10 初めましてオトモダチ

 例えば、友達とは何をもって友達と言うのだろうか。


 友達だから一緒にいるのか、一緒にいるから友達なのか。

 世の中には尽きない議論が山ほどあるが、あえてここで口にするなら、楓は友達になろうと宣言してなる友達はなんか違くない? と思う派だった。

 つまり。楓はそこまで器用ではないので、今からお友達ですと言われても、突然フレンドリーに接するようなことは出来ない人間なのである。


「タメ口でいいよ!! そう、タメ! タメでね!!」

「えっと、わかった。アハハ……」


 そう言った目の前の彼は、興奮抑えきれずといった得意顔で黒縁メガネを押し上げる。なぜかタメという言葉を嬉しそうに連呼している少年に、楓はぎこちない笑みを返した。

 新幹線に乗れば一旦離れるだろうなんて思った瞬間もあったが、楓と少年は今、なんと隣合わせの二人席で東京に向かっていた。

 彼の切符も楓の切符も用意されたものである。要するに学校側で気を利かせたのか分からないが、楓は少なくとも到着するまでのあと何時間かは彼とコミュニケーションをとらなくてはならなかった。


 窓の外を遠い目で見つめる。暗い。夜だ。なんか、あれだな。新幹線って逃げ場ないな。隣にキラキラとオーラを発する少年の圧を感じながら、楓はぼんやりそんなことを考えた。


「僕はね、あっ、名前は言っちゃいけないんだったか。名前じゃなくて、あざな! そう、あざなをね、実は僕もう決めてあるんだ!! 僕のことはチヨって呼んで! さあ! プリーズコールミー、チヨ!!」

「あ、うん、チヨね。おっけ」

「…………もう一回お願いしてもいいかな?」

「え、チヨ?」

「これが……幸せ……」


 心底絡みづらい。隣で感動しながら胸を押さえるチヨは、楓の今までの人生の中で関わったことのないタイプだった。

 楓は癒しを求めて膝の上でキュルキュル鳴くそれを撫でる。すると気持ち良さげに身を震わせるもので、口元を緩ませる楓に、隣から見つめるチヨが声をかけた。


「君は? 名前、ええと、あざな。あと、その子も」


 問われて楓はまごつく。何を言おうか迷って沈黙したが、チヨは気にする様子もなく興味深そうに楓の膝上を眺めていた。

 キュルッ。膝の上から、また鳴いた。合わせてチヨがビクリと肩を震わせる。それからソワソワした雰囲気で楓をうかがい、思い切ってというふうに口を開いた。


「あの、触ってもいい、かな……!?」

「え!? あー、たぶん」


 錆びた動きで頷くと彼はパッと輝かんばかりの笑顔になる。すぐに手を伸ばし、一瞬怯んでから、チヨは恐る恐るそれに指を触れさせた。


「おぉ……おおぉ……あっ!」

「うわ」


 ぷにぷにとチヨの指がそれを突くと、初めのうちは体を震わして、それから逃げるみたいにピュッと楓のパーカーに引っ込んだ。

 チヨが本当に残念そうな顔で楓を見るものだから「眠いのかも」と適当なことを言っておく。別に知らないけど。そもそも楓には、このナニカが睡眠をとるかどうかすら定かではなかった。


「この、こいつ……名前まだ無いんだよね」

「決めないのかい?」

「いや、うぅん。なんか、名前なくても困ってなかったから」

「なるほど!……なるほど?」


 不思議そうに首を傾げるチヨは、楓のパーカーに潜って腹あたりでモゾモゾ動く物体に釘付けのようである。

 周りから見たら楓たちは何をしてると思われるのだろうか。楓はもはや諦めの心持ちで小さなため息を吐いた。


「おれ。俺の方はイト。よろしく、です」


 顔を向けて伝えると、チヨはパアァ! と音が聞こえそうなほど顔を輝かせる。そして勢いよく楓の腕を取ると手を掴み、両手でぎゅうぎゅうに握手をされた。

 楓は若干引きつつも、ブンブン上下に振られる手をそのままにする。震える声で嬉しそうに、よろしく、よろしくと連呼されるものだから悪い気はせず、楓は思わず笑ってしまった。


