第四話 ピンク色のティラノサウルス

 しばらく時間が経ち、車はある施設の前にたどり着いた。二人に促されて円椛が外に出ると、四角い箱のようなガラス張りの六階建てぐらいの白い建物が目の前に見える。いったい何の建物なのか、外観だけでは理解できない。


「こっちだよ」


 二人に案内されて円椛は建物の中に入った。建物の中は一面真っ白で、専門学校のような雰囲気があった。ロビーの片隅には椅子やテーブルがあり、交流スペースのようなものと、色々な張り紙が貼られた掲示板がある。そして、その掲示板の前に、異様なものがいた。


「あ! 二人ともお疲れ~。連れてきてくれてありがと」


 その声の主の姿に円椛は驚愕して言葉も出ない。掲示板の前には、ピンク色の間抜けな表情をした、二足歩行の怪獣の着ぐるみが立っていた。円椛よりも背が低く、ぴょんと突き出た尻尾と、背中にはギザギザとしたとさか。その姿はあまりにもユニークでこの場所にまったく合っておらず、不気味にも思える。円椛は反射的に眞音と十彩の後ろに隠れた。


「あれ? なんか怖がられてる?」


 着ぐるみからは男の声が聞こえてくる。少年のような若々しさを感じるが、どこか大人の声色のように聞こえた。


「そりゃあ、いきなり着ぐるみが現れたら驚くでしょぉ?」


「初対面でそれはビビりますよ、ティラノ先生」


 眞音と十彩は気さくに着ぐるみに向かって話しかけている。ティラノ先生ということは、この二人の教師だろうか。それにしても、ティラノということは、この妙ちくりんな怪獣は、ティラノサウルスがモデルなのだろうか? どう見てもティラノサウルスには見えないが。


「え、そう? 可愛らしい見た目してると思うけどな」


 ティラノサウルスの着ぐるみが近づいてくる。短い尻尾を揺らしながら歩いてくるその姿はとても滑稽だが、円椛は得体のしれないそれに少し後退った。


「なにも知らない状態でついてきてくれてありがとう、玄霧円椛ちゃん。ようこそ、SDJO養成所へ」


「え……SDJO?」


 聞きなれない単語に円椛が聞き返す。するとティラノサウルスは円椛にずいっと顔を近づけてきて、円椛の口から「ひっ……」と情けない声が出た。


「そう! Special特殊 Dmension次元 Jurisdicition管轄 Organization組織通称、SDJO。ここはその養成所。デバッカーを作るためのね」


「で、デバッカー……?」


「そうだね、まずは説明が必要だ。歩きながら話そう。二人は授業に戻るように!」


 ティラノサウルスの一声で、二人が「はーい」と気の抜けた返事をしながら去っていく。


「まずは自己紹介。俺はここ、SDJO養成所支部の教師兼責任者のティラノ先生。気軽に接してね!」


「はあ……」


 昨日と今日と、訳の分からないことが起こりすぎて慣れ始めた自分がいる。円椛はそう思いながら、自分はまだ夢の世界で夢を見ているのではないかと頬をつねった。よくわからないところに連れてこられたかと思えば、今自分の目の前でしゃべっているのは、妙ちくりんな着ぐるみなのである。夢だったとしても、なんらおかしくはない。


「残念ながら夢じゃないよ。ほっぺた、つねっても痛いでしょ」


 言われた通り、頬をつねっても痛い。夢ではないのだと、嫌でも理解した。ティラノ先生に促されるまま、SDJO養成所の中を進んで行く。


Special特殊 Dmension次元 Jurisdicition管轄 Organization組織。特殊次元管轄組織SDJOはその名の通り、人の精神世界と呼ばれる特殊次元を管轄する組織だよ。まあ、唐突にそんなこと言われても信じられないだろうから、まずは人間の精神世界について説明しようか。君にも経験があるんだから、嫌でも信じるしかないだろうし」


「経験……?」


「精神世界とは、人間の無意識領域に存在する、通常、人間が認識することのない、精神体が存在する世界。精神体は、まあ、人間の魂? みたいなもの。簡単に言えば、精神世界は夢のようなものだよ。確かにそこに存在して、自分もそこにいるのに、覚えていない。その人の記憶と、イメージの具現化。人によって異なる世界。君が昨日、入り込んでしまった世界だよ」


