第28話 嵐の前
王都ルビリスの外側は、酷くがらんとしている。
ひたすらに続く草原、草原、たまに林といった感じで、本当になにもない。
今の時期こそ金色の草が波うち、まるで黄金の海のようだが、もう少し経てば草木も枯れ、文字通りの荒野と化す。
そんななにもないはずの野原だったが、その日は少し様相が異なっていた。
王都の東門から続々と竜車が出てきたと思うと、東の一帯に、天幕の群れを築きはじめたのである。
上空からも時おりワイバーンが飛来しては、物資を置いて城壁の向こう側へ戻っていく。
天幕の周囲、特に東側には簡易ながら防護柵も造られた。さながら、戦に備えた野営地だ。事実、ここはそのうち仕掛けてくるだろう対黒竜の決戦拠点となる。
王都の城壁でも、いつ襲撃があってもいいようにとバリスタの横に専用の矢がうずたかく積まれ始める。
「はああ⁉︎」
天幕群の一画。端のほうで、大声が響き渡った。
「隊長——いや、元隊長を逃すなんて、本気で言ってるの?」
「しーっ、声が大きい」
信じられない、といった声で問い詰めたのは茜色の髪を下ろした女性。周囲を気にしながらそれを窘めたのは、黒髪をサイドテールにした青年。ファニーとベンジャミンだった。
そばには準備の手を止めないハルニアと相変わらず堂々とサボるユニスもいて、いずれもふたりの会話に耳を傾けている。
「陛下の暗殺を手助けしたんでしょ。なんで助けなきゃいけないわけ?」
「暗殺『未遂』な……。というかそもそもあいつは、殺しの手助けなんかしないよ。守護竜様に誓ったっていい」
「証拠でも?」
「いや、それはないけど……」
「だったらあたしたちを巻き込まないで。迷惑」
すがるベンジャミンに対し、ファニーの態度はにべもない。
「頼む、この通りだ」
とうとうベンジャミンは頭を地面に擦りつけた。
「ただ、隊員の不在に気づかなかったふりをしてくれるだけでいい。後から咎められたって、ふたりが責を問われることはない」
「〜〜〜ッ!」
ファニーは声にならない声を上げた。顔を髪にほど近い茜に染め上げ、キッと黒い後頭部を睨み下ろす。しばらくわなわなと両手の拳を握ったり開いたりしていたが、やがて、
「勝手にしろばか!」
と叫ぶと走り去ってしまった。
「ええ……」
残されたベンジャミンは呆気に取られて後ろ姿を見送る。助けを求めるように、荷車の上に寝転んだユニスを見た。
「あれは了承してくれたと取っていいやつ?」
「そうなんじゃない?」
「お前は?」
「気には食わない。けど巻き込まないなら好きにすれば」
「そうか。ありがとな」
ベンジャミンは大きく息を吐いた。
「それじゃあとはゲイリーさん……どこだあの人?」
「そういえば、一昨日から姿を見ていませんね」
回れ右してどこかへ向かおうとして、はたと立ち止まった。その疑問を受け、ハルニアも首を傾げる。
「まあいいか。あの人なら直前でも適当に話合わせてくれるだろ」
ぶつぶつと呟きながら去ってしまう。
その後ろ姿を見送るでもなく荷車の上に仰向けになって、ユニスは青天井を眺める。ちらりと桃色の髪の同僚を見やった。視線に気づいたのか、髪の持ち主は問うように振り返った。
「ハルニアさんは賛成なんだ」
なにに、とは口にしない。
「ええ、恩人ですから」
ハルニアも淡々と答えた。
「ふーん」
面白くなさそうな響きがユニスの口からこぼれる。
気に食わない。ただひたすらに気に食わない。妹ファニーも同じ気持ちだろう。
ふたりの上には十個年上の兄がいたが、惨劇で命を落としている。それ自体はまあ、いい。
いやよくはないが、年月を経てどうにか飲み込んだ。
気に食わないのは、唯一生き残った少年が、今にも死にたいと言わんばかりの顔をしていたことだ。
