第32話 脱獄2
「冗談じゃない」
こぼれたのは誰の声だったろう。
しんと静まりかえった空の上。
百近いワイバーンと騎手が整列し、赤き守護のドラゴンと並んで黒のドラゴンと対峙する。
普通はこれだけの竜が一堂に会しているとやかましいものだが、今は一頭として声を上げることなく、沈黙している。騎手も微動だにせず、それを見つめるばかりだ。
黒竜討伐は順調だった。——順調だと、思われた。
姿を現した黒竜はそもそも、万全の状態ではないようだった。
胴と首はつなぎ合わされていたが遠目にもツギハギ状態であることが明らかで、生きているのが不思議なほど。
機械だと聞かされてはいるが、にわかには信じがたい。その動きも質感も咆哮も、限りなくドラゴンに近いものだったから。死体が生き返ったと言われたほうがまだ信じられる。
とにかくも、動きの鈍い黒竜に代わるがわる攻撃を叩き込むことは容易かった。
ドラゴンの鱗に匹敵する皮膚はワイバーンでは傷つけるには及ばないが、連携してルヴィーダが反撃を食らわないように立ち回ることは可能だ。複数頭の吐く炎を合わせて怯ませたり、一撃離脱で気を引いたりしてルヴィーダが動きやすい状況を作る。
連携の甲斐あって炎を吐く隙すら与えず、こちらは無傷のまま黒竜を追い詰めつつあった。
状況が覆されたのはルヴィーダの鉤爪が王手をかけようとしたときのことだった。
地響きと耳障りな金属音。
もはやなんの前触れか問うまでもなく明らかなそれに、誰もが身を強ばらせ、呼吸を忘れる。
そんなはずないと思いたかった。
一頭であればルヴィーダとの連携で対処できる。だが、二頭は?
無理だ。
ルヴィーダを欠けば、有効打を与える手段はなにもない。せいぜい蠅のように周囲を飛び回って、時間を稼ぐことしかできない。
絶望を嘲笑うようにして、地獄の門が開く。
黒竜の背後に、さらに二頭。
三頭の漆黒のドラゴンが竜騎士たちを見下ろしていた。
*
轟音が地下牢を揺るがした。
ぐらつく身体を支えて、何事かと天井を見る。
なにか巨大な物が勢いよく建物に衝突したような音だった。揺れ方からしてかなり近い。
大急ぎでパンとベーコンを口に詰め込んだ。スープは放置だ。
黒竜の襲撃だろうか。もう王都に戦火が及んでいるのか?
考えている間に二度目の衝撃があった。今度はもっと近い。まるでここを狙っているようだ。
パラパラと落ちてくる石の欠片から顔を庇う。なぜか猛烈に嫌な予感がして、牢の隅ギリギリ、できる限り音から遠いところに後ずさった。
『時が来たらあの方を連れてお逃げ』
祖母の言葉が脳裏を過ぎる。
「いやいや、まさか」
口の端が引き攣る。
あれは恐らく脱獄の手引きをしてくれるということだ。だがまさかそんな外側から強引に穴を空けるなんてそんなこと——。
ドンッ!
——あった。
今までで一番の揺れが牢を襲った。ほぼ同時に天井をぶち破り、身長の半分ほどある巨大な矢が地面にめり込む。鉄格子がねじれ、瓦礫の山が降り注いだ。
両腕で頭部を庇い、うずくまる。瓦礫が容赦なく全身を打ちのめした。痣ができていなければ両腕とも血まみれで使い物にならなくなっていた。
やがてつぶての雨が止み、アリウは恐る恐る顔を上げる。両腕で瓦礫を掻き分け、積み重なった破片の上に顔を出した。
牢は酷い有様だった。
床は瓦礫で埋まり、鉄格子はひしゃげていた。天井にあいた穴から光が差し込んでいる。瓦礫の上に立てば、どうにかそこから脱出できそうだ。
どうにか瓦礫の山を這い出して、その上に瓦礫を数個積み上げる。瓦礫を踏み台に天井に手をかけるとパラパラと破片が崩れた。だが、掴めないほどではなさそうだ。
穴の縁に手をかけ、踏ん張った足と腕の力で身体を引き上げる。
太陽が目を焼いた。
眩んだ目が真昼の明るさに慣れるのを待って辺りを見回せば、地下牢に負けず劣らず酷い有様の中庭が目に入った。綺麗に整えられた生垣は吹き飛ばされ、芝生に穴があいて一面に泥土が撒き散らされている。さらには堅牢なはずの城壁まで崩れていた。
遠くからざわめきが聴こえた。
どうやら騒ぎを聞きつけて人が集まってきたようだ。外敵に向けるべきバリスタを使って牢に穴をあけるという荒っぽいやり方に言いたいことは山ほどあるが、今は逃げるのが先だ。
崩れた壁の隙間から城外に逃れ、さてどうしようと左右を見る。強引にでも王都を脱出するならばコガラシの手助けは必須だが、どこにいるだろう。竜騎士団に返されていればいいが、王都の竜舎に留められていると厄介だ。
取り敢えず騎士団に行ってみよう、と駆け出したところで、羽音を捉えて足を止めた。
