3 入学準備はお早めに

 陰陽術学校。陰陽師を養成する学校。それが手紙の届け主だった。なぜそんなものが楓の下に来たのかと言えば、それは楓の生まれが原因であった。

 楓の両親は、陰陽師とやらだったらしい。黒瀬アヤトと吉田ユキ。それが両親の名だった。


 二人は母と同じ団地の子どもで、老夫婦に育てられていた。

 なぜ血もつながらない二人が同じ家に住んでいるのか。親はどこにいったのか。同級生の間では口さがなく言われたらしいが、母にとってそれはあまり関係がなかった。

 その団地で同い年の子どもは三人だけで、三人は、三人きりの幼馴染だった。


 黒瀬アヤトは普通の少年だった。

 それなりに友人がいて、それなりに運動が出来て、頭は少しだけ良かったかもしれない。悪知恵が回るのよね、と母は懐かしそうに言った。

 写真で見た毛先のうねった黒髪と凡庸な奥二重は、どこにでもいそうな顔立ちで、やはり楓にそっくりだった。


 吉田ユキはおとなしい少女だった。

 本を読むのが好きで、花を愛でるのが好きで。絵に描いたような良い子で、おまけに動物と仲が良かった。

 いったいどこのお姫さまかと思う人が、楓を産んだらしい。陽に透けそうな柔らかいこげ茶と、カメラに向かった奥ゆかしい笑顔は本当のお姫さまのようだった。


「いつの間にか、二人とも居なくなってたの。本当にいつの間にか。それどころか私ね、楓がきて、やっと二人のことを思い出した。忘れてることすら、その時まで思い出せなかった」


 二人とも、私とは住む世界が違ったのかもしれないわね。そう寂しそうに笑って、話しながら、母はシチューを口元に運ぶ。

 晩ご飯は楓の特別好きな肉団子のシチューだった。母が楓の誕生日祝いに作ったらしい。昨日もご馳走だったのに、とも思うが、楓は母の優しさに何も言わないことにした。


「弁護士さんが言うにはね、あの、楓を連れてきた弁護士さん。そういう術だからって言われたけど」

「おー……」

「陰陽師だかなんだか言われてもね、たとえ術だかなんだかでもね、私はずいぶんショックだったわよ。そんな大事なことを、忘れてたのが」


 まあ、と楓は曖昧な相槌を返す。現実味のない話は、どうにも楓に実感を持たせてはくれなかった。

 こんな話を聞いて未だ他人事のように聞く楓は薄情者だろうか。困ったふうに聞く楓に、母は苦く笑っていた。


「……ごめんね。こんな話、きっと母さんのわがままね」

「え!? あ、いや」


 何か言うべきだと思って楓は口をモゴつかせる。母は口を閉じ、楓の言葉を待っていた。

 何と言えば母を傷つけずにすむのだろう。嫌な汗が出て、血管を冷水が流れているような気がした。楓は、最善を探すのがすこぶる苦手だった。


「お、俺は聞きたいよ。母さんの話とか、その、父さんたち? の話、とか……」


 結局、そんな陳腐な励ましをのたまった。

 しどろもどろな答えを聞き、母は泣きそうな顔でへにゃりと笑う。見たことのない、強い母の弱い笑いかただった。

 そう、良かった。母が溢す。合ってたのか、と楓は安堵の息を漏らした。


 楓の心臓は息を吹き返したように動き出す。

 なんだか急に感覚が戻ってきたようで、口に持っていこうとしたスプーンを「あつ!」と取りこぼした。

 急に熱くなったシチューに楓はキョトンとして、口元を押さえる。それを見て母は「あはは!」と声をあげて笑った。


「ねえ、好きにしなさいね。楓の好きなように」


 母の言葉はやけに耳で響いた。

 楓は一人、部屋の中で机に向かう。目を開けて、考えごとから意識を戻した。 自分はどうしたいのだろう。楓は自分の意思を汲み取ることも苦手だった。

 適当に流されて、適当に楽しんで、適当に生きていくのが楓のやり方だった。

 目の前の紙には無機質な印刷機の文字で『陰陽術学校入学案内』とある。楓は通学で使っている通学鞄、ごく普通のどこにでもある鞄に目をやった。


 中学を卒業したら、公立高校に行こうと考えていた。働こうかとも思ったが、楓と母はそこまで困窮しているわけではないし、何より母が嫌がりそうで、だからやめた。それが無難だったから。

