第23話 静かな捕り物劇

  今、店内はクリスマスの飾り付けで、いつもに増して華やかだ。

忘年会のシーズンでもあり、時折二次会の流れでやって来る客もいるが やはり高級店なので敷居は高いようだ。

 そんなある日、恰幅の良い女性が来店して来た。肇はその女性に見覚えがあった。

その女性は 肉好きの良い手の指に少々デカイダイヤの指輪を これ見よがしに付けていた。肇はその指輪にも見覚えがあった。 そう、肇を犯人扱いして訴えると騒ぎ立てた女だ。

彼女には拓郎が相手をする事になった。肇ともチラッと目が合ったが自分がだました

相手とは気が付いていないようだった。 旅行代理店に勤めていた頃の肇とは随分と

雰囲気が変わっているので、分からなくても当然だ。

肇はまだ どこのテーブルにも付いていなかったので 拓郎に向かってこう言った。

「先輩、アシストに付かせて下さい。」と、拓郎はチョット驚いた。肇はいつも拓郎さんと呼ぶのに 今日は変に改まって先輩などと呼ぶ。何かいつもの肇とは違う様子に気が付いた拓郎は調子を合わせることにした。

「幸子さん、うちの新人です。ご一緒させてもらってもよろしいですか?」

「ええ、もちろんよ。随分とイケメンね。 私…あなたと何処かであったことがあるような気がするわ。どこだったかしら… でもやっぱり違うわね、こんなにあか抜けて素敵な人だったら 忘れるはずがないわ。」

肇はちょっとドキッとした。バレたかと思ったから、

「この店は 初めてですか?」と聞いてみた。

「ええ、イケメン揃いだと聞いたので一度来てみたくて… やっぱり、噂通りね。」

「ありがとうございます。 お酒は何をご用意いたしましょうか?」

拓郎がおしぼりを渡しながら聞いた。

「そうねえ、やっぱりシャンパンかしら、」その言葉に肇がすぐに反応した。

肇はボーイに注文しようとしたが、忙しそうだったので 自分でカウンターに行って

シャンパンを頼んだ。ボトルとグラスを持ってテーブルに戻ると 拓郎と幸子は楽しそうに会話が盛り上がっていた。席に付くとグラスにシャンパンを注いで幸子の前に差し出した。

「あなた達も飲んで、」と幸子に言われ、肇と拓郎もグラスにシャンパンを注ぎ三人で乾杯をした。

「幸子さんとの出会いに乾杯!」 肇が音頭を取った。

幸子は嬉しそうに微笑み指輪を付けた左手でグラスを傾け、半分位を飲んだ。

「素敵な指輪ですね。」肇は幸子が指輪を見せつける様な手の動きをするので、大げさに褒めてみた。

「そう?主人が結婚記念日に買ってくれたのよ。」

「そうなんですか、幸子さんはご主人に愛されてますね。」

「そうかしら、フフフ… 今夜は主人が会社の宴会なので、つまらないから私も遊んじゃおうと思ってここに来たの。」

「ここを選んで下さって嬉しいです。ご主人は大きな会社の重役さんですか? もしかして社長?」

「いっ、嫌だあ、詮索しないでよ。個人情報よ。」

「あっ、すみません。僕とした事が… あまり素敵な指輪なので どんな方が購入できるのかと思ってしまって、申し訳ございません。」

幸子は口から出まかせに自慢話をしていたが チョット突っ込まれて聞かれると慌てて個人情報の保護を持ち出して来た。噓であることは肇には分かっていた。

「何か、シャンパンに合うものを ご用意いたしましょうか?」と拓郎が聞いた。

「そうねえ、軽い物がいいわ。食事は済ませて来たので… あっ、その前にお手洗い

に行って来ても良いかしら?」

「どうぞ、カウンターの左奥にあるドアが化粧室です。ご案内致します。」

つかさず肇が言うと、

「大丈夫よ、一人で行って来るわ。それよりこの指輪を預かっていただけないかしら? 手を洗う時に濡らしたくないの。」

キターーーあの時と同じだ。ここで詐欺をするつもりなのか?肇は興奮した。

幸子はエルメスのバッグの中から 紳士ものらしい大判のハンカチを出してテーブルの上に広げた。何か食べ物があったらやりにくい作業だ。

指輪を自分の指から外してハンカチの中央に置いた。そして対角線の角を合わせる様にハンカチを三角にたたみ 鋭角になった両端を折りたたみクルクルと巻いて小さな長方形の筒状にした。

