第三話 十彩と眞音

 円椛が目を開けると、夕方に迷い込んだ時と同じ、真っ白な不思議な世界が広がっていた。中央に鎮座する大木の枝についた淡く光る葉が揺れている。円椛の身体は、やはりノイズが走っているように時折揺らぎ、透けていた。


 困惑しながらもあたりを見回す。ここがどこなのかも、なぜ自分がここに来たのかもわからないが、この空間はとても落ち着く空気が流れていた。汚れ一つない真っ白な世界は不気味でありながらも、どこか安らぎのようなものを感じる。


「驕翫⊂縺」


 声と共に、円椛の目の前に白く光る玉のようなものが現れる。夕方と同じく、その声は小さな女の子の声のように聞こえたが、なんと言っているかわからない。だが、黒い人影のようなものとは違い、その白い光の玉に恐怖を覚えることはなく、敵意も感じなかった。


「あなたは……だれ?」


「遘√→驕翫⊂縺?h」


 光は円椛に対して話しかけているようだが、問いかけに応えたようには感じられない。円椛が言っていることの意味を理解していないようにも思えた。


「ここはどこなのか、教えて?」


「蜷後§縺ォ縺ェ縺」縺溘i濶ッ縺?シ」


 次の瞬間、光の玉は円椛と瓜二つの姿に変わっていた。だが、その姿は一切の無駄な色彩が存在せず、髪も瞳も肌も、すべてが真っ白だった。


 自分の前に微笑を浮かべる自分がいるという異様な光景にも関わらず、なぜかとても冷静なのは、真っ白な自分から敵意を感じないからなのか、もう、驚きすぎて逆に冷静になっているのかわからない。


「……あなたの、名前はなに?」


「遘な√ま蜷榊え燕?」


 言葉の中に「名前」という単語を聞き取ることができ、意思疎通ができるのかと円椛が驚く。目の前の自分は首を傾げて口を開いた。


「遘√E縺溘□縺ョv螂ウ縺aョ蟄」


「Eva?」


 その問いかけに真っ白な円椛が嬉しそうに微笑む。


「驕翫⊂縺?h」


 真っ白な円椛が両手を差し出してきて、円椛は少し考えた後、その手を取った。目の前の自分は小さな子供のようで、なんと言っているかはまるで理解できないが、なぜか心が安らぐような気がした。


「遘√↓鬆よ斡」


    ◇


 目を覚ました円椛の目に飛び込んできたのは、見慣れた自室の天井だった。状況をうまく吞み込めないまま、ゆっくりと身体を起して時計を見る。午前七時。いつもと同じ時間。


 意識がだんだん鮮明になり、円椛は昨日あったことを思い出した。あれはいったいなんだったのだろう。なにもわからないが、夢の中に現れた真っ白な自分のことを恐ろしいとは感じなかった。怖い夢を見たという感覚もない。ただ、小さな子供に会ったような、そんな感覚だ。


 だが、教室で襲われた時の恐怖は今でも円椛の心に深く刻み込まれている。自分に襲い掛かった黒い人影のようなものたちの恐ろしさも。


 体調が優れているとは到底言えそうにないが、一人で部屋にいても気が滅入る、と円椛はベッドから降りて部屋を出た。昨日のことがあって足が重いのは確かだが、一人でいるといろいろなことを考えてしまって、逆に心の整理が付きそうもないので、とりあえず学校に行く準備をしよう。


 そういえば、すっかり忘れていたが昨日は両親の結婚記念日で、ケーキを買ってくると約束していたのに買ってくることが出来なかった。今日こそはケーキを買いに行かなくてはならないし、祖母の薫子もいきなり帰ってきて死んだように眠った円椛のことを心配しているだろう。


 案の定、円椛がリビングに降りてくると、血相を変えた薫子に「昨日はなにがあったのか」「体調は大丈夫なのか」と心配され、「今日は学校に行かず、休んだ方がいい」と言われたが、円椛は大丈夫だと答え、心配する薫子に優しく笑いかけると家を出た。


 いつも通りに通学路を歩き、高校に向かう。高校に言ったところでなにかが分かるような気もしなかったが、円椛は、昨日会った男子二人が気がかりだった。あの二人は本当に円椛と同じ高校の生徒だったのだろうか。


 そんなことを思いながら学校の前にたどり着いた円椛は、校門の前に人だかりができていることに気が付いた。女子生徒が多く、黄色い歓声が上がっているのが聞こえてくる。


 なにが起こっているのか少し気になったが、昨日のこともあり、これ以上なにかに巻き込まれるのは嫌だな、と人だかりを避けて校門をくぐろうとしたその時、誰かが円椛の手を掴んで、円椛を引き留めた。