 ティラノ先生の言葉に、昨日見た真っ白な空間を思い出す。あれは円椛の精神世界ということだ。


「そして、精神世界には精神体とはまた別のものが存在する。それは『バグ』と呼ばれるもの。君も、見たんじゃないかな?」


 円椛の精神世界に現れた、黒い人影のようなもの。本能的に、どうにか逃げないといけないと感じた、酷く恐ろしい存在。円椛は襲われた時の光景を思い出し、青冷める。あれは、酷く異質で異常だった。


「バグは人間の精神世界に生じる、生まれてはいけない存在。その人にとって道徳的に反している、歪んでいると考えられる思考や選択が精神世界で具現化されたもの。バグはどんな人の精神世界であっても少なからず存在するし、たとえそれが無意識であったとしても、生まれた思考や選択をその人自身が『普通ではない』と考えれば、それはバグになる。そして厄介なことに、バグは酷い空虚感や疎外感から逃れるために人間の精神に干渉して乗っ取ろうとするんだよ」


「乗っ取る……?」


「そう、乗っ取る。バグに精神を乗っ取られた人間は道を踏み外し、タガが外れ、取り返しのつかないことをするんだよ。それこそ、君を襲おうとしたあの三人組はバグに乗っ取られてた。恐ろしい話だね」


「バグに……」


 円椛を襲おうとしたあの三人組は、目の焦点が合っておらず、どこか狂気のようなものを感じた。放課後、まだ人がいる校舎内であんな騒動を起こせばどうなるか、容易に想像できたはずだ。それを考えることが出来なくなることが、道を踏み外す、タガが外れる、ということなのだろうか。


「バグはね、うつるんだ。精神世界を介して、他人にうつる。君も危なかったね。眞音と十彩が間に合ってなかったら、そのままあの三人組に襲われて、バグに乗っ取られて、自殺……みたいなこともありえた」


 円椛は自分の血の気が引いていくのを感じた。精神世界も、バグも、信じられないような話だが、円椛はそれを昨日体験していて、夢でないということも明確に理解している。信じるしかなかった。そして、昨日の自分はそんな窮地に立たされていたのだと思うと、身の毛がよだつ。


「ああ、ごめんね。嫌なこと、思い出させちゃったね。さあ、続きは中で話そう。入って」


 ティラノ先生が一室の扉を開けて、円椛を手招いた。大人しく従い、中に入ると、そこは面談室のような部屋で、テーブルを挟んで椅子とソファーが並んでいる。ティラノ先生に促され、円椛はソファーに座り、ティラノ先生はソファーの正面にある椅子に腰かけた。


「続けよう。SDJOはそのバグの排除と、バグに乗っ取られた人のケアを目的とする組織だよ。そして、バグを排除する人たちのことを、デバッカーというんだ」


「……ああ、眞音と十彩はそのデバッカー……」


「そう。話が早くて助かるよ。まあ、あの二人はまだ見習いだけどね。デバッカーはバグに乗っ取られた人の精神世界に干渉してバグのデバックを行う。ここ、SDJO養成所は、デバッカーを育てるための養成所なんだよ。デバッカーは精神世界のことを理解しているから、自分の精神世界の存在も、精神体の存在も、他人の精神世界の存在も認識している。でも、君の問題点、ここに連れてこられた理由は、君がデバッカーじゃないにも関わらず、精神世界に干渉し、その存在を認識しているからなんだよ」


「……確かに、覚えています。鮮明に……」


「さっきも言った通り、精神世界は人間の無意識領域に存在する世界。夢みたいなものなんだ。夢を見てもその内容を思い出せない、または夢を見たこと自体忘れている。それが精神世界。通常、夢みたいな感覚で精神世界に干渉してしまったとしても、その全容を鮮明に覚えていることなんてない。それなのに君が精神世界を鮮明に覚えているのは、君が故意に、精神世界に引きずり込まれたからだよ」


「故意に?」


「君は自分の精神世界で、誰かに会ったはずだ」

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