第34話 交錯
後方ではコガラシが一頭の黒竜の前をおちょくるように通り過ぎた。
アリウに眉間を強打された黒竜だ。
先刻の怒りもろくに治まっていないドラゴンは、たったそれだけで興味を移した。
グルルルと獣のような唸り声を上げ、焦茶色の塊を噛み砕こうと大口を開ける。
ガギッ!
噛みついた口はあえなく空振り、牙と牙が乾いた音を鳴らした。
黒々とした瞳がぎょろりと巡り、焦茶色の塊を追った。尾が苛立たしげに上下に動き、身体全体を回して追ってくる。
「よし、かかった!」
アリウはグッと拳を握りしめた。
ベンジャミンたちだけでなくルヴィーダがいる方角も避け、赤竜丘陵へと誘導する。あまり近くをうろちょろしているとルヴィーダが気を遣って本気を出せない可能性を考慮したわけだが、それ以外にも理由はある。ヴィオラが極力ルヴィーダとの接触を避けたがっていたためだ。
赤竜丘陵のワイバーンたちはとっくに避難しているはずなので、多少暴れても許される。はずだ。
「フォルトナー、作戦は?」
横に追いついたウォーレンが問いかけた。
「できるだけ動きを止めてぶっ飛ばします」
「……それだけか?」
「……? それだけです」
なにか妙なことを言っただろうか。
助けを求めてゲイリーとユニスとファニーを振り返る。
「あー……うちの隊長……じゃないや元隊長……普段は頭いいんだけどたまにこういうとこあって……すんません」
ユニスが怠そうに息を吐く。
「しょ、勝算はあるんだよな?」
ウォーレンがなにに不安を抱いているのか思い至って、ああ、と声を上げた。彼はアリウが一度黒竜の鱗に傷を負わせていることを知らないのだ。
「大丈夫です。次は確実に——斬ります」
背後で絶え間なく鳴り響いていた騒音が途切れたのはそのときだった。
振り向振り向けば至近に迫る黒竜の翼ごしに、きりもみしながら落ちていくもう一頭の黒竜が目に入る。
四肢をぼろぼろにちぎられ、もはや鉤爪ひとつ動かせない様子で、草原だったはずの荒れ野に落下する。数秒遅れて、けたたましい金属音が耳に届いた。
「……決着がついたか」
誰ともなく息を吐く。これでひとつ、懸念材料が減った。
こちらも集中しなければ、と前に向き直った裾を、ヴィオラの手が引いた。
「アリュー」
張り詰めた声にただならぬものを感じ取って再び振り向けば、黒竜の後を追うようにしてルヴィーダが浮力を失い、落ちていく、
「なっ」
驚愕して目を見開いた。
「ユニコーンの角の粉末を吸い込んでいたのか」
考えてみれば当然の帰結。いくらドラゴンといえ、何十分も息を止めていられるはずがない。せめてもと黒竜を一頭討ち果たしたが、そのまま力尽きてしまったのだ。
「ウォーレン隊長、貴殿の隊にルヴィーダ様の救護をお願いできますか。敵が接触する可能性があります」
「構わんが、人手が減って大丈夫か?」
「大丈夫です、元々ひとりでやるつもりでしたし」
頷けば、九頭のワイバーンが隊列を離れて旋回する。
黒竜が人数の多いほうを追っていってしまうのではという心配は、どうやら懸念に終わった。
ちらりと編隊を見たものの、強打を食らわせたアリウしか眼中にないらしい。執拗に彼ひとりを狙って追ってくる。
「ちょっと、四人……いや五人? で大丈夫なの?」
ファニーが咎めるようにアリウを睨んだ。ついでフードで顔を覆い隠したヴィオラを。ヴィオラは自分も巻き込まれたらしい、と気づいて目を瞬かせる。
「あたしたち、危ない橋を渡るつもりはないよ。やばいと思ったら見捨てて逃げるからね」
アリウは苦笑した。
「安全なところから一撃離脱で気を散らしてくれればいいよ。……この辺でいいかな?」
