初めての反抗

増田朋美

初めての反抗

その日は昼間こそ暖かいが、いつもと同じ様に朝晩は冬らしく寒い一日であった。隣の県ではすごく大雪が降ったとかで、大変な大騒ぎになっているが、この静岡では、とても雪なんて降りそうにない様子である。

その日、杉ちゃんとジョチさんは、カールさんの経営している増田呉服店に来訪した。大した用事ではなく、足袋を買い換えるためであった。

「こんにちは。足袋ございませんか?男性用の25センチくらいのをください。小鉤は、五枚小鉤。」

と、ジョチさんが言うと、

「白足袋でよろしいですか?」

と、カールさんが言うと、ジョチさんは

「はいお願いします。」

と言った。カールさんが、はいわかりましたと言って、売り台から白足袋を一足出してくれた。

「えーと、値段は。」

「はい、1000円です。」

ジョチさんが言うと、カールさんはそっけなく答えた。ジョチさんは、お金をカールさんに渡した。それと同時に、カランコロンと、入り口に設置されたコシチャイムが音を立ててなった。

「はい。いらっしゃいませ。」

と、カールさんが言うと、やってきたのは、一人の女性であった。しかも大きな紙袋を持っている。

「あの、この振袖なんですけど、買い取っていただけますか?」

女性は、カールさんに持っていた紙袋を渡した。

「はい、ちょっと拝見させてもらいましょうかね。」

カールさんは売り台に、その振袖を広げた。赤い振袖で、大きな桜の花の柄が規則正しく載せられている。それ以外に柄は見当たらないので、おそらく小紋柄の振袖なようだ。袖の長さは、100センチもなく、正確に言ったら中振袖ということになるだろう。

「はあ、この中振袖を、買い取るの?」

杉ちゃんがいきなり彼女に聞いた。

「まあ確かに、特に汚れもなく、ほつれなどもないし、状態はいいものですがね。何しろ着物は今は需要がありませんから、この振袖も、300円程度しかなりませんよ。それにこれは正絹じゃないですね。その証拠に、お洗濯表示がちゃんと着いています。」

と、カールさんが、専門家らしくそれを鑑定した。

「300円でも結構です。どうせ、私の家においてあっても、誰も着る人はいないので、引き取ってください。」

「はあ。そうだけどねえ。どうせ誰も着る人はいないって決めつけてしまわずに、大事にしておいたらいいんじゃないかな。どうせ、売っても、変な値段しか出てこないよ。それでは、着物が可哀想じゃないか。それなら、お前さんが大事にしておいたほうが良いと思うな。」

と、杉ちゃんが言った。

「でも、私、近々結婚する予定でして。振袖って、結婚したらもう着ちゃいけないものなんでしょ。そうしたら、完全に使い道が亡くなるじゃないですか。だったら、誰かに引き取ってもらったほうがずっと良い。お願いできませんか?」

「そういうことだったら、袖を切れば、また結婚しても着られるよ。これは、着物そのものが一枚の絵になっている絵羽柄ではなく、同じ柄を繰り返して入れている小紋柄なのでね。袖を切ってたもと袖にすれば、年をとっても小紋としてちゃんと着られる。ただし、帯や他のものは違うものにしなきゃだめだぜ。対象年齢はちゃんとあるからね。」

杉ちゃんの発言に、彼女はとても驚いた顔をした。

「着られるんですか。結婚しても。」

「もちろんさ。お前さんの救いだったことは、絵羽柄の振袖ではなくて、小紋柄の振袖を選んだことだな。まあ、礼装としては着られないけどさ、その代わり、気軽な外出着として生まれ変われることになるんだ。もし、帯やその他のものが要るんだったら、ここで買っていけばいいし。どうせ、300円にしかならないんだったら、着られるように改造しちまったらどう?」

杉ちゃんに言われて彼女は、なんだか嬉しそうになった。

「嬉しいです。これ、正直にいいますと、なんだかお気に入りの着物でして、結婚してしまうことで捨ててしまうのはもったいないなと思っていたんです。でも、私、着付け教室に通ったこともないし、本当に一人で着られるのでしょうか?」

「まあ、着付け教室に出なければならないことはない。それに、余裕がなければ、上下別々にして二部式にしてもいいし、おはしょりを縫って、ガウンのように着ることもできる。帯は作り帯にしてしまえばいい。簡単に着られる方法は、いくらでもある。大丈夫だよ。」

