよ。さんを付けて呼んだらぶっ飛ばすからね」

 

 ナム……、ナムさん……、南無三か……。 


 隣でヨミが「たはは……」と苦笑している。本当の名前でもないのに、この施設の女性のあだ名は死に纏わるタブーを抱えるのがブームだった時期でもあるのだろうか。もし次に会う人がいたなら、その語呂合わせはもっと平和的な物かストレートなヤツが良いと心の隅で思いながら、ナムと握手をしようと右手を出すと、彼女はその手をパンッと叩き、俺と真っ直ぐに向き合った。目の奥の闇はもう見えない。

「まだよろしくしようってわけじゃないから、握手はいいよ。で、大型を二体も放っといて"おにーさん"はこの可愛い可愛い私のヨミを部屋の中に連れ込んで、何を?」

 改めてギロリと睨まれながら、事の顛末を説明しようとすると、ヨミが慌てたようにナムの耳元で何かこそこそと話を始めた。汗が見えるような一生懸命さでひたすらゴニョゴニョとナムに何かを吹き込んでいる姿は小動物のようで可愛さを感じ少し笑みが溢れたが、そんな俺を見逃さなかったであろうナムの視線が突き刺さる。


 どうやらこの二人は、一方向からは友情、そして一方向からは強い友情とそれを越えかけている愛情で繋がっているらしい。それでいて友情は双方向で繋がってはいるが、どうやら愛情は一方通行のようだ。


 大方話を終えたらしいヨミが、息を整えてナムの耳元から顔を離すと、どうやら俺がヨミに感じた小動物感に癒やされていたのはナムも同じだったようで、耳元から離れるヨミを見て少し名残惜しそうにしていた。それを見逃さずにいた俺の視線に気付いたナムが、少し恥ずかしげに二度程咳払いをしたのを見て、少ししてやったりな気分だったが、すぐに目を逸らした。何故ならばやはり睨みを効かせていたからだ。


「事情は分かった、とりあえず分かったよ。最善を尽くしたし、二人は何も無かったってことで」

 何も無かったってことは無かったはずだが、ヨミは一体何を説明したんだろうか。

「そりゃ同じベッドで寝たけれども、それだけで俺らの間には何も無かったよ。 ただ、ノッカーには殺されかけたんだ。何も無かったなんてことは……」

 するとヨミが人差し指を立てて「シーッ!」と俺を制止するが、ナムにはもう"殺されかけた"という言葉が耳に届いていたようだった。ナムは俺の言葉にハッとした顔をした後、苦虫を噛み潰したように「簡単に言ってくれるじゃない」と吐き捨てて、急に俺達から背を向けた。向かう先は、壁に刺さりっぱなしの青い刀。


「だーーーーーから! おにーさん! なむちゃんが言いたいのはそういう事じゃなくってぇ!」

「いやでも、何にも無いわけないだろ。俺らは死地を彷徨ったわけだぞ!」

 そういうヨミに反論するとヨミは俺にグッと近付いて指を立てながら「シーッ!シーッ!」と繰り返す。そしてその後に彼女はため息交じりの小さな声で説明を始める。

「ご、ごめんなさい。少しだけ見栄を張ってしまいました……。大筋は出来事通りですけど、ちょっとだけ私の格好悪いところを省いちゃいました……」

「まさか、死にかけたこととか?」

「うぅ、だって……」

 であれば、そうなのであれば、あの少し困惑する程の強い愛情の持ち主が怒りに塗れているのも納得が行く。コツコツと廊下を歩いているナムが刀を抜き取ると同時に、首を勢いよく回しながら踵を返してこちらを睨んでいるのが見えた。というよりも睨んでいるだけではない、彼女の殺意が見える。体温が上昇し、体中の筋肉が収縮しているのが見える。


 彼女の脈打つ心音が聞こえる。大きな音を立て、鼓動している。

 

 思わず、大型ノッカーを見た時のような震えが体を襲った。彼女は数秒、何かを考えるように立ち止まってから、改めてこちらへと早足で歩き出す。その手に取った青い刀すら、俺を睨んでいるように感じた。


「なぁ……、なんとかならないもんなのか……。あのナムさんは」

 ナムには聞こえないように、少しナムへの皮肉を込めてヨミに語りかける。けれども、同じ人間にあれ程の殺意を向けられているとなると、このくらいの皮肉も言いたくなるというものだった。

「うわっ! そういうとこ、そういうとこもですよ! 良くないですよ、良くないですおにーさん! 今は聞き取れなかっただろうからいいけど、ちゃんと聞こえる距離でなむちゃんの事をさん付けで呼んだりしたら、ほんとに殺されてもおかしくないんですから!」

 ヨミはまさか本当には殺さないと思っているようだったが、今向けられているあの視線の中には紛れもなく俺を殺したいという感情が宿っている。ナムは意味深に青い刀を一度軽く振っていた。


