【四十四】選択の先は(最終話)

 最近の秋は短い。暑くも無く寒くも無い、ちょっと涼しい。そんな丁度良い時期が秋だと思うのだが、記憶を手繰るとそういう時期の思い出はあまり無い。夏が終わるとすぐに冬が差し込んでくる印象だ。今日はそんな最近では珍しい、秋の日だった。


 トウマはジャケットを着て正解だったと思う。朝の内はちょっと寒い。もうちょっと日が上がればジャケットを脱いで丁度いい。さきたま市は晴天が多い地域だが、冬場は強い風がよく吹く。だが今日の風は緩やかで、アスファルトの上を枯れ葉がかさかさ、かさかさと少しずつ横断していく。心地よい限りだ。


 ヒメの自宅の前に辿り着くと、丁度玄関からヒメが出てきた。ヒメの父親も一緒だった。ちょっと緊張した面持ちで挨拶をする。向こうも「おはよう」と挨拶を返してくるが、ちょっと固い気もする。あれだ、ヒメとお付き合いさせていただく報告をしてから、ちょっと視線がキツイ気がする。なお母親の方は好感触だった。


 サラリーマンと聞いていたが、背広を着ている姿は見たことが無い。大体いつもラフなシャツとスラックス姿だ。今朝もそんな出で立ちでトウマと挨拶を交わし、セダンの自家用車で出掛けていった。それを見送った後、玄関先まで出てきた母親にも挨拶をして、ヒメと一緒に学校へと向かう。


「ヒメの親父さんってさ、何の仕事してるんだっけ?」

「んー? 出版社で働いているよー。校正の仕事してる」

「へー」


 トウマは生返事を返した。校正が良く分からなかったのだ。でもヒメの家は結構裕福だ。先程の車も高級車だ。さぞかし実入りの良い職業なのだろう。


 ぐいっとヒメが腕を絡めてくる。ヒメも今日はジャケットを着ているので、それほど生々しさは無い。トウマはそれがちょっと惜しい。


 二学期が始まって以降、ヒメは登下校の時に腕を組んでくる様になった。それは悪くない。ま、まあ恋人同士だしな。そのぐらいはな? しかしそれをクラスメイトに冷やかされるのは、ちょっと困った。人目がある時はやめようと提案したが、却下された。再度お願いしようとしたが、何か嫌な予感がしたので止めた。


 それ以降、腕組み通学は続いている。冷やかされるのも最初の頃だけで、日常の風景となってしまえば囃し立てる動機も無い。それだけが救いだった。


 腕組み通学。ヒメには理由がちゃんとある。コイツは私のモノだと対外的にアピールする為だ。ヒメとしては、トウマはモテると思っている。アイドルの様にぱーっと派手にモテるタイプではない。内心じわじわと好意を寄せられるステルスモテ男なのだ。だからトウマに言い寄る子に対して威嚇する必要があるのだ。少なくともヒメはそう信じている。腕組み通学はその第一弾だ。第二弾、第三弾も用意している。


 しかし。しかしだ。問題が一つあった。人間には腕が二本ある生き物なのだ。


「いつもラブラブだな、お前たち」

「うるせい」



 いつのも交差点でジュウロウと合流する。並び順は右からジュウロウ、トウマ、ヒメだ。前とは変わった。ヒメは横から顔を出してジュウロウを細目で睨む。


「ジュウロウ、トウマの腕取って」

「え? 腕を? なんで?」


 ジュウロウが戸惑う。腕を取る? つまり腕組みをしろってことか? それはやだよ。男同士で。ラグビーじゃあるまいし。ヒメの気迫に押される様に、ジュウロウが身を引く。するとトウマとの間が少し開いた。


「やったー! おはようございまーす!」


 それを見計らったかの様に、トウマとジュウロウの間に褐色の風が吹いた。それは後ろから二人の隙間に勢い良く入り込み、がしっとトウマの腕を抱き掴んだ。トウマの身体が前のめりになるが、それをヒメが引き戻す。


「隙有りです先輩! うふふっ」


 トウマの腕を取ったのは、葛城マコだった。もう十月だというのに、まだ半袖のブラウスを着ている。褐色の健康的な肌は、まだそこだけは夏だと主張しているかの様だった。その褐色の腕は油断なくトウマの腕に絡みつき、そして指を絡ませる。がっちりとホールドしていた。


