【四十三】終結
シニステル総帥は空を見上げていた。フォボスが消え、太陽の光が真上から降りてくる。火星の大気に僅かに含まれる塵が、微かな影を落としながら乱舞する。その様子をじっと見つめ、そして閉じた。その瞼には、鳳仙花の様に消失したフォボスの姿が見えていた。落着したはずの結果が、未来から上書きされたのだ。ぎゅっとその両手が握り締められる。
下層の方で行われていた戦闘は途絶えていた。四天八部衆と十二神将はお互いに距離を取り、上と下へと別れていく。ただ地上へと降りていった十二神将の内、ホムラだけはゆっくりと上昇してくる。同様に上昇しつつある四天八部衆を睨みつつ、シニステル総帥と対峙しているトウマの後ろへとつく。
『おい。どうなったんだ?』
『……阻止に成功したってことさ』
トウマは上に掲げた手を下ろし、大きく息を吐いた。一か八かの賭だった。世界に揺り戻す力が働くというのであれば、今はほんの僅かな思いつきでしかなくとも、大きく未来に作用することもあり得るのではないか。今のトウマには、消失するフォボスの幻像だけしか見えないが、多分それが成功したのだ。
『いや参ったね。してやられたよ』
総帥は目を開いた。睨み付けられるかと思ったが、トウマを見る目は意外とさっぱりとしていた。口元に微笑みすら見える。まるでじゃんけんで負けてジュースを奢らされた、そんな程度にしか感じていないかのように見える。
もしかしたら、この結末を予想していたのか? とも思った。でもそこまで世捨て人のようには見えない。彼、それとも彼女なのか。総帥の瞳にはまだ活力というものが感じられた。もしてかして、まだ次の手を隠し持っている? トウマは内心冷や汗を掻く。正直それは勘弁してもらいたかった。
『まだやるかい?』
『いや、止めておくよ。フォボスが無いんじゃ、ね。ダイモスでもいいけど、ちょっと質量が足りないかな』
『そういうもんなのかよ……』
トウマは溜息をつく。確かに火星にはもう一つ月があった。でもまあ、ダイモスを使われても、同じ手法で阻止出来る可能性はあるし、今からであれば後手に回らない分だけ有利ともいえた。
『それに可能性を減じる方法は他にもある。今度は別の方法でお邪魔させてもらうよ』
『出来れば止めて欲しいんだけどな』
『それは無理だね』
ゆっくりと。総帥の身体が上昇し始める。背後で控えていた四天八部衆も続く。総帥は両手を広げ、トウマに対して微笑んだ。
『これは、世界を賭けた戦いなんだ』
しかし、その瞳は笑っていなかった。やがて総帥と四天八部衆を紫色の光が包み込み、消えた。宙空にはトウマとホムラだけが残された。
見下ろせば、ヒメやジュウロウたちがこちらへと飛んでくるのが見えた。周囲を見回すと、破壊されたはずの外輪山が元通りになっている。両者の戦いで削られた地形も、大体はし元に戻っている様に見える。唯一、フォボスだけは空から消えたままだった。
トウマは飛び込んでくるヒメを抱き留め、ようやく終わったことを実感した。
—— ※ —— ※ ——
西暦二千三十五年九月十三日。世界は一つのニュースで大騒ぎになっていた。火星の衛星フォボスが忽然と消えたのだ。宇宙分野の話に限らなくても歴史的なニュースである。何らかの小惑星が衝突し、火星の軌道外へと飛ばされて見失ったというのが一番支持率の高い推察だったが、それだけの衝突を確認出来なかったというのは勿論大問題である。にわかに地球近傍小惑星の特集がテレビで放送されたり、妙なオカルトの言説が流れたりと、世間は大騒ぎになった。
トウマはそんなニュースや言説に触れる度に、微妙な微笑を浮かべて話を合わせた。まさかフォボスは未来に跳んで行きました、なんて言ってもワラエナイ冗談にすらならない。オカルトや中二病かぶれと思われるのもイヤなので、ふんふん、そうだねー、と軽くスルーすることにした。
しかしだ。世界に揺り戻しの力が働くというのであれば、この件もごく自然な形に変換されても良いものなのに。この辺りが良く分からない。そういえば高校での騒ぎも、校長室は壊れたままで屋上は元に戻っていた。揺り戻しの基準が良く分からない。この辺りも研究が進めば判明するのだろうか。
ホムラたちデキステルの面々は、相変わらずシニステルとの抗争に備えている。今回の火星での一件では、技術的な知見が結構得られたらしい。本格的にテラフォーミング事業に乗り出すらしいし、あとあの電磁投射銃の技術解析から得られた恩恵はかなり大きいらしい。あれだけ小型で大電力のバッテリー技術は、今のデジタル技術に革命をもたらすそうだ。多国籍企業としてのデキステルはそういう情報を元に、ますます発展していくことだろう。
トウマたちにも将来的には恩恵がある。希望すれば、多国籍企業デキステルに就職出来るそうだ。やったね。デキステルは一流企業で給料もさぞかし良いんだろうし、立場的に基本首は無いと見た。良い話だ。宝くじに当たった気分だ。でも就職するのは大学卒業後だと考えている。社会人として働く前に、是非キャンパスライフは満喫しておきたいのだ。
シニステルは火星の一件以降、姿を現していない。都心にあった彼らの拠点も消失していたそうだ。デキステルとしては今後、シニステル世界側への遠征も考えているらしいが、まあトウマには関係ないだろうと思っている。そうそう、ホムラが合衆国へ殴り込みにいった話。あれはシニステル世界側の合衆国へだそうだ。世界間通信の技術は今のところ開発されていない。だから騙されたんだな。
今後シニステルがどんな形で関わってくるのか、トウマには分からない。何せ前世、つまり未来まではあと五百年もあるのだ。もしかしたらトウマが生きて居る間は、もう現れないかもしれない。是非そう願いたいものだ。最近はそう楽観的に考えるようにしている。
—— ※ —— ※ ——
そうして。長く様な短い様な、不思議な夏は終わろうとしている。いつも汗を搾り取る様な強い日射しも、気がつけば緩んでいる。昨日までは半袖で充分だったのが、今日は鳥肌が立つほどの冷えた風が身を貫く。最近は秋が短い感じがする。
街路樹の紅葉はまだ半分ぐらいだが、微かにではあるが冬の気配を感じる。寒くなると、夏の暑さが恋しくなってくる。トウマはどちらかといえば夏派である。夏の活動的な空気は良い。生きている感じがする。ジュウロウも夏派。ヒメは冬派である。だがそれも交互に巡ってくればこそであろう。暑いだけ、寒いだけというのはしんどいものだ。
——十月五日、金曜日。
すっかり涼しくなった朝。トウマは今年初めてのジャケットを羽織って、高校へと登校するべく家を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます