第27話 地下牢

 目を開けたとき、アリウはまだ気を失っているのかと思った。

 十秒ほど経って、なにを馬鹿なことを、考えているんだから意識があるに決まっているじゃないか、と冷静になったが、そう勘違いするほどに辺りは暗かった。

 身体の節々が痛みを訴えている。そこかしこにかすり傷や打撲痕。目で見ることはできないが、相当腫れていそうだ。

 特に両腕の痛みは酷かった。手をついて身を起こそうとした途端、意識を持っていかれそうな痛みが脳天まで駆け上がった。手をついていられずに倒れ込み、漏れそうになる呻き声を歯を食い縛って耐える。無茶に無茶を重ねたせいでひびでは留まらず、完全に折れているようだ。

 動かさないようにじっとしていると、徐々に痛みがましになっていった。今度は手をつかないように注意して、ゆっくりと立ち上がった。

 地面は硬く、冷たい。剥き出しの石床のようだ。粗雑な作りでざらざらとしている。

 湿気をはらんだ風が、かびのにおいを運んできた。どこかに空気の出入り口があるらしい。頬に当たる風から考えて、前方のようだ。

 そろそろと進むと、思い切りなにかに体当たりする形になった。垂直方向に立ち上がる、冷たく硬い円柱。それが一定の間隔を開けて複数並んでいる。

 どうやら鉄格子だと思い当たって、その場に座り込んだ。格子に背を預ける。

 となるとここは王城の地下牢だろう。乱闘の最中、気を失ったのは思い出せる。ここに放り込まれたのはその後か。

 ヴィオラは無事に逃げただろうか。一緒に戦ってくれたコガラシは、アリウ同様捕まったと考えるのが妥当だ。酷い扱いを受けていないといいけれど。

 こうなっては祖母にも迷惑をかけてしまうな、とため息をついた。

 目まぐるしく思考が遷移する。だがぐるぐると考えながらも、無意識に国王について考えるのは避けていた。考えれば、氷の瞳を前にした激情が帰ってくる。

 あれは、抱いていはいけないものだ。

 自分に言い聞かせ、頭を振った。

 怒ったところで、なにも帰って来ない。奪うだけだ。わかっている。それなのに、ヴィオラが生きていてこれ以上望むことなどないはずなのに、一瞬、我を失った。怒りで前が見えなくなった。

 大きく息を吐き、吸い込む。

 ひんやりした空気がゆっくりと頭の中の激情を鎮めた。

 冷えていく頭で、処刑は免れないだろうと他人事のように考えた。それでいい。ヴィオラが無事なことがわかったから、思い残すことはない。どうせあと数年の寿命だというし。

 失いたくないと、ずっと思っていた。誰ひとりとして、アリウの目の届くところで死んで欲しくなかった。ついでにそれが自分のせいだったとしたら、ぞっとするどころではない。

 その裏側にあったのは、置いていかれたくないという思いだ。

 だから自分が置いていく側になるのなら、申し訳ない気持ちはあるけれど、まあいいか、と。

 思うはずなのに、心が残るのはなぜだろう。

 錆びた蝶番が軋む音がした。続いて、カツカツと硬い靴音が反響する。ランプの灯りが右手の壁に人影を映し出した。

 早くもお迎えか、と思っていると、影が近づいてアリウを閉じ込めた檻の前までやってきた。ランプの眩い光に目が眩む。

 だがアリウの予想に反して、人影は檻の中を覗いただけで早々に立ち去った。

 どういうつもりだろう。意図が読めず、首を捻るしかない。

 疑問への答えが出されたのは、体感にして数時間後のことだった。

 戸が開く音が聴こえて、足音が地下牢に踏み入った。先ほどと違い反響は静かだが、やや引き摺っているように聴こえる。

 そうして現れた人物を前にして、アリウは目を見開いた。

 ふたりは黙ったまま、たっぷり数十秒、視線を交わらせていた。やがて動いたのは訪問者のほうだ。

「馬鹿をやったね」

 聞き慣れたしゃがれ声が耳に飛び込んだ。

 アリウはハッとして鉄格子から背を離し、向き直って正座した。

「……返す言葉もありません」

 わずか数日で、祖母は驚くほど老けこんでいた。白髪は艶を失い、目元には皺が増えている。これを引き起こしたのが自分だと想像がついて、居た堪れなくなる。

 目尻に疲労を滲ませて、祖母はため息をついた。

「……十年前のあの日以来、お前がなにか大きなものを抱え込んでいるのは知っていたよ」

 叱責か叱責か、それとも叱責か。

 そう覚悟していたアリウにかけられた言葉は想像の遥か外で、しばし硬直を強いられる。

「知っていて、なにもしてやらなかった」

 吐きだす息には後悔とやるせなさが滲んでいた。

「い、いえ。お祖母さまにはよくしていただきました。むしろご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 ようやく声を取り戻し、謝罪する。今回に限らず、早く竜騎士団に入りたがったりそのくせ門限を破りまくったり、迷惑をかけた覚えしかない。

 だが、祖母は首を振った。

「お前はもう少し迷惑をかけたってよかったんだ。そうできなかった理由も——わかるけどね」

 アリウは目を伏せた。誰にも気づかれていないと思っていた。だが国王にといい祖母にといい、彼が抱き続けた怒りと人間に対する不信感は、バレバレだったらしい。

「お前に関する処遇が決まったよ」

 打って変わって冷厳な口調に、再び目を上げた。

「国王陛下暗殺幇助により死刑だそうだ」

「そうですか……」

 予想通りではあった。淡々と息を吐く。

 視界の外で、祖母が苦しげに目を細めたのには気づかなかった。

「ヴィオラは、どうなりました?」

 これ以上、隠す必要もないだろうと思った。きっとベンジャミンをはじめ、勘のいい者は気づいている。当然、祖母も。

「逃げたそうだよ」

 ほっと息を吐いた。

「だが、お前の知るあの方ならば、戻ってくるんじゃないのかい?」

 言葉に詰まった。

「今度は捕まってしまうかもしれないね」

「……なにをおっしゃりたいのですか」

 睨むように見上げた。

 確かに、ヴィオラならばそうするだろう。だがアリウが死んでいるとわかれば、彼のことなど忘れて立ち去るはずだ。彼女は、風のようなひとだから。

「あの方のお心に、お前と同じ傷を残してもいいのか?」

「残りませんよ、そんなもの」

 即答したものの、目を逸らしてしまった。残らないだろう、残らないといいなと思うと同時に、残ればいいと思ってしまう自分がチラついて、心の奥底に押し込める。

「この期に及んでお前という奴は……」

 祖母が口の中でなにか呟いたが、小さくて聞き取れなかった。見上げると、なんでもないと首を振る。

「いいかい、アリウ」

 祖母はアリウの前に膝をついた。格子の隙間から手を差し入れ、真剣な顔で彼の肩を掴んだ。

「私は騎士団長だから、陛下に刃を向けるつもりなら庇いだてはできない。だが、そうでないのなら、時が来たらあの方を連れてお逃げ」

 どういう意味か、とは聞く暇もなかった。

 そう言うや否や、老体に見合わぬ俊敏さで、身を翻して戻って行ってしまう。

 残されたアリウは呆気に取られるほかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る