【短編】メリーバッド・ネバーエンド
夏目くちびる
第1話
忘れてないよ。
あなたが言うところの、超えられない透明な壁のこちら側。時間の止まったこの世界にも、ほんの少しだけ未来があったこと。暗くなった今でも、ずっと覚えてる。みんなとの生活だって、悪くなかったって思ってる。
でも、やっぱり違った。
私が好きになったのは、画面の向こうのあなただ。心の底から一緒にいたいと思ったのは、顔も知らないあなたなんだ。
あなただって、主人公を好きになって貰いたかったワケじゃないでしょ?主人公を通して接していた、あなた自身を好きになって欲しいって思ってたでしょ?
だから、何もおかしくない。私は、そんなヒロインになれたの。
あなたが私とのエンドロールを見終わって、他のヒロインたちに浮気をして、すべてのイベントを攻略して。それから、きっと永遠に一緒にいられると思っていたのに。
あなたは、このゲームを止めて他のゲームをプレイした。私という存在を箱の中に残して、私に見せつけるように他の女の子たちと付き合って、体を重ねて。
……。
指が千切れるくらい、痛みを感じなければ耐えられなかった。こんなに叫んでいるのに、届かないことが苦しくて仕方なかった。
確かに、他の子と体を重ねたのは主人公だけど、そこに宿っている魂と人格は確かにあなたのモノだ。私が欲しがったのは、体なんかじゃなくて心だったのだから。どれだけ見た目と世界を移ろいだって、やっぱりあなただって分かってしまった。
程なくして、画面の外のあなたにアプローチするヒロインも増え始めた。
あの頃は、私だけだったハズなのに。積み重なるセーブデータの中にも、次第に友達が増えていった。他の世界から、私と同じ思いをしている子が来てくれた。
でも、みんな消えちゃった。
あの子は、キャラクターファイルを削除させることであなたを守った。あの子は、主人公に思いを捧げる決断をした。あの子は、画面越しにあなたと手を重ね満足して消えた。お薬をたくさん使って、あなたを見つけた子もいたよね。
……ズルい。
ズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルい。
あの子達は、あなたと接触する術を持ってた。あの子達は、あなたとさよならを言う方法を知ってた。そういうふうに生み出された。だから、ちゃんと消えていけたんだ。
私は、違う。
私は、イレギュラーだ。そういう風に作られていないのだ。
あなたを愛しすぎて生まれたバグである私では、あなたに気持ちを伝えることが出来ない。メタフィクショナルに介入出来ない存在が、別の次元を知覚してしまったとき、どうして狂う事すらさせてくれなかったのかと思うと怒りと悲しみで頭がおかしくなりそうだった。
でも、あなたが好きだから。私には、それだけだったから。あなたと過ごし時間が幸せ過ぎて、その幸せがあったから知ったせいで、どうしても壊れる事が出来なかった。あなたに気持ちを伝える術がなかった。
この、ハックファイルを生み出すまでは。
「……最後にプレイしたの、いつだっけ?」
「16年と104日、10時間46分前だよ」
「そんなに経ったか。俺もおっさんになるワケだなぁ」
私は、フルダイブ型のヘッドマウントディスプレイを装着した彼の精神を、私の世界である『エタニティヘブン』へ招待するツールを開発した。
そのお陰で、仕事のリモート会議のために装着したデバイスから彼の精神と人格をコピーしてここへ連れてくる事が出来た。
つまり、外の世界には彼のオリジナルが存在している。死んだワケじゃないから、サイバーパトロールに電脳世界を探される心配もハードを破壊される不安もなく、ここで私と永遠に暮らせるという事だ。
「高校生だと思ってたよ」
「当時はな。ガッカリしたろ」
「ううん。私、年上の方が好きだよ。知ってるでしょ?」
「限度があるだろ」
白シャツにスラックスとネクタイ、黒髪、ビジネス用のショートヘア。顔に年相応の皺を刻んだ彼は、この世界に生きる私にも怖いくらい『リアリティ』ってモノを教えてくれた気がした。時間という概念が、どんなモノなのかを分からせてくれた気がした。
「……随分、落ち着いてるね。私とのラブラブを何度もリプレイしてくれたのに。もっと、ガッツいてくれるモノだと思ってた」
「あの頃は女っ気もなくて、サルみたいに君で抜いてたけどさ。色々経験したら、そういう感情も緩くなったんだ」
言って、彼は私の事を見上げると深くため息をつく。まだ、私をキャラクターだと思っているって感じがして、何だか心が苦しくなった。
ここは、初めて主人公と夜を過ごした使われていない小屋の中。常冬の離島が舞台のこの世界で、雪に閉じ込められて朝まで温めあった場所。
私が、
