それはきっと優しい嘘

 嘘

 嘘という物をたいていの人は知っているだろう。そして、大半の人はついたことがあるだろう。そもそも人は自分と他人に存在的相違性を見出すことで噓をつくようになるらしい。早ければ二歳半から、おそくても四歳ごろには子供は、人は他人との違いを意識するようになる。そして、年を重ねるごとにそれは羨望になり、尊敬になり嫉妬になる。当たり前だが、なにも嘘がすべて悪ではない、もちろん優しい嘘もある。だからどうだという話でもないが、優しい嘘は残酷だと言われることもある。人は噓をつかないと居られないのだ。嘘をつかなければ周りに合わせる事すらできず、その上、周りと同調しなければ同じでなければと、強迫観念に駆られる。

認められたい、居場所が欲しい、懇願という名の欲に支配され続けている。

俺はそれが、気持ち悪くてしょうがない。

「翔ちゃん!ごはんよー」

 夜、母さんの声が部屋の外から響く、いつもの時間いつもの日常、分かりやすく健全でなんの特別も異常もない。俺は付けっぱなしのPCに別れを告げ、母さんの声に短く返事をして自室を出た。ダイニングに行くと親父が凝りもせずまたお気に入りの本を読んでいる。もう十回目になるだろうか俺が扉を開ける音を聞くと、小さくこちらの方を見て「翔……珍しいな体調はもういいのか?」と取り繕ったような声で心配とも困惑ともとれる話を振ってくる。俺は自嘲気味に「もう大丈夫、心配かけてごめん」、そう心にもない言葉を口にしながら食卓に着く。今日の晩御飯も母さん自慢の品々、それぞれの料理が食卓に並ぶと親父は早々に本をしまい、三人がそろうと食事が始まる。

 会話は何てことはなく、他愛のないものばかりだ。「最近大学はどうだ」とか「同級生だったまどかちゃんが結婚した」とか「テレビ点けていいか」とか、ほんとうにくだらないなんの生産性もない会話、それでもどうでもいいで片付けてはいけない会話。そんな誰もが当たり前にしているものが、今はひどく奇妙なものに見える。まるで一つのホームビデオ、あるいは劇を見ているような疎外感を、自分とこの家族の決定的なずれを鮮明に感じる。

 目の前の家族を見ることを苦痛に感じた俺は、逃げるように目線をテレビの中へとやる。映っているのは情報番組、いつものハキハキとした男性キャスターが仏頂面の有識者へと意見を求めている。番組が今扱っている主題は『嘘』、最近、嘘をつく若者が増えているとか、加工は果たして詐欺になりえるのか、とか……心底どうでもいい内容だが、家族へ向き合うよりはましだと、耳を傾け続ける。いや、実際は違う。俺は嘘という言葉に引っかかりを感じていたのだ、それがどうにも切り離せなくて、目が縫い付けられていた。その不快感を取り除くために記憶を遡る。そして琴線に触れるように、一つの言葉が弾かれる。

 「嘘付きとはもう一緒に遊んであげないぞ」

そうあれを、あの言葉を俺にかけたのは誰だっただろうか、今はもう思い出せない、暗い、暗い記憶の奥底に仕舞込んでしまった。

あったはずの思い出を。

俺はまた想起する。

「ほら、こっちにおいでカケル、みんなと遊ぼう?」

 短髪の少年が俺に話しかける。差し出された手は温かく、俺とはそう年も離れていないはずなのに、何物も包んでしまいそうなほど大きく思えた。突然のことに驚いた俺だったが、その笑顔に促され小さくうなずき、その手を握る。握られた手を見て、少年はより一層その笑顔をかがやかせて強く俺の手を引き、少年の友達のもとへと連れていく。

「ショウくんその子が弟のカケルくん?」

茶髪の優しそうな眼をした少女が少年と俺を見比べる。この子は確か、まどかちゃんだ。兄貴の同級生で、昔よく一緒に遊んでくれた。姉のような存在だった。よく俺がバカをやって怪我した時も、甲斐甲斐しく手当てをしてくれた。兄貴はよくそのことで俺をからかってきたけど。

そして手を握って笑っている少年が兄貴だ。俺は兄貴が嫌いだった。だれとでも仲良くなれる兄貴が、何でもこなしてしまう兄貴が。

「いや、羨ましかったんだ。きっと」

「どうしたんだ?カケル」

気が付くと少年時代の兄貴が消え、死んだ当時の兄貴が現れる。いつものニヤケ面で俺を見てくる。

「なんでもねぇよ、俺はあんたにはなれないって話だ」

「当たり前だろ、俺は自他ともに認めるスーパーマンだからな」

自分で言うのかよ、と半ば吹き出しながら自信満々の顔した兄貴を見る。そして少し嘆息する。

「でも俺はあんたの代わりになれたぜ?唯一性がうすいんじゃねぇの?」

「バカ言え、俺の代わりをやれるのは超優秀な俺の弟、翔だけだよ」

お前こそバカ言え、兄貴はそんな事言わねぇよ、心とも現実とも思えない言葉を納得させるように貼り付ける。

「こんな都合のいい夢を見るくらい、俺はあんたが嫌いだったんだろうな」

 その言葉を吐き捨てると。目の前がまた変わり家族のいる現実が俺を(ショウを)迎える。すると母さんが横から「ショウちゃん、もうおなかいっぱい?」と心配そうに聞いてくる。その視線に耐えかねた俺は早々と食器を片付け、「ごちそうさま」逃げるように自室に戻ろうとする。その時親父が後ろから声をかける。

「翔、大丈夫か?」

先ほどより落ち着いた覚悟の決まったような声だ。それに反応したのは俺ではなく母さんだった。「いやだわお父さん、翔は二年前に死んでしまったじゃないですか。あんまり似てるからってあの子と間違えたら、翔ちゃんがかわいそうだわ」そう言った母さんの顔はひどく落ち着いていて、優しく咎めるようなそんな声だった。それにかぶせるように俺は親父に声を投げた。

「父さん、ボケが始まったのか?俺は翔だよ、出来損ないの翔じゃなくてね」

それを聞いた親父は何かを口ごもり、そして何かをあきらめたように、「ごめんな、いつも」と目を伏せた。ダイニングを出ると自室への階段を上がる途中母さんの声が聞こえた。「ほんとに翔じゃなくて翔が残ってくれてよかったわ」、それを聞いてほっと胸をなでおろした自分を鼻で笑いたくなった。そして親父の言葉を受け止めることが出来なかった自分をどうしようもなく惨めに感じた。自室に戻るまで、俺は何か大切なものを溢さないように歯を食いしばった。階段奥のゼラニウムが俺を優しく笑っていた。


人は自己と他人の相違から嘘をつく、人は居場所や安心を求めて嘘をつく、嘘をつき続けてそして最後に必ず後悔をする。俺はきっと後悔するだろう、きっとそこに例外はなく、あるのは残酷な事実だけで、最後にきっと俺は母さんに恨まれるだろう。そして俺も恨むだろう。


だから俺は今日も、誰も救われない、優しいはずの嘘をつく。

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言葉の花屋さん @krrgtor820

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