「葛城ーっ! トウマから離れなさいってば」


 ヒメがトウマの腕を引っ張って、マコを威嚇する。そう人間の腕は二つある。だからこの危険性があるのだ。というか、これをやられるのはもう五回目である。


「いやー先輩。私だって先輩のこと、新宮先輩の恋人ってことは認めてるんですよ?」

「だったら離れなさいよ」

「でも恋人が二人いても、別にいいんじゃないですか?」

「は?」

「アタシ、新宮先輩の恋人に立候補しまーす。二番目でいいですよ」


 器用に片目を閉じてウインクをするマコ。その行く先はトウマであり、その表情は固まっている。その固まった視界の端で、たぶん少女がしてはいけない様な表情をしているヒメが見えた。ジュウロウが静かに身を引く。助けてはくれない様だった。


 その後の修羅場が終わったのは、二時限目開始のチャイムが鳴る頃だった。





  —— ※ —— ※ ——





 なんだが最近身の回りが騒がしい。今はすっかり涼しくなった校舎の屋上で、トウマは溜息をついた。フェンスに寄り掛かりながら、サッカーコートを見下ろす。一年生がサッカーの授業をしているのが見える。今は五時限目。つまりトウマは授業をサボっていた。


 今日はこのまま帰ろう、と考えていた。放課後、ヒメやマコに掴まるのは避けたかった。ヒメの席は目の前だ。掴まらずに帰るにはこれしかない。まさかマコがあんなことを言い出すとは。まあ正直、人として嬉しい反面、今後のことを考えると頭が痛いの半分、怖いの半分だった。


 登校時にあれだけやらかしたが、まだ大きな爆弾が一つ残していた。先日、マコと映画を見に行っているのだ。二人で。いやまさか、こんなことになるとは思っていなかったから、誘いを気楽にOKしてお茶までしてきたのだ。マコ、あえてこの話題を出さなかったな。きっと放課後に第二ラウンドをやる為だ。トウマには逃げるしか選択肢が無かった。


 いやはや、騒がしい。気がつけばそういう騒がしい日常が当たり前になっている。昔は、夏前はもっと静かだったよなあ。例えれば、都会の喧噪から離れ、田舎の自然に囲まれた雰囲気を満喫したい気持ちになる。でもそれは一時のことなのだろう。田舎へ行けば行ったで、すぐにあの雑踏が懐かしくなる。その気がした。







  ——ほら。







 トウマの背後に人の気配が生まれた。二つ。塔屋の扉が開いた音はしなかった。つまりその気配は、そこに突然現れたということ。トウマはそんなことが出来る人種を一つしか知らない。それはつまり転生能力者だということだ。


「よっ!」


 ホムラとキョウコが、振り向いたトウマに対して気楽に挨拶をしてきた。妙にニコニコしているその表情に、何やら悪寒を感じる。あれだ、今投資すれば将来何倍にもなって返ってくるとかいう人種と同じものを感じた。つまりきっと、ろくでもない話なんだろう。転生者としての因果が、トウマをそういう事柄から手放すことは、もうないのだろう。


「なんですか、学校にまでやってくるなんて」

「なんだよ、そんなイヤそうな顔することないだろ? せっかくこの間ステーキ奢ってやったのに」

「あれってデキステルのお偉方の奢りじゃなかったでしたっけ」

「彼奴らの財布はオレの物、オレの物はオレの物」

「酷い」

「でも美味かったろ」

「はい……美味しかったデス」

「また美味い店連れてってやるから、な!」


 そうやってバンバンと肩を叩くホムラ。もう彼の中でトウマが話を承諾したことは確定の様だった。トウマは大きく溜息をついた。


「で、今度は何が起こったんですか?」

「実はな、とある山奥の温泉郷での話なんだが——」





 でも、だからこそ思うのだ。せめてそれを選んだのは自分なのだと、そう思いたい。だからトウマは、ゆっくりとホムラたちの方へと歩き出していた。







トライアングルサーキュレイション —三角循環定義— 完


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トライアングルサーキュレイション —三角循環定義— 沙崎あやし @s2kayasi

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