 ヨミも流石にただ事じゃないと思い始めたのか、汗が額に滲んでいるのが見えた。彼女の身体は震えこそしていないが、隣で感じる彼女の緊張感はこの状況が冗談では済まされない事をハッキリと告げているようだった。

「なむちゃんにとっては、私達が苦戦した大型ノッカーくらい大した敵じゃあ無いんです。なむちゃんの刀であれば、基本的にノッカーなんて一撃で……。つまりは、えっと、それよりも大事なのは、その……」

「俺らが同じ部屋で、同じベッドで寝たって事か」

「ちっっがう!! いやでもそれもあって……。って寝てない!! 私が隠してたのにおにーさんがそういう事言うから! そういうとこほんと良くない! わざとですか?! だったらほんともうぶっ飛ばされても知りませんからね!」

 ヨミに耳元で叫ばれて、もう効果が切れ始めていたであろう感覚の青の力が急に敏感になる。


――そのお陰で、音が聞こえた。

 

 二メートル斜め前からの、床を蹴る音。


 そして斬撃の為に、刀を振りかぶる音。


 焦った俺はその方向を視認してすぐに感覚の青を走らせ、彼女の行動の分析を試みていく。どうやらその刀の軌道を考えると、ソレが数瞬後に当たる位置は、おそらく俺の右太腿。足を切断する程では無いが、傷くらいはしっかりと負わせるつもりのようだった。ただし、さっきのヨミの話を信じるのであれば、ナムは決して本気では無い。そうであれば、避ける余裕はあるはずだ。


 斬撃に合わせ一歩後ろに下がると、刀はギリギリの所で俺の足があった場所をすり抜けた。おそらくはその一撃だけの予定だったのだろう、切り返しの斬撃が来る気配は無い。

「っと、急にそれは、勘弁してくれ……、ナム、ちゃん?」

 俺の隣に近くにいたヨミには絶対に当たらないように意識された丁寧な太刀筋。

怒りはあれど、冷静さはあるのだろう。だが何故、彼女が俺にその刀を振るうのか、理解が追いつかない。


「アンタにそう呼ばれる筋合い等無い!」

 意図せずまた彼女を焚き付けてしまったようで、俺の目の前にある刀の先がクルリと上を向く。狙っているであろう場所は変わらず足だ。それもヨミがノッカーに傷つけられた太腿付近を返す刀で切りつけようとしてくる。右太腿だけではなく、両太腿の皮膚を一閃しようとする横一文字を、後ろへの大きい跳躍で躱す。


 感覚の青の力が未だに何とか効果を保ってくれているおかげで、刀の切っ先が通る場所は寸前で理解出来るが、連続で刀を振るわれるとその斬撃の速度に自分の反応速度がついていけなくなるであろう事に気付き始めた頃、ナムは声を荒らげる。

「どうして避けられるのよ! だったらどうしてヨミは殺されかけたの?!」

 その言葉を聞いた瞬間に、彼女の怒りの理由がハッキリと理解出来た。

感覚の青を放棄して、ただ、立ち止まる。


 てんで、つまらない勘違いをしていた。男と女が一つの部屋にだとか、衣服が破けているだとか、ベッドで眠っただとか。彼女にとって一番重要なのは、そういう話では無い。本当に、申し訳ない勘違いをしていた。あまりの恥ずかしさに熱が出そうだ。その熱が感覚の青で研ぎ澄まされていた脳を溶かしていくように思える。


「――――ああ」

 感覚の青を使わなければ、刀が俺を切り刻むまでの速さなんて目に見えるわけも無かった。

 

「悪かったよ」

 頭を下げた瞬間にガキン、という音がなる。目を開くと目の前で、青い刀の切っ先が何かに止められていた。


「なむちゃん、ごめん……。盛りました、ちょっと盛りました。いや、ほぼほぼ盛りました。だから少しだけ落ち着いてください。大丈夫、大丈夫なんです。おにーさんはちゃんとやってくれましたから」

 ヨミがホルスターから銃を取り出し、その銃口でナムの刀の切っ先を抑えている。彼女が間違って引き金を引いてしまえばそのまま綺麗に俺の体を壊していくであろう銃口が自分に向けられていることに焦りが走ったが、それ以上にその銃口がなければ俺の体を切り刻んでいたかもしれない刀が放つ青い光を見て、額から汗が零れ落ちた。それにしても大型ノッカーすら切り裂くという一撃を良く銃口一つで止められたものだ。固有武器は伊達じゃないという事なのだろうか。それともナムが一瞬の判断で力を抜いたのだろうか。


 とにかく自分が死の淵に立っていたことを改めて理解した途端、感覚の青の力が体から抜け落ちていく。目の前で刀を振るったナムと、その横から刀を受け止めたヨミの間をすり抜けるように、俺は膝をつき、そのまま力が入らずに横倒れになった。意識がだんだんと薄れてゆく。

「青は最初と……、最後も注意って覚えておかなきゃ、な……」

 そんな事を独り言のように呟きながら、殺意と善意が渦巻く二人の女性の間で、俺は惨めにも二度目の昏睡状態へと誘われた。

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