DAYS1 -3- 『地獄よりはマシってヤツ?』
マニュアルをひったくられビリビリと破く仕草にあっけにとられてはいたが、ソレ以上に彼女は物凄く重要な事を口走っていた。
「三年……、三年?!」
「そうです三年ッ! 私はこの施設で目覚めて生き延びる事三年目のベテランですよ! このっ! ねぼすけさんめ!」
この言葉は甘んじて受け取ろうと思った。三年寝太郎になりたい所だが、記憶も無ければ状況も分からない。不甲斐ないのは分かりきっているが身体が痛んだ理由も納得は出来た。
とはいえ、何らかの処置は施されていたのだろうとは思う。起きる時間がバラバラだと言っても実験に三年なんてかかってたまるかと思った。そもそも、眠る前の微かな記憶では睡眠は数週間の予定だったはずなのだ。
この実験は何かが起こっている。それも想像したくもないのような何かが。
こちらを見ながら不敵な笑みを浮かべる彼女の顔を見つめながら、固唾を呑んで二の句を待っていると彼女はその笑みを純粋な笑いに変えた。
「あはは、そんな緊張しなくても良いんですよ。ルールは単純なんです。ただそれを守らなきゃ死んじゃうってだけで」
死んじゃうって"だけ"といえる程に、彼女はおそらくその三年間の間に死を見てきたのだろう。言ってしまえば幼さが残っているこの子が銃なんて撃てるだろうかと訝しむくらいだが、確かにこの子は銃で生物を撃ち殺していたのだ。
「このお話、何回目かなぁ。でもおにーさんに死なれちゃうのも嫌だし、ちゃんと説明はしますね」
この部屋で目覚めてからまだ数十分も経っていないというのに『死』について一生分考えさせられている気がする。それもこれも、あの覗き穴から見えた視界を覆う赤い液体と千切れた肉片らしき物体を見たせいだ。
「ルールってのはこのマニュアルのじゃなくて?」
俺は床に散らばる紙切れを見ながら尋ねる。
「そうそう、そのビリビリーっとしたコレに書いてるじゃないです。それにはほんっとーーに大したこと書いてませんよ。面白……いや大事なのは数字なんです」
一瞬言いかけた言葉は聞かなかったすると事にした。彼女はブツブツ言いながらも手に持った表紙一枚のマニュアルをじっと見つめ眉をひそめてからポイと放り投げ、俺に手渡した番号の書いた紙を見ている。
「二十三番、二十三番ですかー。まぁ部屋にもね、書いてましたもんね! 私より二十も上だけど関係無いか!」
少し悔しがっている様子の彼女だが、番号によって格差なんてものがあるのだろうか。彼女の反応的に数字は高い程良いのだろうが、もし一番に近い程良いなら、自分が二十三番という番号はそれ程に悪くない数字ではある気がするのだが……。
「なぁ、その番号って一に近い方が偉いとかあるのか?」
「いーえ? なんとなくです。一番とかかっこいいじゃないですか! それだけです!」
そんな事は無いようで安心したような何とも言えないような、真面目なような適当なような、掴みどころが無いこの子に俺は終始振り回される気がした。
――だって実際に
そう考えた瞬間、頭痛が走る。なんだかこの子を見たことがあるような気がして記憶を探すが、それはすぐにぼやけて消えた。そんな事を考えている間に、彼女はマニュアルを破った紙屑を床に撒き散らすのはどうかと思ったのか、ぐるりと部屋を見渡した後にゴミ箱を見つけたようで、それを目の前に持ってきて床に落ちた紙切れごとをそのゴミ箱に詰め込んだ。
「んと、それじゃあなたは二十三番さん。語呂っぽく言えば"にーさん"ですね……! でも丁度いいかな! 私よりも年上でしょうし、私はあなたのこと、このまま"おにーさん"って呼びますね」
「いや、でも番号で呼ばれるってのは何とも……、というか俺にはちゃんとした名前が……」
「ありますか?」
言われた意味に気付き、自分の名前を思い出して伝えようとしても、言葉が出てこない。それと同時に顔が青ざめていくのが分かるようだった。目眩がして頭を抑える。焦りながら、もう一度自分が目覚めた部屋の周囲を見回す。家具や本棚、アタッシュケース以外の家具や小物は明らかに私物だ、それは分かる。
――けれど、俺の名前が、俺の記憶から完全に消えている。
「名前と、あと大事な思い出とか、頭の中にありました?」
彼女は目を伏せながら呟くと、バツが悪そうに頭を掻く。
「あ、あぁ……。駄目、みたいだ。はは……まさか名前まで思い出せないなんて……」
思わず笑いながら答えるが、おそらく今の俺はひどい顔をしているだろう。
それを慰めるように彼女は苦笑する。
