第五話 仮想兵器 Eva

 昨夜、円椛の夢に現れた、不思議な光の玉。円椛の姿に変わり、「Eva」と名乗った不思議な存在。


「Evaのことですか?」


「……!」


 ティラノ先生は円椛がその名を言ったことに驚いた様子だった。着ぐるみなのでよくわからないが。


「……君は、彼女と意思疎通ができるのかい?」


「ほとんどなんと言っているのかわからなかったですけど……名前だけ……」


「そうか……彼女が君を選んだのは、偶然ではないのか……?」


「あの……Evaは何者なんですか?」


 考え込むように呟いたティラノ先生に円椛が問いかける。ティラノ先生ははっと我に返ったように言葉をつづけた。


「ああ、ごめんね。彼女は仮想兵器Eva」


「か、仮想兵器?」


「精神世界専用の兵器」


「兵器……」


 円椛がポツリと呟く。兵器というには、あの不思議な存在はまるで無邪気な子供のようで、ただ遊んでほしそうに円椛の姿になり、手を差し出してきた。


「説明が、難しいんだけどね。仮想兵器はバグをデバックするために作られた兵器で、精神世界でのみその力を発揮するんだけど、body、まあ、器が必要で、Evaはまだ仮想兵器として未熟だったから、bodyが準備されてなかったんだ。ただ、厄介なことが起こってね。Evaが用意されたbody

を嫌がって……たまたま、君を選んでしまった」


「え……? じゃ、じゃあ、私の中にEvaがいるってことですか?」


「そう。君の精神世界には、君自身精神体と、Evaという精神体。その二つが存在することになるんだよね……」


「……それって、大丈夫なんですか……?」


 仮想兵器という未知の存在が自分の精神世界に存在する。その状態が果たして危険なことなのか、特に害はないのか、円椛にはわからない。


「うう~ん……大丈夫だと思うよ。仮想兵器は人に害を加えるものではないからね。あくまで排除対象はバグだから。ただ、Evaは研究途中の未熟な兵器で、その……なにをしでかすか、まだあまりわかってない。だからこそ、君をここに呼び出したんだよ」


「……Evaを私の中から取り出すためですか?」


「それが出来たら、ここまで苦労しないんだけどね……」


「で、出来ないんですか?」


「やろうと思えばできるよ。ただ、さっきも言った通り、Evaはまだ研究途中の仮想兵器。下手なことをすれば、君に危害が及びかねない。SDJOとしては、一般人の君に害が及ぶようなことはしたくない。だからね、提案なんだけど」


 ティラノ先生が真剣な声色で言った。


「玄霧円椛さん。ここ、SDJO養成所に入らないかな?」


「……え?」


 想定外の言葉に円椛が思わず声を出す。


「ど、どういう……」


「SDJO的にはね、危険を冒してEvaを君から取り出すよりは、君自身を監視下に置く……いや、言い方が悪いな。保護する方が、SDJOにとっても、君にとっても安全だと考えたんだよ」


「そ、そんな……だって、私、全然理解できてないです……唐突すぎて……。精神世界とか、バグとか、デバッカーとか、兵器とか、もう、よくわからなくて……」


「そりゃそうだ。唐突にこんなこと言われても混乱するよね。しかも、こんな着ぐるみに」


 そこは理解してるんだ……と円椛はティラノ先生を見つめる。間の抜けた表情のせいで、真剣な雰囲気が崩れそうだ。


「だから……そうだね。無理にとは言わない。今までの生活、学校、そのすべてを変えるのは、酷なことだからね。君の意思は尊重したい。君が嫌だというのなら、SDJOとしては、なんとかEvaを君から引き剥がすという形で解決したいと思ってる。でも、もし、君がSDJOに保護されることを選んでくれるなら、こちらとしても、相応のことを与えられる権利が君にあると考えているんだ」


「相応のこと……ですか?」


「そう。君のことはね、たくさん調べさせてもらったんだ。Evaが選んだ器だからね。だから、君のことはよく知ってる。住所、誕生日、家族構成、その他もろもろ。今はおばあさんと二人暮らしだよね?」


「……はい……」


「そしておばあさん、玄霧薫子さんは、認知症を患っている」


 そんなことまで知っているのかと、円椛が息を呑む。どこまでも知り尽くされているようで、怖い。まるで、お前に逃げ場はないのだと言われているようだ。


「SDJOは、医療関係にも通ずる組織なんだ。だから、君のおばあさんを施設に入れることなんて造作もない。学生で、両親もすでに亡くなっている君は、おばあさんを施設に入れることもできず、学校に行かなくてはならないから、一日中おばあさんに目をかけていることもできない。それは君にとっても、おばあさんにとっても危険なことだ。もし、君がSDJOに入ってくれるのならば、充実した施設におばあさんを入れることを約束しよう」


 ティラノ先生が「どうかな?」と問いかける。円椛にとってその提案は魅力的なものだった。祖母を施設に入れてあげることが出来れば、これ以上、祖母を危険な目にあわすこともなくなる。だが、SDJOに入ることで、これまでの生活が一変してしまうということを考えると、すぐに返事をすることはできなかった。


