第37話 宝石
果たしてその頃。
人知れず、ヴィオラは王城の一画に侵入を果たしていた。
マリエとナサニエルの脅迫——じゃなかった説得に少しばかり手間取ったものの、王都に、そして王城に侵入するのは拍子抜けするほど簡単だった。
あらかじめ赤竜丘陵に隠しておいた化石号に乗って王都の近くまで駆け、そこからは野営地を撤収する騎士団の荷車に隠れて王都の門を潜った。王城には普通に壁を登って侵入するしかなかったが、監視は甘く、白昼堂々、敵の本丸に乗り込むことに成功したというわけである。
恐らく、囮が適切に作用したのだろう。国王直属のマントを羽織った一団がワイバーンに乗って出ていくのも見えたし、王城内は手薄になっていると考えて間違いない。
だが困ったことがひとつ。
忍び込んだはいいものの、国王の居場所がわからない。
王城は焼け落ちて建て直された際、大幅に間取りが変わってしまっていた。アリウと侵入した上階はそこまで変わらなかったが、一階はまるで違う。
かつての執務室への道を辿っていたはずだが、気づけば誤魔化しようもないほど完全に迷子だ。間抜けなことだが、ちょっとしたピンチである。
ナサニエルの擬態は長くは持たないだろうから、早めにケリをつけねばならないというのに、こんなことで足止めを食らうとは。
焦る気持ちを押し殺し、、見つからないように慎重に、どうしても接触を避けられない場合は速やかに相手を無力化して、広い廊下を進んでいく。
いくつも並んだ扉のひとつを横切ったとき、中からなにやら言い争う声が聴こえた。
聴き覚えのある声だ。気になって足を止める。
「離して! 弟がまだ戻ってきてないの。迎えに行かないと」
「落ち着いてくださいイヴェットさん。あなた死にかけたんですよ? まだ動いては——あっこら!」
がたがたどんがらがっしゃん、と大騒ぎする音。
後半はわからないが前半はたぶん、最初に王都に侵入した夜にやりあった竜騎士だ。副団長と呼ばれていた気がする。
「あ」
扉に耳を押し当てていると、いい考えが思い浮かんだ。我ながら名案だ。
うんうんと満足げに頷いて、扉を開け放つ。
中にいたのはふたりの女性だ。ワンピース姿のストロベリーブロンドの女性と、上半身に包帯を巻き上から竜騎士団の制服を羽織った黒髪の女性。
寝台を挟んで睨みあっていたが、突然の闖入者に仲良く顔を上げる。が、ふたりが次の行動に移るより早く、ヴィオラの蹴りが炸裂した。ストロベリーブロンドの女性が声もなく寝台に倒れ込む。
黒髪の女性は寝台の脇に立てかけられていた剣を取って応戦しようとしたが、抜剣するより先に喉元に短剣を突きつけられて硬直する。
「やめとけ。その身体じゃ無理だよ」
「……そのようね」
ため息をついて、剣から手を離した。
「貴女の邪魔はしないと言ったら、見逃してもらえるかしら。急いで行かなきゃならないところがあるの」
「……弟のところなら、たぶんもう手遅れだよ」
「っ、どうして貴女がそんなことを? まさか殺したんじゃないでしょうね」
紺の瞳がぎらりと光り、勢いよく動いた手が短剣を掴んだ。皮膚が裂けて血がこぼれるのも構わず刃を握る。
ヴィオラはぎょっとして後ずさろうとした。目の前の女性が短剣を掴んでいるせいでそれは叶わず、わずかに顔を逸らすに留まる。異様な食いつきようだ。話の振り方を間違えたか、と思うが、やり直すこともできない。。
「おれは、なにもしてない」
「じゃあ、私同様黒竜に……」
青ざめる彼女に首を振った。
「いや。でも今ごろは国王直属部隊に捕縛されてるかもね」
心当たりが、あるはずだ。
そう、まっすぐに目を覗き込めば、夜の海のような瞳に動揺が走った。
彼女がアリウの親友の姉だというのは容姿からの想像に過ぎなかったが、この様子ならば間違いはないだろう、と確信を抱く。
「うそ……でもっ! そんな……」
短剣を離し、その場にしゃがみ込んだ。血まみれの手で頭を覆う。
勢いよく立ち上がり、ヴィオラの肩を鷲掴みにした。
「お願い行かせて! どこにいるか知っているんでしょう⁉︎」
「知ってるけど。行ってどうする?」
「助けるに決まってるでしょう」
「今から赤竜丘陵に飛んで、間に合うと思う?」
「赤竜丘陵……」
女性が呆然と座り込んだ。
ここから赤竜山脈へは、思い切りワイバーンを飛ばしたとしても一時間以上かかる。それで弟の危機に間に合うかと言われたら、まず難しい。
「けど、」
彼女の前にしゃがみ込み、視線を合わせる。
「助ける方法なら、あるよ」
獲物が罠にかかったのを見つけた狩人のように、微笑んだ。
*
花火が打ち上がった。
あれは配下がヴィオラを発見したという合図だ。今ごろ彼女を追い詰め、抹殺の任務を遂行していることだろう。
サフィールは大きく息を吐き、窓辺を離れて執務椅子に座った。背もたれに寄りかかり、髪を掻き上げる。
これで肩の荷がひとつ降りた。
残る気がかりといえばアリウだが……。ヴィオラと一緒に赤竜丘陵に向かったというから、問題はないだろう。
だが気になることがひとつある。
ヴィオラの行動だ。
野営地に現れて竜騎士団を引っ掻き回したかと思えば、黒竜を討伐しに向かったアリウを止めようともしない。行動に一貫性が見られない。
アリウに逃げるついでだからとでも言われたのだろうか。あるいはアリウを牢獄から出す撹乱として、黒竜の存在が必要だっただけなのか?
