第21話 侵入2
「……始まったか」
王城にいくつかある研究室。
その近くの空き部屋に身を潜めて、ベンジャミンが呟いた。
ベンジャミンが城に来たのは、アリウと別れてすぐのことだ。
相対した黒竜のことで思い出したことがある、と告げるとすぐに研究室に通され、夕方まで質問攻めにあっていた。その後は帰ると見せかけ、今までずっと、使われていない空き部屋に身を潜めていたのだ。
音は遠い。この辺りは王宮の中でも通いの文官の職場となっている一画であり、一方でアリウたちが侵入を図ったのは最深部、国王が住まう区画だ。かなりの距離がある。
だが壁が壊される振動は、壁づたいに手のひらを震わせた。荘厳な王宮で足音を殺すことも忘れ、衛兵たちがバタバタと走りまわる。
するりと部屋を抜け出し、堂々と廊下を歩き出した。
上から衛兵の制服を羽織っただけの雑な変装だったが、事態が混迷しているお陰で見咎められることなく悠々と進める。
できるだけ派手に注目を集めてくれと頼んだものの、ここまで上手く行くと逆に不安を覚える。
目的は研究室の隣の、半ば倉庫と化した一室だ。
研究室に近づくにつれ、人影は少なくなった。ここで見つかったら、まず言い逃れはできないだろう。無意識に足が急く。
幸い、誰ともすれ違うことなく目的の部屋に辿り着いた。
当然ながら、施錠されている。
ベンジャミンは思い切り舌打ちした。この可能性を考えないわけではなかったが、残念ながら鍵をくすねる暇も隙もなかった。針金でこじ開ける技術もない。
となれば、取れる手段はひとつしか残されていない。
小走りに廊下の両端を覗き、近くに人の気配がないことを確認する。それから思い切り女装をつけて——。
——木製の扉を、蹴破った。
静かな廊下に、けたたましい音が響き渡った。
金属がひしゃげる耳障りな音。木製の扉はひびが入り、錆びた錠はひしゃげて壊れていた。
扉が老朽化していてよかった。
急いで室内に踏み入った。真新しい扉では一撃で蹴破るなんて荒技、到底通用しなかっただろう。何度も体当たりを繰り返しているうちに、異変に気づいた衛兵が駆けつけたかもしれない。
舞い上がる埃の向こうに、目当ての代物を見つけて、ほっと息を吐いた。
ルビーラビットを閉じ込めた檻であった。
二対の紅玉が、警戒心をあらわに睨め上げる。
「驚かせて悪い。今、外に連れてくから」
檻ごと二羽のカーバンクルを持ち上げて、宥めるように囁いた。
あとはこれを、見つからずに城外へ持ち出すだけだ。
*
王城の中でももっとも高く、広い棟。その窓が突如けたたましい音を立てて割れ、周囲の瓦礫ごと中庭に降り注いだ。花はとうに枯れているとはいえ綺麗に保たれた中庭が、一瞬にして泥だらけの荒れ地と化す。
王城は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
大岩でも撃ち込まれたかという派手な音は、塔全体を震わせた。静かな夜を騒乱の渦中に叩き込む。
城外を警戒していた兵士は何事かと音の出所を見上げた。城内を見回っていた兵士はぎょっとして警戒を強め、音の出所にもっとも近かった者たちは剣を構え、我先にと駆けつける。
まんまと侵入に成功した賊はというと、瓦礫に埋もれて目を回していた。コガラシが翼を広げて庇ってくれたが、ぶつかった際の衝撃は防げない。
くらくらする頭を押さえ、瓦礫の下から這い出す。
「国王の部屋はどっちだ?」
ガラスの破片と瓦礫をはね飛ばし、ヴィオラがコガラシの背から転がり降りる。
アリウは頭を振って意識をはっきりさせ、周囲を見回した。
絨毯の敷かれた広い廊下だった。派手に壁を壊したせいでガラスと瓦礫が散らばり、酷い有様だが、国王の居住区と見て間違いない。壁の割れ目から顔を突き出し、目に映る景色と記憶を照らし合わせて、現在地を割り出す。
「たぶんこっちだ、もう一階上が陛下の寝室だと思う」
先導して廊下を走り出した。
角をひとつ曲がっただけで、大挙して押し寄せる衛兵が見えた。
「いたぞ!」
「捕らえろ!」
