第九話 夢羽と吾郎

「Evaの能力は触れた対象のリミッター解除。まあ、大方予想通りだね」


 SDJO養成所に戻ってきた円椛に、ティラノ先生は特に驚いた様子もなく言った。


「リミッター解除……ですか?」


「簡単に言えば限界突破。円椛が触れた人の能力の限界を超えた力を発揮させる。とても強い力だけど、あまり使わない方がいいね」


「どうしてですか?」


「精神世界においてデバッカーが扱う武器や能力はすべてその人のイメージや潜在意識、抱えきれない衝動などの具現化。それのリミッターを解除するということは、理性をぶち壊すことに近しいんだよ。リミッターを解除して能力を使い続けると、脳がそれに耐えられなくなって、精神崩壊、または脳死などなど、悪影響を及ぼす可能性が高い。それはEvaの器である円椛も同様。仮想兵器の力はとても強力で、本来なら仮想兵器用の器があるんだから。Eva能力を使いすぎたら、負荷に耐え切れなくなった円椛の脳が弾け飛ぶよ。嫌でしょ?」


 自分の脳が弾け飛ぶグロテスクな想像をしてしまった円椛は、青冷めて激しく首を縦に振った。


「そういうわけで、円椛はEvaの能力に頼るのではなく、自分の力で戦えるようになれなきゃならない。自分の身は自分で守らないとね。いくらEvaの能力が強力でも、いつも眞音や十彩に担がれてるわけにはいかないでしょ?」


「そうですね……」


「はい! ということで、円椛には明日から僕とのマンツーマン授業を受けてもらいまーす! 精神世界での戦い方、デバッカーの力の使い方、ぜーんぶ手取り足取りで教えてあげるよ♪」


 翌日から円椛とティラノ先生のマンツーマン授業が始まった。同じく一年生の眞音と十彩は実習訓練という名の任務に行っているらしい。


 SDJOが人間の精神世界を模倣し、人工的に作り出した仮想世界で、円椛とティラノ先生は向かい合って立っている。円椛は昨日精神世界に入った時と同様に服が変わり、髪の色と瞳の色が白黒のツートンになっているが、ティラノ先生の姿は現実世界と変わらない、ピンク色のティラノサウルスの着ぐるみだった。


「さて始めよう。昨日も言った通り、デバッカーが精神世界で使う武器や能力は、その人のイメージや潜在意識、抱えきれない衝動などの具現化。だから、精神世界で『武器!』って思えば、なにかしら出るはずだよ」


 飄々と言ってのけたティラノ先生に、円椛が拍子抜けする。「武器!」と思えば出る、なんてあまりにも簡単に言うが、本当にそんなことできるのだろうか。


「ものは試しだよ! まあ、精神世界なんてイメージの具現化だから、やろうと思えばできるんだよ」


 簡単に言ってくれる……。そう思いながら、円椛は目を閉じ、心の中で「武器、武器、武器……」と何度か唱える。すると、唐突に円椛の手元に剣が現れた。


「わっ!」


 円椛が慌ててそれを手に取る。円椛の手に握られた剣は、刀身も柄もすべて真っ白で、淡い光を放っていた。定期的に刀身に光の線が浮かび上がり、柄に向かって登っていく。


「おお。簡単に出したね。円椛、センスあるんじゃない? 剣ね。円椛にぴったりな武器だ。なにごとにも真っすぐで、正義感の強い円椛にね」


 自分の手元に現れた白い剣を円椛はまじまじと見つめる。


「さて、今日からその武器の使い方と精神世界での立ち回り方をみっちり教えてあげるからね! ただし、さっき言った通り、精神世界はイメージの具現化。なにも知らなければイメージすることも叶わない。じゃあ、精神世界で戦おうと思った時、いちばん手っ取り早く動けるようになるには、どうしたらいいかわかる?」


「……わからないです」


「簡単なことだよ。現実世界で学べばいい。現実で出来ることが精神世界で出来ないなんてあり得ないんだから。なんなら現実世界で出来ないことでも精神世界ではできる。つまり、これから円椛は精神世界での立ち回りを学びながら、現実世界でも動けるようになってもらいまーす」


 そんな無茶な……と言いたいのをぐっとこらえる。ティラノ先生の言うことは的を得ており、反論の余地はない。


「まずは体力をつけて、基礎を学んでもらう。基礎からの応用が精神世界でのすべてだからね。精神世界でなによりも重要なのは想像力と精神力。だけど、僕は常々思っているんだ。強靭な精神は強靭な肉体から。なので……」


 言葉を区切ったティラノ先生に、着ぐるみで表情が見えないにも関わらず、円椛はティラノ先生が不敵な笑みを浮かべているように感じた。


「女の子だろうと関係なく、しごきます♪」


 その日からティラノ先生によるしごきが始まった。SDJO養成所のトレーニングルームやジムで基礎体力を作るための運動をし、ティラノ先生と組手をする。ティラノ先生が円椛に教えたのは合気道に近い動きだった。


「女の子は力が弱いから、体の柔軟性と力の使いようでカバーする方がいいよ」


 ティラノ先生は着ぐるみを着ているにも関わらず、プロ並みの動きで円椛の指導をした。どこまでも器用で、よくわからない人だ。


 それと共に精神世界での立ち回りの指導も受けた。現実世界よりも身体能力は向上し、現実世界以上のことができるが、想像力が伴わないと身体が思うようには動かない。また、SDJOが人間の精神世界に出現するバグを模倣して作り出した仮想敵との訓練の際、負傷したりすると、現実世界に戻った時に身体がだるかったり、頭が重たかった。


「精神体が負傷すると精神に影響が出るわけだから、メンタル的にキツイよ。だからデバッカーは精神力も必要なのさ。強い心がね」


 ティラノ先生のマンツーマン授業は約一か月近く続き、円椛がSDJO養成所に慣れ、現実世界でも精神世界でも動けるようになってきた頃、ティラノ先生は円椛が眞音と十彩と同じ授業を行うことと、実習訓練への参加を許可した。


    ◇


 円椛、十彩、眞音は、SDJO養成所の別棟、トレーニングルームに向かっていた。三人とも制服ではなく、動きやすい恰好をしている。


 眞音はいつもブレザーの下に来ている猫耳フードのついた黒いパーカーに、黄緑色のラインが入った黒いジャージのズボンをはいている。いつも首に下げている大きなヘッドホンはつけておらず、緑色のイヤホンを左耳だけにつけていた。


 十彩はいつもと同じ黒いヘアバンドをつけ、不思議なイラストがプリントされた白い半袖のTシャツの下に黒い長袖のインナーを着ていて、ピンク色のロゴが大きく書かれたダボっとした青色のズボンを履いている。


 円椛は薄い水色のパーカーを着て、グレーのショートパンツに黒いタイツを履いた、シンプルな恰好だった。


「ようやく円椛と一緒に実習訓練に行けるのかと思ったのにぃ。今日は各自訓練なんてつまんなぁい」


「ティラノ先生が仕事にかり出されてるんだから、しょうがないでしょ。円椛もだいぶ動けるようになってるし、組手でもしたら?」


「お、お手柔らかにお願いしたいな。さすがにまだ二人には勝てないよ」


「大丈夫だよぉ。僕は女の子に痛いことしないからぁ」


「……俺もしたくないかな」


「そういえばぁ、円椛はマンツーマン授業受けてたから知らないと思うんだけど、先輩が実習訓練から戻ってきてるんだよねぇ」


「まだ会っていないから、誰が戻ってきてるかわからないけど」


「先輩ってどんな人なの?」


「二年、三年共に男女一人ずつの二人ずつ。個性的だけど、みんないい人だよ」


 その時、トレーニングルームに近づいてきていた三人の耳に、大きな声が響いた。


「先輩っ‼ 今日も誰よりも可愛いッス‼」


 廊下に響き渡るほどの大きな声に三人が思わず立ち止まる。


「……なるほどぉ。帰ってきたの、あの二人だったかぁ」


 十彩が呟いて、状況が理解できず困惑している円椛が二人に問いかける。


「な、なんの声?」


「……入ったらわかるよ」


 眞音が円椛の質問には答えず、トレーニングルームの扉を開けた。トレーニングルームの中には、二人の人物がいた。


 トレーニングルームの休憩用ベンチに腰かけている小柄な女子と、その女子の前に膝をついている大柄な男子。


「世界一愛してますっ‼」


 大きな声で愛の告白をしていた男子の方が扉を開けて入ってきた三人に気が付き、振り返った。


 もみあげを刈り上げた赤髪の短髪に、金色の瞳。黒に赤字で『永久不滅‼』と書かれた半袖のTシャツに、グレーのスウェットパンツを履いている。口の横に大きな傷痕があり、そのあまりの人相の悪さに円椛は驚いて足を止める。