「ありがとうございます!そういうことであれば、ぜひお願いしたいです。このお着物、私大好きだったんです。それが結婚してもまた着られるなんて、本当に嬉しいです。」

とてもうれしそうに女性はいった。

「じゃあ、僕が、その振袖を、小紋に仕立て直してあげる。じゃあ、お前さんの名前を教えてもらえるかな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「香織と申します。牛田香織です。住所は、富士市中丸、、、。」

そう言って、牛田さんは、自分の名前と住所を言った。

「わかったよ。牛田さんね。じゃあ、どういうふうに仕立て直せばいいかな?普通の着物として仕立て直す?それとも、二部式にする?おはしょりを縫う?どれにするか選んでくれ。」

杉ちゃんがそう言うと、牛田さんは、

「はい、おはしょりを縫ってくれれば、自分で着られるんですよね?それでお願いします。」

と言った。

「わかったよ。じゃあ、完成したら連絡するから、三日後の同じ時間にこの店に来てくれる?その時、仕立直しした着物を渡すから。それでいいかな?」

と杉ちゃんが言うと、

「ありがとうございます。ほんとうにまたもう一度この着物が着られるんですね。本当に嬉しいです。ありがとうございます。」

と彼女は何度も頭を下げた。

「ただし、礼装としては着用できないので、それはちゃんと場所をわきまえて使ってね。」

「はい。わかりました!」

杉ちゃんがそう言うと、彼女はきっちりと答えた。

「良かったじゃないですか。お気に入りの着物は、手放さないで取っておいてほしいのは僕も同意見です。やたらリサイクルに出すのも困りますよ。手放す人は多いですけど、その着物の立場も考えて上げてください。きっと、いくら化繊の着物であっても、愛情を持って作られた着物であることは間違いありませんので。」

と、カールさんがそう言うと、ジョチさんも、

「そうですね。着物は着る物と書きますし、やっぱり着物は着てもらわないと意味がないですからね。日本の民族衣装でもあるわけですし、ないがしろにしては行けないですよね。」

と、苦笑いした。

それから、3日経って、杉ちゃんが宣言した通り、着物は小紋に生まれ変わった。もう礼装ではないけれど、それでもまだちゃんと使える着物である。杉ちゃんとジョチさんは、増田呉服店に行って、着物と一緒に、牛田香織さんが、やってくるのを待った。約束の時間は、11時からであったが、その時間になっても彼女は現れなかった。どうしたんでしょうね、とジョチさんが、スマートフォンを回して電話をかけてみたが、話し中で通じなかった。それから、一時間近く待って、もうご飯が食べたいなと思ったときに、

「遅くなってすみません。今の今まで、家族と口論していて、遅くなってしまいました。」

と、息を弾ませて、牛田香織さんがはいってきた。

「おうやっと来たか。着物はちゃんとできてるよ。やっと着てくれる人が出て、喜んでくれていることだろう。ちょっと袖が長いように見えるけど、お前さん、身長があるから、ちょっと長めに仕立てただけで、袖の形はちゃんとたもと袖になってるから、気にしないで着てね。」

と、杉ちゃんが、売り台においてあった畳紙を解いた。中には、こないだの赤い振袖が、小紋になって、着てもらうのを待っている。

「あの、本当に仕立てまでやってもらって申し訳ないんですけど、それ、やっぱり、そちらで引き取っていただけないでしょうか?」

不意に、牛田香織さんはそういうことをいい始めた。

「はあだって、お前さんは、着るのが楽しみだと言っていたじゃないか。」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、やっぱり考え直してみたら、着る機会はないってわかったので、無理なものは無理だと思い、着ることはできないなと思いました。すみません。そちらで引き取ってください。」

と、牛田さんは言った。

「そうは行かないよ。ちゃんとお前さんに合うように、おはしょりも縫ってあるんだぞ。そういうことを言うんだったら、お前さんなにかわけがあるな。ここのやつは、お前さんのことを口に出したりはしないさ。だから、お前さんも、安心して、着物が着られない理由を言ってみてくれ。」

杉ちゃんに言われて牛田さんは、本当にどうしようという顔になった。

「いえ、お話ください。三人よれば文殊の知恵ということわざもあります。なにか他人に話すことにより、解決の糸口が見つかるかもしれないじゃないですか。そのためにはまず、話してみるのが大事です。」

