第十話 恐怖の牙

 円椛と夢羽、ティラノ先生がトレーニングルームを出ていった後、眞音と十彩、吾郎は組手を始めていた。


 吾郎が二人を挑発するように指を動かし、二人が一斉に吾郎に襲い掛かる。十彩が吾郎に殴りかかり、吾郎がその拳を片腕で受け止めると、十彩の顔面に向かって殴りかかった。十彩が咄嗟にそれを両腕で受け止め、吾郎はがら空きになった十彩の胴に殴りかかる。


 だが、吾郎の後ろに回り込んでいた眞音が吾郎に殴りかかり、それに気が付いた吾郎が十彩を殴るのをやめ、腕を後ろに振った。


 十彩が後ろ向きにのけぞって吾郎の腕を避け、吾郎の注目が眞音に向かった隙を見て吾郎の腕を振り払うと、吾郎の右頬を殴りつけた。


「……へえ。一発入れれるようになったのか」


 吾郎が十彩に殴られたにも関わらず余裕そうな声で呟き、十彩が気が付くよりも早くに十彩の腹に回し蹴りをくらわせ、十彩の身体が後ろに飛ぶ。すると、眞音がジャンプして吾郎の肩に乗り、そのまま両足で首を絞めた。


 両足の力を強め、吾郎を締め落そうとする眞音の胸ぐらを吾郎が手を伸ばして掴み、そのまま眞音の身体を軽々と片手で持ち上げると、背中から地面に叩きつけた。


「がっ‼」


 背中を強く叩きつけた眞音の口から苦しげな声が漏れる。眞音が目を開けると、目の前に吾郎の大きな拳が目の前に迫っていた。


 眞音がその拳が顔面に当たることを覚悟して目を閉じる。だが、来るであろう衝撃は来ず、恐る恐る目を開けると、吾郎の拳は眞音の目の前で止まっていた。


「さすがに鼻の骨折るわけにはいかねーからな」


 吾郎が笑いながら拳を引き、倒れている眞音に手を差し出した。眞音は苦笑しながらその手を取る。


「やっぱり、勝てないですね」


「一発入れれるようになったんだから、進歩だろ」


「ね~えぇ。僕のこと忘れてなぁい?」


 吾郎に手伝われて立ち上がった眞音に、吾郎に吹っ飛ばされて先ほどまで倒れていた十彩が不服そうに言った。


「ゴロー先輩に一発入れたの、僕だってこと忘れないでよねぇ? ていうか、身体のあちこち痛いんですけどぉ、ゴロー先輩」


「痛い分だけ強くなんだよ。そんなんでへこたれてたら、楽先輩に勝つなんて夢物語だろーよ」


「耳が痛いですね」


 すると、吾郎が何かを思い出したような顔をしてベンチの方を向いた。


「夢羽先輩‼ 見ててくれましたか⁉」


 だが、ベンチには誰もおらず、吾郎が「あれ?」と間の抜けた声を出す。


「夢羽先輩たちは組手が始まったあたりから出ていきましたよぉ」


「なんだと⁈」


「ティラノ先生に連れていかれたから、なにかしてるんじゃないですか?」


「なにかってぇ?」


「そうだな……仮想兵器についてのお勉強、とか」


 眞音が呟いた瞬間、吾郎が唐突に走り出した。


「夢羽先輩‼ 俺を褒めてくださいっ‼」


 叫びながら部屋を飛び出していった吾郎に取り残された二人は、しばらく呆然と部屋の扉を眺めた後、お互いに目を合わせて息をついた。


    ◇


 仮想世界に入った円椛はあたりに広がる酷く無機質な世界を見回した。足元には真っ白な地面が広がっており、様々な色に変化する不思議な空間が広がっている。夢羽とティラノ先生の姿はない。まだ来ていないようだ。


「円椛ちゃん」


 聞こえた声に振り返る。そこには夢羽が立っていた。水色のラインが入った真っ白なノースリーブのワンピースに、同じく真っ白なショートブーツを身に着けた夢羽は、一見天使のように見えた。


 そして、現実世界では固く閉ざされていた両目は開かれ、ライトブルーの瞳に浮かび上がる、白い銃の照準のような模様。その姿は不思議だが、とても神聖だ。


「わあ! やっぱり可愛い!」


「見えてるんですか」


「うん。精神世界の精神体は、その人が他人にこう見られたいと思っている姿を映し出すの。だから、円椛ちゃんが私に見てほしいと思ってくれさえいれば、見ることは可能なんだよ。ただ、私は本当の円椛ちゃんの姿を知らないから、私の勝手なイメージと、円椛ちゃんの意識が混ざり合ってしまって、私の目に映っている円椛ちゃんが本当の円椛ちゃんなのかはわからないのだけど。私は現実のものを知らないから、その人がこう見られたいと思う意思が強ければ強いほどそれに影響されるしね」


