第36話 逆転

 まっすぐに撃ち出された矢は黒竜の翼を貫いた。

 両の翼を奪われた黒竜は飛ぶ手段を失い、つけ根に残った部分でどうにか羽ばたこうとするも叶わずに、無様に風に煽られながら落ちていく。

 どっと歓声が上がった。城壁の衛兵も、竜騎士も、ワイバーンでさえもが口々に歓声を、勝鬨の声を上げる。

 長い戦いだった。

 バリスタの装填には時間がかかるため、射出のタイミングには慎重にならざるを得なかった。

 一撃でも中途半端に当たれば怒り狂った黒竜がバリスタを狙って突進してくることは疑いなく、分厚い胴体を狙っても仕留めきれない可能性があった。

 そこで南門からもう一基のバリスタを運ばせ、二矢で両翼を同時にもぐ作戦を取った。その間竜騎士団は黒竜相手に時間を稼がねばならず、疲弊したのは言うまでもない。

 ベンジャミンは大きく息を吐き、額をびっしりと覆っていた汗をぬぐった。

 難所は越えたが、これで終わりではない。翼をもいだだけで、まだ完全に殺したわけではない。なにせ首を引きちぎられても逃げ帰った怪物である。殺しきれずとも徹底的に無力化するまで、油断はできない。

「頭を狙え!」

 叫んだ指示に被せるようにして、耳慣れぬ高音が辺りに響いた。

 ギュイーンという不自然な、耳鳴りよりも甲高い音。

 はっとして黒竜を見下ろせば、その口元に白い光が集まっていた。なにをするつもりかわからないが、猛烈に嫌な予感がする。

「退避‼︎」

 とっさに取れた行動はただ一言、命令を発することだけだった。

 衛兵たちが慌てて城壁の向こう側に隠れ、ワイバーンたちが上空に羽ばたく。

 黒竜の口から真っ白い光が吐き出され、城壁の上部に衝突した。重い質量をもったなにかがぶつかったような爆発音が轟いた。

 暴風が全方位に吹き荒れた。ベンジャミンは振り落とされぬよう雪姫の鞍にしがみついた。

 ようやく風が止み、土煙が治まったとき、城壁の上部には丸く大きな焦げ跡がついていた。ワイバーンの鱗を織り交ぜ、炎にも衝撃にも強いはずの壁が黒く焼け、白い煙が立ち昇る。ところどころ赤く燃えたままの跡に背筋が冷えた。城壁がなければ、王都一帯が焼け野原になっていたかもしれない。

「衛兵! バリスタを!」

 大声で急かせば、城壁の上で頭を抱え丸くなっていた砲撃手が慌てたように飛び上がった。震えの治まらない手でもたもたと矢を装填し直し、黒竜の頭部に狙いを定める。

 黒竜はぎらつく目で睨んだが、もはや抵抗する術は失われたようだった。先の光線が最後の隠し玉だったのだろう。

 黒竜の頭部が矢によって地面に縫い留められ、完全に動きを止めると、城壁と空は歓声に沸いた。今度こそ終わったのだ。

 けれどベンジャミンは言い知れぬ不安が胸中に湧き上がるのを感じ、東の空に視線を彷徨わせた。ルヴィーダもアリウたちも、まだ帰ってきていない。彼らに限って詰めが甘いなどということはないだろうが、もしあの光線を食らっていたらと思うと不安が拭えない。

 居ても立っても居られなくなり、東に進路を取った。

「ベンジャミン隊長?」

「すみませんゼノヴィア隊長、ここは任せます!」

「は? いやちょ、え?」

 後ろでゼノヴィアがなにか叫んだが、風に阻まれてベンジャミンの耳には届かなかった。

 猛然と騎竜を駆り、一路東を目指す。

 赤竜丘陵の手前でルヴィーダを見かけた。どうやら無事だが、無傷とはいかなかったのか地面に四つん這いに寝そべって、周囲を小隊が固めている。

 アリウたちは、と周囲を見渡すと、少し北のほうで花火が上がるのが見えた。あれは緊急連絡用に打ち上げるものではなかったか。普段の任務で持たされることなどないはずのものだが。

