第八話 バグの温床

 三人が用意された車に乗り、連れてこられた先は、大きな精神病院だった。


「ここがSDJO管轄の精神病院」


「こんな大きな精神病院が市内にあったんだ……」


「まあ、精神病院なんて身近に調べる人はいないよねぇ」


 円椛が二人に連れられて院内に入る。院内にはたくさんの患者がおり、皆一様に暗い表情をしていた。眞音が院内のカウンターに近づき、受付にいた看護婦に学生証を見せると、看護婦は部屋番号を教え、眞音が「行こう」と二人に手招きをする。


 二人に連れられ、院内の廊下を歩いていく円椛に眞音が説明を始めた。


「今回、僕らがデバックする患者さんは僕たちと同じぐらいの歳の女子高生。いじめの加害者だよ」


「加害者? 被害者じゃなくて?」


「日本はいじめ被害者の精神状態が危惧され、カウンセリングやアフターケアーが重要視されるけれど、海外の一部では違う。いじめ加害者の精神状態のほうが危惧される。いじめをしなければならないほどの精神状態と環境下であったとみなされ、隔離してカウンセリングが行われる。問題があるのはいじめられた方ではなく、いじめる方だという明確な意識が根付いているんだ。そして、いじめ加害者などはバグを振りまく存在、いじめというタガの外れた行動を介して、他人にバグを移す存在なんだよ。うつされた方より、うつす方を治した方がいいに決まってる。それに、バグはその人の精神が歪んでいれば歪んでいるほどに強くなる。そうなれば、もうカウンセリングなんて外部からの治療じゃ通用しない。デバッカーが精神世界に入り、バグを内側から叩くほかないんだ」


「バグをデバック出来れば、まあ、一時的にだけど精神状態が安定するからねぇ。その後にまたバグを生み出すかどうかはその人次第だけどぉ」


 しばらく歩いていくと、眞音が病室の前で立ち止まり扉を開けた。病室のベッドには一人の少女が眠っている。眞音が言っていたとおり、円椛と変わらないぐらいの年齢に見えた。


「さて、お仕事だよぉ」


 十彩と眞音がリンクを取り出し、自分の小指にはめる。それにならって円椛もティラノ先生にもらったリンクをポケットから取り出し、小指にはめた。三人はベッドに眠っている少女に手を伸ばし、三人の手が少女の身体に触れた。


 次の瞬間、円椛は見知らぬ場所にいた。あたりを見回すと、そこはどこかの高校のようで、三人はグラウンドの中央に立っている。サイケ色の空が頭上で怪しげに揺らめいている。


「……学校?」


「精神世界はその人の記憶の中でもっとも印象の強いものが映し出されるからねぇ。この子にとって一番印象に残ってるのは、いじめをしてた学校ってことぉ」


「そう———」


 円椛が十彩に相槌を打とうとしたその時、円椛の頭の中に誰かの記憶や感情が流れ込んできた。それは、この精神世界の持ち主であるいじめっ子の少女の記憶や感情。酷くどろどろとした嫉妬や悪意と、いじめの記憶が一斉に円椛の中に流れ込んできて、一瞬息が出来なくなる。


「大丈夫?」


 首を押さえてよろめいた円椛の身体を眞音が支える。


「無理しないで。他人の精神世界に入るのは、慣れるまでキツイから」


「その人の悪意の塊が一斉に流れ込んでくるんだから、そりゃキツイよねぇ。知りたくないことも知れちゃうしぃ」


 円椛は「大丈夫」と言って顔をあげ、ようやくちゃんと二人の姿を見た。眞音はこの前精神世界で見たときと同様に、黒いマフラーに付いた猫耳のフードを被り、派手な黄緑色のパーカーを着ている。そして、その隣に立っている十彩は、現実世界と同じように黒いヘアバンドをつけていて、耳にピアスが大量についているのに変わりはないが、その恰好はより一層派手だった。


 身に着けている派手な紫色のブカブカのパーカーはジッパーが大きく開け放たれているせいでずり落ちており、十彩の肘のあたりで止まっていて、下に来ている黒いタンクトップが見えている。黒いタイトパンツを履いているが、腰から虹色の布を巻いており、十彩が動くたびにヒラヒラとなびいた。


「……なんか、円椛ちゃんすごいねぇ」


「え?」


 十彩と眞音が自分のことをまじまじと見つめていることに気が付き、円椛がようやく自分の姿を見た。


 着ている服はSDJOの制服から、黒色の長いポンチョのような服に変わり、黒いショートパンツに白いタイツを履いて、靴も黒いブーツに変わっていた。そして、何よりも目を引くのは、円椛の髪の色。美しい黒髪だった髪は真ん中から色が変わり、左側が真っ白になった、黒と白のツートンカラーになっている。瞳も同様だった。                                                                   


