第24話 接触
どうしたものだろう。
王都ルビリスの外壁から三百歩ほど離れた小さな林の中。
木の枝から逆さにぶら下がって、ヴィオラがうんうんと唸っている。
朝日が空を焼き、もうそろそろ小鳥が囀りだす頃合いだ。
ぶら下がっているのと同じ枝の上には、二羽のルビーラビットが入った小さな鉄の檻。檻の 着地をトチって泥だらけで王城から転がり出した後、待ち受けていた黒いサイドテールの男に押しつけられたものだった。互いに名乗りはしなかったが、アリウが親友だとか言っていた男だろう。
事の顛末を思い出してため息をつく。
男は警戒するヴィオラに問答無用で檻を押し付けると、落ち着いたら迎えにくるからそれまで預かっておいてくれ、などとのたまった。兵士は片付けておいたから門から脱出してくれ、とも。
返事も待たずに駆けていくと、追い縋る兵士たちに合流し、「あっちにいたぞ!」などと叫んでヴィオラと真逆の方向に誘導した。お陰で悠々と脱出できたものの、手のひらの上で動かされたようで少々気に食わない。
もともとヴィオラは、王都を出るつもりはなかったのだ。隠れて様子を窺い、隙を見て再度交渉しようと思っていたところに、押しつけられたこの荷物。動物を連れて隠れ潜むのは無理がある、かといって見捨てるのも矜持が許さない。
だから取り敢えず王都を出たものの、釈然としないのも無理はないだろう。
ルビーラビットはというと、檻の中で大人しくしている。鍵は外されていたが、意外にもこの美しくも凶暴な獣たちは脱走する気配を見せなかった。同じルビーの瞳と白銀の毛を持つ彼女を同士として認めたかのようであった。
「困るなあ、お嬢ちゃん。同じドラスティア王国の敵同士、足並みくらい揃えてもらわないと」
ひとりと二羽きりのはずの林に、突如としてふたりめの人間の声が響いた。少年のような青年のような、年齢の読めないテノールボイス。
見れば、ヴィオラがぶら下がっているのとは別の木の枝の上に、小柄な人影が座っていた。
顔立ちは愛らしく、声を聴かなければ少女と言われても違和感がない。無論、発された声からして男ではあるのだろう。年齢は読めない。体格に恵まれなかったヴィオラとほぼ同じ背格好だが、こちらを歳下と見做しているような口ぶりからして、同年代から歳上だろうか。
身ひとつで手ぶら。旅に必要な最低限の荷物さえ携えた様子がない。
「いや知らないけど」
ヴィオラは不機嫌に返事した。上体を振り子のように揺らして、枝の上に持ち上げる。胡散臭そうに目の前の青年を眺めた。
青年は意外そうに眉を上げる。
「へえ、驚かないんだね」
「気配が近づいてるのには気づいてた」
「ふうん」
呟いて、じろじろと無遠慮な視線を向ける。珍種の生き物でも観察するような視線。
「お前が三日前、黒竜をけしかけた犯人か?」
話しかけられる気配がなかったので、今度はヴィオラから尋ねてみる。
「……ん? ……ああ、そうそう」
話を聞いていなかったとき特有の、中途半端な間があった。
「キミが暴れてくれたおかげで起動する隙ができたんだ。感謝してるよ〜」
ひらひらと手を振る。
「ま、壊されちゃったけどね」
「起動?」
どういう意味だろうとヴィオラが首を傾げるも、気にした様子がない。
「ところでキミに良い話があるんだけどさあ」
「ご利益のある壺なら買わないぞ」
「ボクがどこにそんな物仕込んでるように見えるんだ」
「見えないところから現れたんだから、見えないところから壺を出したっておかしくないだろ」
「それもそうか」
まじめくさって返すヴィオラに、青年は納得したように手のひらと拳を打ち合わせた。
そんなわけないだろ、とアリウかベンジャミン、あるいは青年の連れの女がいたら突っ込んだことだろう。
が、現実のこの場にはヴィオラと青年と二羽のカーバンクルしかおらず、独特の奇妙な間が早朝の空気を流れる。
青年がブツブツと亜空間から壺を取り出す方法を考え始め、ヴィオラは奇妙なものを見る目でそれを眺める。
「……まあいいや」
やがて考え事がひと段落したのか諦めたのか、青年は肩をすくめて壺の話を亜空間に放り投げた。
「それで、なんの話をしてたんだっけ……取り敢えず自己紹介でもしておこうか」
スタリと地面に降り立って、気取った礼をした。
「初めまして、王国のオヒメサマ。ボクはナサニエル、カトレイヒ帝国の機械技師だ」
「ふうん。その様子じゃ、こっちの自己紹介はいらないみたいだ」
ぶらぶらと足を泳がせて、ヴィオラは首を傾げた。『オヒメサマ』の言い方が気に食わなかったせいで、声に若干の棘がある。
「で、その帝国の機械技師がなんの用だ?」
「単刀直入に言おう。キミをスカウトしに来た」
「スカウトだあ?」
露骨に顔を顰めた。
「ことわ——」
「あ、まって。まってまってちょっとまって」
一も二もなく断ろうとした言葉を遮って、ナサニエルと名乗った青年は大袈裟に腕を振り回した。しまった、言葉選びを間違えたなあ……などと呟く独り言も聴こえている。
うーんうーんと唸った後、キリッとした顔を作って(ただし愛らしいのでまったく迫力がない)言い直す。
「手を組もう。キミはサフィールに復讐がしたい。ボクらはルビリスを侵略したい。利害は一致していると思わないか?」
「いやまったく」
「おいおいおいおい」
頭を掻きむしった。
「じゃあ、これでどうだ。その檻のカーバンクル二羽は元々ボクたちのものだ。手伝ってくれないのなら——力づくで貰っていくことにするけど」
「へえ、その細腕で?」
すうっと目が細まる。ヴィオラは口元に嘲笑を浮かべた。
ナサニエルの笑顔が引き攣る。
「キミだってそう変わらないよねえ」
「やってみるか?」
バチバチと火花が飛び散った。猫のように睨み合う。
先に我に返ったのはヴィオラのほうだった。
視線を逸らしたと思うと、めんどくさそうに舌打ちする。
こんなくだらないことで争っている場合じゃなかった。それに、相手の言いようが気に食わなくてついつい喧嘩腰になってしまったが、利害の一致は事実。
「おれになにさせたいんだ? 内容によっては、乗ってやる」
せいぜい偉そうに、枝の上で足を組んだ。
*
半時間後、ふたりの姿は魔龍山脈の麓にあった。
ヴィオラが竜騎士にもルヴィーダにも見つからない場所を求めた結果である。
ワイバーンで全力で飛んでも一時間以上かかる道のりをどうやってわずか半時間で踏破したのかというと、ナサニエルの乗ってきた乗り物が理由にある。
「これ、ワイバーンじゃないよな?」
ヴィオラが乗ってきたそれの首元をコツコツと叩きながら言った。
「まさか機械か?」
それはワイバーンに似た見た目をしていた。ただし脚がなく、翼も小さい。そのくせ移動の際は腰のあたりまで浮く。
「ご名答!」
ナサニエルが満足げに答えた。
「ボクの発明品のひとつだよ。残念ながら耐久性はいまいちだし量産も難しいけど、早いしなによりワイバーンの羽ばたきよりも静かだ。言ってしまえばただの飾りだしね。魔龍山脈で採れる特殊な鉱石は加工することで特定の物質と反発する性質を持つんだけどそれを底部に組み込み操作することで地面に含まれた反——」
なにやらめんどくさそうな気配を察して説明を聞き流し、周囲を見回した。
鬱蒼とした森だった。
赤竜丘陵も森ではあったが、木漏れ日が差し込んで、じゅうぶんな明るさと清涼な空気が確保されている。対するこちらはほとんど日が差し込まず、空気も澱んでいた。腐臭が漂っているのは恐らく気のせいではない。それが腐った邪竜の肉体から発されるものなのか、迷い込み力尽きた動物の死体から発されるものなのかはわからなかったけれど。
長居はしたくないところだ。
襟をずり上げて口と鼻を覆いながら考えた。
ルヴィーダでも入ろうとしない場所だ。見つかる心配もないだろうが、こんなところにずっといてよくおかしくならないものだ。それとも、おかしくなった結果があれなのか。
と、近づく気配に気づいて身を固くした。バレバレの気配で姿だけ隠して近づいてきたナサニエルと違い、気配の殺し方が手慣れている。相当な
樹々の向こうから現れたのは、ヴィオラの一・五倍近い背丈があろうかという大柄な女性だった。革鎧を身にまとい、大剣を背負っている。長い黒髪を束ね、後ろに流している。
「べらべらと情報を漏らすんじゃない、バカ」
強かにナサニエルの頭部を殴りつけた。
いや、本人は軽く殴っただけのつもりだったかもしれない。だが殴られたナサニエルはすごい勢いで地面に倒れ込んだ。
「ぶへえっ!」
顔面から落ち葉に突っ込む。綺麗な顔を腐葉土まみれにして起き上がった。
「なにしやがる!」
唾と土を撒き散らして喚いた。
「軽い口を塞いでやっただけだよ、感謝しな」
女は飄々と肩をすくめる。
ヴィオラは呆れ返ってふたりのやり取りを眺めた。仲がいいのか悪いのかわからない。
「それで、連れてきたってことは無事話は纏まったのかい?」
「いや、取り敢えず話を聞かせろって言うから連れてきぐほおっ!」
女の蹴りが炸裂した。ナサニエルは腹を押さえて悶絶する。
帰っていいか?
ヴィオラはその一言をどうにか飲み込んだ。あの蹴りの餌食になるのは避けたい。そろそろと後ずさりした。
女の視線がこちらを向く。
逃げられなかった。
パッと後ずさりをやめた。
「うちのバカが悪かった。アタシはマリエ。コイツの護衛だ」
「……護衛が護衛対象を蹴飛ばしていいのか……?」
握手をしようというように手を差し伸べてくる。恐る恐る、握り返した。幸い、手を取った途端に握りつぶされるようなことはなかった。
というか、護衛が護衛対象から離れていいのか?
いや、あるいは便宜上護衛と言っただけで、ただの戦闘員なのかもしれない。
「……こいつは……化石号に乗るには……重量オーバーなんだ……」
ヴィオラの考えを覗き見でもしたように、死にていのナサニエルが弱々しい声を上げた。即座にマリエに蹴飛ばされ、ゴロゴロと落ち葉の上を転がる。
そうなることはわかりきっているのに、なぜわざわざ虎の尾を踏みに行くのか。
化石号? というのはすぐにピンと来なかったが、どうやら乗ってきた機械の名前らしい、と思い至る。妙なネーミングセンスだ。
「お前も大変だな……」
ついついマリエと名乗った女性に同情してしまった。四六時中一緒にいたら、さぞ疲れることだろう。
わかってくれるか、とマリエがヴィオラの肩を叩いた。踵が柔らかい地面にめり込むのがわかった。
「まあ、連れてきちまったもんは仕方ない。ここに長くいると肺が悪くなる。拠点まで戻ろう」
お陰で態度が軟化したものかはわからないが、その発言に安堵する。一帯の空気で、少し気分が悪くなってきたところではあった。言い方からして、腐り澱んだ空気の影響を受けない場所を確保しているのだろう。
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