「そうだ!! 差し当たってはね、イト!! 書いてほしいものが、」


 そんな感じだったチヨだが、唐突に彼は何かを思い出すと手を離す。そして足元に置いた荷物の風呂敷をゴソゴソ漁り、探し物を見つけるとそれを持って楓に差し出した。

 それを見下ろして楓は困惑する。なんか、やたらとカラフルでポップな、見たことのある紙だった。ずいぶん、本当に記憶が薄いくらい昔に、女子が交換していたようなアレ。


「これは」

「プロフ帳って言うんだ!」

「いやそうではなく」

「友達同士で書くらしい」

「うん、まあ、間違いではない、けど」

「もしかして書いたことがある!?」

「なくはないけどさ……」


 なぜか憧れの眼差しを向けられる。やりづらい。差し出された紙を空気感でなんとなく受け取って、書かないといけないのか、と楓は受け取ってから後悔した。


 なんというか、こう。

 友達になるにはまだ時間が必要かもしれないと、楓は人知れず微妙な気持ちになった。





 新幹線から降りて、楓は新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 ここが東京。楓が夢にまで見た、あの東京。その場所で。


「うおおぉ……」

「イト、大丈夫かい? 水は飲める? あっ、お手洗い行く!? イト、イトぉ」

「へいきだから、っう」

「イトおおぉ!!」


 楓は絶賛、新幹線酔い直後であった。

 ちなみに理由の大部分はプロフ帳である。新幹線の小さい机に体を丸めて向き合って、チマチマと文字を読んで書いてを繰り返していたのだ。そりゃ酔うだろう。

 パーカーのフードにはキュルキュルと機嫌良く跳ねるヤツが入っていて、楓の背中を悪い意味で絶妙に振動させてくる。楓は唾液をなんとか飲み込みながら、新幹線の自販機で買ったペットボトルのキャップを開けた。

 胃の上あたりにある気持ち悪い淀みを、すっかり常温になってしまった水で無理やりに誤魔化そうとする。

 喉も渇いていないのにさっきから水ばかり飲んでいる。胃は液体を受け付けようとはしなかったが、それでも水が喉奥に流れ込む感覚で、少しだけマシになったように思う。

 せっかく東京に来たというのに。なんでこんなにツイてないのだと楓は思った。


「大丈夫かい? ええと、エレベーターで行く?」

「ごめんごめん、平気だから。階段でいこ」


 チヨが心配そうにアワアワと周りをうろつくので、そう言って大丈夫だと曖昧に笑っておく。

 そもそも酔いそうだと思ったあの瞬間に辞めておけば。なんとなくの意地と義務感でプロフ帳に向き合い続けた結果がこれなのだから、ある種の自業自得である。

 体調不良の原因がプロフ帳ってめちゃくちゃダサいな。考えて、このことは墓場まで持っていこうと楓は静かに決意した。


 楓はもう一度念を押すみたいに、大丈夫だからと伝える。したならチヨは「そうかい?」とまだ不安そうに、しかしどことなくホッとした雰囲気で歩き始めた。


 新幹線のホームから階段を降りて、二人は壁際で止まると呆気にとられていた。

 広い通路、土産屋に、明るい色のタイルとカラフルなスーツケースを引く人々。菓子と香水の匂い。歩く音、アナウンス、話し声。

 楓とチヨは立ちすくんで互いに顔を見合わせる。夜なのに、東京駅は人が多かった。


 さすが大都会。心の中では茶化しながら、楓は少し、ほんの少しだけチヨに寄って歩く。

 気を抜いたら人の波に流されそうである。ここで迷子になったら終わる。見間違いでなければ、奥まで続く新幹線のホームに、二十何番線なんて書いてあった。

 線路が二十本以上あるってこと? 嘘じゃん。楓は初めて都会に憧れ以外の何かを感じた。


「えっと、これ、どこ行けばいいんだっけ」

「わぁ……」

「チヨ?」

「ここ、これがそと……これが、」


 楓が周囲の都会人にビクついていると、ふとチヨの様子がおかしいことに気がついた。心配になって隣の彼を覗き込む。すると、楓はギョッとした。


 泣いてる。なぜ。

 チヨはぐすりと鼻をすすって、人の闊歩する東京駅を感無量といった様子で眺めていた。


「え、あ、その」


 楓はどうするべきかと意味もなく両手を彷徨わせる。チヨは手の甲で眼鏡をあげて涙を拭い、楓の声が聞こえているのかいないのか、グスグスと泣き続けていた。

 階段を降りてきた女性が、壁際の楓達の事をチラッと見た。続いて、人の良さそうなサラリーマンも視線を。数人組の若い女性はコソコソとこちらを見て話し、歩いていた駅員が遠くから二人をうかがっていた。


