第十一話 花蛍雲雀

 一面真っ白な精神世界。中央にそびえ立つ大木の下で、幼い少女の姿をしたEvaが木々の枝で揺れている色とりどりの光を放つ葉を指さしていた。


「襍、縺ゅ♀縺阪>繧」


 葉を指さしながらなにかを呟いている。その後ろ姿を眺めながら、円椛はEvaに向かって歩き出した。この前見たときよりも背丈が低く、幼く見えるのは気のせいだろうか。


「Eva?」


 Evaが振り返る。夢の中でEvaに会えているということは、なにかあったのではないだろうか。そう思った通り、円椛は振り返ったEvaを見て、目を見開いた。


 その姿は幼いころの円椛にそっくりだった。この前までは背丈も髪の長さもすべて同じ、まるでコピーのようにすべてが同じだったのに、今目の前にいるEvaは十代にも満たない子供のころの円椛の姿によく似ていて、あどけない顔をしていた。


「……縮んだ……?」


「まどか、莨壹>縺ォ縺阪※縺上l縺」


 相変わらずなにを言っているのか全く理解できないが、「まどか」と名前を呼んだことだけはわかった。この前教えたことを覚えているようだ。


「螟ァ荳亥、ォ?」


 Evaが円椛の顔を覗き込む。幼いころの円椛にそっくりな姿をしているが、声は聞いたことのない、幼い少女の声だ。


「……助けてくれて、ありがとう」

「縺薙%遏・繧峨↑縺縺薙→縺ー縺九j」


 礼を言ったが、Evaはそれを理解していない様子だ。意思疎通が取れるのか取れないのかわからない。


「私をここに呼んだのは、なにか用があるから?」


「繧医¥繧上°繧峨↑縺」


 問いかけても答えは返ってこない。問いかけに応えている様子ではないからだ。円椛は小さく息をつく。


「繧ゅ▲縺ィ遏・繧翫◆縺」


 円椛は自室で目を覚ました。目覚まし時計が鳴っている。窓から差し込む日光を見て、円椛は大きく伸びをすると、ベッドから降りて準備を始めた。


    ◇


「Evaの姿が変わった?」


 準備を終わらせた円椛は教員室にいるティラノ先生に会いに行った。相変わらず本が乱雑に放置されている教員室は埃っぽく、ピンク色のティラノサウルスの着ぐるみはまったく似合わない。ピンク色のティラノサウルスの着ぐるみが似合う場所なんて、テーマパークぐらいしかないのだろうが。


「はい。前は私を鏡うつしにしたみたいにすべてがそっくりで、真っ白だったんですけど、昨日、夢であった時は私の幼少期の見た目をしていて……それから、前から気になっていたんですけど、姿は私そっくりなのに、声は違うんです。聞いたことのない、幼い女の子みたいな声で……」


「ふむ。それは君の中でEvaのイメージが変わったからじゃないかな?」


「イメージが変わった?」


「Evaと初めて会った時、Evaはどんな姿をしてた?」


「光の玉……みたいな姿でした」


「そこから円椛にそっくりな姿になった」


「はい」


「それはたぶん、Evaが円椛の姿を模倣したから。昨日、夢羽が言っていた通り、精神体というものは、こういうふうに見られたいというその人の意識やイメージの具現化。円椛はEvaの本当の姿を知らないし、最初はなにもわからなかったから、特定の姿を持たない、光の玉のような姿に見えていたんだろうけれど、Evaが円椛の姿を模倣するという選択をしたことで、そう見えるようになった。ただ、Evaのことを知っていく中で、円椛はEvaに対して『幼い少女』というイメージを持つようになった。Evaの本当の姿を知らない円椛は、自分の中で勝手にEvaの姿を『幼い少女』に近づけたから、Evaの姿がそれに影響されて、『幼少期の円椛』になったんだろうね。声が円椛の声じゃないのは、円椛の中で一番印象に残っているのが一番最初に聞いたEvaの声だからだよ。それもきっと円椛の中の勝手なイメージでしかないと思うけど。わかった?」


「な、なんとなく……?」


「まあ、別に精神体の見た目なんて見る人によって変わるんだから、あんまり気にしなくていいよ。現実世界での見た目と、見る人の勝手なイメージと、こう見られたいというその人の意思、その三つが混ざり合った結果だからね」