ジョチさんがそう言うとカールさんも、

「日本人はだまっていればいいと思いこんでいるようですが、そのような事はありませんよ。逆に僕達からみたら、日本人は肝心なことを言わないので、損ばかりしているような気がします。」

と言った。

「お話いたしましょう。」

牛田さんは、小さな声で言った。

「家族が、もう着物なんてものは必要ないと言ったんです。もう結婚してしまったら、自分のことより家族のことを考えなければならないから、自分のおしゃれなんてもう捨ててしまいなさいといったんです。私は、おしゃれが好きで、自分を飾り立てるのが好きだったんですが、結婚してしまうと、そういうわけには行かないんだって。」

「はあ、それで、結婚するから、着物は必要ないと家族がいったのか。それはもしかしたら親御さんかな。お前さんの親御さんは、非常にうるさくて、アレヤコレヤとお前さんの進路や、恋愛に口うるさいタイプなんだ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、私のやりたいフラワーアレンジメントのしごとにもつかせてもらえましたし、それはそれで良いと思っています。だから、親には感謝しなくちゃ。だから、そのとおりにしなくちゃ。そして家族に恩返ししないと行けないのではないですか?」

牛田さんはそう答えるのだった。

「フラワーアレンジメントの仕事してるんだ。そういう仕事ってさ、ちょっと収入には結びつきにくい商売だけど、なんとかやっているの?」

「まあ、最近は一人で生活できるくらいの仕事ももらえるときはあるんですけど、でもまだ、税金を収めるとか、そういう事は、親に頼りっぱなしで。それでは、行けないってわかっているんですが、私の体力ではそれで精一杯で。それで、将来のことを考えて、父と母が結婚相手を探してきてくれたんですけど。」

と、牛田香織さんは言った。

「そうか。体力というと、なにか病気でもしていたのかな?例えば学生時代、ちょっと大変すぎて鬱とか、そういうものになったとか。」

杉ちゃんがそう言うと、香織さんの目が変な位置になった。

「返答に困るということになると、図星か。」

杉ちゃんに言われて香織さんは小さな声で言った。

「いえ、大丈夫ですよ。人生の出発点で躓いてしまったり、学校に馴染めないとか、そういう事で鬱や統合失調症などにかかってしまう人は、僕はたくさん知っています。彼女たちも、一生懸命生きています。それを責めるような事はしてはいけません。それより、そうなってしまった以上、どうやって生きていくかを考えないと。あなたの場合、フラワーアレンジメントの仕事はほそぼそとされているようですけど、自立できるとは考えにくい。それで、ご家族が、結婚相手を探してきてくれた。それははっきりさせて置きますね。そこはしっかりおさえておかないと、あなたの問題は解決しないでしょうから。」

とジョチさんが言った。

「はい。そうなんです。だから、父や母に逆らっては行けないんです。ただでさえ親に苦労かけているだめな娘なのに、これ以上親に反抗してしまったら、私は、家から出なければなりません。そうしたら、どこにも行くところがなくなりますからね。だから親には従わなければ行けないんです。親が、着物を処分しろと言ったら、そういうわけで親に従わなければ行けないんです。」

なんだか呪文を唱えているように、香織さんは言った。

「わかりました。わかったよ。まあ、そう思う気持ちもわからないわけでもないけどさ。親に文句言うのは、アタリマエのことで、何も不審な事はないよ。それは、どうしてそうなるの?誰にも反抗してはいけないことはないよ。お前さんがその着物が好きなら、そのとおりに着たいって言えばいいじゃないか。もし、着付け教室に行かなくちゃいけないんだったら、こうやっておはしょりを縫って貰えばいいとちゃんと言え。」

と、杉ちゃんが対処方を教えてくれた。

「ですが、私は、親に一度反抗してしまったので、挽回するのは大変なんです。それでは行けない。やっぱり親には従わないと。それでは行けないってちゃんと考えなければ。」

と、香織さんは答えた。なんだかそれは洗脳されているような、雰囲気があった。

「でもあなたは、たった一人ですしね。あなたはあなたの好きなものはあるし、あなたの人生を生きれば良いのではないかと思いますけどね。フラワーアレンジメントのしごとをしているのであれば、それを極めていくことも可能だと思うんですよ。」

