2 手紙と手紙と、それから手紙

「楓ぇ! ハピバ!」

「うわっ!?」


 下駄箱で。背後から唐突に肩を組まれ楓はよろめいた。何事かと振り返ると、そこにいたのは友人達だった。

 おはようという挨拶もそこそこに、うぇーい、と肩を組んでいる彼が体重をかけてきて、楓は笑いながら「やめろや」と押し返す。

 離れたのを見計らい靴箱を開け、やいのやいのと騒ぐ彼らを尻目に、なんとか上履きに履き替えて会話を続けた。


「ってか俺の誕生日昨日だし」

「ほら、コイツ休んでたじゃん」

「プレゼント! おら!」

「まじ? ありがとう」

「どういたしまして。早く隠せ」


 早く早くと急かしながら押しつけるように渡された菓子の箱を、教師に見つからないよう楓は通学鞄の中に放り込もうとした。

 鞄のチャックを開けて、思わず勢いよく閉じる。友人は「え?」と不思議そうな顔をしたが、楓はそれを取り繕う余裕もなかった。


 見間違いだ。鞄の中に見えた白い封筒など。

 だってあれは、本来なら昨日捨てられていたはずのあれは、今朝びりびりに破いて今度こそ間違いなく捨てたのだ。どうか、見間違いであってくれ。

 楓は菓子の箱を手に持ったまま、閉じ切った通学鞄を見つめ固まった。そんなふうに顔色を悪くする楓に、友人達はいよいよ困惑し、心配するような声をかける。


「どしたん、虫でもいたか」

「げっ! マジか、ちょ、今だけ離れて」

「まだなんも言ってないだろ……え、ガチで虫?」

「あ、いや、……うん。ムシ、いた」


 楓がややカタコトで言うと、よっぽどの大物がいると思われたらしい。彼らは真面目な顔で「やべえって、コバセン呼ぼーぜ」と話し合い始めた。

 ちなみにコバセンとは、年中ジャージを着ている厳つい顔で有名な生徒指導の小林のことである。彼らにとってコバセンは一番強そうな存在だった。

 いくらゴリラのコバセンでも虫を掴めるとは限らないだろうと楓は思ったが、それはさておき、先生を呼ばれては事態が悪化してしまう。楓は顔をあげ覚悟を決めた表情を見せると、窓際へとずかずか歩いてゆき、音を立てて窓を開けた。


「お、おぉ?」

「楓……!」


 友人達が見守る中、彼は鞄のチャックをジィッ! と開き勢いよく手を突っ込む。そして鞄の中にやはり見えた白い封筒に瞑目しながら、突っ込んだ手で空を握り、外へ何かを放り出す振りをした。


「か、かえでぇ!」

「お前……勇者だよ……」

「後世に語り継ぐわ。手洗ってこい」

「ウン……」


 楓は心底情けない顔でサムズアップした。なんだこれ。よく分からない三文芝居をしてしまったなんとなくの自己嫌悪と、見間違いでなかったあの封筒は楓の気分を酷く落ち込ませていた。

 しかしその日、楓の受難はそれだけでは終わらなかったのである。



「やばい……こわいやばいこわい……!!」


 楓は学校が終わるなり全速力で帰路につく。こわい、やばい、を口の中でぶつぶつと、もはや呪文のように唱えながら鬼気迫る顔で走っていた。

 楓の鞄には、一体何枚あるのか分からないほど例の封筒が詰め込まれている。それらは今日のたった一日で楓が無理やり受け取らされたものだった。


 朝の鞄の中から始まり。教室に着いたら椅子の上。教科書を入れようとして机の中。そして開いた教科書の中。

 ジャージを取ろうとすればロッカーに一枚。さらにジャージ袋にもう一枚。校庭での持久走中、風と紛れて顔に張り付いたり。

 たまたま買った購買パンの裏にも、たまたま開いた図書室の本にも。

 行く先々で楓の視界に映り込む白封筒は、もはや楓には呪いの手紙にしか見えなかった。

 中身はもちろん全て同じで、あの趣味の悪い嫌がらせだ。黒瀬楓殿、としっかり記された手紙を放置するわけにもいかず、楓は片っ端から鞄に詰めてきた。

 燃やそう。家に帰ったらすぐに。いや、現実的に考えれば燃やせないだろうが、とにかく楓はこの手紙を散り散りにさせたかった。


「うあぁあーーー…………っ!!」


 なんで自分がこんな目にあっているのだ。楓は唸りながら疾走する。

 道すがら犬をつれた少女がギョッとした顔で楓を見ていた気もするが、今の楓は周囲に構う暇もなかった。

 ようやく着いた家の前で、楓はガチャガチャと家の鍵をさす。

 鍵の差し込みがあまいまま回そうとして、なぜ回らないのだと焦れながら、抜いてもう一度鍵穴に突っ込んだ。

 やっとの思いでドアが開くと楓は家に飛び込み、ドタバタと部屋に駆け込もうとダイニングに出た。楓の部屋はダイニングに繋がっている。だから入るためには、必ずそこを通る必要があった。


「あぁ、楓。おかえりなさい」


 いつも通りの笑顔で言った母に楓はヒュッと心臓を縮ませる。

 そういえば昨日は夜勤だったから、今日休んでいるのは考えれば分かることだった。それにそうだ、今日は昨日の埋め合わせに楓の誕生日を祝うらしいのだから。

 別に母が居て不都合なことなど何もない。ただ、楓が恐怖したのは、それとは全く別のところであった。


「そ、それ……っ、なんで」

「え? なに、ど、どれ? これ?」


 尋常じゃない楓の様子に、座っている母は困惑しながら机に広げた郵便物をいくつか指し示す。しかしそれには目もくれず、楓の視線はある一点に定まっていた。

 母が今まさに読んでいたらしい、片手に持たれた古めかしい紙と、傍らに置かれた見覚えしかない白封筒。

 今日だけでいくつ見たか分からないその組み合わせは、楓を動揺させるのは十分すぎた。


「もしかしてこれ?」


 手紙を掲げられ、楓はビクついた。頭が真っ白になり、どうしたらいいか分からずにぎこちなく頷く。すると母は楓がそれを知っていることを意外そうに、そして複雑そうに、驚くほどあっさりと言った。


「さっき届いてたの。本当に届くなんて、半信半疑だったけど」


 楓は目をパチクリと瞬かせる。想像よりも普通の反応を返されて、もしかして勘違いをしたのかとすら思った。

 もしあの手紙を母が見たら、もっと違う反応をすると思っていたから。

 確かに、白封筒の手紙くらいなら、ないわけではないし。あの封筒を受け取りすぎて過敏になっていたかもしれない。

 楓は拍子抜けする反面、ホッとした。それならば良かったと。あの奇妙な、黒瀬だかなんだか書かれた手紙が母の目に触れなくて、と。


「ひょっとして楓宛てにも来てた?」

「あ、あー、いや、勘違いかも。なんか、それに似た間違いっぽい手紙、最近あって」

「え? ウチじゃないとこのってこと? 誰宛てだったの?」

「いやえっと、ぉ、お隣さん! そう、お隣さんのが入ってて、でもそれはちゃんとポストに入れといたから」


 楓は慌てて話題を変えようと視線をうろつかせ、それから母の持つ手紙を指差し「中身なんだったん? 手紙」と聞いた。

 母はやや悩む素ぶりを見せてから答える。


「あんたさ、陰陽師とかって分かる?」


 楓は固まった。聞き間違いかと思った。


「あー、あのね、母さんも全然分かんないけどね。うん、どこから話したらいいかな……」


 母はとても困っていた。そりゃそうだと思いながら、楓は頭にあの手紙の文がよぎった。

 貴殿に宿りし陰陽術の素質は、うんたらかんたら。陰陽術。まさか、酷いいたずらだと思っていた。

 そんな現実味に欠けることを他でもない母から言われてしまえば、後に残る希望はこれが実はドッキリだと明かされることくらいで。


「こんなときに、誕生日に話すことでも……ああでも、だからこそ、話したほうが良いのかもね」


 母の言葉はどちらかと言えば、母自身を納得させるため、言い聞かせているようだった。自分から聞き出した手前楓は話を切り上げることも出来ない。

 ただ、恐々と、続く言葉を待った。


「あのね。母さんね、幼馴染がいたの。二人」


 いきなりの話に楓はキョトンとする。しかしすぐに思い至った。父の話をされるのだと。

 幼馴染という言葉は、あの母の部屋で見た写真を思い出すには十分すぎた。

 母はゆっくりと机上にある他の郵便物を片付け、視線で楓も座ったらどうかと対面に促した。

 渋々と座る楓に彼女は顔を向けて、誤解がないよう迷いながら、慎重に言葉を選んでいるようだった。


「楓はね。母さんの息子でしょう? 母さんの息子だけど、同時にあの二人の子どもでもあって、」

「二人?」


 思わず食い気味に聞いて、キョトンとした母に楓は気まずげに目を逸らす。予想と違ったものでとっさに口をついて出てしまった。

 楓は伏せた視線で母の手元を眺めながら、どういうことだと白々しく考える。 薄々、続く言葉は分かっていた。楓は幼い子どもではない。察することは容易で、しかしその答えはどうにも実感の湧かないものだった。

 視界の中では、母が自分自身を落ち着けるように手を静かに擦り合わせていた。


「……そう、二人。ユキとアヤトの。楓はあの二人の子どもで、でも十五年前に私の子どもになった。玄関開けたらね、弁護士さんがいて、赤ん坊抱えててさ」


 あっ、正確には十四年と十一ヶ月前くらいかな、と母が付け足す。楓はそれを曖昧に、他人事のように聞き流した。

 楓が打つ相槌は終始適当であったが、自覚するほどに気のない返事でも、母が気にした素振りはなかった。むしろ母はその態度とは裏腹に饒舌になっていくように思えた。


「遺言状と一緒に楓を手渡された。二人は中学を卒業した後から音信不通で、だから二人が死んだことも、そのとき初めて知ったの。なにも分からずに、ただ、」


 母は唐突にハッとした。それから視線をあげ、楓の顔をようやく見る。かと思えばわざと空気を変えるような明るい声音で笑うので、余りに突然の豹変に、楓は少しギョッとした。


「ふふ、ただねえ、あんたが泣きわめいてたのは覚えてるよ。おんぎゃあー! って」

「赤ちゃんじゃん」

「赤ちゃんよ。こんくらいだった」

「豆より小さいけど」

「豆だったのよアンタ。今まで黙ってたけどね」


 ニヤリと笑う母に、楓は呆れ顔で肩をすくめる。そんな訳はない。楓は人間だ。 空気が少し和らいで、いつも通りの母に楓は内心ホッとする。母も心なしか安心したような面持ちで、立ち上がりながら楓に言った。


「ちょっと早いけど、ご飯にしよっか。しんみりしちゃってヤんなるわ。続きは食べながらね」

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