 一見ヤンキーにしか見えないその男子は、愛の告白シーンに入ってきた三人に怒っているのかと思うほどの眼光の鋭さで三人を見つめていて、円椛は思わず眞音と十彩の後ろに隠れた。


「お? おお! 眞音に十彩か! 久ぶりだな!」


 赤髪の男子は大型犬のような無邪気な笑顔を浮かべ、気さくに声をかけてきた。面食らって円椛が思わず顔を出すと、立ち上がろうとしていた男子と目が合う。


「お! それが新入りか?」


「吾郎先輩、お久しぶりです」


「お久しぶりですぅ。この子が新入りの円椛ちゃんですよぉ」


「眞音君と十彩君? もう一人いるの?」


 立ち上がった男子の身長の高さで完全に隠れてしまっていた小柄な女子が顔を出した。クリーム色のふわふわとしたくせ毛のボブヘアーに重めの前髪をした、色白の小柄な女子は、薄いピンク色のトレーナーと水色のキュロットパンツに白いハイソックスを身に着けていた。顔を出してこちらを見ているようだが、その目は固く閉ざされている。


「新入りの子は可愛い女の子って聞いたけど……そこにいるんだね」


「お久しぶりです、夢羽先輩。円椛、紹介するね」


 眞音と十彩が二人の先輩に近づいていき、紹介してくれた。


「こちらが西条吾郎さいじょうごろう先輩。二年生だよ」


「それでぇ、こっちが彼方夢羽かなたむう先輩! 三年生なんだよぉ」


 そして、十彩と眞音が目で円椛に自己紹介するように促しているのに気が付き、円椛が慌てて自己紹介をした。


「く、玄霧円椛です。よろしくお願いします」


「わあ! 可愛い声!」


 夢羽が両手を合わせながら嬉しそうにそう言い、眞音がこっちに来て、と言うように円椛に手招きして、円椛が座っている夢羽の前に行く。すぐそばで見ると、夢羽は円椛よりも背が低く、言われないと年上だということがわからないほどだった。そして、円椛が目の前に来てもなお、夢羽は目を閉ざしている。夢羽は円椛が目の前に来たことに気が付いたのか、円椛に向かって両手を伸ばしてきて、夢羽の手が円椛の顔に触れた。


「よろしくね、円椛ちゃん。私、生まれつき盲目だから、あなたの顔が見えないのだけど、とっても可愛い声をしているから、きっと可愛い女の子なんだろうなぁ」


 夢羽の手が円椛の頬を優しく撫でる。ほんのり温かく、安心する手だった。


「俺は世界で一番可愛いのは夢羽先輩だと思うッス‼」


 突然割り込んできた吾郎に、円椛が驚いて夢羽から離れる。


「うふふ。ありがとう、吾郎君」


 夢羽が柔らかく微笑み、吾郎が嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「……ねえ」


「なに?」


「あの二人、付き合ってるの?」


「ううん。吾郎先輩が一方的に夢羽先輩のことが大好きなだけ」


「毎日あんな感じで愛の告白してるから、慣れといたほうがいいよぉ。それに、ゴロー先輩はあんななりだけど、すごく優しい人だから、怖がらないであげてねぇ」


「うん。それはなんとなくわかった」


「ああ、そうだ。お前らも各自訓練か?」


 先ほどまで夢羽にデレデレしていた吾郎が三人に声をかけた。


「はい。ティラノ先生が仕事なので」


「じゃあ、組手しようぜ、野郎共。実習訓練明けで身体がくすぶってんだ」


「ええ~⁈ 僕、やだよぉ。ゴロー先輩に勝てたことないもん!」


「おう! 死ぬ気でかかってこい! それで俺は夢羽先輩にかっこいいところを見せる」


「吾郎君。私、どう頑張っても見えないの」


「いいんすよ! 俺、勝ちますんで、楽しみにしててください‼」


 吾郎が強引に眞音と十彩を連れていく。残された円椛に夢羽が「お隣どうぞ」と手招きし、円椛は言われた通りに夢羽の隣に座った。


「嬉しいなぁ。ここは女の子が少なかったから、円椛ちゃんが来てくれてとっても嬉しい!」


「夢羽先輩の他にも、もう一人女の先輩がいるんですよね?」


「二年生にいるよ。とっても可愛い子。円椛ちゃんのお顔も見てみたいなぁ」


「それなら見ればよろしいのです!」


 唐突に聞こえて来た声に円椛が驚いて振り返る。ベンチの後ろに、ピンク色のティラノサウルスの着ぐるみが立っていた。


「きゃああ⁈」


 思わず悲鳴をあげながら、円椛がベンチから落ちて尻もちをつく。少し離れたところにいた三人が円椛の悲鳴を聞いてふりかえり、夢羽が円椛の悲鳴に驚いたようすで「わあ」と小さく声をだした。


「いいい、いつからいたんですか……⁈」


「君らが自己紹介してるあたりからこっそり入ってきた。驚かせようと思って♪」


「あれぇ? ティラノ先生、仕事じゃなかったのぉ?」


「思いのほか早く終わったから帰ってきた。でも、まあ、いまから授業するのも面倒だし、このまま各自訓練しといてよ。そこの三人、組手するんでしょ」


「おう! じゃあ、始めるぜ‼」


「はぁ~い……」


「お手柔らかにお願いしますね」


 男子三人の組手が始まる。


「さて、こっちもやろうか、訓練」


「ティラノ先生。さっき、見たらいいって言ってましたけど、もしかして、仮想世界に入って良いってことですか?」


「そうだよぉ、夢羽。準備してくるからコジローを連れておいで。円椛、一緒に行ってあげて」


「あ、はい」


 立ち上がろうとしている夢羽に手を差し出すと、夢羽は「ありがとう」と言って円椛の手に自分の手を乗せた。そのまま夢羽と共に部屋を出る。


「あの、コジローってどなたですか?」


「私の大切な相棒だよ」


 二人は別棟二階まで階段で降りると、女子寮の夢羽の部屋にたどり着いた。


「そうだ。円椛ちゃん、動物は好き?」


「動物ですか? 好きですよ」


「よかった。それなら安心だね」


 夢羽が目が見えていないのにも関わらず、器用に扉の鍵を開けた。


「コジロー。おいで」


 夢羽が扉を開けて呼びかけると、部屋の中から一匹の犬が出て来た。黒く艶やかな毛並みを持つラブラドルレトリバーで、ハーネスをつけている。犬は夢羽のそばまで歩いてくると足元に大人しく座り、夢羽が頭を優しく撫でた。


「盲導犬……ですか?」


「そう。私の盲導犬、コジロー。そして、SDJOが作った仮想兵器」


「仮想兵器⁈」


「そう、仮想兵器Cerberus」


 聞こえた声に振り返ると、ティラノ先生が立っていた。この人はいつも音もなく後ろに現れる。


「ティラノ先生。女の子の部屋に勝手に入るのは失礼ですよ」


「おっと、失礼いたしました。怒らないで、夢羽」


「あの、コジローが仮想兵器って、どういうことですか?」


「簡単な話だよ。仮想兵器Cerberusのbodyが、その限りなく犬の姿に似せたロボットってだけ」


「え、ロボットなんですか?」


 目の前で大人しく座っているコジローは、どこからどう見ても本物の犬にしか見えない。


「そ、ロボット。そして仮想兵器Cerberusは、彼方夢羽専用の仮想兵器なんだ。彼方夢羽を守るためだけの仮想兵器であり、彼方夢羽のための盲導犬、コジローでもある」


 ティラノ先生がコジローの頭を撫でる。


「さ、準備が終わったよ。ティラノ先生と優しい先輩による特別授業だ!」

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