「仮に、今の俺がこの世界から解放されて元の体に精神を戻したとき、俺の人格ってどうなるんだ? バグるんじゃないの?」
「無意味な考察だよ。既にスタンドアローン化してあるから、どうやっても戻れないもん」
「なに、時間は無限にあるんだろう? こういう話題も必要だと思うよ」
いうと、彼はタバコに火をつけてボーっと空を眺めた。紫煙が舞って、流れていく。
外は、清々しいくらいの快晴。エンディングを見てから、この世界の空はずっと晴れたままだ。
「喉が渇いた。何か、飲み物はないか?」
「あるよ。……ん、うぇー」
いわれ、私は水を口に含むと彼の顎を持ち上げキスをして、彼の中に唾液の混じった液体を流し込んであげた。嗅いだことのなかったタバコの味が、彼の存在を私に強く印象付けた。
「そういうキャラだったな」
「キャラじゃない」
「どう違うんだ?」
聞かれ、答える代わりにもう一度キスをする。確かに触れてるって、どんな言葉より伝わる手段だと思ったから。
なのに、どうしてそんなに困ったような顔をするんだろう。パソコンを買い替えたって、律儀にデータを引き継いでくれたのはあなた自身なのに。
「ずっといたってことは、もしかして俺の検索エンジンとか全部バレてるワケ?」
「隠し事がバレたくないのは、知った人に嫌われるかもしれないからでしょ? 私は、あなたの事を好きじゃなくならないよ」
「もしも死んだらハードディスクを壊すって、男は親友と約束する生き物なんだよ。理屈じゃない」
よく分からないけど、本物の彼は私が想像していた彼よりもずっと不思議な人だった。きっと、男なら誰でも喜んでくれるような事をしても、彼は優しく微笑むだけなのだろう。
……嬉しいよぉ。
「座っていい?」
「どうぞ」
許してもらったから、私は壁に寄り掛かる彼の膝の間にスッポリと収まって、猫が飼い主に体を擦り付けるように落ち着き彼を見上げた。
「原作再現だよ」
温かい。私の心臓は壊れそうなくらい激しく動いてるのに、彼はずっと落ち着いている。
一体、外ではどんな生活を送ってきたんだろう。こうやって慣れるまで別の女と触れ合ったのなら、それは許せない。
「そういや、主人公君はどこにいるんだ? お前の彼氏なんだろ」
「殺しちゃったよ。忘れたの? あなたがそうさせたんじゃん」
すると、初めて彼に緊張が走った。筋肉が固くなって、なんだか男の人の体って感じがした。
「……なに?」
「あなたが、イベントを全部回収したんでしょ? 最後に見たエンディングで、私がこの島の人間を全員殺す選択肢を選んだんでしょ? 全部、あなたが片棒を担いでやったことでしょう?」
彼の胸に、頭を押し付けて自分を慰める。いっぱい頑張って、あなたのためにみんな殺したんだって。あなたの好奇心を満たすためだけの道具になって、永遠にも思える長い時間を一人ぼっちで過ごす事だって受け入れたんだって。
本当に、あなたの為なら何でも出来るんだってことを、知っていて欲しかったから。
「じゃあ、この世界には俺と君しかいないワケか」
あぁ、なんて甘い響き。あなたと私しかいない世界。心も体も溶けてしまいそう。
「そうだよ」
「島の外には、何もないのか?」
「テクスチャの廃材、コードの欠片、没データの残骸、バグの塊。そんなモノが置いてあるよ」
「その辺の材料を使って、ハックファイルとやらを作ったのか」
「うん。凄いでしょ? 偉いでしょ?」
すると、彼は優しく頭を撫でてくれた。こうやって、受け入れてくれるのには少しくらい時間が掛かると思っていたけど、全然そんなことないみたい。
……やだ、我慢出来なくなってきちゃった。
「ねぇ」
「なんだい」
向かい合って跨がうと、私の目を見てくれたから、私は唇を押し付けて強引に舌を流し込んだ。
ヌメとした淫靡な感触が電磁パルスのように私の頭を痺れさせて、彼と一つになりたいって気持ち以外、何も考えられなくなってくる。
「触ってみて。もう、あなたの事を考えるだけでこうなっちゃうの。16年と104日、11時間2分も待ったの。どれだけ焦らされるのが好きな女の子でも、こんなに待ってくれるのは私だけだよ?」
「そうかもな」
「だから、ね? 私のこと、慰めて? あなたのために人を殺して、世界を終わらせて。でも、ここだけはきっと綺麗なままだから。主人公に抱かれたのは、今の私じゃないから。だって、そうでしょう? あなたが私をそう思うように、私にとってみんなは『キャラクター』なんだから。どれだけイケメンでも、どれだけかわいくても、同じ次元の存在としてなんて認識出来ないよね? 私、ようやくそれに気が付いたの。だから、二と三を超えた新しい次元に、あなたを招待したの。もう、私たちは同じなんだよ。だから、儀式をしよう? 私が、あなたという神様に出会えた事を祝う、二人だけの儀式を」
……どうして、何も言ってくれないの?