だが実際のところアリウを牢から逃したのは暴走した彼の元部下だった。
ああそうだ、逃走に手を貸した三人の処遇も決めなければ。脱獄幇助程度では謹慎か降格、頑張っても解雇程度の処罰しか下せない。後々を見据えると監視しやすいよう解雇はしないが——。
面倒だ、とため息をつく。
反抗的な不穏分子はまとめておいたほうが監視が楽かと一隊に突っ込んだが、考え直したほうがいいだろう。また今回のような事態が起きては困る。
ひょっとすると、彼の隊にいた他の騎士もなにかしらの形で関わっているかもしれない。だが彼らはみな赤竜丘陵に向かったようなのでいっそ楽だ。まとめて始末し、黒竜との戦いで命を落としたとして処理すればいい。
厄介事というのは次から次へと湧いてくるものだ。
ひとつ片づいたと思えば、新しくまたひとつ現れる。
さらに言えば、恐らくこの黒竜による襲撃は、カトレイヒ帝国にとって襲撃ですらない。
ただの牽制か、あるいは現地の間者による暴走。
本命はこの後に控えている。
ヴィオラめ、厄介なときに引っ掻き回してくれたが、戦を前に死んでくれただけよしとしよう。少なくとも、内乱で疲弊した大地に攻め込まれる事態だけは回避したのだから。
トントン、と軽いノックの音がした。
ティファニか。
扉を見ることなく入室を許可する。怪我人のうちでも特に重体で運び込まれた数名の治療のため席を外していたが、随分と長くかかったものだ。
扉が開き、閉まった。
目を向ければ、そこに立っていたのは予想した人物ではなかった。
内心の驚きを押し隠しつつ、目を瞬かせる。
「カリュクス副団長か」
もっとも重傷だったはずの人物だ。
上半身は包帯でくまなく覆われ、団服は上から軽く羽織ったのみ。自慢の黒髪は艶なく広がり、片目は眼帯で隠されている。
「重体と聞いたが、もうよいのか」
「は。しかしこのような身体ゆえ、御身の前に膝をつかぬ無礼をお許しください」
サフィールは鷹揚に頷いた。
「して用件は?」
「まずは作戦総指揮の任を仰せつかったにもかかわらず、不甲斐なくも無様を晒したこと、お詫び申し上げます」
「よい。貴殿は充分な働きをしてくれた。これからも変わらず、王家への忠義を期待する」
「有り難きお言葉」
イヴェットが傷に障らぬ程度に頭を下げる。
「ですが黒竜撃破の功績は我が弟ベンジャミンとアリウ・フォルトナーによるもの。つきましては——」
滑らかに、彼女の右手が動く。それは剣の柄にかけられ——サフィールの背後に控えた二名の護衛が動き出す。
彼らが前に出るより早く、イヴェットの影から小柄な人影が飛び出して瞬く間に護衛を無力化した。
決着は一瞬だった。
イヴェットの剣がサフィールの目と鼻の先に突き出され、もうひとりの短剣が背後から喉元に突きつけられる。
「——つきましては、弟の助命を嘆願したく」
剣圧が風を生み、サフィールの髪を悪戯に乱した。
ごくりと唾を飲み、目だけ動かして背後で短剣を構えた相手の顔を見ようとする。
だが顔を見るまでもなく、相手の正体はわかった。
「いやそこは弟とアリウって言えよ」
耳をくすぐった響きは、さながら死神の吐息だった。
サフィールの背後からがっちりと腕を回し、喉元に短剣を突きつける。
「さて兄上。賢いあんたなら、どうすればいいかわかるよな?」
重い沈黙が執務室を支配した。サフィールの喉が鳴る。
「貴様、どうやって——まさかあれだけの騎士を倒してきたとでも言うのか⁉︎」
わずかに震えた声が問いを吐き出した。
信じられない、信じたくないという思いが節々に滲み出ている。
「まさか。ただの衛兵程度ならともかく、生え抜きのエリート騎士相手にそんな無茶しないよ」
ヴィオラは鼻を鳴らした。
「ならばなぜここに!」
「ちょっと考えてみればわかることだ。騎士たちはちゃあんと仕事をしてるよ。——ただし、おれの偽者相手に」
「なっ」
びくりと身体が動き、短剣が皮膚に食い込む。鮮血が喉をつたう。