「……悩んでいるね。じゃあ、単刀直入に言おう。これは脅しだ」


「え……?」


 ティラノ先生の唐突な険しい声色に、円椛は言葉の意味を理解できない。脅しとは、どういう意味だろうか。


「お、脅し……?」


「そんな言い方したくないんだけどね。でも、よく考えてほしい。SDJOは君のことを詳しく調べた。個人情報から家族構成、そして、現在おかれている状況も。すべて知っているんだ。本当に脅しになってしまうけれど、SDJOはね、できれば君を監視下置きたい。そのために、なにをするんだろうね……?」


「っ……」


「……組織というのはそういうものだよ。さあ、どうするかな?」


 そんなの、断る余地は残されていないじゃないか、と口には出さなかったものの、円椛はティラノ先生を睨みつけた。だが、提案自体は魅力的であるのは確かだ。SDJOという組織がどんな組織で、自分をどうしたいのかもわからないが、提案を呑まなければ自分にとってなにかまずいことが起こるのは理解できる。


「……わかり……ました。承諾します」


「ありがとう」


 ティラノ先生はまるで円椛が承諾することが分かっていたかのように平然と言った。


「それじゃあ、手続きをしよう。君にはすぐにでもここ、SDJO養成所支部に入ってもらうよ」


「あの、一つ質問してもいいですか」


「どうぞ」


「祖母は、本当にちゃんとした施設に入れてもらえますか。なんの危害も加えられず、ただ、平穏に暮らすことができますか?」


「……君は優しいね」


 ティラノ先生のその声はとても優しかった。着ぐるみで表情は一切読み取れないが、ティラノ先生に円椛に対する敵意はないことが感じられる。


「安心してほしい。君のおばあさんがこの先、なんの不自由なく暮らすことを約束しよう。認知症の治療やリハビリ面もすべて工面する。君に対して危害を加えることもまったくない。SDJOは……僕はね。君を怖がらせたいわけじゃない。君を、守りたいだけなんだ」


    ◇


 SDJO養成所支部一階。夜の養成所内は生徒も教師もすでにいないため、人は一人としていない。すべての照明が落とされた廊下は真っ暗で先も見えないが、廊下の先から光るなにかが近づいてきているのが見えた。


 廊下の先の暗闇の中からぬっと出てきたのは、懐中電灯を持って養成所内の見回りをしていたティラノ先生。ピンク色のティラノサウルスの着ぐるみが懐中電灯のぼんやりとした光に照らされ、暗闇の中で不気味に浮かび上がっていた。ペタペタという着ぐるみの足音も、その不気味さを際立たせている。


 一階玄関の前にたどり着いたティラノ先生は立ち止まり、あたりを見回す。養成所の玄関のガラス張りの扉から、暗い外がよく見えた。


「お前は優しいな」


 ふいに聞こえた声にティラノ先生が振り返る。ロビーの交流スペースに並べられた椅子に腰かけた人物の姿が懐中電灯の光に照らされた。


 声の主は、美しい真っすぐな銀色の髪を腰まで伸ばし、細く長い脚を組んで優雅に椅子に腰掛けていた。かき上げた髪を右耳にかけ、その右耳には黒い十字架のピアスをつけている。シンプルな白い長袖のシャツと、黒いタイトズボンが、スタイルの良さを際立たせていた。切れ長の銀色の目に、すっと通った鼻筋をしていて、暗闇の中に照らされたその姿は、美しい人形に見間違えそうなほどだった。


「こんなところに、こんな時間に呼び出さなくてもいいじゃないか、キャシー」


「急を要するから早く来てくれと言ったのはお前だ。私はその要望に応えただけ」


 キャシーはさも当然というように言ってのける。


「さて、あのEvaに選ばれてしまった少女はどうなった?」


「問題なく。SDJOの監視下に置くことが出来た。そう、本部に伝えてくれるかな?」


「問題なく……ね。本部にとっては問題でしかないだろうに。お前は本当に厄介だ。SDJOはなんとかEva取り出す方向で行きたかったのにな」


「……さて? なんの話だか。僕は最善策を取っただけだよ。危険を冒して彼女からEvaを取り出すより、まだ研究途中のEvaの研究を兼ねて、監視下に置いた方がいいだろう?」


「お前はその最善策を取ることで、あの少女の命を守った。つくづくお人よしだな」


「何の話かよくわからないな。僕は彼女からこれまでの生活すべてを奪ったんだから」


「まあ、いい。本部には私が報告しておく」


 玄関の扉に向かって歩き出したキャシーを、ティラノ先生が呼び止める。


「十彩に会っていかなくていいのかい?」


「もう必要ないだろう」


 ティラノ先生の問いかけに即答したキャシーは、振り返ることもなく足早に養成所から出ていった。その背中を見送ったティラノ先生も踵を返し、養成所内に戻っていった。

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