第23話 アンスラクス
「申し訳ありません。取り逃がしました」
報告を受けて、サフィールは盛大に顔を顰めた。
穴だらけの絨毯、大破した窓や壁、荒らされた中庭。
頭痛の種には事欠かないが、今彼をもっとも悩ませているのはそんなちっぽけなものではない。
黒竜の襲来、それに——確実に殺したと思っていた妹が、生きて舞い戻ったことだった。
「まったく、こんな些事に構っている場合ではないというのに——これだから大局を見ない馬鹿は嫌いだ」
苦々しげに吐き捨てる。
「それで、被害は?」
「は。交戦した百四十余のうち百三名が負傷。ですがいずれも軽傷であり、近く復帰できる見込みです。死者はいません」
ヴィオラに本気で復讐するつもりがなかったようなのが不幸中の幸いだった、と言うべきか。そもそも彼女が舞い戻ってきさえしなければ、このような事態にならずに済んだのだが。
アリウを抱き込んだ侵入計画も杜撰で、だからこそ逆に不意を突かれた。
黒竜が出現したタイミングから、その背後にいる勢力と手を組んでいるのではないかと疑ったが、あの様子ではそれはなさそうだ。どちらかというとヴィオラが巻き起こした騒動に、『彼ら』が乗っかり利用した形だろう。いっそ、本当に手を組んでいてくれれば多少読みやすかっただろう。対処も容易かったはずだ。『ヴィオラは奇跡的に生き延びていたが、帝国に洗脳されている』というシナリオが使えたからだ。
今のところ十年前からサフィールに従っていた少数を除き、配下の者には『帝国の技術で成り済ました偽者だ』と周知しているが、それもいつまで押し通せるかわからない。逃走したヴィオラがルヴィーダと接触したら一貫の終わりだ。
ため息は絶えない。
アリウにしてもそうだ。
彼はヴィオラを逃した後、彼女を追わせまいと自身の騎竜とともに大暴れし混乱を撒き散らした。最終的に近衛兵の一人に剣の平で殴られて気絶し、現在城の地下牢に幽閉している。捕虜を捕らえておくために造らせた牢だったが、来る戦を前に使う羽目になるとは思わなかった。不穏分子は徹底的に取り除いておくべきだったのだ。
報告に訪れた近衛隊長を退がらせ、執務室の外に声をかける。
「ティファニ、いるか」
「ここに」
ストロベリーブロンドの薬師が進み出た。
「黒竜の破片の解析はどうなっている?」
「陛下のご想像通りでした」
抱えた大量の報告書を執務机に置く。そのうち数枚を抜き出し、サフィールの前に並べて見せた。
「あれはドラゴンではありませんでした。未知の技術によって作り出された、自律型の機械人形です」
ティファニの報告は、他に聞くものがいれば耳を疑うようなものだった。
だがサフィールは予期していたように軽く頷いたのみで、続きをうながす。
「使われていた素材の詳細は不明ですが、少なくとも竜種の体組織とはまったく異なっています。どちらかといえば鉱物——金属に近いかと」
「やはりか」
深々と息を吐いた。こめかみを押さえる。
ドラゴンであれば、まだ良かった。ルヴィーダとドラスティア王家の関係が特殊なだけで、ドラゴンは通常、人間に手を貸さない。だからあれが本物のドラゴンであれば、背後になにもないと判断できた。
だが人工物であったとなると話が変わってくる。人工であるなら、必ず作った人間がいる。あれだけの戦闘力を保有する個体だ。まず間違いなく碌な理由ではない。農地を耕すためにドラゴンを欲する人間などいない。
加えて、黒竜を生み出したのがカトレイヒ帝国であると断定する理由も、また明確だ。
魔龍山脈の西には、あんな代物を生み出す技術は存在しないのだ。
大昔、暴れていた邪竜を倒したことで、大陸は二分にわかたれた。そして大陸の東と西で、国々は違う発展の仕方を遂げた。
西の国々は神々の残り香を保ったまま幻獣と共存したが、東では人間がすべてを支配した。邪竜の被害が凄かったせいか幻獣という幻獣が狩り尽くされ、その過程で人間を遥かに凌駕する生き物を殺すための兵器が発展していったと風の噂に聞く。
