2.5 まだ出会わない縁
「うあぁあーーー…………っ!!」
そう唸りながら走り去った少年を、少女はギョッとした顔で凝視した。見間違えでなければ、彼は。
少女はついさっき『入学案内』を届けた場所を思い出す。たしか名前は『斎藤』サン。資料の顔写真とも一致。考えて、彼女は首を傾げた。
少女は陰陽術学校からの手紙を届けるただの配達員で、学校の人間に精通しているわけでもない。どころか、人間でない少女には、普通の人間についても大した知識がない。それでも、アレが人間にしては変わった行動だということは分かる気がした。
「……今年はずいぶん、元気な子が入るんやねえ」
呟くと、リードで繋がれた犬が元気よくワン! と返事する。少女はそれにウンウン頷いて、主人が喜びそうだと思いを馳せる。
あの方は元気なものがお好きだ。それと、頑丈なもの。今の少年は元気だったし頑丈そうだから、きっといい線までいくはずである。
最近は人間のおもちゃを欲しがっていた。元気で、頑丈で、一緒にお茶会が出来るおもちゃを。主人のささやかな夢を叶える可能性に、少女は僅かながらの嬉しさを感じた。
いい報告が出来そうだ。彼女は瞬き一つしないまま、耳下の小さい二つ結びを揺らし、ゆっくり気ままに前を見据える。
「うん、次の案内を届けなね」
ワフ、と犬が嬉しそうに走り出す。まったく元気でなによりだが、少女にその足は少し早すぎた。「あっ、ちょお待ってやぁ」という嘆きを溢しながら、一体と一匹は次の届け先へと向かっていった。
◆
少年は不可思議な現象に眉を顰めた。
開いた窓と、机の上に置かれた一通の手紙。中身を見れば、それはなんとも予想以上に怪しげなものだった。
「陰陽術、学校……入学案内?」
眼鏡を中指で押しあげて、もう一度よく目を通す。古びた紙、宛名には少年の名。読み直した内容にも間違いはない。なんと馬鹿らしい内容だ。ああ、馬鹿らしい、が。
この部屋の中よりはマシかもしれない。
少年は手紙を持ち直すと、ついていた折り目どおり、几帳面に折り直した。それを何事もなかったかのように封筒に戻し、今度は読んでいた本の間にバタリと閉じ込む。
時計を一度見て、そろそろ声がかかる頃かとドア前にある革張りのソファに座り込んだ。
「……ぼっちゃん、ぼっちゃん。お加減はいかがですか。失礼いたしますね」
コンコンと控えめな形式上のノックに、許可を出す間もなく年老いた家政婦が顔を出す。
少年は屈託のない微笑みとともに、変わりないよ、と返事を返した。
「今日は良い天気だね。昼寝をしようと思ってたんだ」
ソファにもたれながらそう付け加えてやれば、家政婦、もとい監視役の老婆は、それはそれは優しい顔をする。
いつもと変わらぬ少年の様子に安堵したらしく「夕ご飯のお時間にお呼びしますね」とだけ言い、直ぐにもどっていった。
そのドアがバタリと完全に閉じ切ってから、少年の顔は仏頂面に戻る。ああ馬鹿らしい。こんなことを続ける親も、言いなりの家政婦も。
少年は今年で十五になった。いつまで経っても変わらない扱いは、ひょっとして一生このままかと、少年に恐怖と慨嘆を抱かせるには十分だった。
少年は欲していた。この愛情という箱庭から逃げ出す術を。
徐に立ち上がり、本を開く。真新しい白封筒から中身を取り出し、もう一度内容を検分した。歩きながら机へ。開いた紙を軽く押さえて、適当なペンを片手にとった。
この手紙がイタズラだとして、その時は鼻で笑ってやれば良い。ただ、不思議な予感がしていた。これから自分の人生が大きく変わるかのような予感が。
少年は紙に自分の名前を記す。柄にもなく、線は歪んでいた。何の変哲もないボールペンのインクが不自然に滲みていく。驚いてよく見ようと手をあげると、途端、少年の眼前に黒い炎が燃え上がった。
「うあっっ!!?」
咄嗟に体を引く。頬に掠った火柱は、不思議なことに熱を感じず、しかしまるで鋭い刃物のような質量を伴っていた。
少年は奥歯をガチリと鳴らして頬を押さえる。次第に静まっていく炎に息を忘れ、目を見開いたまま成り行きを見つめていた。
やがて炎は完全に消え去り、後に残ったのは一枚の古紙だった。少年がその紙を覗き込む。
