第29話 探し物

 轟ッと音を立て、巨大な影が天幕の上に落ちた。

 誰もが作業の手を止めて空を見上げた。

 青空を大きく切り取るようにして、真紅のシルエットが通り過ぎる。

 ドラゴンが守護するドラスティア王国でありながら、その光景は珍しい。

 その巨躯から生み出される羽ばたきは暴風であり、足音は地震だ。動くだけで人の営みを破壊しかねないため、守護竜は滅多なことでは王都ルビリスに近寄らない。

 例外は、王族の誕生祝いなど、大規模な式典のときのみ。

 それ以外は例え非常事態でも、国王から直に応援要請がない限りは王都に近づくことはない。避難が完了しない状態でドラゴンの巨躯が暴れては、余計な被害を広げてしまう。

 サフィール王は自身の誕生祝いの宴を開こうとしなかったため、惨劇よりも後にルヴィーダが王都に近づいたのは戴冠式の一度きり。

 カルマやドリューを始めとする年少の騎士たちは、間近で見るのが始めてだったりする。緊迫した空気を破って、感嘆の声が漏れるのも無理からぬことだ。

 ルヴィーダが高度を落とし、着陸の姿勢に入ったことで、暴風が吹き荒れた。軽い物が飛んでいき、木箱が転がってガラガラと音を立てる。留め方の甘かったらしい天幕が数個、盛大に吹き飛んだ。

 着地は意外にも静かなものだったが、ちょうど目の前にいた若い騎士が風圧でひっくり返る。

 ルヴィーダは器用に騎士の襟首を咥えて持ち上げ、立たせると、誰か探すように首を伸ばした。ぐるりと見回し、目的の人物を見つけて大きく口を開ける。


 ベンジャミンは忙しなく天幕の間を駆け回っていたが、守護竜の到来に、他の騎士たちと同じく足を止めた。

 団長——は老体で出てこられないようだから、副団長のイヴェットと話しにきたのだろうか。

 だがイヴェットはドラゴンの歌の解読ができなかったような……?

 まあ、しがない小隊長代理のベンジャミンには関係のないことだ。わからないならわからないで部下の誰かが通訳するだろう。

 そんなことより、やらなければならないことが大量にある。他の隊長たちとの打ち合わせに物資の数の最終確認、隊員への情報共有やら雪姫の世話やら。非常時で普段より格段に忙しいことを差し引いても多い。これだけの仕事、アリウはよく涼しい顔をしてこなしていたものだ。

 中隊長以上ともなると天幕の前にどっしりと構えて指示を出すばかりのようだが、小隊長などちょっと偉い下っ端程度のものなので自分の足で駆け回らなければならないのだ。

 アリウといえば彼を脱獄させる準備も並行して、他の隊に見つからないように進めなければならない。昼寝する暇もなければそこら辺の野生のウサギたちがベンジャミンを寝床にする暇もない。……いや後半はいらないんだけども。

 〈そこの黒髪〉

 朗々とした歌声が空気を震わせた。

 やはり、イヴェットのことだろう。背を向けて新たな物資の受け入れに戻ろうとする。

 〈違う、貴様ではない! みすぼらしくぼさぼさの髪を馬の尻尾のごとく横に垂らした貴様だ! おい、背を向けるな愚か者が!〉

 んん?

 黒髪は別段珍しくないが、多いというわけでもない。騎士団でも二十名程度はいたと思うが、髪を縛って横に垂らしている者はいたかどうか。みすぼらしいだとか馬の尻尾だとかぼさぼさだとか少々聞き捨てならない形容詞が聞こえたようだし、恐らく別人だとは思ったが、引っかかって周囲を見回した。黒髪の騎士は見当たらない。それに気のせいか皆ベンジャミンを見ているような……?

 振り向くと、バチッと目が合ってしまった。

 〈そうだ、貴様だ。こちらへ来い〉

 うええ、まじか。

 とっさに表情を取り繕うのに苦労する。ただでさえやることが多いというのに。

 騎士たちの間を縫って、天幕群の外側に座り込んだ守護竜の元に向かう。途中で心配そうな顔をしたイヴェットが見えたので目線に大丈夫だよの意を込めたが、伝わっただろうか。

 ……あの目はだめか。ベンジャミンがなにかやらかしたと思っているのがひしひしと伝わってくる。

 守護竜様を間近で見るのは第二王子殿下の誕生祝い——炎の惨劇以来だ。見上げた姿は大きいが、当時ほど大きくは感じない。背が伸びたせいだろう。

「王国の守護神たるルヴィーダ様にご挨拶申し上げます」

 跪き、こうべを垂れた。

 〈頭を上げよ〉

 旋律が響き、うながされるまま立ち上がる。守護竜様が一介の騎士に、なんの用だろう。あまりいい予感はしない。

 周囲からちらちらと伺われている気配があったが、守護竜が不機嫌そうに尻尾を左右に払うと蜘蛛の子を散らすようにして離れていく。

 巨大な首が降りてきて、内緒話でもするようにベンジャミンの顔に近づいた。ぎょろりとした右目が、至近距離から見つめてくる。

 〈貴様、我が愛し子と会ったな。うっすらと気配が残っている〉

 他の誰にも聴こえないよう、ぎりぎりまで音量を落とした歌で囁かれ、ピクリと固まった。

 愛し子、と言われて惑ったのは一瞬。

 国王陛下と拝謁する機会などなかったし、守護竜がこうも気にする相手なんて、他にひとりしかいない。生存を知っていたのか、と驚きもしたが、疑問は取り敢えず脇に置く。

 答えていいものかわからないが、誤魔化しはたぶんきかない。観念して口を開いた。

「確かに一昨夜、お会いしましたが……」

 〈彼女はどこだ?〉

 答え方に悩んでいると、急き立てるような旋律が畳みかけた。焦れるように、ずずいと顔が寄る。

「申し訳ありません。今現在どこにおられるのかは、残念ながら存じ上げません」

 ゆっくりと巨大な瞳が瞬いた。言い知れぬ圧に全身から汗が噴き出す。

 ドラゴンの瞼というのは下から上に向かって閉じるのだな、と逃避したがる頭が考えた。……あ、ワイバーンもそうか。

 というか、気配がわかるなら今どこにいるかわからないのだろうか。

 〈昨朝までは集中すれば追えたが、そこからの足取りが速すぎて追えなくなったのだ〉

 まさか心の内を読んだわけではあるまいが、不機嫌そうに歌われてぎょっとする。

 それだけ告げると用は済んだとばかりに、巨大な翼を広げた。

 〈ああそれと、今の話は他言無用だ〉

「え、あの、竜騎士団との打ち合わせは」

 〈そんなものは勝手にやるがいい〉

 振り下ろす翼が地面を叩いた。突風が砂埃を舞い上げる。とっさに足を踏ん張り、重心を前に持っていかなければ、煽られて尻もちをついていた。

 見る間に重そうな巨体が持ち上がり、四足が宙に浮く。

 引き止める間もなく、真紅のドラゴンは竜巻のような勢いで青空の彼方に飛び去った。

「ちょっとベンジャミン、あなた一体なにをしでかしたの?」

 駆け寄ったイヴェットがベンジャミンの肩を掴んで乱暴に揺さぶった。

「なにもしてないなにもしてない」

「じゃあ守護竜様はなんのご用だったのよ?」

「なんか探し物……? らしい」

 言葉をぼかして誤魔化すが、イヴェットの目は疑わしげに細められる。

「なんであなたに?」

「ほら……俺やけに動物に好かれるじゃん? それで……?」

「お探し物は動物ってこと? カーバンクルとか……?」

 胡乱な視線は相変わらずだったが、時間がなかったにしてはまあまあ誤魔化せた気がする。なんかいい感じに解釈してくれたし。

 探しものがカーバンクルとは、言い得て妙だ。当たらずとも遠からずと言える。

「それで、どんな探し物なの? この非常時に守護竜様が探されるなんて、よほど大切な物ね。騎士団総出でお探ししたほうがいいんじゃないかしら……」

「い、いや、大ごとにしたくないそうだよ。それに見ればわかるとしか……」

 冷や汗がバレないか、気が気ではない。これ以上ボロが出ないうちにこの場を離れたい。

 幸い姉とその直属の部下たちは納得したように頷いた。

 許しが出たので足早に作業に戻る。

 なにしてたんだっけ。……そうだ、物資の搬入だ。

 もしかして、最初に黒竜が出現した際に守護竜の到着が遅れたのは、ヴィオラ王子の気配に気づいて探していたせいだろうか。ちょうど王都に彼女が現れたのと同じタイミングだったし、数日前から気づいていてもおかしくない。

 ちらりと空を見上げ、豆粒ほどになった赤い斑点を目で追った。

 手に負えないな、と思った。

 事態が大きくなりすぎている。

 取り敢えず近々あるとされている黒竜の襲来を退けたら、ルビーラビットを返してもらって北方の故郷に彼らを帰す旅に出よう。

 そう固く決意して、ベンジャミンは駆け足でたった今到着した荷車に駆け寄った。

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