「な、なにこれ……」


「すごいねぇ。中にEvaがいる影響かなぁ」


「精神世界では、その人のイメージを具現化した姿になるからね。Evaの影響が出てるんだと思う。前に見たときは真っ黒だったし。姿以外に変なところない?」


「と、特には……よくわからないけど……」


 円椛は自分の両手を見ながらつぶやいた。髪と瞳だけでなく、肌自体も左側だけ真っ白で、Evaの肌によく似ていた。


 その時、円椛に注目していた眞音と十彩が同時に校舎の方を見た。それにつられて円椛も校舎の方を見る。そこには、真っ黒なバグが立っていた。時折身体にノイズのようなものが走り、ザザッと音を立てる。制服を着た女子高生のような姿をしているが、その姿は定期的に揺らぎ、人間ではない何かになった。


「雖後>」


 バグは理解できない言葉を発し、一歩ずつこちらに向かってきた。円椛が小さく悲鳴を漏らし、身構える。すると、円椛の前に眞音と十彩が立ちふさがった。


「大丈夫だよぉ。心配しなくても、僕らが守ってあげるからねぇ」


「円椛は俺たちの後ろにいて。なにもしなくて大丈夫」


 二人が円椛に優しく声をかけた次の瞬間、二人の手元に武器が出現した。だが、それは一見して武器のようには見えない。


 眞音の手には大きな黒いメガホンが出現している。眞音が被っているフードと同じように猫耳が付いており、黄緑色のラインが入っていた。十彩の手元には小さなボールのようなものが数個出現している。小さなミラーボールのような球体を、両手の指の間に三つずつ挟んで持っていた。


「繧ヲ繧カ繧、」


 こちらに向かって走り出したバグに眞音が手に持ったメガホンを口に当て、バグに向かってメガホン越しに声を発した。その声は衝撃波になり、向かってきていたバグを吹き飛ばす。衝撃でグラウンドの砂が舞い上がり、その風は円椛の髪をなびかせた。


 円椛はただ茫然とその光景を眺め、十彩がその反応を面白がるように笑った。


「びっくりしたぁ? 円椛ちゃんはここから動かないでねぇ」


 十彩は円椛にそう言うと、衝撃波によって吹っ飛んでいき、地面に倒れて立ち上がろうとしているバグに向かって走っていった。十彩がバグに向かって片手に持っていたボール三つを投げつけると、それは爆発し、サイケ色の煙を巻き上げながらバグを跡形もなく吹き飛ばした。


「もう終わりぃ~?」


 十彩が振り返りながら眞音に問いかける。


「いや、まだ来る」


 眞音がそういった瞬間、校舎の中からバグが大量に現れた。窓や玄関扉からこちらに向かってくるバグを見て、円椛が青冷める。十彩がにっと笑って、眞音が「動かないで」と円椛に言いってからバグに向かって走り出した。


 十彩が向かってくるバグたちに向かってもう片方の手に持っていた爆弾を投げつける。ボンボンボンッと三回立て続けに爆発音が響き、バグたちの目の前でサイケ色の煙が上がって視界を遮る。


「十彩!」


「は~い」


 走ってきた眞音の呼びかけに応え、十彩が眞音の方を向いて両手を組み、前に突き出す。走ってきた眞音は十彩が組んだ手の上に片足を乗せた。


「よいしょぉっ!」


 十彩が腕を振り上げ、眞音の身体が宙に浮かぶ。眞音はメガホンを口に当てると、煙が薄れ、眼下に見えたバグたちに向かって声を発し、衝撃波がバグたちを消し飛ばした。


 眞音が地面に着地して、その真横をドッジボールほどのサイズの十彩の爆弾が飛んでいき、爆発してバグを消し飛ばす。眞音が振り返り、不服そうな目線を十彩に向けた。


「ちょっと。当たったらどうすんの」


「当たらないよぉ。当てないもん」


 十彩が右手に持った爆弾を投げて遊びながら言い、十彩が小さくため息をつく。その時、煙の中からバグが一体飛び出し、眞音に手を伸ばした。


「危ないっ‼」


 円椛が声を上げたが、眞音は素早くメガホンを頭上に投げると、バグが伸ばした手をかがんで避け、そのまま地面に手をつくと、足を蹴り上げてバグを蹴り飛ばした。軽く吹っ飛んで眞音から離れたバグに向かって十彩が爆弾を投げつける。爆発音とともに落ちて来たメガホンを受け止めた眞音は、煙の中からまだ出てこようとしているバグたちに向かって声を発し、メガホンの衝撃波がバグを消し飛ばした。