 楓は、安全圏で、万が一にも落ちないところを受験し、そのままありふれた高校生になる予定だった。そのはずで。


「入学、案内……」


 頭に過ぎるものがある。結局、母には言わなかった。この手紙を受け取って、中身を見てからずっと疑問に思っていたことを。

 楓は通学鞄を手繰り寄せると、中に入っていた例の白封筒を見る。と、予想外の光景に目を見開いた。


「……は?」


 思わず声が出た。だって、鞄の中に溢れんばかりとあったはずの封筒は、一つしか入っていなかった。

 楓は慌てて鞄の中身をそこらに放り出す。ノートを出して、ペンケースを出して、ファイルを出して。バサバサと雑多に置いていけば、残るのは空っぽの鞄だった。

 逆さにして振る。なにもない。底を叩く。消しカスがひとつふたつ溢れて、後はそれだけ。

 呆然として放りっぱなしの白封筒を見た。それを手に取る。古びた白封筒に、香の匂い。中を開けば、仰々しい毛筆と、何度も見たあの文章が目に入った。


『入学許可証 黒瀬楓殿 

貴殿に宿りし陰陽術の素質は、古より伝わる選別の水鏡によって正式に認定された。これをもって、本校は貴殿を歓迎する。──本楼陰陽術学校』


 唾をのみこむと、喉からは変な音が鳴った。

 やはり違う。母が受け取った手紙と、楓の受け取らされた手紙は別物だ。

 楓は自分の鼓動が興奮から高鳴っているのが分かった。奇妙な手紙が恐ろしいものでないと知ったいま、楓の内心では恐怖よりも好奇心が勝っていた。


 好きにしろと母は言った。楓の好きなように。

 楓はもう一度机に向かい合う。封筒に入っていた紙は全部で三枚だった。

 一枚はかしこまった挨拶文。次に学費もろもろは必要とされない、といった内容が書かれたもの。そして最後が、いま楓の目の前にある『入学願』と印字されたものだった。


 覚悟など到底決まっていない。ただ、そこにあるものを読み上げて、楓は文字を指でなぞった。


「我、……陰陽道おんみょうどうを志すもの…………」


 呟く。それはどちらかと言えば、誓約書のような文面だった。


「知識を求み、学びを求む。高みを目指し、そして、生涯をもって……陰陽道に貢献せんことを、」


 ここに誓う。

 読み終えると突然、文字のインクが光り始める。楓は小さく悲鳴をあげながら、椅子の上でガタリとのけ反った。


「な、なっ!」

『音声入力が確認されました。エラー発生。この術式は音声入力に対応していません。本文を確認いたしましたら、お名前をご記入ください』

「なに!? なま、名前……!?」

『お名前をご記入ください』


 どこからか聞こえる中性的な機械音声に、楓は混乱する。壊れたスピーカーのように名前をせっつかれるもので、楓は「さ、斎藤、楓です」と吃りながら言って、いや記入するのかと我に返った。


『お名前をご記入ください』

「待って、ああペンが……!」

『お名前をご記入ください』

「いま書く! もう書くから!!」


 楓は机に転がっていたペンを掴み、慌てて握る。慌てすぎて取ったペン蓋がどこかに飛んでいった気もするが、一定間隔で楓を追い立ててくる音声が、考える隙を与えてくれなかった。

 手が動く。斎藤、とまで書いて、この場合の自分の本名は斎藤楓で良いのだろうか、なんて頭をよぎった。

 手紙は黒瀬楓宛てだった。しかしこの入学案内は、どうやら斎藤楓宛てであるのだ。


『お名前をご記入ください』

『お名前をご記入ください』

『お名前をご記入ください』

「うるっせぇ…………!!」


 焦って視界がぐるぐると回る。音声が楓の思考を責めたてて、答えが出るより先に、楓の手癖は斎藤楓の名を書き終えてしまった。

 瞬間。音は止まり、一瞬の空白の後、黒い火柱が巻き起こる。


「ひ、……っ!!?」


 大きく距離をとるように後ろに引いた。そのままの勢いで、楓はドスンと椅子からずり落ちる。情けなく腰を抜かしながら、口をはくはくと開かせていた。


 天井まで届きそうなほどに燃え上がるそれを見つめる。火事だ、と思ったが、咄嗟のことに声が出ない。しかし楓はある瞬間から、その炎は不思議なことに木製の机にすら燃え移らないことに気がついた。

 火の勢いが段々と弱まっていく。楓は呆然とその様を眺め、火種が完全に収束した後も、しばらくそこから動けないでいた。

 机の上にあったはずの入学願は消え、代わりに現れたのは一枚の紙。楓はそれを恐る恐る覗き見る。そして理解し、どうすれば良いのかと、その場で何にもならない呻き声をあげた。


『斎藤カエデ様、入学願を受理しました。入学式のご連絡には別途使いを送りますので、暫しお待ちください。あなた様の入学を心よりお待ちしております』


 受理。されてしまった。何の決意をすることもないまま。

 楓は頭を抱え込みたい気持ちに襲われた。喚きながら地団駄を踏みたいほどだったが、そうするほどに楓の理性は弱いわけではなかった。


 母には何と言おうか。そもそも友人たちは? 担任にも、楓の進路をどう説明すれば良い?

 楓の両親が使っていたのであろう、術とやらはかけてもらえるのか。入学式の連絡に、別途使い? また学校にまでおかしなものが来たらどうすればいいんだ。

 考えるべきことが多すぎて、脳がその事実たちを受け入れることを拒否していた。

 楓は嫌なことを後回しにして、真っ白な頭のまま紙に視線を戻す。そこにはまだいくつかの文章が続いていた。


『つきましては、授業で使用する予定の教材について、以下に示したものをお揃え頂きたく存じます。なお、裏街うらまちの三丁目、かど通りに限り本紙を提示することで代金は免除されますので、ご利用ください』

「……ん?」

『教材リスト

・クズ水晶

一反木綿いったんもめんの尾(二十センチ以上)

・石化した鎧口あぶみくち

 : 

 :                                    』


 動揺の言葉が漏れ出た。そこに並ぶ言葉たちに、楓は思わず前のめりになって、机に手をつき紙を凝視する。


 狼狽しているのか、もしくは興奮しているのかもしれない。楓の心臓はドッドッと強く脈打っていた。

 非現実が、非日常が形になって楓の前に現れる。頭の中には先程までの心配事など消え失せて、ただ目の前の紙の内容のことで精一杯だった。


天邪鬼あまのじゃくの涙、さえずいし……新月に摘んだ雨蓋草あまぶそう…………?」


 読み上げながら、口端がヒクリと引きつる。まるで現実味のない言葉の羅列。 そして最後には、こちらのことなど気にしていないような、ずいぶんと素っ気ない文章が一つだけあった。


『___入学準備はお早めに』

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