独り言に見せかけた後半の言葉は、その実ヴィオラに問いかけたものだ。ヴィオラが小さく頷いたのを確認して、急降下を始める。
ゲイリーとユニスとファニーが左右に避けると同時に、黒竜が怒涛の追撃を見せた。近づく地面が目に入らないように猛追する。
コガラシは墜落の直前、ぎりぎりで水平滑空に移行した。
だが追いつかんと速度を上げていた黒竜はそのまま地面に激突する。
轟音が森を揺るがし、大量の土煙が視界を奪う。
黒竜が立て直すより早くその背に飛び乗り、思い切り剣を突き立てた。
*
「……は?」
顔に見合わず低い声が漏れた。
魔龍山脈と赤竜丘陵のちょうど境目。小高い丘の上の、ちょっとのっぽな木の梢。
枝に腰かけ、左手で幹を掴みながら、ナサニエルは右手に持った望遠鏡を覗き込んでいる。
ほんの数分前まで、すべてが上手くいっていた。
三頭の機械人形がドラスティアの守護竜と忌々しい竜騎士団を追い詰め、今にも全滅させようとしていた。そうすれば偉大なる皇帝陛下のためにドラゴンの血が手に入って、とっととこんな辺境の地をおさらばできた。王都よりも魔龍山脈よりの場所で戦ってくれていたお陰で、わざわざ王都征服なんていう面倒なことをせずに済む。
ヴィオラとの約束を反故にする形にはなるが、元々利用し合うだけの関係だ。騙されたほうが悪い。
けれど、たった一頭のワイバーンの出現がすべてを狂わせた。焦茶のワイバーンの騎手は剣の一撃で人形の一体を押し止め、的確な指示で三体を分断した。一体が竜騎士の一軍を追って王都方面に、一体が焦茶のワイバーンを追って赤竜丘陵に、そして最後の一体は守護竜に食らいつかれ、地面に激突する。
どうにか相討ちには持ち込んだようで、わずかに時間を開けて守護竜も墜落したが、すぐさま竜騎士の小隊が向かったので、ドラゴンの血を採取する隙があるかはかなり怪しい。念のためマリエが様子を見に行ったが、はっきり言って望み薄だ。
守護竜に睨まれた一体だけではない。竜騎士団を追った一体も、ワイバーンを追った一体も、徐々に追い詰められつつあるのが遠目にも見てとれる。
竜騎士団が華麗な連携で機械人形を誘導し、城壁に設られたバリスタの射線の先へと連れていく。撃ち放たれた矢が翼に穴を穿った。
「どうなってんだ。あの鱗は特製の合金だぞ。鉄なんかじゃ傷つけられるはずがない」
苛立って爪を噛む。
だがもっとも彼を苛立たせたのは、焦茶のワイバーンの騎手だった。
率直に言って、彼の戦いぶりは想像を絶していた。
落ちたら即死するような高所から平然と飛び降りて人形の背や翼に剣を突き立て、あわや落ちるというところをワイバーンが受け止めて、再度攻撃を繰り返す。恐ろしいことに人形には既にいくつもの傷が刻まれている。
本当は人形の背に留まって同じところを攻撃したい様子だったが、尾が背中にも容赦なく襲いかかるので難しい様子。代わりに他三頭のワイバーンが上手いこと人形の攻撃を食い止める隙を縫って、一撃、また一撃と傷を重ねる。命を投げ捨てているとしか思えない。
ギリッと奥歯を噛み締めながら眺めるうち、ナサニエルは妙なものに気づいて眉を顰めた。
人形の尾の近く、尾による攻撃の被害が少ない場所に、不自然に張りついた灰色の布がある。
どういうわけか布は人形が暴れても飛ばされることなく、ピッタリと尾の付け根に張りついたままだ。
不審に思って望遠鏡の筒を回し、ズームする。
布が動いて、突き出した手足が見えた。白銀の髪が風に流れる。
「あいつ——っ!」
ナサニエルは絶句した。