「もういないかなぁ」


 煙が薄れても現れないバグに、十彩が呟く。一切動くことが出来ず、ただ茫然とその光景を眺めていた円椛はようやく我に返った。


「え? 終わり?」


「終わりかもぉ。もう出てこないしぃ」


「そんなあっさり……私、なにもしてない……」


「確かに。Evaの能力もわからなかったね」


「二人とも強いね……」


 その時、ズンッという大きな音がどこからともなく聞こえて来た。十彩と眞音がばっと振り返るが、バグがいる気配はない。


「なんの音……?」


 円椛が不安げに呟いて、十彩と眞音が身構える。すると、三人の目の前にそびえ立つ校舎が黒く染まり、ノイズがはしり始めた。黒いキューブのようなものが浮かんでは消えるを繰り返し、徐々に校舎の姿が変わり始める。校舎は大きな人型に変わっていき、ついにドレスを身に着け、頭に大きな冠を付けた女王のような姿をした巨大なバグに姿を変えた。


「……デカ」


 十彩がポツリと呟く。円椛はなにも言えずにその巨大な姿を見つめた。


「遘√′縺吶∋縺ヲ莉縺ッ謔ェ」


 巨大なバグが理解できない言葉を発した次の瞬間、円椛と十彩の頭上に大きな影が降り、十彩がはっと上を見上げると、バグの巨大な拳が降ってきていた。


「十彩!」


 眞音が叫ぶよりも早く、十彩が素早く動き、すぐ近くで立ち尽くしていた円椛を抱え上げると、降ってきた拳を避けた。抱え上げられた円椛が小さく悲鳴を上げる。


「ちょっと聞いてなくな~い? デカいんだけどぉ」


 十彩が円椛を地面に降ろしながら不満げに言った。眞音は頭上から降ってきたバグの足をバク転しながら避けると、メガホンを口に当てて声を発し、衝撃波がバグの足に直撃して大きな穴をあける。バグの巨大な身体がバランスを崩し、大きな音を立てながら膝をついた。それに向かって十彩がドッジボールサイズの爆弾を投げつけ、破裂音が響いた。


「ねぇ、こんなに肥大化することあるぅ?」


「それだけこの子の悪意は強かったってことでしょ」


 眞音が吐き捨てるように言った瞬間、サイケ色の煙の中から巨大なバグの手が現れ、眞音の身体を薙ぎ払った。


「眞音‼」


 ふっ飛ばされた眞音は空中で体勢を整えて着地する。叫んだ十彩に向かってバグが手を伸ばし、鋭い爪を向けて、十彩が手に向かって爆弾を投げつけた。爆弾はバグの手に直撃したが、バグの手は勢いを落とさずに十彩と円椛に向かっていき、十彩が軽く舌打ちをしながら円椛を抱え上げてそれを避けた。


「も~‼ こんなの消し飛ばせないよぉ⁉」


 十彩がいら立った様子で声を荒げる。先ほどから助けられてばかりの円椛は悔しい思いをしながらなにもできない。自分の中にいるEvaは兵器と呼ばれる存在なのではないのかと疑問を覚える。


「十彩‼ 後ろ‼」


「うええ⁈」


 十彩が後ろを見ると、バグの手がすぐそこまで迫ってきていた。十彩の肩に担がれている円椛はバグの手がすぐ目の前に迫り、青冷めた。


「ちょ、ちょっとぉ⁈」


 十彩が慌ててバグの方を向き、円椛の視界からバグが見えなくなる。十彩は迫ってくるバグの手を見て、円椛を支えていない方の手にドッジボールサイズの爆弾を出現させた。


「無理だってばぁ‼」


 十彩が声を荒げながら爆弾を片手でバグの手に投げつけた次の瞬間、唐突に爆弾のサイズが大きくなり、直撃したバグの手を消し飛ばした。


 バグが悲鳴のような声を出し、十彩が想定外のことの「へ?」と間の抜けた声を出す。その様子が見えない円椛はなにが起こっているのかわからず、ただただ困惑するばかりだった。


「な、なに? どうなったの?」


 十彩に問いかけるが応えてくれない。円椛を静かに地面に降ろし、考え込むような顔をする。片手を消し飛ばされたバグが体勢を崩した隙に、眞音がバグに向かって走っていき、バグの身体を駆け上った。


