長袖の彼女

 彼女は飯田結花いいだ ゆかという。

 高校二年のクラス替えで初めて話すようになった彼女は、夏になっても長袖のままだった。

 決して袖を捲ることなく、夏服になってもカーディガンを羽織っていた。

 理由を聞けば、教室のクーラーが苦手で冷えるのを避けるためだという。

 でも、彼女はクーラーのない外での体育の授業でも長袖の体操服を着ていた。決して袖を捲ることはない。短パンは履いているのに。


「なあ、カーディガンで暑くないのか」

「ない」

 放課後、日直の仕事として任されたクラスの雑務の最中に疑問を問いかけると、はっきりと否定される。

 どうやら本当に踏み込んでほしくないことなのだろう。これ以上は話さないという目でこちらを見てくる。それでも、理由を知りたいと思うのは罪なことなのだろうか。


 そうして、話をそらして他愛のない話をしながら雑務を終わらせる。職員室に向かい、担任に作業をしたプリントを渡すと、体育館にいるバスケ部の顧問に渡してほしいとプリントがあると新たな雑務を任される。

 仕方がないとプリントの束を受け取ると、彼女が半分に分け、一緒に行こうと声をかけてくれた。

 一人でも持てる重さがさらに軽くなる。不思議と心も軽い。そう思いながら廊下を歩き体育館に向かう。


 都合よく入り口近くにいたバスケ部の顧問にプリントを渡し教室に戻ろうとした時、背を向けた顧問が怒号を上げた。

 もっと真剣に練習しろという顧問の思いを学生に向けていたのだろう。熱血らしい顧問の愛だなと思ってその場を立ち去ろうとすると、彼女の異変に気が付く。

 黙った彼女はカーディガンの上から強く左腕に力を入れていた。


「どうした?」

「具合悪いか?」

「嫌なことでもあったか?」

 声をかけても反応しなくなった彼女の肩に腕を回して体育館から離れる。

 途中で自動販売機によって水を買い、教室に戻る。彼女はそれまで黙ったままだったが、ごめんと一言だけ言って自分の席に座った。


 隣の席に座る。

 何かあったと聞く前に、彼女が口を開いて思いを伝えてくれた。

 よく、父親が声を荒げて怒っていたという。理由は些細なことばかりで、注意していようが毎日怒られていた。母親と姉は反抗的な態度も取っていたそうだが、彼女はただ謝ることしかできなかった為、標的が彼女に集まり耐えるだけの日々を送っていたそうだった。

 そんな毎日の中で、自分の心を保つために怒られると腕を強く握る癖がつき、それは母親が離婚した後も男性の怒号を聞くたびに傷つけていたという。自分が怒られていなくても、その癖は治らず、腕の傷はどんどん増える一方で隠さざる負えなくなり、どんな時でも長袖を着るようになったらしい。

 普段は温厚なバスケ部の顧問だから怒っているタイミングに鉢合わせないだろうと踏んで体育館に行ったが、怒号が彼女の思いもよらない形で発症してしまったのだと説明された。


 ごめんという彼女に、どんな言葉を伝えればいいかわからなかった。でも、一つだけ自分ができることを考え、そっと左腕をさする。


「いたいのいたいのとんでいけ」

 腕の痛みを、彼女の心の痛みを少しでも減らせるように祈りながら腕をゆっくりさする。


 少し泣きそうな声で、「痛くない、治った。魔法使いだね」という結花の声を聞けて力になりたいと強く感じた。

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彼女の話 西原小夏 @ifo4aow

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