言葉の花屋さん

枢木透

Forget me not.


「勿忘草の花言葉って知ってる?」

 それは、じめっとした夏の日だった。普段しない散歩の途中、不運な事に通り雨に降られた。その不幸を嘆きながら雨宿りをしている最中、いつの間にか私の横に立っていた少女が和かな笑顔と共に、私へと投げかける。

「花言葉……はて、今まで興味がなかったものですから」

 私にとって花と言えばそう、たまに家の近くで見かける小さな花屋の軒先に置いてある売り物。その程度の認識しかないもので、気にする余裕もどこへやら、日常の背景以上の価値は無かったように思う。

 すると少女は私の返しと悩む姿を肯定的に捉え、会話の意思ありと思ったのか続けて言葉を並べる。

「花言葉を調べるのって面白いのよ、色々な意味を持った花に出会えて」

「そうですか、それは良いですね」

 あまりにも唐突な質問に面食らっていた私にはどうも、その程度の面白みのないありきたりな返ししか思いつかなかった。

 私とこの少女をカーテンの様に隠しながら、シトシトと雨が降る音を立てて霧を作る。

「お花は好き?」

「好きとも嫌いとも」

 その返答は少女にとってありふれたものだったのだろう、声音が下がり大人のような雰囲気の声で話す。

「変な人ね、お花が好きじゃないなんて」

「変な人ですか、それは耳の痛い話ですな」

「これを気に好きになるといいわ」

 少し不機嫌な様子を見せる少女は、長い黒髪を気にしながら私の返しにそう答える。

「いきなり好きになれと言われましても、どうすればいいのやら」

 これは花に限った事ではないが、好きでも嫌いでもない物を好きになるとは、嫌いな物を克服するよりも難しい物だ。何せ、普段から意識すらしていなかった物を、意識した上でさらに好意を持たなければならないからである。

「すぐに分かるわ、大丈夫よ」

 思い倦ねている私へとそう言った。彼女のその声には、どこか確信めいた何かがこもっている様な気がした。

「そんなものですかね」

「そんなものよ、そんなもの」

 先程とは打って変わり、子供の声が戻ってきて少女はコロコロと楽しげに笑う。

「何故そこまでして私に花の良さを伝えようと?」

「そんなの簡単よ」

 すると彼女はわざわざ一回転しワンピースをフワリとさせ、まるで買ってもらった新しいおもちゃを自慢する子供のような笑顔で、私に向き直り、「こんなに綺麗なものを知らないなんて勿体無いじゃない」とさも当然の事かのように私に告げた。

「そうですか……」

 私は理由を聞いた自分の馬鹿らしさと、居心地の悪さを紛らわすように、視線をまだ機嫌の悪い空へと向けた。

 しばらく沈黙が続くと横にいるであろう少女から声が聞こえた。

「貴方が初めてだったの……私の話を聞いてくれた人」

「と言うと?」

 私は少女の方に、見向きをせず応じる。と言うのも何故だか今は彼女を見てはいけない様な、そんな気がしたからだ。すると少しの間をおき再び少女の声がする。

「他の人は話しかけても無視をするばかりで、つまらなかったから」

「そうですか、それは残念な事で」

 ここまで小さな女の子の話を無視するとは、また心の狭い人間もいた者だと、そう思い何も口にせず黙って次の言葉をまった。

「うん、だから貴方と話せて楽しかったわ、ありがとう」

 「どういたしまして」と言い少女の方を見ると、もうそこには彼女は居なかった。私はきっと帰る所へと帰ったのだろうと自己完結し、視線を前へと向ける。

「そう言えば、ここら辺は昔庭園でしたね」

 そこには数年前に亡くなった地主の意向で公園へと変わったらしい広い庭園跡があった。その地主と会った事のない私でも、その理由は何故だか分かる。

「こんなに綺麗なものを知らないなんて勿体無いじゃない……ですか」

 ふぅ、とため息を一つ吐いて、空を見上げと雨が止んでいる。先程までのご機嫌斜めは何処へやら、眩しい笑顔を浮かべている。私はその光に目を細め再びやって来た夏の暑さを避ける様に帰路へと着く。

 元々悩みなど毛ほどもないが、何処か先程より空気が心地よく感じる。私はいつものように、いつもより軽い足取りで家へと歩を進める。

「今度、花屋にでも行きましょうかね」

 黄泉物へ喰い、とでも言うべきか……ともあれ少女が何を伝えたかったか、その真意は私にも分からない、しかしさして問題はないだろう。それほどに些細なそして美しく咲いた花の様な思いだったのでしょうから、それは種になってどこまでも広がっていくでしょう。

「おや」

 ふと足元に目を落とすと一輪の勿忘草がその命を燃やすように美しく咲いている。

「はて、種でも飛んできたのでしょうか」

 その勿忘草はこんなコンクリートの近くですら、いやコンクリートの近くだからこそ強く存在感を放っていた。それは暗にこう告げているようだった。


「私を忘れないで」と。

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