「眞音‼」


 十彩の声にバグの身体を駆け上りながら眞音がこちらを向く。次の瞬間、十彩はすぐそばに立っていた円椛の身体を持ち上げると、眞音に向かって投げつけた。


「きゃああ⁈」


 突然のことに円椛が悲鳴を上げる。身体がものすごいスピードで宙を舞い、このままじゃ死ぬと思ったその時、眞音が円椛をキャッチした。


「なにしてんの⁈」


 眞音が信じられないというように声を荒げる。受け止められたことに円椛はほっと胸を撫でおろしたが、目の前に迫ってきているバグの巨大な手に気が付き、青冷めた。


「眞音‼ 前‼」


 円椛の声に眞音が迫ってきている手に気が付き、メガホンを口に当て、手に向かって声を発する。すると、その衝撃波は先ほどのものとは比べ物にならないほどの威力を発し、バグの手を消し飛ばした。眞音に担がれた円椛が思わず耳を塞ぎ、衝撃波を発したはずの眞音自身も驚いた表情をして、衝撃波の勢いで軽く飛ばされ宙に浮く。


「……まじか」


「ね、ねぇ、眞音⁈ このまままだと落ちるけど……‼」


「耳塞いでて」


「え?」


 眞音は宙に浮いた状態でメガホンを口に当てる。円椛は慌てて耳を塞ぎ、来るであろう衝撃に備えた。


 宙に浮いた眞音たちに向かってバグが叫び声をあげる。その衝撃がこちらに届く前に眞音はメガホン越しに声を発し、その声は衝撃波に変わってバグの叫び声をかき消すと、そのままバグに直撃してバグを消し飛ばした。衝撃波はバグを消し飛ばすだけにとどまらず、地面を抉って大きなクレーターを作り上げた。


 眞音が円椛を抱えたまま地面に着地し、円椛を地面に降ろす。すると、十彩が意気揚々と駆け寄ってきた。


「ねぇ、すごくない⁈ これってEvaの能力だよねぇ⁈」


「……うん、そうだね。だからって女の子を投げ飛ばすのはダメだと思うけど」


 二人が言っている意味がよくわからない円椛は、二人に問いかける。


「どういうこと? なにが起こったの?」


「たぶんだけど、Evaの能力がわかったよ。とりあえず現実世界に戻ろう。精神世界は長居しないに限るから」


 眞音がそういった次の瞬間、円椛は現実世界の病室に戻ってきていた。目の前のベッドで少女がすやすやと眠っている。


「起きないうちに出よう。デバッグは終わったよ」


 二人に連れられ、病室を出る。先ほどの会話の続きをしようと円椛が二人に話しかけようとした時、聞きなれた声が聞こえて来た。


「やっほ~。デバッグ終わった~?」


 声が聞こえた方を見ると、ピンク色のティラノサウルスの着ぐるみが歩いてきていた。病院にまったく似合わない。


「ティラノ先生……来てたんですか」


「もちろん。最初から最後まで見ておりましたとも! 僕もリンクであの女の子の精神世界に入ってたし」


「え? 入ってたのぉ?」


「……言われていたよりも強力なバグの出現も、ティラノ先生の仕業ですか」


「わ~……眞音がお怒りだぁ。そう怒らないでよ。もしものことが起きても対処できるように僕も入ってたんだから。あのぐらいのバグじゃなきゃ、Evaの能力わかんないかなって思ってさ。無事に判明したんだからよくない?」


 ティラノ先生が飄々と答え、眞音がティラノ先生を睨みつける。


「それに僕だって予想外だったよ? あんなに肥大化したバグが現れるなんてさ。いじめというものは怖いねぇ。はじめはちょっとした出来心だったはずなのに、気が付けば取り返しのつかないことになる。どんどんバグを強くしたのは、あの女の子の感情だよ」


 ティラノ先生の言葉に円椛は精神世界で頭に流れ込んできた悪意の塊を思い出して身震いした。酷くどろどろとした感情は、飲み込まれそうなほどに黒く、気が狂いそうだった。


「結局デバッグしても、あの女の子がまたバグを生み出してしまったとき、それに抗うことが出来るかどうかが重要なんだよ」


 そう言うとティラノ先生は「ここじゃなんだから、SDJO養成所に戻ろうか」と歩き出した。病院にまったく似合わないピンク色のティラノサウルスの着ぐるみを見て、すれ違う人々はぎょっとした表情を浮かべていた。

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