影が落ち、見慣れた焦茶のワイバーンが彼の前に降り立つ。
「コガラシ! 良かった、無事だった」
アリウは喜色満面で相棒の首に抱きついた。祖母が寄越してくれたのかもしれない。鞍の上にはご丁寧に、愛用の剣まで縛りつけられている。
剣をベルトに
風を受け、大空に飛び上がる。
矢が飛んできた方角に顔を向けると、バリスタのそばで衛兵に囲まれている桃色と藤色と黒の頭部が見えた。ハルニアとカルマとドリューだ。
思わず目を見開いた。わざわざ危険を冒して助けてくれたのか。衛兵に捕まって縛られている。
今すぐ助けに行きたかったが、四人乗りはさすがに無理がある。
それに、別のもっと重大なものがアリウの視界の反対側に映っていた。
遠く東の空。
地獄の番犬さながらの三頭の黒竜に苦戦を強いられる、竜騎士団が。
*
「あらら、先越されちゃったか」
どこからどう登ったのか、東の側防塔の屋根に腰を下ろして、ヴィオラが呟いた。
視線の先にはバリスタによって破壊された王城の壁と、そこから舞い上がった枯れ葉色のワイバーンがある。
手間は省けたものの、どうせなら自分が、という気持ちもないではない。
だがまあ、無事にアリウが解放されたのだから喜ばしいことだ。自分の巻き添えで死なせるのは気分が悪い。
アリウは黒竜が三頭に増え、竜騎士団が苦戦を強いられているのを見たようだ。まっすぐに東に向かってくる。
立ち上がって手を振った。
気づいたアリウが高度を落とした。塔の近くまでくると速度を緩める。
「ヴィオ! 無事で良かった。飛び乗れる?」
返事の代わりに屋根を蹴り、アリウの背後におさまった。軽くその背を叩く。
「お前も無事で良かった。いい仲間がいるんだな」
「……うん、そうみたいだ」
アリウは照れくさそうに返事した。
コガラシが速度を上げる。
「加勢しに行こうと思うんだけど、いいかな⁉︎」
「お前を殺そうとした国なのに?」
「それはそれ、これはこれだよ。それに僕を殺そうとしてたのは陛下であって、この国の人たちじゃない」
それはそうだ。
「好きにしたらいい」
ヴィオラは肩をすくめた。
「ごめん、ヴィオの頼みが後回しになっちゃって」
律儀に謝るアリウに、思わず目が点になる。肩をしゅんと丸めた後ろ姿はほんの少しヴィオラの良心を刺激した。
「……アリュー、耳貸して」
身を乗り出して声をかける。
ちらりと不自然に思われない程度にちらりと振り返れば、もはや隠す気もなくワイバーンがつけてきている。この距離では普通に話しても聴かれる心配はないだろうが、念のため耳元に口を近づける。
囁かれた言葉に、アリウの顔が驚愕に彩られた。
*
「今さらですが、よかったんですか、こちらで」
衛兵たちに揉みくちゃにされ、三人の服はヨレヨレだ。
ヨレヨレのまま衛兵たちに周囲を固められ、通路の壁にもたれる形でまとめて座らされている。衛兵たちも子供を縛り上げるのはさすがに気が咎めたのだろう。暴れないという条件で、拘束は大目に見られた。ただし暴れたら問答無用で縛り上げるそうだ。
彼らに咎められないよう小声で問いかけたハルニアに、カルマはなんのことかと首を傾げる。
「黒竜と戦えなかったのを悔しがっていたでしょう。いくら団長殿が責任を追ってくださるといっても、バリスタで王城を破壊したのではある程度の処分は免れないでしょうし……」
ハルニアが補足すれば、ああ、と頷いた。
「確かに足手まといだって言われたみたいで悔しかったけど、隊長が殺されるのはもっといやだもの。処分とかは関係ない」
三角座りした膝の上で両手を組み、顔の下半分をうずめる。
「隊長が悪いことをしたなら、きっと理由があるんだよ。毎朝の門限破りみたいに。そういう人でしょ?」
顔をうずめたまま見上げた先には、側防塔で誰かを拾い上げる焦茶のワイバーンがいる。小指の爪よりも小さくて判別はできないが、きっと一緒に王城に侵入したという人物なのだろう。
「……そうですね」
ハルニアも目を細めて頷いた。視力のいい彼女にはその人物の顔立ちまで見えているかもしれない。そこまでして手を貸したいのはどんな相手なんだろう、と気になったが、わざわざ聞くのはなんとなく悔しくて黙り込む。
視線を戻したハルニアがカルマを見て微笑み、次いでドリューに視線を移す。
「ドリューさんも、よかったんですか?」
「……聞かないでください」
むすっとして答えたドリューの耳はなぜだか、うっすらと赤く染まっていた。
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