第四部 終幕篇

一九の扉 イスの神殿


 深きものどもはどんどん数を増やしてくる。

 いまや、後ろを振り向けば視界一面をあのおぞましい生き物が埋め尽くしている。しかも、いつの間にかダゴンまで現れて先頭を切って追いかけてくる。

 ――追いつかれたら終わりだ!

 ボクはそう思い、焦りと恐怖を感じた。

 ダゴンひとりだって手に負えるかどうかわからないのに、ましてあんな、数えることもできないほどの数の深きものどもまでいるとなったら……。

 ――追いつかれる前にイスの神殿に駆け込むしかない!

 ボクが心に叫んだそのときだ。お姫さま抱っこ状態のフィーユが前方を指さした。

 「あそこよ! あそこがイスさまの神殿」

 見るとなるほど、視線の先に、半ば地面に埋もれた遺跡みたいになっている建物があった。

 ――あれがそうか! あそこまで行けば助かる!

 ボクはその思いだけを胸に駆けつづけた。


二〇の扉 窮地きゅうち


 ボクはフィーユをお姫さま抱っこしたままイスの神殿に駆け込んだ。

 ――セーフ!

 思わず、心にそう叫んだ。

 これでもうだいじょうぶ。そうだよね? そのはずだよね?

 ボクは振り返った。様子を確かめた。すると――。

 やった!

 深きものどもは神殿のなかには入ってこられない!

 入り口のところで見えない壁に遮られているかのように足踏みしている。多分『結界』というやつなんだろう。女神イスの力によって、深きものどもはこの神殿には入ってこられないのだ。

 「やった! これでもう安心だね」

 喜ぶボクに向かって、でも、フィーユは言った。

 「いいえ、駄目よ」

 「えっ?」

 「イスさまの結界はたしかに深きものどもは寄せ付けない。でも、ダゴンまで押しとどめるほどの力はない」

 「なっ……」

 見ると、ダゴンはビッタリと見えない壁に張りついていた。ちょうど、磨き抜かれたガラス戸に顔を押しつけたときのような、あんな感じ。そのダゴンの体が見るみるふくれあがった。二倍、三倍……どんどん大きくなる。

 皮膚がちぎれた。

 爆発した!

 その下から現れたのは――。

 深きものどもそっくりの、でも、ずっと大きい、おぞましい怪物!

 「あれがダゴンの正体。あの姿を現わしたダゴン相手にイスさまの力では……」

 フィーユの言うとおり、正体を現わしたダゴンはメリメリと音を立てて見えない壁を引きちぎり、神殿のなかへと入ってきた。

 いわゆる『穴が空いた』状態とはちがうのか、深きものどもは相変わらず足踏みしていて入ってこれらない。それはせめてもだったけど、ダゴンひとりだけだって……。

 ボクは覚悟を決めた。そして、フィーユをおろした。


二一の扉 立ち向かう


 「真琴まこと?」

 フィーユは戸惑った様子でボクを見た。ボクはそんなフィーユに微笑みかけた。

 「さがっていて。ダゴンはボクが倒す」

 「無茶よ!」

 「だいじょうぶ。今度は勝つ。稽古もしたし、なにより、フィーユ。君に強くしてもらったからね」

 フィーユは驚愕に顔をこわばらせた。

 ボクはそんなフィーユに微笑みを向ける。その笑みはきっと、ちょっとだけさびしそうだっただろう。

 ボクとフィーユはあの島で何度もなんども交わった。そんなことを繰り返していればいやでも気が付く。フィーユがボクを愛してはいないことに。

 じゃあ、なんでフィーユはボクを受け入れたのか。

 ボクを強くするためだ。

 ボクを強くしてダゴンを倒させるためだ。

 ボクは女神イスによって召喚された転生融合者。ボクのなかには女神イスの力が宿っている。

 フィーユはボクと交わることで自分自身の巫女としての力を流し込み、ボクのなかのイスの力を増幅させていたのだ。

 ただ、フィーユにとっては予想外だったのだろう。巫女の力をボクに流し込む際、そのもくろみまで伝わってしまうということは。

 「……真琴」

 「ボクは最初からダゴンから逃げちゃいけなかったんだ。立ち向かい、倒さなくちゃならなかった。……君のために」

 「真琴。わたしは、あなたのことを……」

 「いいんだよ。君がボクのことをどう思っているかなんて問題じゃない。問題はボクが君を愛していると言うことなんだから」

 そう。ボクはフィーユを愛している。

 ボクのもととなった真人まさとでも、美琴みことでもない。

 ボク自身。

 このボク自身がフィーユのことを愛している。

 もとの世界に戻り、真人と美琴に戻ればボクという存在は消えてしまう。でも、ボクのフィーユに対する想い、これだけはきっと真人と美琴のなかにのこる。

 ボクという存在がたしかにいたことの証明として、ふたりのなかにずっと残る。

 そんな『証』を与えてくれたフィーユにボクは心から感謝していた。

 「じゃあ、行ってくるよ」

 その言葉と微笑みを残し――。

 ボクは迫り来るダゴンに向かった。


二二の扉 愛し合い


 ……ボクの足元にダゴンの死体が転がっていた。

 ――勝った。

 ボクは疲れはてた体で、呆然としながら思った。

 ダゴンはたしかに強かった。

 でも、それだけだった。

 はじめて戦ったときはそのパワーとスピードに圧倒されて何もできずにやられてしまったけど、落ち着いて、冷静によく見れば、その動きは素人そのものだった。

 身体能力に頼っているばかりで技もない、制御も効いていない。一撃いちげきが大振りで、無駄が多い。隙も大きい。そしてボクには『空手』というこの世界にはない技術があった。

 真人と美琴、ふたりの力が掛け合わされた能力。

 フィーユによって増幅された女神イスの力。

 そして、空手。

 その三つが合わさったとき。

 ボクは怪物ダゴンさえ倒す『勇者』となっていた。

 ボクはフィーユに向き直った。ニッコリと微笑んだ。

 「……勝ったよ。フィーユ。これで君はもう安全だ」

 「真琴!」

 フィーユがボクに飛びついた。思い切り唇と唇を重ね合わせた。

 ――ああ。フィーユ。やっと、ボクを愛してくれた。

 涙と共にボクは思った。


二三の扉 別れ


 「やっときたわね。待ちくたびれたわ」

 ボクとフィーユ、ふたりの前に現れた女神イスはなんだかイメージのなかの『女神さま』とはちがう存在だった。見た目も口調もギャルっぽいと言うか、軽そうな感じ。話していてちょっと頭の痛くなるような相手だった。

 場所は神殿の奥。円い天井に覆われた大広間。フィーユと同い年ぐらいの女の子を象った幾つもの彫像のある場所だった。

 「さあ、フィーユ。巫女としての役目はわかってるわね」

 「はい。イスさま」

 「役目?」

 ボクはふたりの言葉の意味がわからず、聞き返した。

 女神イスは当たり前のように答えた。

 「フィーユはこれから人柱になるのよ」

 「人柱⁉」

 「そうよ。深きものども……あの邪悪なる種族を、この世界に侵入させないための結界を張りつづけるためにね」

 「人柱って……フィーユはどうなるの⁉」

 「死ぬわよ、もちろん」

 「もちろんって……⁉」

 「人柱となった巫女はその生命力を使って結界を張りつづける。その生命力が尽きたときがつまりは死ぬとき。そして、次の巫女が人柱になる。そうやって代々、結界を維持してきたのよ」

 「代々って……それじゃまさか、こここにある女の子たちの彫像は」

 「あら、よく気が付いたわね。そう。代々の巫女のなれの果てよ。結界を張りつづけ、そのために生命力の最後の一片までも使い果たした、ね」

 「駄目だ!」

 ボクは叫んだ。

 「駄目だ、駄目だ、駄目だ! ボクはフィーユにそんなことをさせるためにダゴンを倒したんじゃない! フィーユを人柱にさせるなんて、そんなことは絶対にさせない!」

 「させない? それじゃどうするの? 結界がなくなれば邪悪なる種族がいっせいに入り込んでくるわよ?」

 「ボクが倒す」

 「あんたが?」

 「そうとも。邪悪なる種族なんてボクが全部、倒してやる。それに、この世界にだってやつらと戦おうって言う人間はいるはずだ。その人たちと協力してみんなを、この世界を守ってみせる! 人柱を使うような神さまになんて頼るもんか!」

 「そう? なら、いいわよ。それで」

 「いいの⁉」

 ボクは思わず拍子抜けして叫んだ。まさか、こんなにあっさり承知してくるとは思わなかった。てっきり、神さまらしく自己犠牲がどうのと説教してくると思っていたんだけど……。

 女神イスはギャルっぽい外見にふさわしい軽い口調で言った。

 「この世界が連中に食い尽くされるだけのことだものね」

 「食い尽くされるって……何で、そんな風に決めつけるの⁉」

 「だって、連中ってば、あたしよりずっと強いんだもの。って言うかぶっちゃけ、この世界の最高神である大御神おおみかみさまより強いしね」

 「最高神より⁉」

 「当たり前でしょ。荒事は向こうが専門家なんだもの。企業経営者のおじいちゃんがヤクザ相手に大立ち回りなんてできると思う?」

 「それは……思わないけど」

 さすが、現代日本から真人と美琴を召喚しただけのことはある。変なたとえを知っている。

 「でしょ? だから、あたしも、大御神さまも、連中がこの世界に入り込んでこないように結界を張って防ぐのが精一杯なわけ。そして、そのためにはこの世界に生まれた人間が、神の力と世界とを繋ぐ媒体ばいたいとして存在する必要があるわけ。よって、巫女なしでは結界は維持できない。

 以上、証明終わり。

 そして、結界がなくなれば連中がドドっと押し寄せてきて、この世界のあらゆる生き物を食らい尽くす。抵抗するなんて不可能。何しろ、ダゴンだけでも百万や二百万はいるんだものね」

 「百万⁉ ダゴンってあいつだけじゃないの?」

 「当たり前でしょ。ダゴンなんて、邪悪なる種族の支配者たちから見たらほんの三下だもの。いま、こうしている間にも、連中の世界では続々と新しいダゴンが産まれているわ。その程度の存在だからこそ、結界の小さなほころびからもこの世界に入り込んでこられるんだしね。まして、支配者の力ときたら……ま、ダゴンが一億匹集まっても相手にならないわね」

 「そ、そんな……」

 百万匹のダゴン……。

 ダゴンが一億匹、集まっても相手にならない……。

 あまりの言葉にボクはさすがに目眩めまいを感じた。よろめいた。

 そんなボクをフィーユがそっと支えてくれた。

 「フ、フィーユ……」

 「真琴。勝手に話を進めないで」

 「えっ?」

 「人柱になるかどうかはわたしの決めること。あなたが口出しすることではないわ。そうでしょう?」

 「そ、それはそうかも知れないけど……」

 でも、ボクは君を愛してるんだ!

 「真琴。わたしがダゴンを憎んでいたのは知っているでしょう。わたしは何度もダゴンを殺そうとした。そのために、あなたまでも利用した。そのわたしにとって、憎むべきダゴンをこの世界にこさせないようにするために人柱になるのは当然のこと。そうでしょう?」

 「で、でも……」

 「あら、あたしはいいのよ、別に」

と、女神イスはお気楽そうに言った。

 「どうせ、あたしは大御神さまから命令されてこの世界の管理を任されただけだしね。自分から任務を放棄するわけには行かないけど、その世界の人間から拒否られたとなれば話は別。大いばりで任務なんて放り出して帰れるわ。あたしとしてはそっちの方が嬉しいのよねえ」

 と言うわけだから、拒否ってくれない?

 いたずらっぽく期待を込めて、そう付け加える女神イスだった。

 そんな女神イスを、フィーユはキッと睨み付けた。

 「あいにくだけど、そうはいかないわ。あなたにはわたしを人柱として使ってもらう。わたしの憎むダゴンたちにこの世界を蹂躙じゅうりんさせない、そのためにね」

 はああ、と、女神イスは溜め息をついた。

 「やっぱりねえ。あんたならそう言うと思ってたわ。って言うか、そういう人間だから巫女に選んだんだけど。しょうがない。もうしばらく、お仕事がんばりますか」

 「フィーユ……」

 ボクは泣きそうな顔でフィーユを見た。

 フィーユがボクを見た。そっと微笑んだ。それは――。

 かのがボクに対して向けたはじめての笑顔だった。

 「……ありがとう、真琴。わたしのことを想ってくれて嬉しかったわ」

 「フィーユ……」

 ボロボロと、ボクは泣き崩れた。

 フィーユはそんなボクを力いっぱいに抱きしめてくれた。そして――。

 ボクたちは最後のキスを交わした。


終わりの扉 兄妹のこれから


 ……そして、真人と美琴は帰ってきた。

 自分たちの住んでいるアパートへと。

 しばらくの間、ふたりはぼんやりとしてなにも手に付かなかった。並んで床に転がっているだけだった。

 「……ねえ」

 美琴が言うでもなしに言った。

 「……ん?」

 「……あれでよかったのかな?」

 真人は答えられなかった。たしかに、自分たちは帰ってきた。召喚された使命を果たし、巫女たるフィーユを女神イスのもとに送り届け、あの世界を邪悪なる種族から救ったのだ。でも――。

 そのためにフィーユは人柱となり、そして、真琴は消えてしまった。自分たちの合わさった、けれどたしかにひとつの人格として存在していた真琴は。

 本当にあれでよかったのか。

 真人にも、美琴にもわからない。

 もしかしたら――。

 真琴としてあの世界に残り、フィーユともに生きていく。

 そんな未来も有り得たのかも知れない。

 そう思うと、真人も美琴も胸の奥に一本の棘を感じるのだった。

 「でも……」

 美琴が言った。

 「真琴のフィーユに対する想い。あれだけは、あたしたちのなかに残ってるよね?」

 「……ああ」

 ふたりは何となしに視線を合わせた。

 お互いの顔が見るみる赤くなる。

 同時に顔をそらした。

 真人が気まずそうに言った。

 「あ、あの、その……あれは、その、何と言うか……」

 「だ、だいじょうぶだよ……。真琴でいる間、あたしだって兄貴とひとつになっていたんだから。男の人の、その……は、わかるつもりだから」

 「そ、そうか……」

 そう答えたきり押し黙った真人の顔がますます赤くなる。

 何かを思い出し、恥ずかしさに耐えている。

 そんな表情。

 それを見た美琴の顔もさらに赤みを増した。

 「ま、まさか……あたしのこと、も……?」

 「……ごめん」

 それと聞いた途端――。

 美琴は真人の頭をメチャクチャに殴りはじめた。

 「わ、忘れろぉー! それは忘れろおッ!」

 「ギャアアアアアッ!」

 胸の奥に決して外れない棘の存在を感じながら――。

 兄妹ふたりの賑やかな暮らしはこれからもつづいていく。

                  完

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兄妹で融合転生したら両性具有のボクっ娘だった 藍条森也 @1316826612

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