肇は、このハンカチの中にはもう指輪はないだろうと思ったが ジッと見ていても

分からなかった。恐らくこの右手に指輪を隠している。しかし、違っていたらどうする?心臓の高鳴りが止まらない。

幸子がそのハンカチを左手でエルメスのバッグの中に入れようとした時、肇は思い切って幸子の右腕を掴んだ。そしてその腕を持ち上げて言った。

「幸子さん、この手を開いて下さい。」

「何をするのよ! 手を放しなさい!」 幸子は肇を睨んで抵抗した。

「手を開いて!」 肇は幸子の腕を掴んだ手に 一層の力を込めた。

肇と幸子は互いに睨み合う形になった。険しい顔で睨んでいると幸子の顔はハッとした表情に変わった。

「あんたは…… あの時の……」

「思い出しましたか?」 肇はもう片方の手で幸子の固く握った手の指を一本一本、開かせた。すると、コロンとテーブルの上に指輪が落ちた。

拓郎が驚いた顔で「え――っ、今、ハンカチに包んでいたんじゃないの?」と言った

「拓郎さん、この人、マジックを使う詐欺師なんです。警察に通報して下さい。」

「うっ、うん、」

来店していたオーナーが気付いて近寄って来た。

「お客様、失礼をお許しください。ここではなんですので、どうぞ奥の部屋にお移り願います。」と言った。

幸子は観念したのか大人しく席を立った。そして肇の顔を睨み付けて

「あの時は 随分と甘ちゃんな男に見えたのに、やるわね。」

そう言うと最後にフッと笑った。

「いつも同じ手では バレますよ。」と肇は言った。

やがてパトカーが表の道路に到着すると、オーナーと肇に挟まれた幸子は神妙に店内を歩き、静かに警察に引き渡された。

被害届が出ているだけでも4件、そして本日の未遂が1件。分かっているだけでも4千万円の被害額だ。きっと届けを出していない被害者もいるだろう。

「肇ちゃん、やったわね。頑張ったじゃないの! でもあの女がいなかったら 私は

肇ちゃんと出逢う事もなかったのよね。首にならなかったらベンチなんかで 寝ていなかったわよね。なんだか複雑だわ。」

「僕もなんです。今の仕事、楽しくなってきているし、色んな経験もさせてもらって

とても充実しているんです。」

「でも肇ちゃん、私が言うのもなんだけど、水商売に足を踏み入れると その後の

人生難しいのよ。自分で店を開くのがほとんど、そのためにはお金を貯めて経営の

勉強もしないと…すぐにつぶしてしまってはダメでしょ、」

「はい、だからオーナーは寮を作って皆に余計なお金を使わせないようにしているんですね。」

「あら、分かっているのね。私が関わった人達には幸せになってほしいのよ。」

「オーナーって本当に凄い人ですね。」

「もう…おだてないでよ、」

そこに翔がやって来た「肇、指名が入ったぞ、6番テーブルだ。」  「はい、」

肇が6番テーブルに行くのを見送りながら、翔がオーナーに聞いた。

「何かあったんですか?」

「ちょっとした捕り物よ。」

「捕り物ですか?」

あまりに静かな捕り物劇だったので、離れた席にいた翔には分からなかったようだ。

「肇は2ヶ月足らずで 随分成長しましたね。いい客が付いてきているし、癪にさわるけど櫻子さんにも気に入られてる。」

遠目に肇が接客しているのを見ながら、翔が言った。

「翔も良いリーダーになって来たわ。ナンバーワンはこうでなくっちゃ、真紀ちゃんの時も凄かったって 皆誉めていたわよ。」

「ありがとうございます。」

翔とオーナーは店内を眺めながら話をしている。

「それにしても ここのお客様って若い客がいないわよね。」

「まあ、それは高級クラブで 料金が高いですから、」

「私ね、今度スタンドバーを開こうかと思っているの、若い子も気軽に入れるような店を、」

「はあ……」

「あんたと肇に任せようかと考えているんだけど、」

「はあ?」

「スタンドバーって女性がやってる店が多いけど、イケメンふたりの店って はやると思わない?名前はノアの小舟、どう?」

「ノアの小舟ですか…… いや、でも…ここは大丈夫なんですか?」

「拓郎もしっかりしてきたし、また私がイケメンを見つけて来るわよ。肇は料理も出来るそうだから、丁度いいでしょ、」

「いや、でも……」

「まだ物件を探している段階だから、先の話よ。考えておいて、」

「はあ……」

「さあ、テーブルに戻りなさい。お客様がお待ちかねよ。」

「はい、」 翔は通路を歩き 肇が接客しているテーブルの横を通り抜けようとしたが、何となく肇を見てしまった。それに気付いた肇は「翔さん、何か?」と聞いた。

「いや、別に…… 頑張ってるな、」  

「はい……」

日頃の翔に似合わない言動に肇は戸惑い 翔さん、なんか変…と心の中で思った。

肇はまだオーナーの考えていることなど露ほども知らず 自分は不動産の資格を取って、ノアの方舟でしっかり働いて将来の為にお金を貯めていくんだと 心に誓って

いるのだ。

オーナーはまだ先の事と言っていたが 良い物件が見つかれば こう言う事は早く

進む物だ。来年の今頃は 翔と一緒にスタンドバーノアの小舟を経営しているかも

知れない。

まだまだ肇の人生は前途多難なのだ。


                       ーENDー


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ノアの方舟 @manju70

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