 夢羽は少し悲しそうに笑った。


「私の目に映る世界は、すべて私のイメージと想像、見ている人の意思の具現化でしかないの。私は現実にある本当の姿を見ることは叶わないから」


 その時、夢羽の隣にもう一人の人物が現れた。


「あ、コジロー。やっと来たのね」


「え、コジロー⁈」


 夢羽の隣に現れたコジローは、背の高い男の姿をしていた。黒髪の短髪に黒い肌、黒い瞳。着ている白衣のような服は下の方が黒く染まっており、白衣の下には長袖のシャツに黒いスーツのズボンを履いている。頭には黒いラブラドルレトリバーの耳が生え、尻尾が生えており、犬の口輪をつけていた。現実世界の犬の姿からはまったく想像できない姿をしている。


「ひ、人型……⁈」


「コジローはただの犬じゃなくて仮想兵器だからね。精神世界での姿がどんなものでもおかしくないよ。まあ、びっくりするよね」


 コジローは酷く無表情で円椛をじっと見つめたままピクリとも動かない。その姿はあまりにも人間離れしていて不気味に思える。


「コジロー、警戒しないの。円椛ちゃんはいい子だよ」


 夢羽がコジローに手を伸ばすと、コジローは大人しく夢羽の身長に合わせてしゃがみ、夢羽に頭を撫でられる。その様子は忠実な忠犬に見えるが、異様な光景だった。


『あー、あー。聞こえてますかぁ?』


 どこからともなくティラノ先生の声が聞こえてきたが、あたりを見回してもティラノ先生の姿はない。


『外部から声をかけてるから僕の姿を探してもいないよ。さて、説明等々は終わったかな?』


「えぇ。終わりましたよ。私は円椛ちゃんとなにをしたらいいのですか?」


『円椛もだいぶこっちの世界で動けるようになってきたからね。夢羽は先輩として、円椛の相手をしてあげてよ。ただし、コジローを使うのは、なし』


「あら。大丈夫かしら。私、ちゃんと円椛ちゃんの相手できるかなぁ」


『大丈夫、大丈夫。さて、円椛。話は聞いていたね?』


「夢羽先輩が相手をしてくれるんですよね?」


『お、余裕?』


「いえ……さすがに先輩には敵わないと思いますけど……」


「大丈夫だよ、円椛ちゃん。私はコジローがいないと本当になにもできないんだから」


 そう言った夢羽の手元に二丁の拳銃が出現した。銀色の銃が光沢を放っている。円椛もそれに倣って、手元に剣を出現させた。


『それじゃあ、始めよう。ただしやりすぎは禁物。よーい、スタート‼』


 ティラノ先生の合図で夢羽が銃を円椛に向け、撃った。円椛も夢羽に向かって走り出し、撃ち出された二つの弾丸を容易く避ける。


「あまい」


 だが、狙いを大きく外して円椛の後ろに飛んでいった弾丸は突如軌道を変え、円椛に向かって戻ってきた。ありえない弾丸の軌道にぎょっとしながら、円椛は咄嗟に剣で弾丸を弾く。


「ここは仮想世界。現実世界じゃありえないことも、想像力さえあればできてしまう。見えないのもだって見えるんだから」


 夢羽が立て続けに四発銃弾を撃ち出し、円椛が剣で弾を弾こうと身構えた。だが、弾は唐突に軌道を変え、四方向から円椛を取り囲むように飛んでくる。円椛は咄嗟にその場で大きく飛び上がり、銃弾は地面に穴をあけた。


「っ……! やっぱり普通に強い」


 思わずつぶやいた円椛の声をかき消すように銃声が響き、銃弾が飛び上がった円椛を追ってくる。空中で体勢を変えた円椛は、向かってくる銃弾の方を向き、剣を構えた。


「現実世界じゃできないことも、ここならできる……」


 円椛は剣を握る手に力を込めると、飛んで来た銃弾に向かって剣を振った。剣は銃弾をすべて弾き飛ばし、眼下の夢羽が感嘆の声を漏らす。


「すごい!」


 次の瞬間、夢羽の足元に円椛が弾き飛ばした銃弾が飛んで来た。夢羽が驚きながら後ずさり、地面に穴が開く。


「……やっぱり、ティラノ先生ってすごいね」


 夢羽が地面の穴を見て呟き、はっとして上を見上げると、円椛が夢羽に向かって落下してきていた。剣の刀身が輝き、夢羽のことを狙っている。夢羽が円椛に向かって発砲したが、円椛は空中でそれを避け、夢羽に向かって剣を振りかぶった。


