5 シロクロショッピング
裏街三丁目、四つ角通りはショッピング街である。見える影は人間だけではない。なにしろここは裏街なのだ。
獣耳で人型のなにかだったり、普通より明らかに大きな二足歩行の狸だったり、それから目がひとつだったり手がひとつだったり足がひとつだったり。
どうにも絵に描いたような
それは、楓たちのことを、正確には楓の隣を歩く大きな女性、シロのことを遠巻きに見ている点である。
四つ角通りは楓たちが通ってきた場所と比べていささか現代的だった。
『表』で例えるならば鎌倉の街並みといったところか。人間も多く用いるこの通りは、それに合わせて整備も進んでいるため、裏街でも随一の治安の良さを誇る。
楓は通りに着くなり意気揚々とそんな説明を始めた彼女を見上げた。
確かに、どうやらこの場所は大層繁盛しているらしい。しかし楓たちの周りには、まるでバリアを張ったようにスペースが空いているのは。
楓はこちらをひそひそと噂するような空気が気まずくて、説明を聞くのにもあまり身が入っていなかった。
「どうだい少年、初めての裏街の感想は!?」
「あー、その。けっこう混んでるんすね」
俺たちの周り以外は。心の中で付け足した。
「そうだねぇ、いまは丁度……
「二時半だよ、十四時半!!」
「あっ、そうなんすか……」
楓がこっちに来たのは午前の二時過ぎであったはずなのだが、どうやら丸々時間が反転している。
表だか裏だか言っていたので、そういうことなのだろうか。気になっても今の楓に質問なぞ出来るわけもなく、疑問は自分の中でのみ中途半端に消化した。
シロが他にはないかとでも言いたげな視線をチラチラ寄越すので、黙っているのもしんどくなって、楓は「どうもです」と何に対してか自分でも分からない礼を述べる。
気まずい。知りたいことは山ほどあったが、そもそも一番知りたいのは彼女の素性であった。
楓には絶えず周囲から刺さる視線の意味が分からない。だが、とにかく彼女がこの場所での普通でないことだけは理解できた。
なぜついてきてしまったのだろう。いや、ついてきたと言うより連れてこられたのだった。
連れの女性は大層怒っていた。引き止めたその内容から察するに、彼女、シロは仕事の途中なのだと楓は考える。
仕事を中断してまで、彼女が初対面の楓にそこまでするのは何故なのか。そもそも楓はこの場所が初めてだとは一言も言っておらず、なのに言う前から案内を買って出たのにも疑問が残る。
いや、でも、学校の話をしていたから、関係者かなにかだろうか? それらはいったん考え始めるとキリがなかった。
とにかく、楓にとって重要なのは今である。つまるところ、今さらここで放り出されても困るのだ。
結局楓は、余計なことは聞かずに、言わずに、おとなしく彼女について行くかと諦めた。
「あっ、ここだよここ。素材を買うだろう? 学校で使う程度のものならここで揃うよ」
そう言って彼女が指したのは雑貨屋のふうな店だった。
思ったよりも普通ないでたちになんだか拍子抜けする。楓は前を進むシロについていき、モーセの海割りのように店頭までの人ごみが開けるのを、壮観だなと何とも言えない顔で眺めた。
「ぅおっ……、」
店内に足を踏み入れて、楓は思わず感嘆の声を出す。その音を拾ってか、シロはまるで自分ごとのように自慢げな顔でニヤリと笑った。
店の中には、天井にまで届く木棚が所狭しと並んでいた。
棚には古びた布だったり、瓶詰めの植物だったりがこれまたぎゅうぎゅうに乗せられていて、それからなにか書かれた紙も彼方此方に貼ってある。
位置としては棚にある商品の情報を補うものらしく見えるが、楓にその意味は分からない。
なにしろそこに書かれている記号のような文字のようなソレは、楓には全くもって読めなかった。
シロは勝手知ったる足取りで歩を進めていく。こっちだよ、と黒いパンプスをカツカツ鳴らす後ろ姿に、楓は慌ててついていった。
棚の間の狭い通路は入り組んでいて、前を行く彼女を見失えば間違いなく迷ってしまうだろう。
店内は物が多いためか、さっきまで感じていたような視線は遮られている。静けさから声をかけることも躊躇われたが、しばらく歩いていれば、どこに向かっているのかという不安の方が楓の中で大きくなった。
「あの、し、シロさん」
「ん?」
「その、これはどこに、」
「お。いたいた! 少年、こっちだ」
「いや、ちょ、えぇ……?」
せっかく聞こうと勇気を固めたところに、彼女は誰かを見つけた素振りでそちらに近寄っていった。
間が悪いのはどうしようもなく、それを中断して聞き直す度胸も楓にはなかった。
楓は急いで彼女を追いかける。シロが歩幅を大きくすると、楓は走らなければついていけなかった。
「へい! そこの店長さん!」
シロが茶目っ気を持たせて話しかけた相手は、不審そうな様子でのぼっていた梯子から振り返った。
小柄な女性はシロの姿を認めると、その丸い目を大きくして爬虫類のような縦長の瞳孔を開かせる。それから口をはくはくさせ、錆びたロボットみたいに手を動かした。
「シっ、ししシロサマ……!!?」
たいそう慌てているらしく、声は裏返っている。シロを見て目を白黒させながら、梯子から降りようとしたのか、身じろいだ瞬間彼女は足を踏み外した。
「ひゃわぁあ!!?」
「おっ」
「うわ!?」
楓は咄嗟に両手を伸ばす。受け止められるとも思わなかったけれど、完全に本能的な反射であった。が。
ダンッッ!!! と。可愛らしい悲鳴に似合わない、力強い着地音が響き渡った。
衝撃で地面が若干揺れて梯子が傾く。すると今度は、どこからか伸びたトカゲの尻尾に似たなにかが、倒れかけた梯子をグッと支え戻した。
楓はポカンと口を開ける。行き場のない両手は、伸ばされたまま宙に浮いていた。
「あ、ああ……すぅ、す、すみませんスミマセン……!?! お、ケガ、おケガは!?」
「ある?」
「へ!? あ、いやナイデス」
「ないって!」
「あぅ、そう……そそ、そうですかぁ……」
良かったです、と吃りながら言う女性は、落ち着かなそうに身を揺すった。
ボサボサの白髪を撫で梳かし、彼女はシロを窺い見る。するとシロは楓を見て、続けて女性も楓に視線を移し、楓は、いやどうしろっていうんだよ、とシロに目線を返した。
シロはプッと吹き出すと「アッハッハ!! ごめんごめん、そんな目で見ないでよ!」と豪快に笑う。
それに楓は思わず胡乱げなものを見るふうな表情をしてしまったが、彼女は特段気にした様子も見せず、というより物事は全て彼女のペースで進んでいた。
「
「め、めっそうもないですよぅ……えぇと、ど、どのようなご用立ちで……?」
シロは楓の肩を叩くと「この子、陰陽術学校の新入生なんだ」と言う。
それだけで女性は、あぁなるほど、なんて心得たように呟いた。
「そのぅ、学校からのご連絡は、い、いただいております。教材リストは、お持ちですか?」
守宮と呼ばれた女性はおどおどと、しかしはっきりと楓に問いかけた。
楓は彼女の人間離れした瞳に覗き込まれ、ビクリと肩を跳ねさせる。そしてすぐに思考を戻すと、わたわたと自分の持っていた紙を開き差し出そうとした。
と。シロが勢いよく楓の手を掴んだ。
楓はギョッとして彼女を見るが、むしろシロの方がとんでもなく驚いた顔をしている。
なにかおかしかっただろうかと楓が動揺していると、シロは「あっ」と思い当たったように呟いた。
「そうか、『表』育ちだからか」
「え、えっと、シロさん……」
「ああ! すまないね、少年。私が説明を失念していた。こういう時はね、折りたたんだまま渡すんだよ」
「え?」
「名前。見えないようにね。契約面を内側にして」
そう言って彼女は楓の手を離し、代わりにその手元を指差す。
名前? そんなマナーがあるのだろうか。プライバシーの保護と言えば分からなくもないけど。
楓は頭にハテナを浮かべながら、それでも何も言わずシロの言う通りにした。
楓の常識と違うことがあろうと、そんなものはこの場所にいる時点で今さらである。
それよりも今ここで疑問に時間を割くことこそ無駄だと、楓は思考を放棄することにしていた。
名前が書かれている面を内にし折りたたんで、今度こそ紙を守宮に差し出す。守宮はひとつ頷くと、紙はそのまま楓の手に、その上から彼女の手をかざした。
「術式呼び出し。
『はい。術式の呼び出しが確認されました。
「術式選択、スキャン。対象、
『はい。スキャンが選択されました。術式の読み込みを開始。終了。対象を確認、スキャンいたします』
紙の上に薄水色の魔法陣のようなものが現れた。
楓は驚いてピシッと固まっていたが、陣はそのままポワと光を放つ。
時間にして僅か二、三秒ほど。光が弱まってきて、陣が消えるほどになると、またどこからか電子音が聞こえてきた。
『スキャンを完了いたしました。契約コードは一八四〇九です。術式を終了します』
守宮は紙から手をどけて人差し指をクイっと動かす。するとどこからか飛んできた帳面が彼女の前でゆっくりと静止し、空中でひとりでにページがめくられた。
数ページめくって守宮がキョトキョト頷き、楓の方に向き直る。楓は一連の動作を見て、ぽかんと口を開けていた。
「か、確認、とれました……紙、ありがとう、ございます」
「あっ、は、はい」
「す、すぐに、ご用意いたします。少々、お待ちを。えぇと……」
守宮は頭を撫でつけながら奥へ入っていく。楓がそれを眺めながら考え込んでいると、シロは横から唐突に「ごめんねぇ」と謝った。
「えっと……?」
「いやあ、『表』から来たんだって忘れてたんだ。話していなかった」
名前はふつう、誰にも教えてはいけないものだ。シロはそう言った。
すぐにさっきのことかと気づき、楓は口をつぐんで続きを聞く。
「名前を知られることは、命を握られることと違わない。特に生まれたときの名は、魂に刻み込まれるものだからね」
名前が分かれば、術式を使って個人に干渉することが可能になる。具体的に言えば、精神性やその者の常識を書き換えることすら出来てしまう、ということ。
だからだ。
自分の保身のため、もしくは、自分が万が一にも道理を外れ道を踏み外さないために。
『裏』では互いに本当の名前を明かすことは、めったにないのである。
「といってもね。有名な家であればあるほど、苗字くらいなら出回っていることも多いよ。……私みたいに!?」
「有名な家、ですか」
「あっ、ツッコミ待ちだったんだけど……まあたとえ苗字を知っていても、名前ならいざ知らず、力量が上の相手を操ることは出来ないからねー! 大した問題にもならないから、特に隠してもいないんだ」
代わりに『裏』の人間にはそれぞれ
例えば私ならシロだね、と彼女は笑った。
楓は得心する。シロが周りから噂されるのは彼女の家が有名だからで、楓を少年と呼ぶのは楓がまだ字を持っていないからだ。
そういえばこんなにも実行的な彼女に、楓はまだ名前すら聞かれていなかったのだと思い出した。
「でも、折角だ。この機に君も
まるでまともな大人のように楓を諭すシロの言葉だったが、一理あるな、と楓は思う。
そんなものがあることなど、今ここで教えてもらわなければ、その時になるまで知らなかったはずだ。
楓はシロの顔を見上げて問いかける。
「シロさんはどうやって決めましたか」
「私は決めたというか……まあ、苗字から、かな」
「苗字?」
「別になんでもいいんだよ。むしろ、自分に由縁のないものが良い」
なんとなく歯切れが悪いなと感じたが、楓は言わなかった。
なるほど、と分かったふうな相槌を打って考え込む。するとシロは調子を取り戻したような声音で、にんまりと楓に話しかけた。
「私のオススメは『クロ』だけどね」
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