 嫌な予感が強まるのを感じながら、花火が上がったほうに進路を向けた。


   *


「気に食わない、なっ!」

 アリウの腕がゲイリーの剣を弾いた。

 ゲイリーは姿勢を崩してよろめいたが、すぐに剣を引き戻して続く打撃は防ぐ。

「自分たちが殺そうとしておいて、反撃されたら相手を悪者扱いか! とんだ正義だな!」

「っ、詭弁を! そもそも陛下が涙を飲んで妹を手にかけようとしたのは、彼女がこの国の癌になるからだ」

「それが偽善だって言ってるんだ! なにもしてない子供を殺すことのなにが正義だ?」

 激しい攻防を繰り広げながら、舌戦も決して止まらない。

 剣を振り下ろし、拳を繰り出し、蹴り、足を払い、押しては押し返して、戦いは一向に決着がつかない。

「——まさか貴様、陛下がああしなければならなかった理由を知らないのか? 仮にも第二王子の婚約者であった貴様が?」

 ゲイリーがはたと目を見開いた。どういう意味だと顔を顰める。

 どちらからともなく、距離を取った。

 アリウにはゲイリーがなにを言っているのか見当もつかなかった。どんなものであれ、ヴィオラが殺されねばならない理由などあるはずがない。

「この国の王位継承権が出生順なのは知っているだろう」

 戸惑いながら頷いた。それとこれとになんの関係が——考えかけて、ひとつの可能性に思い至る。もしそうだとしたら、あまりにもやるせない、酷くくだらない理由だ。そんなことのために大勢の人間を、ヴィオラを殺したのか。