回れ右して別の道を行こうと思う間もなく、怒号が通路に反響する。選りすぐりの精鋭だけあって、さすがに対応が早い。
「げえっ」
悪態をつきながら、剣を引き抜いた。ただし、構えるのは鞘のほうだ。この人数が相手では手加減できる気がしないので、これで思い切り殴らせてもらう。
横で、ヴィオラの姿がブレた。
と、思うと、前列の数名の兵士がまとめて倒れた。目の前で急に味方が倒れ、すぐ後ろの兵士がその身体につまづく。
広い廊下とはいえ屋内だ。たったそれだけで、兵士たちは軽い混乱に陥った。
その隙を見逃すほど、アリウもお人好しではない。突きと打撃でもって畳みかける。ヴィオラも身長の低さを利用して死角から絞め技や蹴り、手刀を叩きこみ、的確に相手の意識を奪い取っていく。
瞬く間に、廊下には気絶した衛兵が積み上がった。
「急ごう、キリがない」
蹴り上げた兵士を床に放り出して、ヴィオラがくるりと背を向けた。確かに彼女の言葉通り、足音が迫っているのが聴こえた。
「あ、うん」
剣を鞘に納め、呆気に取られながら、後を追いかける。
アリウは内心で、ヴィオラの戦いぶりに驚嘆していた。
幼少期から、ヴィオラの戦闘センスはずば抜けていた。だがそれはあくまで演習場で、剣を使った一対一の戦闘においてのことだ。王族、それも七つに満たぬ幼子が実践的な戦場に放り込まれることなどない。
今ヴィオラが見せた戦いは当時とは真逆だった。多対一を想定した、獲物を問わない戦闘。護身を目的とした演習とは対極に位置する、実戦において敵を無力化することを第一とした戦闘術。流派も型もない動き。恐らく、独自に身につけたものだ。
それはヴィオラが自分で戦わなければならない状況で生きてきたことを意味する。
考えてみれば当然のことではあった。異国から流れてきた身寄りのない人間が、豊かな生活を送れるわけもない。乱闘は日常茶飯事だったかもしれない。
時折遭遇する衛兵を蹴散らして進むと、あっという間に階段に着いた。一気に駆け上がる。
目的の階に辿り着いて、アリウはその雰囲気の異様さに息を飲んだ。
あれほどの騒ぎにもかかわらず、不気味なほどの静けさが空間を支配していた。
絨毯敷きの広い廊下には、人っ子ひとり見当たらない。左手、寝室の扉のそばに控えているはずの衛兵の姿すら忽然と消えている。
踏み出した足音も絨毯の長い毛足に飲まれた。
「普段からこんな杜撰な警備、なんてことはないよな」
唸るようなヴィオラの言葉に、周囲を警戒しつつ頷いた。
「待ち伏せされているかもしれない」
ヴィオラが短剣を抜く。互いに目配せすると、両開きの扉の側の壁に張り付いた。中の様子を探ろうと聞き耳を立てたが、返ってくるのは静寂ばかりだ。ヴィオラに向かって首を振った。
大きく息を吸う。
吐くと同時に、扉を蹴り開けた。
——トストストストスッ!
立て続けに矢が絨毯に突き刺さった。踏み込もうとした足を慌てて引き戻す。一本が足下に突き立って激しく震えた。ぞっとして息を飲む。一瞬でも遅ければ射抜かれていた。
矢の雨はしばらく止むことがなかった。
止んだと思って足を踏み出すと、すぐにまた襲いかかる。
とはいえ、矢が無限にあるはずもない。しばらく様子見を繰り返すと、とうとう最後の一本が尽きたようだった。
廊下の壁に当たり、乾いた音を立てて跳ね返る。
アリウとヴィオラは慎重に、足を踏み入れた。
贅を凝らした室内で待ち受けていたのは、寝衣の上にローブを羽織った国王と、彼を囲むようにして槍を構えた近衛兵たちだった。ふたりが近寄れないように槍を前に突き出し、国王を守っている。周りには投げ捨てられた弓が散らばっていた。
ヴィオラが短剣をしまい、害意がないことを示すように、両手を挙げた。突き出される槍が見えないかのように、数歩、足を踏み出す。
兵の間に緊張が走った。それ以上近寄るなとばかりに槍を持ち上げる。
ヴィオラは黙ってフードを払い、眩いばかりの銀髪とルビーの瞳を、シャンデリアの明かりに晒した。
「久しぶりだな、兄上」
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