招く猫

星雷はやと

招く猫


「うにゃ……」

「にゃ……」

「うぅ……分かった。起きるから……」


 微睡を満喫していると、両頬を柔らかい物がすり寄って来た。可愛らしい鳴き声を上げる二匹は俺の同居人だ。可愛い二匹にせがまれたら起きないわけにはいかない。俺はソファーから起き上がる。


「はい。クロ、アカ。お待たせ」

「にゃん!」

「んにゃ!」


 時計を見ると、丁度正午を指していた。昼ご飯の催促だったのだろう。俺は二匹に皿を差し出した。待っていましたとばかりに、ご飯を食べる二匹。


「ゆっくり食べな?」


 嬉しそうなその様子を見ると頬が緩む。二匹の食事を邪魔しないように、背中をゆっくりと撫でる。黒毛の猫が『クロ』、赤毛の猫が『アカ』だ。名付けた当時が5歳児な為、安直な名前になってしまったと反省をしている。

 二匹とは、俺が幼稚園児からの付き合いだ。捨て猫だった二匹を俺が拾い、大の猫嫌いな爺ちゃんに頼んで飼わせてもらった。一人っ子の俺だが、二匹は大切な兄弟的存在だ。


「あ! 母さんから、買い物を頼まれていたんだ!」


 テーブルの上に置かれた買い物リストを目にし、俺は飛び上がった。今日は学校が休みな為、夕食の買い出しを頼まれていたのだ。我が家が商売繫盛しているので、家事の手伝いは当たり前である。そのことをすっかりと忘れ、居眠りをしていた。これは不味い。確か、母さんが昼のタイムセール品を買って来るように言っていた気がする。リストの品物が買えなければ、雷が落ちるだろう。もしかしたら、夕食を抜きにされるかもしれない。育ち盛りの高校生にとって、夕食抜きは大問題だ。


「やっば! クロ、アカ。俺、買い物に行ってくる! 留守番よろしく!」

「うにゃ?」

「にゃあ?」


 急ぎ財布と買い物リストを掴み、二匹に声をかけた。するとクロとアカは、顔を上げると不思議そうに首を傾げる。そのことに苦笑しながら、今日の夕食を守るべく玄関を飛び出した。




 〇




「あ、赤信号か……」


 スーパーの手前にある交差点で足を止める。タイムセールのことを考えると、早く到着したいが信号は守らなければいけない。信号待ちをしている間に、日曜日の町中を眺める。多くの人々が、休日を楽しんでいるようだ。


「……ん? 猫?」


 車が行き交う間から、反対側の歩道に茶色い猫が一匹居ることに気が付いた。


「ニャオン」


 猫が鳴き声を上げる。町中だというのに、異様にその声が響いた。その瞬間、周囲の動きがスローモーションのように変わる。


『オイデ』


 その猫の赤い瞳と目が合った。そして両手を挙げ招いた。


「……いかないと……」


 アノ子に会いにいかないと、そう思うと自然と体が出た。


『オイデ、オイデ……』


 アノ子が再び手を招いた。大丈夫、今直ぐに会いにいくから。俺は更に一歩前へと足を踏み出そうとした。


「ふしゃああ!!」

「にゃあああ!!」

「……えっ……わっ!?」


 怒声のような叫び声が響き、俺は足を止めた。するとズボンを強く引っ張られ、尻餅を着いた。それと同時に俺の靴先を、猛スピードで走る車が走り去った。


「……えっ……えぇ? こ、こわ……」


 先程まで、赤信号で信号待ちをしていた筈だ。何故、車道に飛び出そうとしていたのだろう。ぼんやりとしていて、よく覚えていない。寝不足だったのだろうか。あのまま車道に出ていたらと思うと、背中に嫌な汗が流れた。


「うにゃ?」

「え? アカ? 何で此処に?」


 震える指先に温かいものが触れた。視線を横にずらすと、そこには見慣れたアカが居た。アカは尻餅を着いたままの、俺の腹の上に乗る。相変わらずマイペースだ。このマイペースぶりは、我が家のアカである。

 だが何故かこの場にアカが居るのだろうか?クロと一緒に留守番をしてもらっている筈だ。俺は首を傾げた。

 

「にゃあ!」

「……え? クロも?」


 アカが車道の方に向かって鳴き声を上げた。何か居るのだろうか?アカの視線の先を追うと、横断歩道の上にクロが背を向けて座っていた。アカが居るのだから、クロも居ても可笑しくはない。車の心配をするが、信号はすっかり青信号へと変わっていた。


「……にゃ」

「……え? ちょ?! 何でクロも乗るの? 何か怒っている? 何で?」


 クロはこちらに振り向くと、その金色の瞳で俺を睨んだ。その睨みを効かせながら、ゆっくり歩き俺の腹の上に乗った。尻餅を着いた人間の上に乗るとは、俺の兄弟は容赦がない。


「もしかして留守番嫌だったのか? ごめんって……。しょうがない、母さんに連絡するよ。今日は帰ろう」

「うにゃあ」

「にゃ……」


 二匹は俺の腹の上で丸くなり、退く気は更々ないと体全体で表現をしている。俺は夕食抜きを覚悟で、二匹に降参することを伝える。アカは楽しそうに、クロはまだ怒ったまま鳴き声を上げた。


「母さんに何て言い訳をしようかな……」


 俺はアカとクロを抱えて、起き上がる。震えは自然と止まっていた。


「にゃ!」

「んにゃ」


  四本の尾の影が楽しげに揺れた。

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