せっかく生き延びたというのに、どうしてそんな顔をする? 死にたかったなら、兄と代わってくれればよかった。数百分の一の幸運を享受しながら、不幸ぶる資格なんてないだろう。
気に食わない。死んでしまえ。いっそ殺してしまおうか。
理不尽な怒りは顔を見るたび膨れあがって、止まることを知らない。
彼の隊に入ったのも、なにかハプニングがあって死ぬような目に遭ったとき、真っ先にその死に顔を笑ってやれるかもなんてくだらない思いが頭の隅をかすめたせい。
処刑されると聞いてざまあ見ろと思った。それなのに周りはどうにか助け出す手段なんか話し合っていて不愉快だ。
ハルニアなど話を持ちかけられて一刀両断するかと思ったのに、真っ先に実行犯に立候補した。わけがわからない。
「……なんで?」
恨みがましい声が出ていた。
ハルニアは色眼鏡の奥の瞳を瞬かせたと思うと、表情の読めない顔で問い返す。
「……聞きたいですか?」
頷いた。
「大した話ではないですけど」
被せるように頷く。
なんでもいいから、少しは納得できる理由がほしい。
ハルニアは物資を振り分ける作業の手を止め、荷車の縁に腰を下ろした。
「私は落ちこぼれだったんですよ」
そうして切り出された話は、完璧超人の彼女には似つかわしくない意外なものだった。
ハルニアは王都の出身ではない。
惨劇後、故郷の両親に楽をさせたくて竜騎士団を志したものの、わずか数ヶ月で除隊の危機に晒されていた。
槍が不得手な彼女には弓しかなかったが、重大な欠点を抱えていたのだ。夜目はきくが代わりに眩しい日の元ではまともに目を開けていられない。竜騎士の仕事のほとんどは昼間行われるものだったから、これは致命的な弱点といえた。
加えて周りには惨劇で肉親を失ったために竜騎士を志した者が多く、家族が無事で故郷にいるハルニアはやっかみの的でもあった。お前には竜騎士にこだわる理由などないのだから、さっさと辞めて家族を喪った者たちのために枠を開けろと言われることもしばしば。
転機は当時別の隊にいたアリウと出会ったことだった。演習場で凹んでいた彼女にアリウはただ一言、
「色眼鏡をかければいいのでは……?」
と心底不思議そうに言った。
アリウとしてはただ当然の解決策を述べただけのことだったろうが、追い詰められていた彼女にはそんな簡単な解決策も思い浮かばなかったのだ。
さらに彼はこうも言った。
「復讐のために竜騎士をするより、守るために竜騎士をするほうがよっぽど建設的で素晴らしいと思います」
祖母以外の家族全員と婚約者を喪った彼がどんな気持ちでその言葉を発したのかはわからない。だが、そう言える彼をずっと支えようとハルニアが決意するのに、時間はかからなかった。
「ね、つまらない話でしょう?」
そう話を締めくくったハルニアに、ユニスはより一層の苛立ちを募らせる結果となった。
作業に戻っていく後ろ姿を睨みながら、むかむかと腹の中で沸き立つ思いを押さえつける。
まっとうな理由を聞かされて余計に腹が立つとは思わなかった。
いっそ、計画をバラしてやろうか。
邪な思いが頭をよぎって、首を振った。
それだとユニスとファニー以外のアリウ隊の全員が罪に問われてしまう。死刑まではいかないだろうが、竜騎士ではいられなくなるかもしれないし、後ろ指を指されることになるのは間違いない。
舌打ちして横向きになっていた身体を仰向けに戻した。
青い空が、忌々しい。
*
魔龍山脈は常に瘴気に覆われているが、うんと高く聳え立った梢に登ってしまえばそこまで影響は受けない、というのは、長くドラスティア王国を離れていたヴィオラにとって、初めての発見だった。
異常成長かと思うほど突き出た樅木にするすると登り、頂上近くの枝で思い切り息を吸い込む。澄んだ、というほど綺麗ではないが、少なくともまともに呼吸ができる。
山脈の上のほうにいくと瘴気が雲のように纏わりついているのが見えるので山越えは難しそうだが、この辺りならばルヴィーダやワイバーンたちも普通に飛んでこられそうだ。そうしないのは単に意味がないと思っているためだろう。
ヴィオラだって、こんなところに帝国の間者が潜んでいるとは思わなかった。あるいは、予想していてもまとまった調査隊を送るのは難しいのか。なにせ長時間の着陸は命取りだ。
……と、今はそんなことどうでもいい。
余計な思考を振り払って、マリエから預かった筒を覗き込んだ。
なんでも望遠鏡というらしく、筒の両端にガラスをはめ込み、遠くの景色をよく見られるようにしたものだそうだ。帝国には本当にいろいろなものがあるのだな、と素直に感心する。
覗き込んだレンズに映ったのは、色とりどり、大小も様々な天幕の群れだった。個人の傭兵が集まったようなまとまりのない光景は、慌てて掻き集めたような寄せ集め感が拭えない。
少し視点を移動して城壁の上を見ると、仰々しいバリスタがいつでも使えるよう用意されているのが見えた。城壁と天幕群を拠点に黒竜への対処を行う腹づもりのようだ。
帝国のふたりとヴィオラが用意した策はふたつ。
ひとつは彼らが考えていたように、ヴィオラが囮をしている間に機械人形を起動し、ごり押しで攻め落とすというもの。ただ、ヴィオラの目的は王都を陥落させることではなくサフィールと交渉することなので、少々修正は加えさせてもらった。
もうひとつは次善の策でヴィオラが考案したものだが——この準備万端に待ち受けている様子を見るに、早々にそちらに切り替えることになるかもしれない。
「どうだい、ルビリスの様子は?」
下から大声が呼びかけた。
思い出したように見下ろすが、張り出す枝葉に邪魔されて、声の主の姿は見えない。枝がなかったところで豆粒ほどにしか見えないはずだが、よくここまで声が届くものだ。
枝から枝へと曲芸師のように軽やかに飛び移り、スタッと地面に降り立った。
「王都前の草原に陣を張ってる。相当警戒されてると思う」
待機していたマリエに報告する。
「なるほどね、アンタが大暴れしてるときに畳みかけられればよかったが……大破してたからな」
過ぎたことを悔やんでも仕方がない。
「それより、これ本当にもらっていいんだな?」
指差したのは足元に鎮座した脚のないワイバーンの機械人形——化石号だ。
マリエがヴィオラの危険手当てとして化石号の譲渡を提案したときのナサニエルは、それはそれは酷い有様だった。山猫のように荒れ狂った。自分が知らないところで手塩にかけた発明品を取り引きの材料にされたのだから、無理もない。
結局、どうせ帝国に持ち帰ったところで使えないということで承諾した。地質だかなんだかの問題らしい。
だがいざ渡すというときもなかなか手を離そうとしなかった。血が出そうなほど唇を噛み締め、全力で眉を寄せたせいで、かわいいはずの顔はなかなか愉快なことになっていた。
「ああ。それより悪かった。本当はナサニエルの仕事なんだが、ギリギリまで人形を調整すると言って聞きやしない」
そうだろうな、と苦笑した。
ヴィオラが化石号の操縦を教わるときも、説明のために口を動かしながら、手も休むことなく黒竜の修理に励んでいた。あれだけ大きな機械、よくひとりで整備できるものだ。
「んじゃ、またな。二度と会うこともないと思うが」
ひらりと飛び乗って、手を振った。
マリエは頷いたのみで、くるりと背を向けた。元々仲間でもなんでもない。たまたま利害が被っただけの、赤の他人だ。
ルビーラビットの檻を抱え直し、魔龍山脈の薄暗がりから、赤竜丘陵、そしてその向こうの草原へと走り出した。
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