「……一つ、気になったんですが」


「なに?」


「Evaの本当の姿って、どんな姿なんですか?」


 円椛の質問にティラノ先生が黙り込んだ。円椛が不思議に思って首を傾げる。


「……知らない」


「え?」


「仮想兵器は精神世界でしか存在しない兵器なんだ。人間とは違う。だから、仮想兵器の現実世界の姿なんてない。あるのはただの器だけ」


「……そういうものなんですか」


「そう。そういうもの」


 そう言うと、ティラノ先生は椅子から立ち上がった。


「さて。午前中、俺は仕事に行くから各自自由時間。俺が帰ってきたら授業を始めよう。円椛、朝ごはんは食べた?」


「まだです」


「じゃあ、食堂のフレンチトーストがおすすめ。美味しいよ」


 ティラノ先生が「それに」と言葉を続ける。


「今の時間に食堂に行ったら、珍しい人に会えるかも……?」


 ティラノ先生はひらひらと円椛に手を振ると、教員室を後にした。



 円椛はティラノ先生に言われた通りに食堂に行った。SDJO養成所の食堂は別棟の一階にあり、大きいとは言えないが、とても綺麗で設備が整っている。食堂のおばちゃんはとても気さくで、円椛がフレンチトーストを頼みに行くと


「あら! 噂の新入りさんね! サービスしちゃう!」


 とデザートのイチゴをおまけしてくれた。食堂のテーブルでフレンチトーストを食べる。ティラノ先生が言う通り、甘くてとても美味しい。


 円椛が美味しそうにフレンチトーストを食べていると、食堂に人が入ってくる気配がして円椛が食堂の入り口を見る。入ってきたのは、背の低い、幼女だった。


 ピンク色の腰まで伸びた長い髪をツーサイドアップにして、猫のような印象を思わせるつり目に紫色の瞳。身長は低く、十代にも満たない幼女に見えるが、SDJO養成所の制服を着ており、ブレザーの襟とスカートはピンクとグレーのチェック柄だった。ちゃんと青色のネクタイをつけており、足を黒いタイツで隠している。


 円椛は思わずその幼女を目で追ったが、その子は円椛に一瞥もくれずに食堂のカウンターに向かうと、おばちゃんに「フレンチトースト」とだけ言って、円椛の近くのテーブルについた。


「なに?」


「え?」


 唐突に声を掛けられ、円椛が間の抜けた声を出す。幼女は円椛の方を見ようとはせず、ポケットからスマホを取り出して画面を見始めた。


「さっきから、人のことをジロジロ見てる。不愉快」


「え、えっと……ごめんなさい」


 可愛らしい見た目と声をしているが、言葉が刺々しい。


「……別に、慣れてる。新入り?」


「は、はい。そうです」


花蛍雲雀はなほたるひばり。二年」


「二年⁈」


 円椛が思わず声をあげる。雲雀はどこをどう見ても、円椛より年上だとは思えない。雲雀は怪訝そうな表情を浮かべ、ようやく円椛のほうを向いた。


「あ、えっと、ごめんなさい……。玄霧円椛です」


「知ってる」


 会話が途切れる。気まずい沈黙が流れ、居心地が悪い。


「……見た目」


「え?」


「こんなだけど、ちゃんと十七歳だから」


「あ、はい……」


「あ、円椛がいる~」


 十彩の声が聞こえ出入り口の方を見ると、十彩が円椛に手を振っていた。後ろに酷く眠そうな眞音もいる。


「雲雀先輩もいる! 帰って来たんですかぁ?」


「……見てわからない?」


 すると、雲雀は立ち上がり、カウンターに向かうとおばちゃんからフレンチトーストを受け取って、そのまま食堂から出て行ってしまった。


「ありゃりゃ。相変わらずだなぁ。おはよう、円椛。雲雀先輩、帰って来たんだねぇ」


「おはよう。私、なにか悪いことしたかな」


「違うよぉ。雲雀先輩はいつもあんな感じぃ。たぶん、僕のことが嫌いなんだと思うよぉ」


「どうして?」


「男の人が苦手なんだろうねぇ。言葉は刺々しいけど、いい人だよぉ。強いしねぇ」


「強いんだ……」


「雲雀先輩ね、あれ以上身体が成長しないんだってぇ」


 それ以上の詮索を許さないような、そもそも知らないというような言い方だった。


「円椛、この後どうするのぉ?」


「昨日、夢羽先輩に教えてもらったことを試したくて。仮想世界で訓練でもしようかなって」


「仮想世界への入り方、わかる?」


 ようやく目が覚めてきた様子の眞音が問いかけて来た。


「わかるよ。ティラノ先生が教えてくれた。本棟五階のディメンションルームの機械で、なんかこう……色々する」


「ほんとに大丈夫ぅ?」


「ついていきたいけど……俺らこれから実習訓練なんだよね」


「また?」


「円椛はまだ行っちゃダメって言われてるじゃん? なにが起るかわからないから、ティラノ先生が引率してないとダメだってぇ」


「いってらっしゃい。気をつけてね」


「うん。ありがとう」


 眞音と十彩が食堂を後にする。残された円椛は食堂のおばちゃんに一言「ごちそうさまでした」と声をかけ、食堂を後にした。

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