だがその技術を持ってしても魔龍山脈を越えるのは無理だったようで、東と西を繋ぐのは勇者が邪竜をぶった斬った箇所と言われる狭い峡谷のみ。その峡谷は、北のリリウム皇国と東のカトレイヒ帝国の国境となっている。
十年以上も前に、サフィールはこの事態を予期していた。
リリウムに遊学した際のことだ。
すぐさま父王に報告したが、まともに取り合ってくれなかった。それでも自分だけは襲撃に備えて城壁の増設や竜騎士団の増員など試みたが、予算を無駄に使うなと叱責される始末。それだけなら、自身の立太子まで待てば良かったが——。
いや、これについて考えるのはよそう。
頭を振った。気分が悪くなる。
「十一年前、陛下が予期された最悪のシナリオになってしまいましたね」
ティファニがうつむいた。不穏分子を消す前に事が動いてしまったことを悔いているのかもしれない。
「いや、最悪から二番目に悪いシナリオだ」
サフィールは首を振って訂正した。
「少なくとも、ボンクラ貴族どもが内乱を起こす事態だけは回避した。ヴィオラに関しては……なぜよりによって今戻ってきたと言いたいが」
ぎりぎりと奥歯を噛み締める。主人の胃を心配して、ティファニがストレスを和らげるカモミールティーを淹れに走った。
「……ヴィオラ殿下は王位に興味がないと仰っていたとか。でしたら、放っておいて帝国の襲撃に集中することはできないのですか?」
茶を注ぎながら、ティファニが疑問を口にする。もっともな疑問だ。
「だめだ。アレの存在が明るみに出た時点で、内乱に繋がる」
きっぱりと首を振った。熱い茶を冷まし、ゆっくりと口に運ぶ。
なにもサフィールが目的のため一族を虐殺したからという理由ではない。なにもせずとも、ヴィオラの存在は数年で、王国に動乱を巻き起こしていただろう。本人の意思とはまったくの無関係に。
控えめなノックが扉を叩いた。
訪問した人物の名を聞いて、サフィールは入室を許可する。
「失礼します」
ひとりの竜騎士が室内に足を踏み入れた。執務室の前で膝をつく。
「……失態だな」
見下ろして、声をかけた。失望が滲むのを隠しきれない。騎士は絨毯につきそうなほど、深く頭を下げた。
「申し訳ありません。監視を命じられていたにもかかわらず、暴走を許しました」
サフィールは深々とため息をついた。
監視が機能していれば、ここまで侵入を許すことなどなかっただろう。
執務椅子を立ち上がり、窓辺に近づく。カーテンを引いて、外を眺めた。
東の空が薄っすらと白んでいた。仄かな明かりの下に、荒らされた中庭や壊された壁の復旧作業に当たる庭師や兵士の姿が見える。
「貴様はアンスラクスの意味を知っているか?」
自分に向けられた問いだとは思わなかったのか、騎士は黙ったままうつむいていた。
「知っているのかと訊いている」
ビクリと肩を震わせた。振り返った蒼玉の眼光を受け、慌てて口を開く。
「ヴィオラ殿下の戴冠名……ですよね」
なぜそんな質問をされるのかわからない、というようにおずおずと答える。
戴冠名とはドラスティア王家独特の文化で、即位したときのみ名乗ることを許される名だ。サファイアの瞳を持つ彼がサフィールであるように、瞳の宝石に因んで名付けられる。
「では元の意味は?」
騎士は首を振った。ティファニに視線を移す。
「かつて南西に栄えた帝国の言葉で、ルビーを意味するのでしたか」
「本来の意味は『燃える石炭』だそうだ」
「それはまた随分と……地味、ですね」
困惑したようにティファニが相槌を打つ。
「地味? とんでもない」
サフィールは否定した。
「あれは火種だ。そこにあるだけで国中を焼き尽くす、業火の火種。下手すると世界中をも巻き込みかねない」
氷のようなサファイアを騎士に戻し、冷たく睨みつける。
「次はないぞ。奴は必ず神竜の近くに現れる。接触する前に——確実に、殺せ」
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