 剣が夢羽に当たる寸前、夢羽は円椛に向かって微笑んでいたが、なにかに気が付いた様子で目を見開いた。


「だめっ‼ 待って、コジローッ‼」


 夢羽が叫んだ瞬間、夢羽の目の前に迫っていた円椛の前に、コジローが飛び出してきて、口に嵌められている口輪を外した。


 視界が闇に呑まれる。なにが起こったか理解ができない。暗闇の中になにかが浮かび上がる。それは、大きな口。鋭い牙が身体を貫き、円椛のことを呑み込む。


「逶ョ繧定ヲ壹∪縺励※」


 唐突に聞えてきた声で円椛が我に返った。先ほどまで夢羽の目の前まで迫っていた円椛は地面に両膝をついた状態で、自分が手にしている剣の刃を自分の首に付きつけていた。


「っ……はあっ‼」


 唐突に息苦しさが襲い、円椛が剣を取り落して首を押さえた。まるで、先ほどまで息の仕方を忘れていたかのようだ。脳が麻痺したように身体がいうことを聞かず、手足の震えが止まらない。混乱する円椛の中で大輪の花を咲かせているのは、恐怖という感情だった。


「円椛ちゃん‼ 大丈夫⁈」


 夢羽が慌てた様子で円椛に駆け寄ってきて身体を支えてくれる。まだ呼吸が整わず、酷く咳き込んだ円椛の背中をさすりながら、夢羽は申し訳なさそうな表情をしていた。


「ごめんね、ごめんね、円椛ちゃん。落ち着いて、落ち着いて呼吸をして。大丈夫。大丈夫だから」


 夢羽が円椛を優しく抱きしめる。次第に呼吸が整い、手足の震えが収まってきた円椛が顔をあげると、二人から少し離れたところで、無表情なコジローがこちらをじっと見つめていた。


「……いったい……なにが……」


『円椛、大丈夫? 生きてる?』


 ティラノ先生の声が聞こえて来た。


『生きてるね。よかった、よかった』


「全然良くないですよ‼ やっぱり私が相手をするのはダメです! コジローが邪魔しちゃう……」


『まあ、仕方ないよね。仮想兵器Cerberusは夢羽を守るための兵器。夢羽に危険が迫ったら、守ろうとするのが普通だよね』


「もう! コジロー! こっち来なさい‼」


 夢羽がコジローを呼びつけ、コジローが大人しくこちらに歩いてくる。円椛はこちらに向かってくるコジローに恐怖を覚え、身体がビクリと震えた。


「円椛ちゃんはいい子だって言ったでしょう!」


『まあまあ、夢羽。そんなに怒らないであげてよ。コジローは君のためを思っただけなんだから。さて、円椛。大丈夫かな?』


「……はい。もう、大丈夫です」


『君が見舞われた状況を説明してあげよう』


 夢羽は頬を膨らませ、コジローを叱りつけている。ティラノ先生が話を続けた。


『仮想兵器Cerberusの能力は精神汚染。口輪を外すことで対象の精神に恐怖を植え付け、精神を汚染し、自己破壊させる。さっき円椛が自分に剣を向けていたのはそういうこと。いまもまだ、コジローが怖いでしょ?』


「はい……」


『仮想兵器は基本的に他人の精神に干渉する能力を持っている。でもね、コジローは仮想兵器の中でも不完全体。なぜなら夢羽しか守れないから』


「夢羽先輩しか守れない?」


『そういう作りなんだよ。言ってしまえば夢羽がコジローのリミッター。本当はEvaの能力を仮想兵器に用いたらどうなるのか見てみたかったけど……これ以上Evaを怒らせるのはやめよう。よかったね、円椛。君はEvaに大層気に入られている。さっき、Evaが助けてくれなかったら、君は自分の喉を自分の剣で貫いていた。そうなれば、しばらく心神喪失する恐れがあったかもね』


 さっき聞こえて来た声はEvaだったのか。最近は夢の中にも出てこないと思っていたが、円椛が大層気に入られているというのはどういう意味だろう。


『でも、これでわかったかな? 仮想兵器の力が如何に強力か。今日はこのぐらいにしておこう。二人とも、戻っておいで』


「円椛ちゃん、本当にごめんね」


「大丈夫、大丈夫ですよ」


 円椛は申し訳なさそうに誤ってくる夢羽に対して笑顔を浮かべたが、指先の震えはまだ治まっていなかった。

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