DAYS2 『PUSH "ON"』
DAYS2 -1- 『感覚の青』
ヨミにもらった銃弾を握ったままの手の平をマジマジと見つめていると、彼女に脇腹を小突かれる。
「もー! いつまでやってんですか! 私も切り替えていきますからほら外、確認しましょ!」
破れたジーンズにベッドシーツを巻き付けた悲しい格好の少女を見て何とも言えない気持ちにさせられながらも、俺はアタッシュケースに入れたままの青い注射器を手に取り、貰った銃弾と一緒にポケットの中に忍ばせる。残った空のアタッシュケースを閉じて、軽く頭を下げた。
「ノックの音はしないから少しは安心、なのか?」
「まあ……、とりあえずはドアの前にいないだろうって事くらいですね。部屋開きで湧くノッカーも開かない部屋についてはずっとノックしているってわけでも無くて、時々辞めて部屋の周りにボーッと突っ立っていたりします。誰かが処理してくれていない限りは、この部屋の近くにいるでしょうね……」
彼女は銃に弾を込めながら、俺に背を向けドアに近付いていく。遠くなる背中に不安を感じ、俺はすぐに立ち上がった。
「少なくとも、ドアを開けて目視出来る範囲にはいるはずですけど……」
俺は思い切り背伸びをしてドアの覗き穴を見る彼女の姿に少し和みながら、彼女の隣に立つ。すると彼女はホッとした顔をしてこちらに振り返る。
「とりあえず、覗き穴から見える分にはいないみたいですね。ステルス型だとどうしようもないですけど……」
彼女はそう言うものの、もう既に銃の撃鉄を起こした状態で、俺がドアを開けるのを待っているようだった。だがこのまますんなりとドアを開けてしまって、また近くに大型ノッカーが待ち受けているとしたら、それも数体だとしたら、そう思うとどうにもドアノブを握れない。
ハッキリ言えば怖気づいていた。
あんなことがあった後に、平気なフリをしてドアを開ける度胸は流石に無い。
「ああもう、毎回そのビビリやってたらおにーさんじゃなくておじーちゃんになっちゃいますよ! とりあえずドア前にいないだけこの前よりも私達が有利なんですから、早く開けちゃってください」
ヨミはドアの前に立ち尽くす俺を急かしながら、また俺の手を無理やりドアノブに握らせようと掴む。悪い気こそはしなかったが、やはり二度目の失敗は御免だ。
だから、俺は彼女にある提案をする。
「いや、待ってくれ。その前に俺のこれ、使ってみよう」
俺は先程ポケットに入れたばかりの青色の注射器を取り出してヨミに見せる。
「マニュアルには"感覚の青"って書いてあったんだ。副作用があるかどうかはともかくとして、とりあえずは使って死ぬような物が置かれているとは思えない。これを使えば感覚が強化されるのなら、とりあえず安全な此処からでもノッカーが外にいるかどうかくらいは分かるだろ? いないならそれが一番だけど、いるとするならそれが何体で、右か左か、近くか遠くか、それくらいが分かれば危険はうんと減る」
青の薬液はまだ満タン、五つ分の目盛りがついている。
ポケットに入れたままの赤と緑の注射器を取り出してそちらの目盛りも改めて確認する。
すると案の定目盛りの量は使った分、それぞれ一目盛りずつ減っていた。
赤の薬液のメモリは四まで下がり、緑の薬液については二まで下がっていた。
どうやら赤と青は元々五回、緑の薬液は元々三回の使用制限があるようだ。
つまり、見てしまえば当たり前の事ではあれば俺の武器には使用制限がある。
それを今この状況で使ってしまうのは少し勿体ない気もしたが、今は死亡のリスクを少しでも回避する為に使うべきだ。赤と緑の薬液の使用回数を減らしてしまったことについても、後悔は微塵も無い。
ヨミの銃を俺が撃てないように、いくらこの注射器を温存していてもこの注射器を使える俺が死んでしまっては意味が無い。ならば一日でも、一瞬でも安全の為に使っておきたい。これは俺がノッカーへ抱いている恐怖感もあるが、隣にいる少女への罪悪感からも芽生えた考えだった。
「んー……、心配性な気もしますけど。でも確かにさっき死にかけたばかりですし……」
彼女はバツの悪そうな顔をしながら、俺の返事を待った。彼女自身にも罪悪感があるのだろう。
「そこはもうお互い様だろ? それどころか、また一人で飛び出られるのも嫌というか、怖い。だったら俺にも協力させてほしい」
マニュアル通りに感覚が研ぎ澄まされるだけであれば、この部屋の中で使う分には危険は無い。反動が強いと困るが、その前に片付けられたならば問題は無いだろう。
それに、一度効果を確認しておきたかったこともあり、少し強めに彼女にお願いをすると その願いが通じたようで、ヨミはとりあえず構えたままだった銃を下ろす。
