ヒューマン・シード・プロジェクト

華川とうふ

改正種付けおじさん法

 スーツを着てタイを締めて出社する。別にそんな必要はなく、同僚はもっとラフな格好をしている人もいる。

 だが、私の仕事は国にとって欠かせない重要なものだ。

 その意識を持ち続けるために、私は今日もスーツを着て出社する。


 私の仕事は子供を作り、育てることである。


 出産、子育てが職業と認められるようになったのだ。

 民間がやってももうからないので結局、国主導のものになった。だけれど、この国の少子化は切羽詰まった状態にある。


 立場としては公務員に近いだろうか。

 さすがに、国がそのまま行うのはまずいので、一応法律上は外郭団体というかたちをとっている。なので、身分上は公務員ではないが、賃金形態や福利厚生などは公務員のものを準用している。

 将来、安泰といえば安泰だ。


 でも、私はこの仕事を人にしゃべったことはない。

 そもそも、少子化により子供をつくり育てることを明文化した法律は、当初『種付けおじさん法』などといわれて揶揄された。


 みんな自分では子供を産んだり、育てたりしたくないからこうなったのにずいぶん無責任な発言だ。

 だけれど、この仕事をひとに言えないということは私自身も恥じているのかもしれない。


 別に出産を専門としている部署以外は、案外普通の会社と変らないというのに。


 私の今配属されている部署には通称『種付け課』と呼ばれている。

 簡単にいうと女性の胎内に精子を送り込み着床させるのが主な仕事だから。

 だけれど、実際はそれにかかわる事務処理やら、場合によっては男手が不足している『イクメン課』の応援に駆り出されてしまうことが多い。

 地味な仕事が非常に多い。


 今日は子供園で運動会が開催されるため、パパ役として部署のほとんどが駆り出されてしまったため、残ったのはこの部署の仕事については新人同然の私と、もうよぼよぼのおじいちゃんでパパと呼ぶには厳しい課長だけだった。

 こんな日は事務仕事でも片付けようと思っていたら、母体課から連絡が入った。今日が排卵日の女性職員がいるので来てほしいと。

 正直、入所したころのような情熱もない私はもうそんな部署には近寄りたくなかった。

 いくら志願したと言っても職業だ。

 そりゃあ、子供を産み育てることは社会にとって大切なことだけれど、毎日となるとうんざりする。

 しかも、種付け課の仕事は作る過程の一部を手助けするだけだ。

 やりがいも何もあったものじゃない。

 課長に行ってもらおう。

 この部署に来て日が浅い私には無理だ。

 女性をはらませるどころか、私は女性とセックスをしたこともないのだから。


「すみません、童貞ですので~」


 そういうと部署の先輩方は仕方ないなあと言いながら仕事のコツなどを見せてくれた。時々サポートこそ頼まれるが実践までは求められなかった。

 種付けおじさんたちはみんな優しいのだ。

 一番年の近い先輩はふざけて「おじさん」って呼ぶとコブラツイストをかましてくるけれど。


 だけれど、課長にはその手は通用しなかった。

 噂によると課長は伝説の種付けおじさんらしい。

 1人で1年に365人を孕ませたとか、女性用性教育ビデオの男優をしていたとか、会社の前にある来々軒で餃子100人前を完食したとか言われている。


「防護服とマスクを着用するように」


 私にそう支持をしたとき、課長はすでにユニフォームに着替えていた。

 通称種付けおじさんとされる業務中は防護服とマスクの着用を義務付けられている。防護服は体系を隠すのと、有事の際に中の人間を守るため。そして、マスクをすることによって具体的な個人の識別をさせないためだ。