「私も、みーんなもそうでした。ある程度の記憶までは覚えていた人もいたんですけどね。全員名前だけは思い出せず終い。目が覚めた時だけ、見慣れた物に囲まれて安心するんですけどね。殆どの事を忘れてる事に気付いた途端、私もそんな顔したんでしょうね、きっと……」
彼女はそれでも悲しげな顔ではなく、少し切なげでこそあっても笑みを向けてくれている。俺より幾つか年若く見えても、この施設での三年は彼女にとって大きな成長の日々だったのがそれだけで想像できた。そうして彼女の言葉をそのまま受け取るなら、やはり俺の表情は余程青ざめた物だったらしい。
彼女はそんな俺を慰めるかのようにさっき見せてくれたばかりのキーケースをポケットからもう一度取り出して、こちらに見せて呟いた。
「見慣れてはいるはず、なんですけどねぇ」
彼女は寂しそうな笑みを浮かべながら使い古されたキーケースを撫でる。きっと、大事な物だったのだろう。そうして、大事だったことは忘れているのだろうと思うと少し胸が痛んだ。
気を使われた事に心の中で感謝しながら、出来る限り優しい表情を浮かべ、俺は木製の古びたテーブルを撫でた。
「まぁそんな感じで、なんか私達、色々されちゃってるみたいですね」
彼女はキーケースをポケットにしまい直すと表情を切り替え、その笑顔から切なさを取り除いて話し始めた。
「とにかく! ここでは皆さん自分の名前を忘れちゃってるんで、アダ名か番号の語呂合わせで呼びあっているんです。だからおにーさんはおにーさんで! いいですよね?」
きっと、こんな仕草が彼女自身の素の動きなのだろう。彼女は俺に少し駆け寄って、ほんの少し可愛げに首を傾げる。
「まぁ……、語呂っぽく読んでフミなんてのも男の名前とはちょっと違う気がするし、簡単に良い語呂は思いつかない。だからとりあえず好きに呼んでくれていいよ。もしかしたら本当の名前を思い出すかもしれないしな」
「ふっふっふ、私が三年目経って思い出せて無いことを忘れちゃダメですよー?」
意地悪な笑みを浮かべながらおちょくられるが、それも彼女なりの優しさなのだろうと思いながら話を続ける。
「それで、キミの事はなんて?」
「私は四十三番ですから、ヨミって呼んでください。縁起が悪いのでシから始まる語呂合わせは考えるのも禁止! ちゃん付けは大歓迎ですけどね!」
「縁起で言えばヨミだって漢字で書くと縁起が悪いじゃないか」
数秒の間の後、ヨミは小さく笑って首を横に振った。
「まぁ……これからわかることですけど、その漢字の黄泉の方がまだ縁起良いと思いますよ。この場所よりかは。というか話がちょっとずれちゃいました。そう、ルールの事でしたよね。 明日死なれても困りますし、一つずつ教えていきますよ。それにこの三年で分かったことも」
ヨミはコロコロと表情を変えながら慣れた風に説明を始める。だが、最初の一つ目のルールを言った時だけ、彼女の表情は真剣そのものだった
「最初に一個だけ、絶対に守るべき一個だけを教えておきます。生き残ったなら、絶対に生きる事を諦めないでください。それだけ、それだけです。絶対にそれだけは約束ですよ。私達のルールの中で、何よりも大事なのは、生きるというこというです」
「自殺なんてもってのほかですからね!」と付け加えてから、彼女は表情を崩し、意気揚々と説明を始めた。
理由を知る由も無いが、とにかくヨミは話す事が楽しいように見える。明るく高い声で響く単語達は平穏とは程遠く、話す内容も地獄のような日常のはずなのだが、その声を聞いていると妙に安心する自分がいた。死を唱えられ地獄を想像して安心する自分に心の中で苦笑していたが、地獄のような日常という単語が頭をよぎった瞬間に思わず吹き出しそうになってしまった。
――成る程、だからヨミなんだな。
「なあ、話の腰を折って悪いんだけど、もしかして黄泉の方が良いってのは、地獄よりはマシってヤツ?」
「そう! そう! それ! そういうことですよ! 分かったならほら、続けますよ! ちゃんとメモっといてくださいね!」
ヨミはさっき全て破いたマニュアルの何も書いていない部分をゴミ箱からゴソゴソと拾い上げ、俺の私物であったであろう本棚に置いてあったペン立てを見つけ、本棚に駆け寄る。埃をザザーッと両手で払い除けた彼女は、こちらにテテテと駆け寄ってきて、背表紙とペンを渡してくる。
「さあ、ヨミせんせーの生き残り講座、はじまりはじまりー!」
「ん!」と言いながらペンを持てと言う仕草をするヨミ。
どうやらこれは、彼女の言う通り、お手製マニュアルを作れという事らしかった。
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