 やばい。目立っている。

 忘れていたが楓とチヨは見た目も年齢も年若い少年であり、というかつまり未成年である。そういえば未成年って夜に出歩けられないアレ、なかったっけ? 楓は冷や汗をタラリと流した。

 あまりにもナチュラルに案内が来ていたし、普通に一人分の切符しか手紙には入っていなかったので、まあそういうものかと思っていたけど。

 チヨが着物を着たあまりにも品の良さげなお坊っちゃんであることも、なお悪い。とにかく、早く集合場所へ行くべきだ。楓がチヨに声をかけようと思ったその時だった。


「う、わっ!?」


 クンとパーカーのフードが引かれるような衝撃があり、楓は僅かにバランスを崩しながら声をあげた。何事かと、その方向を向いて目を見開く。

 そこには元気よく床を跳ね回る、ツノの生えたスライム。楓がなにかするより先に、それはキュルッと鳴いてどこかへ跳ねていってしまった。


「っえ!? ちょ、ま、チヨ!! ごめん行こう!!」

「うぅ〜……」


 ハッと我に返った楓はチヨの腕をとり、急ぎ焦りながら追いかける。チヨはまだ泣いているようだったが、それを待っているわけにもいかない。小走りで人の間を縫いながら、通り過ぎる人の何人かは二人のことを訝しげに見た。

 楓は薄灰色の球体を見失わないようにと必死に地面を探す。ポヨンと飛び跳ねるものが視界の先で改札を通ったのを見て、楓は慌ててそちらに向かいながら、ズボンのポケットにある切符を探した。


「チヨ! 切符、切符!!」

「うぅ……イトぉ」

「俺の切符、あった! チヨ切符用意して! 改札通るから!!」

「イト、僕ここまで来れて本当に良かったよ……ありがとう……」

「早くない!? そういうのまだ先じゃない!? ってか切符だって!! ある!?」


 楓は改札の近くまで来たところで立ち止まると、チヨを見て、着物の帯に薄い緑色のポーチを挟んでいることに気がつく。その外ポケットに切符が飛び出ているのを見つけ、ごめん! と言いながらポーチを抜き切符を取り出した。

 チヨに切符を渡すと、彼はようやく楓を見てキョトンとする。楓はその変化にも気がつかず、また腕を掴むと今度こそ改札に向かっていった。


「え? え? 今ってどういう状況だい?」

「改札!」

「あ、うん!?」


 二人が改札を抜けると、楓は真っ直ぐ行った通路の先で見覚えのある丸い物体を見つける。

 待っていたようにその場に留まっていたそれは、楓達が来るのを見たのか、今度は通路のさらに奥へと進んでいった。


 楓が段差を駆け降りて、後からチヨが慌てた足運びで追いかける。球体は通路の先、エレベーターか何かがあるあたりで止まったようだった。

 良かった。人を避けながら小走りで駆けていって、ようやくあと少しのところまで近づくと、楓は安堵しながら足を緩める。そこで、ふと。

 そのエレベーターの前に立つ一人の男が、非常に見覚えのある無愛想な顔でこちらを見ていることに気がついた。


「あ、ざ、ザンさ、ッうご!!?」


 ビタン!! と。

 背中に何かが当たって、楓は盛大にコケた。後ろからは息切れしまくったチヨの声で「イトぉ!?」と叫ばれている。

 控えめに言って消えたい。絶対周りに見られてるし。咄嗟についた手のひらと、庇いきれなかった顔面がジンジン痛む。床に倒れながら絶望している楓の顔に、なにかもふもふした感触の、暖かいものが擦り寄った。

 クゥンという鳴き声。続けて、少女の声。


「……いや、私のせいじゃないだろ。たぶん」


 楓はゆっくりと顔を起こす。見るとそこには、額に不思議な模様のついたキツネのような猫のような生物と。

 興味なさげに楓を見下ろすザン。その横に、明らかに『やっちまった』という表情でそっぽを向く、黒髪の美少女が居たのだった。

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