「動くなよ。そんでもって、とっとと騎士どもに作戦の中止命令を出せ。二度とおれやアリウに手を出すな」
「断ったら?」
「殺す」
明確な殺意を込めて後頭部を見下ろした。
「おれがここを離れた後で刺客を送り込んできたら、ルヴィーダにおまえの悪事を告げる」
奥歯を噛み締める音がした。
ぶるぶると全身が震えていた。それは恐れではなく、怒りによるものらしい。
「そうしてどうする? 貴様が代わってこの国を治めるか? 貴様にそれができるのか?」
「いいや? しないよ、そんな面倒なこと」
「多くの民が死ぬぞ」
「知ったことじゃない」
冗談じゃないとばかりに吐き捨てた。
「……やはり、貴様を殺しておく判断は間違っていなかったようだ」
低く呟かれた言葉に、苛立ちを覚えて目を細める。
まるで、ヴィオラが快楽で人を殺す悪魔だとでも言わんばかりの口ぶり。殺さなければ殺される状況に追い込んでおいて、よくもまあそんな台詞が吐けたものだ。
「誰だって自分の命が一番惜しいのは当然だろう」
「ひとりと多数の命の重さでは釣り合わない」
言い切ったサフィールに、ヴィオラはしばし瞑目する。
再び、沈黙が部屋に落ちる。サフィールもイヴェットも、黙りこくってヴィオラの出方を待ち受けていた。
「……おまえがおれを殺そうとしたのは、ルヴィーダがおれを次期国王に指名したからか?」
やがて、ゆっくりとヴィオラが尋ねる。
それに反応したのはイヴェットだ。
「なっ、この国の王位は長子が継ぐものでは?」
ヴィオラとサフィール、色も輝きも違う二対の宝石がイヴェットを見た。珠玉の目線を受け、イヴェットは気後れしたように半歩下がる。
「正確には、違う」
答えたのはサフィールだった。
「王位を決めるのは宝石の瞳の輝きだ。より美しい宝石を持つ者が、この国の王となる」
「それは、つまり……」
「王太子はおれになるはずだったってことだ、忌々しい」
ヴィオラは舌打ちした。
ふたりの正面に立ったイヴェットには、彼らの瞳がよく見えるはずだ。当然、その輝きの違いも。
国王のサファイアは美しいがやや色が薄く、宝石というより氷のよう。
一方でヴィオラのルビーは飲み込まれそうな真紅をしていた。窓からの光を受けずとも燦然と輝き、見た者を捕らえて、決して逃しはしない。血の底沼のような深い赤。
「だが多くの場合、より美しい瞳を持つのは長子だった」
苦々しげにサフィールが補足した。
「だからずっと長子が王位を継ぐものと思われていた。そんな中で、第二王子が王太子になれば、どうなる?」
イヴェットがはっとしたように息を飲んだ。
「第一王子派と第二王子派で、内乱が……」
「そうだ」
「それでも、もっと穏便に済ませる方法はいくらでもあったろう!」
被せるようにして響いた怒声はヴィオラのものだ。思わず手に力がこもり、切っ先が深く食い込む。
「ぐ……」
苦しそうな声がサフィールの口から漏れた。
彼が答えないでいると、血が襟元を濡らしているのに気づいたヴィオラが手を緩める。だがそれきりで、わざわざ止血してやったりはしない。
「……確かに、ぐ、あったとも」
サフィールは顔を顰めながら答えを口にした。
「だがそれには時間がかかる。そしてその間に、帝国が攻めてくるのが目に見えていた」
「そんなにも、前から」
イヴェットが目を見開いた、
ヴィオラは眉を寄せ、絨毯の上に唾を吐いた。
「じゃあ、おまえが死ねばよかったんだ」
淡々と、怒りもなく。ただ諦念にまみれて事実を指摘する。
「そうしなかったのは、おまえが死にたくなかっただけのことだ」
「っ、そんなことは——っ!」
ない、とただ一言。
サフィールが言い切ることはなかった。
「覚えておけ。自分の命は世界よりも重いんだよ」
がらんとした部屋にどうしようもない後味を残して。
死者の帰還により始まった騒動は、幕を閉じた。
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