「ちょっと待って! 無視するなんてひどいなぁ、円椛ちゃん」


 聞いたことのある声に振り返ると、昨日、円椛に何も言わずに去って行ってしまった身長の高い男子が円椛の腕を掴んでいた。昨日とは違って円椛の高校の制服は着ていないが、どこの学校かわからない制服を着ている。ブレザーは着ておらず、だらしなく胸元のボタンを開け、下に来ている黒いタンクトップが見えていた。黄色とグレーのチェック柄のズボンからシャツがだらしなく出ている。


 大量につけられたピアスと、その派手な見た目に目が行くが、円椛はその男子が自分の名前を呼んだことに気が付いた。この男子に名前を教えた覚えはない。


「ちょっと、十彩といろ


 人込みをかき分けて、もう一人男子が円椛の前に出て来た。その男子も昨日、円椛の前に現れた男子だ。十彩と呼ばれた男子と同じ制服を着ている。襟がズボンと同じグレーと黄緑色のチェック模様になったグレーのブレザーの下に、黒い猫耳パーカーを着て、フードを被っている。フードに描かれた猫の顔は間抜けで、その男子が動くとパーカーについている猫の尻尾のようなものが揺れた。首に下げたヘッドホンは大きく、重たそうだ。


「怖がってる」


「ああ、ごめんねぇ。眞音まきともそんなに怒らないでよぉ」


 高身長の男子が円椛から手を離した。十彩と眞音。この二人はいったい何者? 円椛と違う学校の制服を着ているため、やはり円椛の学校の生徒ではないことがわかるが、それ以外はなにもわからない。二人を取り囲んでいた女子生徒たちは、二人の端正な顔立ちと異様な雰囲気に惹かれていたのだろう。二人に呼び止められた円椛のことをいぶかし気に見つめている。


「あなたたち、誰?」


「そうだよねぇ。いきなり全然知らないやつに呼び止められても困っちゃうよねぇ。でも、なにも言わずに僕たちについてきてくれると嬉しいなぁ。円椛ちゃん」


 十彩が無邪気に笑う。ついてこいと言われても、素性も分からないような人たちについていく気など毛頭ない。これ以上、ここで周りの人の視線を集めるのも嫌だ。事情を説明してくれれば、それでいい。


「……ちゃんと、説明して。なにもわからないまま、ついていく気はないから」


「う~ん……ここではできないかなぁ」


「……どこに連れて行こうとしてるの?」


 円椛が警戒して二人から一歩後退る。昨日のこともあって、男子が少し怖い。円椛の様子に十彩は困ったように笑って「でもなぁ……」と呟いた。


「悪いようにはしない」


 黙っていた眞音が口を開いた。


「君が昨日巻き込まれたこと、見たもの、その正体、知りたくない?」


 柔らかい声だが、どこか有無を言わせない気迫がある。それに眞音が言う通り、円椛は昨日のことについて知りたかった。円椛は警戒しながらも小さく頷く。


「じゃあ、行こう!」


 十彩は嬉しそうに笑って円椛の手を引いた。


 人だかりがざわめく中、二人は円椛を連れて歩いていき、一台の車の前にたどり着く。円椛は車に乗せられるのか、と一瞬警戒したが、眞音が円椛を促して車に乗せてしまった。二人は円椛を挟んで後部座席に乗り込み、円椛は自分よりも背の高い男子二人に挟まれて逃げ道がない。眞音が運転手に向かって「出してください」と声をかけ、車が走り出した。


「どこに行くのかぐらい教えてよ」


「その前に自己紹介しないとね! 僕、瑠衣凪るいなぎ十彩といろ。十彩って呼んでねぇ」


 十彩が円椛に笑顔を浮かべる。円椛よりも身長が高いのに、子供のように人懐っこい人だ。だが、その無邪気な笑顔のせいでなにを考えているのかがよくわからない。


猫目ねこめ眞音まきと。眞音でいいよ」


 反対に眞音はとても落ち着いているが、言葉の中にどこか優しい響きを感じる。本当に悪意などないことがよくわかった。


 どこに向かうのかもわからないまま、車はどんどん進んで行く。円椛は不安感を抱きながらも、十彩と眞音の様子から、目的地に着かない限りなにも話してくれない空気を感じ、黙ったまま車に揺られていた。

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