見ている間にも銀髪の少女——ヴィオラは尾のそばにがっちりしがみついて、短剣を振り上げる。
まさか、尾の結合部を外そうとしているのだろうか。
機械人形は全身を特殊合金の鱗に覆われ、ちょっとやそっとではかすり傷ひとつつけられない。だが適切な手順を踏めば、尾や翼や脚などの結合部は外せるのだ。
確かに時間が惜しくて化石号の操作を教える際、横で人形の整備をしてしまっていた覚えはある。だが横目で見ただけで手順を把握することなど、できるわけがない。
そう考える——いや、考えたかったナサニエルをよそに、レンズの向こう側ではあっさりとそれは為ってしまった。
尾が力を失い、だらりと垂れた。
外すまではいかなかったが、動きさえ止められれば充分、とばかりに、銀髪を靡かせてヴィオラが飛び降りる。
焦茶のワイバーンが危なげなく彼女を受け止め、代わりに、灰色の髪の竜騎士が人形の背に降り立つ。
「だめだナサニエル、ドラゴンの周りは竜騎士どもにかためられちまってる」
下から相棒の声が呼びかけた。
「……ナサニエル?」
ナサニエルは返事をする余裕もなく、全身を怒りに震わせていた。血管が浮き出るほど望遠鏡を固く握りしめ、木の幹を滑り降りる。
「あの女裏切りやがった!」
暴言が転がり出た。思い切り木の幹を殴りつけると、バラバラと木の実が落ちてくる。
マリエが眉を顰めた。
「どういう意味だい?」
「見てみろ」
自分よりもひとまわり大きな手に望遠鏡を押しつける。
マリエは眉を寄せつつも望遠鏡を覗き込んだ。
「一番手前の人形の近く。焦茶のワイバーンの上だ」
告げたものを探して望遠鏡がしばし彷徨い、やがてマリエが大きく息を飲む。
「あの娘どういうつもりだ? アタシらを嵌めてなんの得が——」
「知らねえよ。大方最初から奴らと共謀してこっちの戦力を引きずり出す腹だったんだろ」
舌打ちがふたつ、丘の上に響いた。
こうなってはもう、目的を達するのは困難だろう。だが——。
「勝ち逃げはさせないよ」
「ああ、帝国人を怒らせるとどうなるか、思い知らせてやる」
煮えたぎったような怒りが、ルビーの瞳を持つ少女に向けられていた。
*
背筋がざわつくような殺気を感じて、アリウは勢いよく振り向いた。
自分に向けられたものではない。だが、恐ろしいまでの妄執、怨念を感じる。
対象はヴィオラだろう。ちらりと様子を窺ったが、ヴィオラはなにも感じなかったかのように平然としている。
気のせいか……?
首を傾げた。
気を取られていたことで黒竜の背から振り落とされそうになり、慌てて穿った傷穴に剣を突き立てた。
まずいまずい。今は一刻も早く黒竜を倒さなければ。
遅れて駆けつけたアリウはまだなんともないが、いいタイミングで黒竜の攻撃を誘導、あるいは妨害し続けてくれているゲイリーとユニスとファニーには疲労が色濃く浮かびつつある。各々のワイバーンもそろそろ限界だろう。
意識を集中し、穿った傷を見つめる。傷は剣の柄までの深さに達していたが、このままでは貫通する前に日が暮れる。
ルヴィーダに稽古をつけてもらったときや、数日前、黒竜の翼に傷を負わせたとき同様に、もう少しだと感覚はある。だがそれがなんなのか、いまいち掴みきれない。
背にかじりついていては勢いが足りないし、かといって落下の勢いを乗せようと上空から突撃するのでは狙いが安定しない。ヴィオラが尾の動きを止めてくれたおかげで多少動きやすくはなったものの——待てよ、尾?
長くぶらりと垂れ下がった尾を見やる。
もしかしたらこれは、使えるかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます