6 拗らせコミュニケーション

 『クロ』。そう言われて楓は、一瞬ドキリとした。黒瀬という文字が頭をよぎったからである。


「ええと」

「どうだいクロ? いい語呂だろうクロ? しかも私とお揃い!!」

「お揃いなんですかね」

「ある意味ではね!」


 分からなくもない。シロとクロならある意味お揃いだろう。

 しかしシロがそれなりの家の出であると判明したいまでは、そのお揃いの字はきっと普通ではないと思った。

 遠慮します、とも言いづらく、結局楓は「考えておきます」だなんて常套句を使うにとどめる。つれないだなんてシロが愉快そうに笑った。


 そんなことをしていると奥から足音が聞こえた。楓は音の方を見る。

 守宮いもりが戻ってくる。その両腕には小柄な彼女を超えるほどの巨大な木箱をひとつ抱えていた。

 楓は「えっ」と小さく漏らす。予想外であった。木箱を抱える守宮の細腕はピクリともしていないが、通路を歩いてきてぶつかった棚は、気のせいでなければ木箱に負けてズレていったように見える。

 いや、持てねーよ。楓は口元を引きつらせながら、心の内でヤケクソ気味に呟いた。


「あ、あのぅ……お持ち、しました……」


 暫し思考が停止していた楓だが、守宮の声で我にかえる。


「あっ、えっと」

「直接の、お渡しでも、だ、大丈夫ですか?」

「は、はい! すみません!!」

「いいい、いえ、こ、こちらこそスミマセン……!?」


 全然大丈夫ではない。ないのだが、楓の口は会話の流れに乗って条件反射で「はい」と言った。

 あまりに勢いの良すぎる返事に押されて守宮も動揺していたが、いまはそれどころではない。

 言った手前、楓は流れるように手を差し出し受け取る構えをとる。こうなれば覚悟を決めるしかなかった。

 楓はいつもこうである。口が勝手に会話に乗って、後から正気になって後悔するのだ。そんな走馬灯もどきの懺悔が脳裏を掠めた。


「まったくもう、素直じゃないねぇ、クロは」


 楓の手に乗るはずだった重みは、ヒョイと横から取り上げられた。

 シロは片手で軽々とその木箱を抱える。楓は呆気にとられ、シロの背後から後光がさしている幻覚を覚えていた。

 今までの強引な言動も、さりげなくクロと呼ばれたことも置いておけるくらいに、楓の中でシロに対する好感度が急上昇する。


「わっ、……悪いですよシロさん。重いでしょ」


 楓はひとまずシロを気遣う言葉を続けた。が、悪いとは思っていても自分で持てる気などミリほどもない。

 予想通りシロは「このくらい平気さ! 少年よ、甘えておきなさい?」と荷物を持つ旨を返した。

 楓は白々しく、ありがとうございます、なんて答える。塩らしい態度は、とっておくだけ損はないと思った。


 思いがけなく重量級の荷物を回避した嬉しさで、このときの楓は気がついていなかった。

 クロ、と呼ばれた楓を、「え」と血の気が引いた顔で守宮が見たことに。


 楓はシロが本当に問題なさそうに荷物を抱えるのを眺め、思い出して守宮を振り返る。

 すると彼女はなぜか怯えたような、というより幽霊でも見たかのような顔で楓を見つめていた。


「あ、あの……?」

「ひゃえ!!?」

「えっ!? あっ、その、ありがとうございました」

「あああ! いいいいイエ!! め、めっそうもないですぅ!!」


 先ほど驚かせてしまったからだろうか。にしても、尋常でない態度に楓はギョッとしたが、それを問い詰められるほど守宮とは近しい仲ではなかった。

 急になんだ、と困惑はしてそれきりだ。シロが「世話になったね!」と手をあげたのを合図に、楓はシロについて出口へ向かう。

 楓は守宮のことを気にしながらも、彼女が慌ててガバッと深々お辞儀するのを後ろ手に見ただけだった。


 守宮は二人の気配が店内から完全に消えたことを確認し、ゆっくりと頭をあげる。 それから困惑の眼差しで、彼らが消えた方向を見つめていた。


「……クロ、クロ? い、いえ、そんなはず。だってクロセ家は、だ、断絶したと。それに、……でも、シロサマが」


 ひとり店内でぶつぶつと呟く。彼女の不安定な精神が影響して、店の灯りがフツリと揺らめいた。

 彼が、あの少年が黒瀬家の生き残りであるならば。

 また抗争が起こる。またこの街は争いに晒される。彼の気性なぞは関係ない。黒瀬の血が生きているという、それ自体がトリガーなのだから。


 守宮は長生きである。未熟者であっても『あやかし』である彼女にとって、十数年前の出来事は昨日のことのように思い出された。

 あれから時は経った。しかし勢力関係はいまだ釣り合う場所を探して、水面下では争いが続いている。裏街の、新しい支配者の席を求めて。

 彼女は記憶に新しいソレを思い起こす。悲鳴、瓦礫、そして。


「て、店舗の、修繕……大量の、せ、せいきゅうしょ……ひぃ」


 悪夢である。どうか、どうか二度と抗争が起きませんように。彼女は願った。

 ここは裏街。経費などない。意外と図太い守宮の弱点は、刺激物と請求書なのであった。





 あずに行こう。シロは言った。なんぞや。楓は分からなかったが、とりあえず頷いておいた。


 裏街三丁目が繁盛しているのは、四つ角通りがあるからというだけではない。その繁盛の理由のうち一つが、預け屋の支部が設置されていることだった。


「要はレンタルロッカーってこと! 公共事業みたいなもんでねぇ。お偉い人たちがやってて、誰でも使える。もちろん、君でもね、クロ!」

「はぁ」


 どうでもいいが、シロは楓の『クロ』という呼び名をいたく気に入ってしまったらしい。

 楓は心底やめてほしいと思ったが、彼にそんなストレートな文言が使えるはずもなかった。

 その呼び方でいくんですか、と精一杯の遠回しな拒絶を伝えてみたが「君が正式な字を手に入れたら改めるよ!」なんて反論しにくい言葉を返されてしまう。

 しかし、こうもクロクロクロと連呼されては困るのだ。楓は、そのたび周りに信じられないものを見たような顔をされるのが、気のせいではないと気づいていた。


 シロの声はよく通る。それが注目されているとなれば尚更。

 楓の予想通り、やはりこの呼び名は普通ではないらしい。だが嫌だと言ってやめさせる度胸がシロ相手にあるのなら、そもそも楓はここでこうして彼女に連れられていなかった。

 楓はさっきより格段に強くなった視線の雨を受けながら、諦めてすごすご縮こまる。

 今だけなんとかやり過ごそう。シロは悪くない人間のようだが、苦手な人種だと楓は嘆息した。


「あっ、あそこだよ、クロ。見えるかい、あの池」


 池? と楓は目を細めて遠くを見つめた。確かにある。通りの突き当たりにある広場らしき場所。そのど真ん中には、柵で囲まれたなかなか大きそうな池があった。


 と、それを見て楓は、思わず引きつった笑みを浮かべる。

 見間違いでなければ、いま、池に人が飛び込んでいた。いや、飛び込んでというよりは引きずられていたか。見覚えが、それ以上に身に覚えがある光景だ。

 楓がシロの方をチラリと見返すと、彼女は察してか否か説明を続けた。


「原理は裏街の水路転移と同じだよ。でも、こっちは池自体が大きな転移陣になってるから、わざわざ術式を組まなくても良いってわけだ」


 だから今度は、きっと吹っ飛ばないよ! なんて良い笑顔で肩を叩かれ、バシンッ!! と音が鳴った。

 楓は「だと嬉しいです」と返して肩をさする。力が強い。楓の体が弱いわけではない筈なのだが、さすりながらなんとなく虚しい気持ちになった。


 池は近づくと様子が見えてきて、その柵の前にはご丁寧に看板が立っていると分かる。

 右手に『新規あずどころ登録』、左手に『預け口』と。

 なるほど右か、と思ったが、予想に反してシロは左に進んでいった。楓は、ん? と疑問を覚えたが何も言わずについていく。

 ここでは楓は新参者である。看板が全てではないし、書かれておらずともやっておくべきことがあるのかもしれない。それが何か気にならなくはないが、どうせ今に分かることだ。わざわざ聞く必要もないだろう。

 楓はそんな言い訳をつけながら、質問しない自分を正当化した。楓の悪癖である。


 その悪癖を後悔することになるのは直ぐだった。

 シロは予想外というか、ある意味では正しいのだが、おそらく転移の入口に繋がるであろう列に並び始めたのだ。

 楓は困惑した。彼女は楓が裏街に来たのが初めてだと知っている筈だ。ならば間違いなく、預け屋とやらの登録はされていないだろう。

 忘れてしまったのか、それとも何か勘違いをしているのか。とにもかくにも楓はシロに言うべきかと悩んだが、あいにく楓は優柔不断で、悩んでいる間にも列は進んでいく。


 本当に間違いなのか。実はこの先は転移口じゃなくて、別のなにか受付に繋がっているとか? いや、だとしても言うだけは言ったほうが。

 うだうだと考えて言わない理由を探してみるが、結局は言うべきだという結論に落ち着く。

 列の進みは存外早く、池の淵、転移口はすぐそこにある。楓がようやく口を開いたのは、もう前にいるのはあと二人だけというところだった。


「あっ、あの……」

「ん?」

「俺、多分これ、登録? してないんですけど」


 言った。言った! 

 楓は積荷をおろしたような感覚になった。達成感である。言っただけなのに。

 これで、シロの答えが何であれ、楓の心配は解決するはず。はずであった。


あずどころかい? いやぁ、登録してるはずだよ」

「え?」

「こういうのは大体、家族で登録してるから。一家族一預け所ってね! それで子供が生まれたら、その子も使えるよう直ぐに追加の生体せいたい登録をするんだ。だから君も、」


 使えるはずだよ! にこにこ言われて楓は思った。なにも解決していない。

 シロの常識は裏街の常識であり、何度も言うが、楓は今までシロが言うところの『表』で生きてきた。つまり楓の考えからすると、まず楓は登録などされていないだろうと思うのだ。

 だが、それらの言いたいことを選別するのに、楓はむしろ何も言えず喉を詰まらせる。そうしている間にも、楓の順番は近づいていた。

 そして前から声がかかる。お次の方どうぞ、と。パッと楓はシロの顔を見上げた。彼女は「手をつければ後は勝手になる」と言って楓を安心させるように背を叩く。


「大丈夫! なにかあってもエラーになるだけだから!」


 それが大丈夫ではないのだ! 楓は目立つことがなにより嫌いである。改めて楓はシロのことが苦手だと自覚した。

 とにかくここでモタついてもそれこそ目立つだけであり、楓はどうしようもなくなってしょうがなく足を進める。

 転移口は何の変哲もなく、何の覆いもない。ただ池の淵にある柵が一部ないだけで、あとは近くに係の人らしき腕章にスーツの女性が立って待っているだけだった。


「こんにちは。どなたがご使用ですか?」

「ああ、彼が」

「かしこまりました。お荷物はそちらでしょうか」

「そうだよ。手持ちでいけるかい?」

「問題ございませんよ」


 話はどんどん進んでいく。楓にとっては絶望的だが、どうやらここはもう引き戻せない場所であるらしかった。

 エラーってどうなるんだ。音とか出るのか。警報とか鳴ったらどうしよう。ああもう本当にいやだ、マジでやだ。

 思いながら楓がずるずると転移口、もとい処刑台に立ちに行くのをシロは後ろからついてきた。


「荷物! ここに置いておくよ。抱えておきなさいな」


 背後からシロがズシャアッと荷物を置いて、楓の真横に明らかに重みのある質量が並ぶ。

 言われたので、楓はもう真っ白になっている頭で、片腕を荷物に回し抱き込んだ。


「ご準備できましたら、手のひらを水面にゆっくり浸してください」


 楓は冷や汗をダラダラかきながら、ゆっくりとしゃがみ込む。手を水面にかざした。

 なるようになれ、と心中で唱えて、とうとう楓は手を水面に下ろす。ピチョン。気のせいかもしれない、小さな水音が鳴った。


 手が触れて、波紋が浮き上がる。

 そして水の中へと引っ張られる感覚。あると思っていなかったソレに、楓は「え」と声をもらす。

 いってらっしゃいませ。最後に聞こえたのは、係であるらしい朗らかな女性の声だった。

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