『
内容を理解して、興奮の息が漏れた。
少年は恐る恐ると手を伸ばし、紙の最下部に書かれた言葉を指でなぞる。それから、どうしようかと。
『___入学準備はお早めに』
◆
少女は怪しい手紙を指でつまんだ。くんくんと嗅いでみても何の香りもしない。むしろ違和感があるほどに無臭なそれを、少女はいかめしい表情で眺めた。
見ながら、何かを思い出そうとする仕草で、胸ほどまであるざんぎり髪がバサリと揺れる。
少女の周りを狸が心配そうに歩き始めたころ、彼女はハッと勢いよく顔を上げた。
「分かった、知ってるぞ! フホウトウキだ!! そうだそうだフホウトウキ! まったく誰だ、こんなところに!!」
やっと思い出したと言わんばかりの大声。そしてビシッと指さすと、少女はなぜか手紙に言い聞かせるようにこんこんと説教を始める。
一方で、突然大声を出した少女に、狸はぴゃっと飛び跳ねた。
少女の声で、他の動物たちが山の奥からどうしたのかと次々歩み出る。その中で、けもの道の傍から顔を出した不思議な生きものが、少女の足に擦り寄った。
彼女は手紙に怒るのをやめて「お?」と見下ろし、ゆっくりとしゃがみ込む。
見ない顔だとまじまじ見つめ、ソレの額にある、まるでお札のような模様に手を伸ばした。
「……はじめて見るな。どうした、どこにいたんだ?」
さわっていいか? と指先で触れると、ソレは懐っこく体を寄せる。
見た目はキツネのようだが、尻尾は猫のようだった。
この不思議な生きものが、少女の勝手知ったる山中の一体どこに身を寄せていたのか。
彼女は髪を揺らしながらまた考えて、手に持っていた手紙のことなどはすっかり頭から離れていた。
ソレが焦れたように何か訴えると、少女は「なんだ?」と眉をひそめる。なにかあるのか周囲を見回していれば、バッと手にあった手紙を咥えとられた。
少女は虚をつかれ瞬く。ひょっとしてコイツのものだったかと眺めると、ソレは器用に封筒から中身を引き出して、たしたしと少女の前に足を置いた。
「な、なんだよ。よめってか……?」
まるで人間のような仕草に、少女は困惑しながら紙を覗き込んだ。
なにやら文字が書いてあることは分かるが、いかんせん少女には学がない。唯一、一番最後に書かれた『氏名』というのが、名前の意だということは知っていた。
これが何だと言うのだ。彼女が文字の上に指を滑らせると、紙が手についた土くずで汚れる。
あっと思いこれを差し出した目の前の生きものを見ると、ソレはいつのまにか黒い棒を咥えていた。
ソレがまるで彼女に差し出すふうに体を揺らす。
だからつい彼女も手を出して、手のひらに転がされた細い棒に、受け取ってから困ってしまった。
「これ、なに……それ? かくのか……?」
手首がやわく咬まれて、紙の方へと導かれる。それから先ほど見た『氏名』のところを示すように見るので、彼女はソレの言うとおりにしてみるかと思った。
手で棒を握りこむ。紙に擦り付ければ黒い跡が残るもので、彼女は不格好な文字を、不慣れなりにどうにか書きつけた。
最後の一画。
それを書き終えた瞬間に黒い炎があがる。少女が反射的に飛び退いた場所は、一瞬で炎に巻き込まれていった。
「っ、……!!?」
少女はそれから、彼女と同じ場所にいた存在を思い出しバッと炎に向きなおる。
まずいと思って少女が足を踏み出すと、彼女を止めるように足にまとわりつくものが居た。
「あっ……お前、いたのか。おどかしやがって!」
はぁーっと大きく息を吐いて、彼女はソレを抱き上げる。炎は存外すぐに収まった。そしてその場には、燃え跡などかけらもない、きれいな紙が一枚だけ。
彼女は腕の中の生きものと共に近づき覗く。やはり中に書かれていることは、少女だけでは読めそうもなかった。
『
首を傾げた少女の腕の中で、クゥンと鳴く声がした。
彼女はその頭を、毛並みに沿って撫でてやる。
そこから離れることも出来ず、「これもフホウトウキか……?」と彼女は自信なさげに呟いた。
『___入学準備はお早めに』
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