カールさんが外国人らしい答えを言った。

「でも、そうするためにはお金が必要です。だから、お金を得るためには親に頼らなければならないし、私の要求を押し通したら、親が何ていうかわかりませんもの。それでしたら、親に無理でも従う方を選びます。私は、何よりも安定した生活をしなければなりません。そのためには親に手伝ってもらうことが必要なんです。それを実現するために親の言うことは聞かなくちゃ。反抗なんて絶対にしてはいけませんよ。みんな自分の意思で動いてもいいっていいますけどね。それは私の意思じゃなくて、親の意思に任されているんですよ。」

と、香織さんは答えた。

「なんだかそれが、彼女を縛り付けている鎖の様に見えますけどね。もう少し自由になって、自分の意志で行動することができれば、あなたの幸福感も倍増するんじゃないかな。そんなふうに考えては、幸せな感じがしないでしょう。それよりも、あなたがあなたの意思を示すことも必要んじゃないですかね。」

カールさんがそう言うと、

「そうですね。僕もそう思いますよ。昭和の中頃だったら、そういう考えは通用したかもしれませんが今はそうじゃないですからね。それより、ご自身の心の納得する生き方をしてくれたほうが良いと思います。だから、なんでもかんでも親御さんの言うとおりにしなければならないと思う必要はないのではないでしょうか。」

と、ジョチさんも言った。

「ありがとうございます。でも、私は、生きなければなりません。そのためには、親の言うとおりにしなければ行けない。そのとおりにしなければ、私は生きて行けないんです。だから親の言う通りにしなければなりません。そのために、着物を処分しろと言われたら、そのとおりにしなくちゃ。」

香織さんはそう言っているが、

「そうかも知れないけど、あのとき、お前さんの笑顔に嘘はナイと思うぞ。お前さん、着物が着られて嬉しいと言ったじゃないか。それは、お前さんの本心だよな。嘘じゃないよな。それは、お前さんの顔を見ればわかる。だから僕だってそのために、着物を縫い直したんだぜ。それを、いらないっていうのは、ちょっと考えものだよね。着物は、そうやって捨てられるために、あるもんじゃないぜ。」

と、杉ちゃんが不服そうに言った。カールさんもそれにあわせて、

「そうですよ。もっと日本人は自分の心を大事にしたほうが良いと思いますね。なんでも日本では、周りの人のためとか、親のためとか、年寄のためとか考えるけど、それっていつでも良いわけじゃないですよ。悪影響なときだってあります。ときには、自分の意思を必要以上に押し通すことだって必要なんじゃないかな?」

と言った。香織さんは涙を流して、こういうのである。

「でも私は、今まで親に反抗しないで、しっかり従うことによって、自分が悪い人間にならないといましめながら生きてきました。だから私は、それを続けなければならないんです。それは誰でもそうじゃないですか。だから、そのとおりにしなければ。」

「うーんそうだねえ。確かに、従順な事はいいことかもしれないけど、でも、初めて反抗して喜ばれることもあるよ。それは親であれば誰でもそうじゃないかと思うんだけどなあ。そうしないで何もしないということは、お前さんの心がパンクするよ。それより、自分のことを大事にしなくちゃ。ストレスがたまりすぎて心がパンクすると辛いぜ。それはもうお前さんが知っていているんじゃないか?」

杉ちゃんが香織さんに言った。それでも彼女は首を横に振り、泣きじゃくるばかりなのであるが、

「ひょっとすると、親御さんは、あなたが初めて反抗するのを待っているのかもしれませんね。それでわざと着物を処分するように言われたのではないでしょうか。その可能性は考えられませんか?」

とジョチさんがそう言うので、彼女はハッとした。

「まあ、そうじゃないかもしれないけど、一度だけでも、反抗してみても良いのではないかと思いますね。もし、本気で親御さんがあなたに着物を処分してほしいんだったら、処分する様にゴミ袋を渡すとか、そういうことをされますよね。そのような事はありましたか?よく考え直して思い出してください。」

カールさんがそう言うと、香織さんは小さな声で、

「確かに、すててこいと直接言われたことはありませんでした。ただ、親の顔が、すごく嫌そうな顔だったので、それで私は勝手に捨ててこなければ行けないんだと、思い込んでしまったかもしれません。」

と言った。杉ちゃんは、にこやかに笑ってこういい、彼女の肩を叩いた。

「だったら、本当にそうなのか、聞いてみると良いよ。着物を処分するのはその後でも良い。」


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