 あくまで作られる子供は国の宝であり、具体的な母親と父親は存在しないことになっている。

 もし、妊娠した女性が父親をしりたいとか自分で育てたいとか言ってもそれは叶うことはない。

 もちろん、すべて記録はされているが出産・子育てを担う部署の人間では閲覧することは不可能だ。


 顔も体形も分からないので、自分で探し出すことは不可能である。

 生物学上の母親はあきらめるしか選択肢がない。

 社内恋愛はご法度なのだ。


『着床室』に到着すると、3台あるベッドはすべて埋まっていた。


「医師の診察は?」

 課長が部屋についている看護師兼監視役の女性に声をかける。

「済んでます。三人とも本日、排卵。健康状態も問題ありません」

 女性は事務的に答えた。

 課長は端末に自分のIDカードをかざし、ベッドに横たわる3人の女性のプロフィールを確認する。


「では、2人は私が担当しますのでそれをよく見ていてください。そして、残りの1人の方を担当してもらいます」

「えっ、いや。まだ私は新人で女性経験もありません」

「だれでも初めはあるものです。大丈夫ですよ」


 課長は落ち着かせるように優しく諭すようにいった。

「でも、私には無理です」

 私はあきらめずに抗議する。

 そもそもこの部署に配属されたのだって、事務処理能力を買われてのことなのだ。だれも私に種付けおじさんとしての仕事を期待していない。

「業務命令です」

 課長は有無を言わせない口調できっぱりと言った。

 私はしぶしぶ従うしかなかった。


 課長は手早く準備をする。

 手早く消毒をして、着床希望の女性に声をかける。

 消毒をしながら、脳波計を見ながら痛いところや苦手な体位はないかを確認していく。

 あっという間に準備を終えて、あとは女性の同意のサインをもらうだけになった。

「はじめてのようですが、催眠アプリは使用しますか?」

 カーテンの向こうの女性に声をかけた。

「……。」

 返事がない。

「怖いし男性経験がないので、麻酔希望ですでに眠っています」

 看護師の女性は冷たく言った。

 課長は潤滑油を女性の局部に注入して、注射器型の容器に保存精子を充填した。

 できるだけ先が細くやわらかいチューブを女性の局部に注入していく。

 途中、女性が「うっ」と呻いたので、一度手をとめて心配そうに様子をうかがう。

「慣れてきたかな?」

 脳波計を確認して、挿入の続きを行った。

 チューブが規定値まで入ったら、ゆっくりシリンジを押し込む。

「処女懐胎完了」

 ぽんぽんと女性というより少女に近い華奢な太ももをたたく。

 そのときの課長はとても愛情に満ち溢れた顔をしているのがマスク越しなのになぜだかわかった。


 もう一人の女性は経験豊富で快楽妊娠希望だった。

 だが、待ち時間で飽きてしまったのかすでに眠っていた。

 課長は脳波が快楽を感じているときの波形をしているということで、眠ったままさっきの処女の女性と同じように極力痛みが生じない方法、つまりチューブを挿入してシリンジで注入する方法を選択した。

「起こすと可哀そうだからね」と唇に指をあててしーっとする課長はちょっとだけ可愛らしかった。


 とうとう、私の番が来てしまった。

「時間はあるから、ゆっくりで大丈夫だよ」

 と課長は安心させるように言った。

『とっとと終わらせて帰りたいです!』

 というのが本音だ。

 手順1、消毒。

 消毒しますねと合図をして消毒を開始。消毒箇所の漏れがあると女性を不安にさせるので丁寧に行う。

 手順2、脳波の確認。

 不安になっていると、着床率及び今後の業務に支障がでるため、可能な限り不安を取り除き、もし規定の値を超える場合であれば異常値として医師に報告。必要な場合は休息やカウンセリングを行う。

 手順3、女性の基本情報の確認。

 催眠アプリや麻酔の使用希望の有無の欄を再度チェックし、簡単な基本情報を確認する。

 女性は20代後半。出産経験は1人。出身地は……そこに書かれているのは自分の地元だった。年齢も近い。知っている人だったら嫌だな。そう思いながら情報画面をスクロールするとそこには幼馴染の名前があった。

 家が隣同士で小さなころからずっと一緒だった幼馴染。

 妹のように大切に思っていた存在だった。

 活発に遊びたい私のあとをいつも一生懸命についてきた幼馴染の姿は今でも目を瞑れば浮かび上がるくらい焼き付いている。

 手をつないで一緒に小学校に通ったときの赤いランドセル。

 中学の入学式ではじめてポニーテールに結ったときのうなじの白さ。

 私を追いかけて同じ高校に入学して一緒に通学した半年間は何にも代えがたい思いでだ。

 私たちの関係が変わってしまったのは、高校3年生の秋だった。

 高校3年生の秋、幼馴染が親の仕事の関係で引っ越すことになった。

 幼馴染は別れ際、私に告白をしたのだ。

「ずっと、好きでした」って。

 あまりにもありきたりなセリフと、あり得ないくらい甘くやわらかなキスが、私に降ってきた。

 私は驚き、混乱した。

 ずっと妹のように大切に思ってきた存在だったのに突然告白されても、その現実を受け止められない。

 そりゃあ、子供のころのおままごとに付き合わされるときは私はパパ役をやっていたし。

 小学校のころ家族についての授業で周りの女子が将来の結婚について話しているとき、結婚するならば幼馴染がいいなと漠然と考えていたけれど。

 だけれど、そんなの子供の戯れだ。

 現実に幼馴染と付き合うなど考えたことがなく、私はずっとその告白に返事をすることができなかった。


 彼女の寂しそうな後ろ姿が脳裏をよぎる。


「さあ、あと少しですよ」


 課長は励ますように促す。

 あとは方法はなんであれ――ただし、女性の身体を傷つけなければ――精液を女性の身体に注げばいい。

 もちろん、課長のように手馴れていれば女性をリラックスさせるように声をかけたりするのが望ましいが、あくまでそれは円滑に進めるためのマニュアル外の部分のため必須ではない。


 不安な気持ちにさせないように何か言わなければと思うが言葉がでてこない。

 私は仕方なく彼女の膝をそっとなでた。

 その真っ白でなめらかな肌には直接触らないと分からないような瘢痕があった。

 この傷跡は覚えている。

 私と一緒に遊びたくて追いかけてきた彼女が転んだときにできたものだ。

 白いミミズのような線は指先でなぞるとすこしだけ膨らんでいてほかの場所より艶々していた。

 彼女の膝をいたわるようにそっとなでる。

 あの後しばらくは彼女のままごとに付き合わされ続けたな。

 一人で苦笑いしていると、彼女はいつの間にかリラックスしていた。


 そして、私は静かに彼女の股の間に立ち、種を注いだ。

 射精ができないのでもちろんシリンジで。


 看護師の女性が彼女をストレッチャーに乗せて運び出すとき少しだけカーテンがめくれて、向こう側にあった彼女と目があった。

 私に告白したときよりも、ほんの少し大人びた幼馴染の顔がそこにはあった。

 彼女は驚きもせずに静かにこちらを見ていた。

 まるで私であることが見透かされているみたいに。

 だけれど、今日も私は幼馴染に告白の返事をすることはできなかった。


 看護師と幼馴染が去ったあと、私はその場で座り込んだ。

 疲れた。とても、疲れた。

 種付けおじさんとはこんなに疲れるものだったなんて。

「女性初の種付けおじさんの誕生ですね」

 課長ら満足そうに私の肩を叩いた。偉業のようにいうけれど、嬉しくない。

 この部署種付け課への辞令が発出されたとき、私は本当は会社を辞めようと思っていた。『出産課』で妊娠したり子供を育てる仕事を続けていたかった。

 だって、お金や環境の不安なく私は子供を産み、育てるためにこの会社に入ったのだ。

 何度目かの妊娠のあと、私の健康状態では妊娠は不可能だと判断された。

 でも、私はそんなこと信じられなかった。

 まだ、妊娠できる年齢だし健康状態にも問題がないはずだと食い下がった。

 一緒に配属された同期たちはまだまだ現役だったのに。

 妊娠はできなくても、あらかじめ採取済みの卵子は残っている。

 それらの行く末を見守る権利くらいはあるだろうと食い下がったけれど、それは聞き入れられることはなかった。

 なんで私だけ……。

 通常ならば、妊娠適性を過ぎた女性は子供育成課に配属されるはずなのになぜだか私は通常は男性しかいない『種付け課』に配属された。

 人で不足の課で、事務処理関係に強い女性が欲しいということだった。


 もう自分で産むことがかなわないならば、せめて育てたいと思ったのに。


 私は不満だった。


 内心、種付けおじさんなんて馬鹿にしていた。

 だって、彼らのしていることは種をばらまくだけ。

 あとのことは何もしらない。

 その種がちゃんと芽をだし育ったのかも。

 生まれてきた子供のことなんて関係なく、ただ精子をばらまいて終わりだと思っていた。


 だけれど、実際はちゃんと子供たちに会いにいっていた。

 父としての役割をもとめられれば、どんなに忙しく手も子供たちのために働いていた。

 今日だって運動会で子供たちがみんな頑張る姿をちゃんと見にいった。

「偉いぞ」、「一等賞になれなくても、パパにとって君はとっても大切な存在なんだよ」、「頑張ったね」

 そんなふうに同僚たちが一人一人の子供たちに声をかけているのを知っている。


「そういえば、今日、君が種付けした子は珍しい症例でね。冷凍保存された卵子を子宮にもどしていた事例なんだよ。繊細な症例だからね。できるだけ丁寧にできる人に頼みたかったんだ。おっと、この症例はまだ内密に頼むね」


 課長は着床室から出るときにいたずらっぽく言った。


 私もいつか自分の子に会える日が来るかもしれないと思いながら、長い廊下の先の自分の持ち場、『種付け課』へ帰った。


 もうすこし、ここで働いてみてもいいかもしれない。

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