「先王陛下は、第二王子を王太子にしようとしていた」

 続く言葉はアリウの予想をこれ以上ないほどに裏づけた。

 あんまりだ。

 首を振り、聞きたくないと顔を伏せる。

「そうなれば国は荒れる。大勢の民が死ぬ。だからあらかじめ芽を摘んでおかなければならなかった」

「ふざけるな!」

 響いた怒声は、アリウのものではなかった。

 誰もが驚いて声の持ち主を振り返った。黙って事態を静観していたはずのユニスとファニーが、全身を怒りに震わせてゲイリーを睨んでいた。

「そんなことのために! そんなことのためにあたしたちのお兄ちゃんは死ななきゃならなかったの⁉︎」

「そんなことだと?」

 ゲイリーだけではない。周りを取り囲む竜騎士たちも不快げに眉を寄せ、姉妹を睨みつけた。

「強引にでも第二王子を殺さなければ、内乱で大勢が死ぬところだったんだぞ」

「そんなことしなければお兄ちゃんは死ななかった!」

 ぐ、とゲイリーがたじろいだが、すぐに立て直して声高に叫ぶ。

「すべて第二王子の存在が悪いのだ」

 ぷつんと音を立てて、アリウの心を縛っていた糸が切れた。

 陛下は国民のために粉骨砕身しているから。誰よりも聡明な王だから。

 だから、怒ってはいけないと、幾重にも幾重にも巻きつけていたいましめが切れていく。

「……ふざけるな」

 ファニーと一言一句、同じ台詞。

 けれど声は静かで、耳を澄ませなければ聴こえないほど小さい。

 それなのにその場にいた誰もが凍りついて、アリウに視線を向ける。

「陛下は短絡的に妹を殺そうとする前に、対話を試みるべきだった」

 低い声は地を伝い、背筋を這い上った。騎士の幾人かが無意識に身震いする。

 そうすれば、ヴィオラが王位になぞ興味ないことにも、むしろ喜び勇んで国を出ていくだろうことにも気づけただろう。

 当たり前に手に入ると思っていたものが横から掠め取られそうになったことで、追い詰められていたかもしれない。あるいはなにか急がねばならない理由があったかもしれない。

 だがそれらは、真っ先に取るべき手段を放棄したことに対する言い訳にはならない。

「誰かを犠牲にしなければ通せない正義なら、そんなもの捨ててしまえばよかったんだ」

 吐き捨てた言葉に、ゲイリーの表情がみるみる険しくなる。言葉が終わると同時に、剣を振りかぶって地を蹴った。

「貴様が、わかったふうに語るな!」

 振り下ろされる剣を目を細めて見据え、受け止めるべく腕を突き出す。

 だが、剣と鱗が交わることはなかった。

「うわあああああーーー!」

 情けない悲鳴が聴こえたかと思うと、上空から黒髪の青年が降ってきたからだ。

 見上げれば三頭のワイバーンが純白のワイバーンに襲いかかり、鞍から投げ出された騎手が落ちてくるところだった。

 黒髪の青年——ベンジャミンは瓦礫の山に突っ込むとごろごろと転がり、ちょうどアリウとゲイリーの間に顔を出す。

「……よ、よう」

 緊迫したふたりの様子を見比べて、ぎこちない笑顔を浮かべた。

「なにしに来たんだお前は……」

 気が抜けて息を吐き出す。

「仕方ないだろ! なんか戻ってみたら不穏な空気が流れてたから離れて様子を見てたんだよ! そしたら後ろから……」

「奇襲をかけられてみっともなく墜落ってわけ? どうせならちゃんと助けに来てほしかったんだけど」

 ファニーの痛烈な皮肉にベンジャミンが顔を覆ってしまう。

「茶番はそこまでだ」

 ゲイリーが剣を構え直した。

「貴様らは生かしておくわけにはいかない。この場で死んでもらおう」

「……そう簡単に死んでたまるかっての」

 ユニスが唸り、各々武器を構える。

「無駄な抵抗はよせばいいものを」

 多勢に無勢。

 だがそれで諦めるような者はいない。

 互いに背中を預け、じりじりと輪を縮める騎士たちを睨む。

「あたしさあ、ずっと隊長を殺したいと思ってたんだよね」

 雑談でもするような気楽さで、ユニスが声をかけた。アリウは困惑して眉を下げる。

「ええ……まあ、知ってたけど……」

「そうなの?」

 息ぴったりに姉妹が振り向いた。やや気圧されながらも、正直に頷く。理由がわからなかったので気のせいかと思ったが、ふたりからの殺気は時折感じていた。

「いっつも辛気臭い顔して、そんなに死にたいなら死ねばいいのにって思ってた。代わりにお兄ちゃんを返してよって」

 そうだったのかと合点がいく。

「今思うと怒りをぶつける相手が目の前にいなかったせいで、八つ当たりしてたんだね」

 不快な思いさせたでしょ、ごめんね、と謝られたが、アリウは肩をすくめるしかない。別段気にしたことなどなかったから。

「代わりに、絶対にその子を生きて帰すから」

「そいつは頼もしい」

 いつも気怠げな彼女には珍しくきっぱりと言い切られた言葉に、知らず知らず頬が上がっていた。


 啖呵を切ったものの、状況は絶望的だった。

 先の戦闘でみな疲れ果てた上、圧倒的数の不利。さらにあちらは黒竜との戦闘に加わっていなかったため、未だ疲労もなくピンピンしている。

 せめて包囲網に穴をあけて突破口を開こうと試みるが、無駄なく統率された動きはこちらの企みを許さない。

 瞬く間に腕は重く、視界も霞み始める。致命傷こそ避けているものの、手足には傷が増えていく。このまましのぎ続けたとしても、いずれ失血して死に至る。

 万事休すかと思われたとき、ずっとアリウの後ろで大人しくしていたヴィオラが、いきなり瓦礫の山に駆け上った。

 不意を突かれて騎士たちが固まる。

 ヴィオラは瓦礫の上に仁王立ちになったと思うと、フードを払って金髪金眼を晒した。

 呆気に取られる一同の前で大きく息を吸い込み、明らかに男性とわかる声で悪態を吐き出す。

「だぁーっ、ちくしょう、やってられるか! 何が『おれじゃないとバレたら殺されるかもよ』だ、あの外道! 本物だと思われたままのほうが殺されそうじゃねーか!」

「なっ、誰だお前は!」

 ゲイリーの言葉はその場にいた全員の気持ちを代弁していた。

 小柄な少年は顎を持ち上げ、

「ボク? 通りすがりの気の毒な一般人だよ! そういうことだから追ってくんなよバカヤロー!」

 捲し立てると瓦礫の反対側に姿を消した。

 ゲイリーは忌々しげに後ろ姿を見送り、ぶつぶつと考え込む。

「一体いつから……いやそれよりも、本物の王子はどこに?」

 最悪の可能性に思い至って息を飲んだ。

「まさか……!」

 王都の方角を振り返る。

 騎士たちはにわかに慌て出した。包囲を解き、各々ワイバーンに飛び乗ろうとする。

 けれどアリウたちがそれを阻んだ。ワイバーンの向こう側に回り込み、彼らを盾に腹帯を切り落としてまわる。

 騎士たちは飛ぶ手段を失い、呆然と立ち尽くした。

 アリウが剣を構え、立ち塞がる。好戦的な笑みを浮かべた。

「行かせると思うのか?」

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