第3話 孤独

 聡子とは、大学2年のゼミで知り合い、やがて恋仲になった。奨励会の日々の神経を擦り減らす毎日の中にあっては、聡子との時間はまるでオアシスでの一時で今思えば、あの時の自分の精神が壊れなかったのも聡子との時間が人並みの幸せを味合わせてくれたおかげだと思う。当時、「二刀流」という言葉が流行っていたり、藤井聡太の出現で将棋界が一躍脚光を浴びていたこともあり、聡子も自分の将来性に希望を抱いてくれていたのだろう。しかし、名に恥じない嗅覚を聡子は備えていたのだ。今、思えば、デートの際、段々と将棋に関する話題が減って行ったのは大学院への進学を決めた大学4年の頃だった。


「ひょっとして、この人、将棋界では大成しないのではないだろうか?いや、この人、そもそも棋士になれるのかしら?」そんな思いが胸を掠め始めていたのかもしれない。それも無理はない。なぜなら、自分こそが、そんな思いがし始めていた頃だし、どんなに自分の不安な気持ちに蓋をしてむくむくと巨大化しようとする不吉な予感を抑え込もうとすればするほど、気はささくれ立ってきていた。


 聡子から、別れを切り出されたのは、25歳の夏のことだった。自分の家には何度も遊びに来ていたし、両親にも紹介していた。聡子の家にもいつか遊びに来てほしいと言われていたが、自分の中では「棋士の内藤哲也です」と名乗れるようになってから、という思いがあった。しかし、25歳の夏、奨励会の上期の例会で3位で惜しくも四段昇段を逃すと「ゴメン、もう一緒にいるのが耐えられない。将棋の話はしづらいし、とても両親にも紹介出来る気がしない」と告げられ、心のオアシスを失った。


 四段昇段を果たしたのは17歳の高校生と20歳の大学生でもはや、二人とも年下だった。第3位となった自分には次点ポイントが付き、次のリーグ戦で再び次点を取ると、フリークラスながら、四段が与えられ、一応ながらプロ棋士ということになる。もちろん、狙うは2位以内での無条件でのプロ四段棋士になることだった。


 フランツ=カフカの『変身』に出てくるザムザではないが、周囲の人々がどんどん自分を避けるようになっていった。奨励会ラストイヤー、そして、泣いても笑っても最後の例会が開始した頃には、奨励会の事務の人々や同じ三段の仲間が自分と目を合わさなくなってきた。


 半年前までは家族だけが心の支えであると考えていたが、それも幻想だった。もはや、母はスーパーでかつての母親仲間の人と遭遇しても、自慢だったはずの息子の話をすることはなくなっいたし、妹の舞依も外で兄ことを口にすることはなくなっていた。もうこの二ヶ月ぐらいは家族の誰ともすらほとんど話さなくなっていた。

 思えば、鳩の森八幡神社の神にまるで会話相手として求めるかのように、祈り、語りかけ、深々と首を垂れるのがルーティーンになってきたのは、恋人や家族からも腫物に触るかのようにされだしたりした頃であり、考えてみれば、ある意味自然なことだったかもしれない。

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