「ん……、分かりました。じゃあ、とりあえず頼らせてもらいます。よろしくおねがいしますね、おにーさん」
彼女は左手を前に出してくる。
一瞬、何かと思ったが、握手を求めているのだとすぐ気付いた。右手は拳銃を持ったまま、俺も右手に注射器を持ったまま。お互いの利き手が右手だという事だ、ぎこちない握手が少し照れくさかった。
「ああ、改めてよろしく頼む」
そう言って俺は握手した後に、青色の注射器を左腕に当て、薬液を注入する。
途端、視界の全ての色彩が目を襲う。
聞こえる全ての音が耳を襲う。
浮遊する全ての匂いが鼻を襲う。
力の赤を使った時は体が燃え上がるような苦しみが襲った。けれどこの感覚の青は、頭がおかしくなりそうな程の感覚の過敏が身体を襲う。
身体が氷漬けにされた様な感覚。両目が光の槍に刺し抜かれたような感覚、異常なまでの感覚の苦しみが視覚や聴覚をグシャグシャにしていく。思わず唸り声を上げて、膝をつく。その膝をついた音が轟音に思える程に、聴覚が暴れまわっている。どうやらヨミが体を支えてくれたようだが、その音すらも耳を
彼女の手が俺の体に触れたその瞬間、慌てたせいで少し彼女の胸の鼓動が早くなったのだろう。俺のせいで早まったであろう彼女の脈拍ですらうるさいと思う程に、感覚が研ぎ澄まされている。
「悪、い……。何も言わず少し、このままにしてくれ」
伝えなければ分かるはずがない事は狂いそうな程の脳でも気付いていた。
なるべく小声で伝えた自分の声にすら耳を塞ぎたくなる。
目を瞑っても、光が無理やりこじ開けて脳をいじくり回そうとしてくるかのようだった。
そして外で放置されたままの、俺達が倒したノッカーの死臭が鼻に伝わる。物凄い吐き気に襲われ、胃液が出口を求めて体内を暴れまわっているのが分かる。それすらも、音で分かる程に感覚は研ぎ澄まされていた。
ヨミの呼吸や心音に紛れて、部屋にあった時計の秒針の音が六十回程俺の耳を突き刺した頃、やっと少しずつこの状態に慣れてきた。体が慣れたのか効果が薄れたのかは分からないが、それでもどうにか目を開ける事が、音を聞く事が、匂いを辿る事が出来るようになっていた。酷い顔をしているだろうが、俺は顔を上げて彼女の方に片手を上げて見せた。
「だ、だいじょうぶですか……?」
それでどうやら俺の状態の改善を理解したのだろう。彼女は限りなく小さい声で、俺を案じていた。しかし、その声も、吐息すらもハッキリと聞こえる程に、聴覚は鋭いままだった。
まだクラクラする頭を抱えながら立ち上がり、改めて彼女の顔を見ると、少し青ざめたままこちらを伺っている。ありがたい事に、俺が苦しみのピークの時に彼女は何も言わずにいてくれていたが、それでも心音の速さから俺を心配してくれていることは分かっていた。
「なんとか、慣れてきた。心配をかけて申し訳ない」
「なら、いいんですけれど……」
気付かないうちに自分自身の手で耳を強く塞いでいたようで、耳がじんじんと痛む。
その姿を見ていた彼女には悪い事をした。今だに気を使って物凄く小声で話しかけてくる。
「あぁ……、青は先に反動が来るんだって覚えておかなきゃな……」
胸を撫で下ろしている彼女の心音をすり抜けて、ドアの奥の音を聞く。当たり前だとは思いつつ、まだ力を制御しきれていない。鼻が死臭を感知してしまいまた吐き気に襲われるが、ドアの周りに生物が発する音は無いようだった。ただただ、死臭だけがそこにある。
「ノッカーは……いない。というよりも、おそらくノッカーの死体が増えてると思う。音はしないけれど、明らかに匂いの場所がおかしい」
「ってことは……、誰かが倒してくれたって事ですかね。悪い事させちゃったなぁ……」
吐き気を抑えながら改めて匂いの発生源を辿ると、やはり俺達が死闘を繰り広げた場所よりも少し離れた所に、まだ温度すら感じるような匂いが漂っている。
「おそらくは、その誰かが来てくれたのはそれ程前の事じゃない。ただ、明らかにノッカーはいたはずだ」
話している内に、少しずつこの感覚過敏の調整が効くようになってきた。未だ吐き気を誘う匂いを抑えようとすると、少しだけ制御出来そうだった。
どうやら、この感覚の青の力は、自分自身で制御が出来るようだ。
であればともう一度、部屋外の外の音に集中する。すると不意に、コツ、コツ、コツ、という音が耳に届く。それはおそらく足音、それも近付いたり遠ざかったり。何かを待っているような、そんな風なテンポで、グルグルと同じ所を回っているような足音が聞こえた。
「足音……? 近くで足音がする」
「足音? 靴の音ですか?」
「ああ、多分そうだ。靴の種類までは分からないが、人だと願いたい。ただ何故か彷徨いているんだよな。廊下を行ったり来たりしてる」
ヨミに報告すると、どうやらその足音の主が分かった様子で、先程撃鉄を上げたた銃の撃鉄をゆっくりと戻し、拳銃をホルスターに閉まった。上げた撃鉄は撃つまで下がらないと思っていたが、どうやらそういうわけでもない様子だった。
「うん……それだったら、大丈夫かな。おにーさん、ドア開けていいですよ」
ヨミは少し悔しそうな、なんとも言えない顔をして、俺にドアを開けることを促す。確かに、外にノッカーの気配が無いのなら、開けても問題は無さそうだ。
「多分倒されたノッカーは細切れになっていると思うので、覚悟して開けてくださいね……。とはいえまあ、すぐに慣れるでしょうけど……」
話の雰囲気からして、敵対している人間ということも無さそうだった。
しかし細切れとは中々に恐ろしい事を言ってくれる。だが、俺もまたあの大きな目玉に腕を叩き込んだのだ。慣れたくはないが、慣れてしまうのだろうと思いながら、ドアノブを握った。
カチャっと鍵が外れる音が響き、ドアノブを回しドアを開けた瞬間、想像していた数倍の匂いが鼻を襲う。制御をしていたとは言え、思わず胃液が上がってきそうになる。面食らうとは良く言う事だが、まさか匂いに対してそんな事を思う日が来るとは思わなかった。そもそも普通の感覚でも吐いてしまいそうな程の、むせ返る血液の匂い。
見たところ流石にヨミもこの匂いには驚いたようで、腰にまいたベッドシーツを鼻に当てている。それにより破れた衣服の太腿があらわになっているのだが、乙女としてそれが許せるのかどうかは、あえて聞かなかった。そもそも、彼女はそんな事に気付きもしていないようで、ノッカーを見ながら情けない声を上げている。
「うわぁ……、これはまた派手に……。しかもノッカー、あれから大型が二体も来てるじゃないですか……」
「あぁー……」「うわぁ……」とヨミが情けない声を出しながら辺りを見回している。
俺も出来るだけ匂いを嗅がないようにし、嘔吐しないように耐えながら廊下に出る。確かに少し遠くに大型ノッカーの斬死体のような物が転がっている。ということはつまり、部屋に戻るという判断は正解だったようだ。アレから連続で二体なんて、考えただけで恐ろしい。
だが、どんな人がこの二体の大型ノッカーを倒したのか気になった。
自室のドアを閉めると、途端に急に耳に届いていた足音が駆け足に変わった。
大型ノッカーを倒した後の静寂を思い出す。基本的に、この施設は静かなのだ。だからおそらく、その足音を立てている人物は俺の部屋のドアの開閉音に気付いたのだろう。
「ヨミ、足音、こっち来るぞ」
「あぁもう……。そこらへんでこのドアが開くの待ってたんですよきっと……」
溜息をつきながらボヤく彼女の顔は、何処か嬉しそうでもある。少しずつ足音が近付いてきて、あと数秒で十数メートル先の廊下を曲がってくるだろう。俺が少し身体を固くしているのを見て、ヨミが苦笑する。
「大丈夫ですよ多分。ノッカーよりは無害なんで。多分、多分ですが。……うん、まぁ、安心してください」
害がある可能性があるのかと不思議に思っていると、廊下の向こう側から駆け足と一緒に「ヨミぃーー!!」と少し涙声が混じったような女性の声が聞こえた。
「ほら、来ましたよ。大型をいともたやすく細切れにした犯人」
そう言うヨミの視線の先を見ると、もう既に足音の正体が全速力でこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。視力も感覚の青の効果で上がっている事もあり、普段ではおそらくまだ確認出来ないであろう女性の姿がハッキリと目に映った。
肩から膝下へと続いている衣服は、まるでチャイナ服のように見えた。ただし白と赤のコントラストが即座に返り血で描かれた物だと気付くと、少しだけ恐怖を覚えた。
彼女はヨミよりも長く艶のある黒髪をははためかせながら駆け寄ってくる。先程聞いた声のイメージとは違い背が高い。
おそらくヨミよりはいくらか年上で、大人と言ってもギリギリ差し支えない年齢だろう。
顔立ちは温和そうに見え、綺麗な顔立ちをしていた。
そうして下世話な話であり、比べるのは最低だとは分かっているが、隣にいるヨミよりもたわわな胸が揺れているのが、今の視力と何故か発揮してしまった集中力だと、コマ撮り映像のように見えた。
だが、そんな彼女の姿を目で捉えた瞬間、俺の目を一番引いたのはその髪でも、顔でも、ましてや体でもない。
――おそらくノッカー達を細切れにした固有武器。
彼女の事は一目で綺麗な女性だと感じていた。だが俺の目に一番綺麗に映ったのは、彼女がその右手に持っていた、一振りの青い刀だった。
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