市松聖女(2)

「アレクシオ。君を『聖女様の付き人』に任ずる」


 人事を担当する神官の執務室に呼ばれ、いよいよ配属先の教会が決まったのかと期待に胸膨らませて向かえば、告げられた言葉にアレクシオは目を見開く。


「お、お待ちください! 僕はまだ神官になったばかりですよ!?」


「わかっている。配属先を決めるのに時間がかかってすまなかったな。さっそく勤めに向かいなさい」


「いえ、あの、聖女様の付き人というのは、本来もっと熟練の神官が務めるものなのでは——」


「アレクシオ神官」


「……はい」


「主の使徒たる聖女様にお仕えすることは、我ら神官の務め。その誓いに経験など関係ない。お前はもう見習いではなく、名実共に神官となったのだ。心してかかるように」


 聖女様の付き人といえば、聖女にこの世界のことを教え、補佐する導き手のような存在。自分のような若輩者に、などと思うけれど、神官の目にアレクシオは「……はい、承知しました」と一言を最後に口を噤んだ。


 神官たちが寝食を過ごす宿舎が大神殿とは建物を分けているのに対し、聖女の部屋は大神殿内部の一角にある。


 ノックしようと丸めた手を上げ、アレクシオはハッとする。


「そうだ。もしかしたら目覚めに喉を潤したいと思われるかもしれない」


 飲み水を取りに行って、再び部屋の前に戻る。手を上げて、


「あ、朝食も用意した方がいいかもしれない」


 再びその場を離れ、パンとスープ、果実を沈めた水を乗せたトレーを持って戻る。


「あ、顔を洗うための水も用意した方がいいかな。それにブラシとか、あと——」


 そんな風に部屋の前を行ったり来たり。


「…………ふぅ、しっかりしろ。勤めを果たさなければ」


 持ちきれないほど増えてしまった荷物を一旦横に置き、心持ちから切り替えて背筋を伸ばしてアレクシオはようやく扉をノックした。


「…………聖女様?」


 呼びかけても扉は沈黙したままで、いきなり第一歩から肩透かしをくらった。


「失礼します」


 おそるおそると扉を開く。大神殿設立当時からたった一人のためにあつらえた、リビングとベッドルームの二間の広々とした客室は、王侯貴族を招いても申し分ないほど。南向きの窓から部屋全体に柔らかな光が入る様に考慮された作りになっているのだが、窓は全てカーテンで閉め切られ、ぼんやりとした薄暗さに包まれていた。そのせいか、外は日和だというのに肌寒さを感じる。


 足元に気を配りながらベッドルームへ向かう。リビングよりも一層暗く、まだ慣れていない目で把握するのは容易でなかった。


 そんな暗闇の中で、はっきりと目にした存在にぎくりと体が強張る。


 ベッドの上に、出迎えるように体を向けて足を伸ばして座る人形がいた。


 両脇の腕から蝶の羽のように広がる丸っこい花柄の赤い振袖。慎ましく笑う小さな口にふっくらと子どものように丸みのある白い頬。瞬き一つしないぱっちりと開いたつぶらな瞳。


 この国の物とは少々異なる趣のある人形に威圧されるも、飛び出してしまいそうな鼓動を胸に手をあて押さえ込み、アレクシオは深呼吸する。


「おはようございます聖女様!」


 無言。


 人形遊びなどとうに卒業した身。普通なら、返事を求めて人形に話しかけたりはしない。けれどアレクシオは、彼女が動き、喋るのをしかと見て聞いている。


「聖女様? あの、せ——」


「こんのっぼんくらがぁああああああ!!」


「うわぁああああああ!?」


 伸び上がった大量の髪に押し流される。瞬く間に部屋中に張り巡らされた髪の毛に、絡め取られて天井から逆さ吊りにされたアレクシオは目を白黒させた。


「……なんだ夢か」


「ね、寝ていらしゃったんですね……」


 巻き付いていた髪が解け、アレクシオは背中から床に落ちた。


 しゅるりと髪の毛が聖女の背に元通りに収まると同時に、床に転がるアレクシオに今気づいたというように目を向ける。


「懲りずにまたよこしたの」


 彼女の顔は口以外動かず、言葉と声色で雰囲気を感じ取るしかなかった。


 冷めた声にアレクシオは慌てて立ち上がる。


「本日付けでお仕えすることになりました、アレクシオと申します」


「ふーん……まあ、いいわ」


 アレクシオは、部屋の暗さをどうにかしようと窓に近づいた。


「聖女様、ご朝食、はッ!?」


 振り返ってアレクシオは思わずカーテンを強く握り締め縋りついた。


 聖女の体は動かず、頭だけが真逆になってアレクシオに向いていた。


人形ワタシが食べるわけないでしょ」


「そ、そうですか」


 ゆっくりと窓から離れるアレクシオを追って、頭が動く。体と頭の向きが揃う位置で立ち止まり、アレクシオはほっと息をついた。


「事情については、すでに神官長より説明がなされていると聞きました。それで、今後の予定についてなのですが、聖女様にはまず、森の——」


「ワタシ『聖女』なんてやらないわよ」


「……え?」


 アレクシオは一瞬、自分の耳を疑った。聖女として喚ばれた彼女を、アレクシオはすでに『聖女』として認識していた。なのに、聖女自身がそれを否定する。


「あなたは、我々の祈りに応えてくれたのでは」


「まさか」


 困惑するアレクシオを見て、聖女の髪が波立ちシーツを打つ。


「なんでワタシが人間なんかの為に」


 光の気配よりも遥かに濃い禍々しさ。微笑む口元は不安を誘い、黒々したまなこが恨めしそうに見上げている。


「オマエも神官なら、ワタシがどういうモノか、視えているのでしょ」


 見習い時代、師に伴って見た悪霊に似ていた。血の涙を流しながら罵詈雑言を撒き散らし、全てを呪って不吉を招く。


 人に害を与えるというなら、それを浄化するのは神官の務め。


「けれど、あなたは聖女様で——」


「ワタシをそう呼んでるのオマエだけよ」


 聖女は鼻で笑った。


「聖女がどうのこのと話はしても、ワタシがそうだと思ってるやつはいないのでしょ」


 儀式をやり直すべきではないか、という声は確かにある。しかし、アプロネス神が聖痕を与えた者を放置することはありえないし、二度目の儀式など前例がないと否定的な意見が多い。


 彼女が想定外の存在であり、大神殿が扱いを持て余しているのは事実。


「それは……それは違います。きっと他の神官たちは、あなたがまだ『示しの儀』を行なっていないから、あえて呼称を避けているのです」


 アレクシオは窓の外に広がる街を見た。


 現時点で、大神殿は儀式を行ったことも聖女が召喚されたことも公にはしていない。それは今代の聖女が彼女だからではなく、慣例だからだ。


 聖女として喚ばれた者は、第一の試練として『示しの儀』を行なって初めて、正式に『聖女』として認められ、世間に公表されるのだ。


 そうだ。そのために、自分は聖女の付き人としてしっかり役目を果たさなければならない。


 アレクシオはグッと拳を握り、背筋を伸ばす。


「ですから聖女様はまず、ってあれ?」


 せっかく引き締めた顔が、何もないベッドの上を見て崩れる。


 聖女の姿が、ない。


「聖女様?」


 部屋中を見回すがどこにもいない。家具の影にも、カーテンの裏にも、天井にも。


「ど、どこに、聖女様ぁー!!」

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市松聖女 花見川港 @hanamigawaminato

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