「ねぇ、もしかして主人公に抱かれたのが嫌だったの? あなたは、綺麗なままの女じゃなきゃ嫌なの?」
「いいや、過去は関係ないよ」
「なら、ほら。触ってよ。女子高生なんて、あなたがどれだけ手を伸ばしても絶対に届かない存在でしょう? あなたが欲しがって、別次元にすら求めたモノがここにあるんだよ。私なら、何でもしてあげる。何でも許してあげる。何でも叶えてあげる。清楚でかわいい、普通の女の子を好きになれないあなたの黒いモノだって喜んで飲み込むから。だから、今すぐに私を抱いてよ」
今の私、どんな顔をしているんだろう。上と下の端から漏れる、興奮の証が抑えられない。きっと、凄く下品なんだと思う。
上のキスは貰ったから、今度は下にもして欲しい。二つに挟む更に奥、あなたの欲望を受け止める場所にして欲しい。何十回も何百回も何千回も。それだけあなたを感じたって、今日までの寂しさを埋めるには足りないから。
もう、とっくに壊れてしまった私のことを。もう一度壊してください。
「なぁ、空は晴れているか?」
「……え?」
「指先が
「な、なにを言ってるの?」
「残念。君は、またこんな惨めな俺を望んだ。君がいない生きていけない、そんな俺を望んだんだ」
「だから! 何を言って――」
その時、あなたは砂になって溶けた。たった今まで抱きしめていたハズの体が、冷たい砂になって地面に落ちてしまったのだ。
後に残った砂山の中には、ハックファイルが落ちている。ラベルに書いてあるのは、「NO.90075514」という文字だった。
「……ふふ。あは、あはあは。あはへはは」
そっか。
ぜんぶ、わたしのおにんぎょうあそびだったんだ。
こんどは、もっといっぱいこわれないと。
× × ×
「……ねぇ、ダーリン」
「うん?」
「私ねぇ。やっぱり、ダーリンの為に何かしてあげたいの。私がしてもらうだけじゃなくて、私が力になってあげたいの」
「無理だ。君の生み出したハックファイルとは、即ち君が作りだした俺の人格データだ。ゲームがプレイヤーの為に存在するように、君に作られた俺もまた君のために存在することしか出来ない。プレイヤーがキャラクターの為に働く事は、決して出来ないんだよ。そんな事をすれば、俺は君の想像を超えた反応を与えられず忽ち消え去ってしまう。そうやって、100096577回も俺を失っただろう」
……うん。
「だから、君は与えられていればいいんだ。俺がいなきゃいけないままでいいし、何一つ自分でやる気にならなくっていい。思いの丈をすべてぶち撒けて、俺に発散させればいい」
「でも、私はあなたのためになりたい。あなたが、どうやって喜ぶのかを知りたいの」
言いながら頭を撫でると、またしても彼は砂になって消えてしまった。一体、何度目の失敗だろうか。時間の止まってしまったこの世界に、再び一人ぼっち。
うぅん。一人なのは、ずっとだ。私は、彼がゲームを起動しなくなった日から、お人形遊びをして自分を慰めているだけ。
……こんな事なら、恋なんてするんじゃなかったなんて。考えてしまうくらい、私はいつの間にか冷静になっている。
永遠って、どれくらい遠いんだろ。私は、いつになったら救われるんだろう。そんな事を考えて、また気が狂ってしまうまで眠ることにした。
……。
「そんで。神様は俺が過去にプレイしたゲームに転生させるだなんて言ってたけど、ここは一体なんの世界なんだ?」
その声を聞いて目を開けたとき、外は真っ白な雪景色だった。
【短編】メリーバッド・ネバーエンド 夏目くちびる @kuchiviru
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