第25話 交渉

 さすがに道筋を教えるわけにはいかないからと目隠しをされ、連れてこられたのは、山脈を少し登った先と思しき洞窟だった。

 手を引かれ、段差に気をつけるよう注意されつつ足を踏み入れる。目に見えずとも空気が変わったのが一瞬でわかった。纏わりついていた腐臭が消え去り、清涼な風が吹きつける。

 背後で重そうな扉が閉じられる音がして、目隠しを外された。

 目を開けると、広々とした空間が広がる。天然の洞窟を利用したのか掘り進めたのかはわからないが、でこぼことした岩肌が露出して、いかにも寒々しい。見たところ密閉された空間であるにもかかわらず、天井に取り付けられた照明が太陽のように煌々と洞窟内を照らしている。

 ゴウンゴウンとやかましい音がするので目を向ければ、右手奥の壁で巨大な羽根車が回っている。風はそこから吹いてくるようだった。

 きょろきょろと見回しながら、マリエとナサニエルの後をついて歩いた。天井の明かりも壁を這う謎の円柱類も羽根車も、目に映るものすべてが未知のものだ。これが山脈の東側の技術なのか、と感動すら覚える。

 円柱と羽根車に至っては用途すらわからないが、唯一用途が明確な照明ですら、なにでできているのか見当もつかない。シャンデリアの倍以上には明るいにもかかわらず、火を使用している形跡が見られない。宝石の中には光を貯め込み暗闇で発光するものもあると聞くが、ここまで明るくはないはずだ。

 入り口として利用されている空間を通り抜け、入ってきたときにくぐったものより遥かに小さな扉を通り抜ける。こちらが小さいというより、あちらが大きすぎただけなのだが、ドラゴンの巨躯ほどもありそうな巨大な扉と羽根車を見た後だと、やけに小さく感じられる。

 背後で扉が閉まり、羽根車の轟音を締め出す。

 扉をくぐり抜けた先は、細く狭い通路だった。打って変わって照明は行き届いておらず、薄暗い。最低限、躓かずに済む程度の小さな明かりが等間隔に配置されている。

 マリエとナサニエルの後について数分も歩くと、開けた場所に出た。入り口ほど大きくはないが、複数の人間が生活をするのに充分な広さが確保された部屋。

 相変わらず岩肌は剥き出しだが床にはラグが引かれ、椅子や机などの調度品も並んでいる。奥には厨房のようなスペースも見える。暖炉が見当たらないのに、やけに空気が暖かい。どうやら彼らの居住区のようだ。

「適当に座って」

 うながされるままに椅子のひとつに腰かけた。出されたコップを受け取って、しげしげと眺める。金属のように見えるが、酷く軽い。中身は——なんだろう、よくわからない。お茶にしては黒いが——ただ、わざわざこんなところに連れ込んでまで毒を盛る理由もないだろうから、そこは心配しなくていいだろう。

 ええいままよと流し込む。

 ——苦かった。

 渋い顔をして黙り込むヴィオラを指差して、ナサニエルがゲラゲラと笑う。毒物でもないようなので吐き出すわけにもいかず、飲み込んで睨みつけた。

「バカだねえ〜コイツはこうやって飲むんだよ」

 テーブルの中央に置かれた蓋つきの小皿を引き寄せ、そこから砂糖を匙ですくって入れる。一杯、二杯、三杯……六杯。

 ヴィオラは眉を寄せた。さすがに胸焼けがしそうだ。

「アンタだけだよそれは」

 突っ込んだマリエは砂糖を入れずに啜っている。

 ほっとして、今度は少しずつ飲んでみた。なるほど、苦いとわかっていればそう悪くない。

「それで? お前ら、なにが目的だ?」

 ひと心地ついて、本題を切り出した。ピリリとした緊張が走る。

 マリエが呆れ返った目を相方に向けた。

「アンタ、それすら言ってなかったのかい?」

「それはさすがに言ったよ! ルビリスの侵略さ」

 ナサニエルがぎゃんぎゃんと噛みつくのを見ながら、ヴィオラは目を細めた。話を持ちかけられたときに抱いた違和感。それが形と確信を持って現れる。

「いや、違うだろ」

 ばっさりと否定した。

「な、なに言ってるのかなあ」

 ナサニエルの視線が泳ぐ。マリエがため息をついて脛を蹴った。

 その様子を眺めながら、つらつらと確信を抱くに至った理由を述べていく。

「侵略なら、こんなわずかな手勢で挑もうとしないだろ。いくらドラゴンを狩っているからといって、人手がなければ制圧後の処理もままならない。数で迫られた場合もどうにもできない。それにお前——こいつらがお前らのものだって言ってたよな」

 ドンッと音を立てて、ずっと抱えていたルビーラビットの檻をテーブルの上に置いた。コップの中身が波を立てる。二羽のカーバンクルが抗議するように後ろ脚で檻の底を叩いた。心の中で謝りつつも、マリエとナサニエルを交互に見る。今は場の空気を握るのが先決だ。

「侵略になんの役にも立たない、むしろ手間しかかからない生きたカーバンクルなぞ持ってくるはずがない。つまりこれが必要な何か。交渉か、あるいは——」

 意味ありげに言葉を切って、ふたりの様子を見る。ナサニエルの顔色がやや悪いが、マリエは無表情。ふたりともだんまりを決め込んでいる。もうひと押しか。

 ならば、とハッタリをかけることにする。これに関しては確信は持てないが、探りを入れるには事足りる。

「——ルヴィーダを釣る餌、か」

 自信たっぷりに言い切って見せれば、露骨にナサニエルの顔色が変わった。

「いや別にこのウサギどもは……」

 おろおろと弁解を始めた口を、マリエが再び脛を蹴飛ばすことで黙らせる。

 が、ヴィオラの口元には既に、勝ちを確信した笑みが浮かんでいる。

「へえ、ルヴィーダを釣る餌ねえ」

 檻の中を覗き込んだ。

 怒ったままの紅玉がよっつ、ヴィオラを見返す。確かに竜種ならば間違いなく惹かれるような、美しい宝石だ。だがふたりがここに留まっていて、なおかつルビーラビットが王都ルビリスにあったことから考えて、上手くいかなかったのだろう。途中で竜騎士団の邪魔でも入ったのだろうか。

 二羽のカーバンクルは鉄格子の隙間から前脚を突き出して、てしてしとヴィオラの鼻面を叩いた。思い切り爪で引っ掻かれると思っていたのだが、噂に聞くより温厚なのだろうか、ルビーラビットという生き物は。

「な、なんで噛まれないんだよ!」

 ナサニエルが椅子を鳴らして立ち上がった。

「ソイツら気を抜いたら鎖ごと噛みちぎろうとしてくる凶暴なケダモノだぞ!」

 そんなことはなかったようだ。

 といっても、ルビーラビットと初めましてのヴィオラには理由など知りようもないので、首を傾げるしかない。同類とでも思われているのか?

「それより、こいつら餌にルヴィーダを引き摺り出して、なにしようとしてた?」

 低く凄む。

 ぐっ……とナサニエルがたじろいだ。彼の次の行動を予測したマリエが止めようとしたが、既に遅い。うわずる声で答えを口走っていた。

「ド、ドラゴンの血だよ」

「ドラゴンの、血」

 なるほど、目的は不老不死の霊薬か。

 マリエが深々とため息をついた。ジト目でナサニエルを睨む

「いくら竜騎士どもや守護竜に見つからないことが優先だったとはいえ、やっぱりアンタに交渉を任せるんじゃなかったよ」

 ナサニエルの目が泳いだ。

 技師と護衛と言うと技師のほうが頭脳派な印象を受けるが、自分の発明以外にはポンコツなタイプなのかもしれない。お陰で助かったが。

 ドラゴンの血を採るために珍しいカーバンクルを餌に誘き出そうとしたが、上手くいかなかったので王都を襲うことで引き摺り出したい、といったところか。

「ん? じゃああの黒竜は、なんだ?」

 あれが彼らの手飼いのドラゴンなら、わざわざルヴィーダの血を欲しがる必要はない。つまり本当はたまたま現れた野生のドラゴンを自分たちの手札だと言い張っているか、あれがドラゴンではないかの二択になる。

「あれはドラゴンじゃない。コイツの発明の機械人形だよ」

 観念したように、マリエが息を吐いた。散々口止めしてきた相方の裏切りに、ナサニエルが抗議の目を向ける。

「こうなったら、いっそアタシらの事情を説明して味方になってもらったほうがいいだろう」

 そう言って、飲みかけのコップをそのままに立ち上がった。

「ついておいで。いいモン見せてやる」


   *


 マリエに先導され、来たとき並みに狭く、それよりも長い通路をひた歩く。

 アンタはここに残りな、と言われ、不貞腐れたナサニエルは留守番である。まあ、いくら事情を話してくれると言ったって、節操なしに機密情報を垂れ流すという意味ではあるまい。特にあの機械技師は機械絡みになると口から思考がまるごと出るようだから、置いてくるのも当然の判断だ。

「アンタ、カトレイヒについてはどのくらい知ってる?」

 振り返らぬまま、前を行くマリエが問いかけた。

「さあ……山脈の南端からピタトリス諸国にちょっかいかけてるってことしか」

「っ、……へえ。それは知ってるんだ」

 先を行く彼女の背中は革鎧と長く伸ばした髪に覆われて見えにくい。だが、微かにこわばったように思われた。残念ながら情報通であると暗に匂わせたとかそういうのではなく、純粋にそれくらいしか知っていることがなかっただけだが。まあ、この辺りで知っている者は少ないかもしれない。

「育ちがあっちのほうなんだよ」

「じゃあ、我らが皇帝陛下の偉業については?」

「なにも」

 見えないと知りつつも肩をすくめた。

「ふむ……じゃあ、掻い摘んで話そう」

 そうしてくれると助かる。

 マリエはどこから話したものか……としばし悩んでいたが、やがてぽつりぽつりと語り始める。

「山脈の東側は……長い戦で疲弊していてな。それに終止符を打ったのが、我らの皇帝だ」

 よくある話だ、というのがヴィオラの正直な感想だった。が、それがマリエにとって重要なことであるのも理解したので、口を挟まずに黙って耳を傾ける。

「そればかりじゃない。魔龍山脈から吹き下ろす腐風を浄化する装置を生み出したり、疲弊した大地を蘇らせたり、疫病を食い止めたり——神もかくやというお方だ。アタシの故郷も、陛下のお陰で腐風から救われた」

 それは確かにすごいことだ。こちら側では魔龍山脈の瘴気はどうすることもできず、ただ離れたところに住むしかない。ドラスティア王国では赤竜山脈が防風壁の役割を果たしているが、それがなければ人間が住める土地はもっと少なかったはずだ。

 で、それとドラゴンの血になんの関係が? と手っ取り早く問い質したくなるのを堪えて、黙って後をついていく。

 そんなヴィオラの心を読んだわけではあるまいが、マリエは顔だけこちらに向けて、ふ、と微笑む。同時に、大柄な身体の向こうにほのかな光が見えた。

 開け放された扉をくぐる。

 目の前に広がったのは洞窟に入ってきたときのような、広々とした空間だった。

 いや、少なく見積もってもその十倍は大きい。左右や奥だけでなく、上下にまで広がっている。扉から二十歩ほどは平坦な地面が続いているが、その先は崖となって落ち込み、手前には落下防止の柵が据えられている。

 ヴィオラの目を奪ったのは、柵の向こう側で死んだように動かない黒いドラゴンの骸だった。

 先のマリエによれば機械人形だそうだが、とてもそうは見えない。半ば首がちぎれていなければ、今にもぎょろりと目を開け、動き出しそうだ。

「コイツの原形も、陛下が考えられたんだ」

 マリエはそう、我が事のように胸を張る。

「実際に作ったのはナサニエルだが、発案は陛下おんみずからなさった。他にも迅速な移動手段や通信手段など、凡人では考えつかぬ偉業の数々だ」

 山脈の向こう側の国々などヴィオラは知りもしなかったし、興味もなかった。だが自分の王について語るマリエは酷く誇らしげで、彼女にとって最高の王なのだと見てとれる。

「陛下が即位されて二十年余でカトレイヒはすっかり平和になった。だが、陛下にはまだまだなさりたいことがおありらしい。そしてそれは——間違いなく、我々民のためになるものだ」

「……それで不老不死の霊薬を?」

 マリエが頷いた。

「陛下は常々仰っている。時間が足りぬのだと。陛下のなさりたいことは、我々の望みでもある。だからなんとしてもお力添えする」

 ヴィオラは腕を組んで考え込んだ。

 彼女は当然、ドラゴンの血が不老不死の霊薬などではないことを知っている。それを伏せて手を組むのは簡単だ。簡単だが——。

「ああ、ちなみにドラゴンの血が文字通りの霊薬じゃないことは、調査してわかってる。アタシらが欲しいのは霊薬を作るための材料としてだ」

 あっさりと出された補足情報に心の中で思い切り脱力した。一時でも悩んだのが馬鹿らしい。

 目の前の機械人形を睨みあげた。

「手酷くやられてたようだが、本当にこいつでルヴィーダに勝ち目があるのか?」

「ああ、ある。だがアタシたちだけじゃ無理だ」

 自信たっぷりに言い切ったマリエに、ヴィオラは首を傾げる。そして彼女の指が指し示す方向を見て、なるほどと頷いた。これなら確かに、ルヴィーダと竜騎士団が束でかかってきても、押さえ込むことができるだろう。だがふたりだけでは無理とは? 操作する人間が足りないとかだろうか。

「コイツは完全自律型で、簡単な命令で勝手に動く。だが起動に時間がかかる上——酷い騒音を立てる」

 黒竜が出現したときのことを思い出した。確かに轟音が響いたが、あれはコイツを起動する音だったのか。

「つまり、起動するまでに敵兵力が全力で駆けつけてくるとまずい、と」

「そうだ」

「要するに囮がご入用なわけだ」

「言い方になにやら棘を感じるけど、そうなるね」

「気のせいじゃないか? それより、お前が囮をやるんじゃだめだったのか?」

 見たところ相当強い、と思う。竜騎士相手でも、大立ち回りを繰り広げてそれなりに戦えるのではないだろうか。

 だがマリエは首を振った。

「だめだね、脅威としちゃ小さすぎる。だがアンタなら、あちらの国王は無視できない。違うかい?」

 確かにその通りだ。前回の黒竜襲撃の際はどちらも突発的だったこともあり、恐らく命令が徹底されていなかった。だが次にヴィオラが姿を現したら、例え他の異変が起こっても放ってはおかないはずだ。

 うーん、と顎に手を当てて考え込んだ。

 要するに帝国の彼らは、ヴィオラが気を引いている間にドラゴンの機械人形を起動して、ルヴィーダを抑え込み血をせしめたい——と、そういうことだろう。ついでに王都も陥とせればヴィオラの復讐にも繋がる、と考えているのだろうが——。

「いい加減ボクも入っていい? 早いとこコイツを修理しなきゃならないんだけど」

 いつの間に来ていたのか、ナサニエルが扉から顔を覗かせた。

 なにか思いついたように、マリエが彼の顔をガン見した。

「な、なんだよ」

 警戒したように後ずさる彼には目もくれず、勢いよくヴィオラを振り返る。

「アンタはたぶん、リスクを秤にかけかねてるんだろう?」

 まあ、大まかにはそういうことになる。ヴィオラが目的を達さぬうちに彼らがルヴィーダの血を手に入れてしまったら、彼女を置いて撤退しない保証はどこにもない。はっきり言って持ちかけられた条件は、徹頭徹尾彼らに都合のいいものだ。

「だったら、コイツの化石号を譲渡するんでどうだい?」

 思いもかけぬ提案に、ゆっくりとした瞬きが二組。そして——。

「はあああーーーっ⁉︎」

 ナサニエルの絶叫が、洞窟にこだました。

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