30:神様に会いに行こう

『大晦日には帰ってくるんでしょ』

 お袋からの電話に俺は頷いて返す。

「あぁ、三日からバイトだけどね」

 ライブも年を越せばすぐだ。稼いでおかないと赤字になることは必至だ。趣味でやってるバンドなんて全く金にならないのが当たり前だから、こればかりは仕方がない。

『忙しいのねぇ。でもま、正月も帰ってこないほど親不孝じゃないだけ安心したわ』

「まぁね」

 本気とも冗談とも取れないお袋の言葉に俺は苦笑した。もっともっと親不孝なヤツを俺は知ってるし。

『多分、たかし達が揃ってくるのは、最後かもしれないから』

 当然お袋にも話は通っている。何だったら俺よりも情報だけは先に行っていて、若干ではあるけれど、おれも美潮姉ちゃんに口裏を合わせたような感じはあったりもした。

「あぁ俺も少し話、聞いたけど。ま、他人の家の事情だしさ」

『私は他人じゃないんだけど。まぁ家庭の都合だもんねぇ』

 とはいえ騒ぎの原因を起こしたのはお袋とはそもそも他人である清美伯母さんだ。中々複雑な心境なのだろう。

「ま、とりあえず早めに行くよ」

『自分の部屋、ちゃんと大掃除してからきなさいよ』

「判った判った」

 電話を切って、テーブルに置く。色々とお袋にも思うところはあるのだろう。これからどうなるかなんて判ったものじゃないけど、どのみち何もかもがなるようにしかならない。

 美朝みあさちゃんの受験も心配だけど、それだってなるようにしかならない。

 そしてその一種、投遣りにも聞こえる、なるようにしかならない、という言葉には色々な要素が含まれていて、美朝ちゃんがメンタル的にキツくなって逃げたくなった時は俺や美潮みしお姉ちゃんがケアをしてやったりと、そういうことが当然にして含まれている。

 だから、きっと確りしている美朝ちゃんは大丈夫だろう。美朝ちゃんには独りで考えて、独りで終わってしまうようにはなって欲しくない。

 そういう人間を見るのはもう沢山だ。

 結局物事を決めるのはその人本人だろうけれど、人の気持ちを動かすのは並大抵のことではないけれど、できることをやらずに後悔する、残された人間も俺一人で充分……。

 いや、これは傲慢だ。

 俺以上に思い悩んで、俺以上に後悔している人は、きっとたくさんいる。

 それでも強く生きている人たちがたくさんいるはずなんだ。

 そんな色々な、様々な思いこそがきっと俺に、髪奈裕江かみなゆえが遺したものだ。

「神様に会いに行こう、か」

 圭一けいいちさんに渡された、髪奈の手紙というか、手記に記してあった一言を、俺は口に出してみた。

 きっとフランスのニースへ行ってみたいと言っていた、あの時と同じ気持ちで裕江は神様に会いに行ったのかもしれない。

(学校出たらニースに行きたいんだ)

(うん。ニースったらカーニバルのが有名だけどね。あたしは海岸沿いの街とかヨットハーバーとか、そういうのも描いてみたいんだ)

(すっごいの、青と白だけで書けちゃうくらいホンットに青と白しかなくてさ!)

(あたしにとっちゃカーニバルなんて二の次だよ)

 俺は一緒には逝けなかったけれど。

(そっちには青と白だけのヨットハーバーとかはあったのか?)

 あるのかもしれない。ないのかもしれない。答えは当然、俺の中にはない。それでも。

(そっちでも描いてるんだったらその内俺にも見せてくれよ。今度は褒め殺せるくらい褒めてやるから)

 いや、もしかしたら走ってるかもしれないな。青と白だけのヨットハーバーを。

 そう届かないと判っている声を心の中で呟く。届かないと判っているからこそ、どこかで聞いているかもしれない、という我ながら子供じみた考えで。


 きっとどんなに裕江を好きでいても、俺は一緒に逝くことはできなかった。一緒に死んでも良かったのかもしれない、と美朝ちゃんには言ったけれど、きっと一緒に逝くことはできなかった。

 その代わり一言、「そんなもの後でもできる」と言ってやれたはずなんだ。

 最近、俺は思う。

 後悔先に立たず、なんて言葉は嘘っぱちだ。後悔した事象そのもの対しては、確かに先には立たない。

 だけれど、逝ってしまった人に思いを馳せることや、その時できなかったことを後悔することは決して無駄なことじゃない。俺はこうして生きているから、死んでしまった人が遺した様々なことをこの先、生きて行く俺の経験に変えていける。

 俺という人間の礎になる。

 矜持になる。

 だから、決して無駄ではない。

 どんな結果を導き出したとしても、無駄に終わったとしても。無駄に終わったことすら無駄にはならない。無駄だ、と判ったことだけでも無駄ではないのだから。

 ただ我武者羅に、本当の理由なんて俺にはまだ判らないけれど、生きていかなくちゃいけないんだ、と。

 本当の理由なんて知らなくても良いと思うし、知りたいとは思わない。

 だから――

「そういことがさ、きっと、あんたが俺の中にいる、ってこと、なのかな……」

 裕江が遺してくれた俺の絵に、俺は語りかけるように言う。


 俺が好きになった髪奈裕江はもう、いない。


 一つだけある窓を開けて、俺は布団を干す。

 空気は冷たいが、空はばかみたいに晴れ渡っている。

 開けた窓から差し込んだ光が、巻き上がった埃に反射してキラキラと小さな光の粒を作る。

 短く携帯電話が震えた。美朝ちゃんからのメールだ。

『お姉ちゃんとライブ見に行くから、本番はしっかりね』

 文面を見て俺は笑顔になると、今度は枕を手に取った。

 一度部屋を徹底的に掃除して、ちゃんと絵を飾れるようにしよう。俺は立ち上がると、圭一さんから貰ったCDをかけた。

 まだ可愛らしい、だけれど、とても優しく、とても美しい歌声が流れ始めた。



 ――


 溢れた涙は誰のためなの 歌声響かせて笑顔に変えたい

 蒼い月明かり 思い出すのは

 風を切り駆けた あの日のあなたの影 そばにいたわたしの影


 I believe for myself 女神の羽根 あったなら

 どんなにも離れていても 色褪せない 信じたい


 青くまぶしい 空に流れてく

 あの白い雲を 追いかけて笑うあなた その背に羽をまとって


 I believe for myself 女神の羽根 あったなら

 どんなにも時が過ぎても 忘れない 羽ばたける


 瞳を閉じて 追いかける あの日のあなたの影

 強い向かい風の中で


 黒髪を揺らす 風がすり抜ける

 歌声に変えて 月明かりに乗せて届くように この声が枯れるまで


 I believe for myself 女神の羽根 あったなら

 この唄もいつか響いて 羽ばたいて 行けるはず


 I believe for myself 女神の羽根 あったなら

 この胸に誇れるもの ただ一つ 羽ばたける


――




 vinny 終り

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