第19話 共犯

 閑散とした昼の竜騎士団に、こそこそとした人影が七つ。

 前方を歩く背中を見失わないように、それでいて見つからないように細心の注意を払いつつ、後をつける。

 言わずもがな、暇を持て余したアリウ隊の、隊長を除く七名である。

 こういった事柄に興味がなさそうなドリューとゲイリーとハルニアまでついてきたのは、ベンジャミンも想定外だった。

 ドリューはカルマから目を離せず、ハルニアは純粋にアリウを心配しているようだが、ゲイリーはなにを考えているのかわからない。

 大所帯で後をつける様は、はたから見てかなり滑稽だろう。時折通りがかる非番の騎士の目がそれを物語っている。

 アリウは後をつけられていることなどつゆ知らず、足早に渡り廊下を通り過ぎ、中庭とワイバーンの発着場を横切って、巨大な建物に入っていった。

「やっぱり行き先は竜舎か」

 中庭の外周に植えられた樹木の影に身を隠しながら、ぼそりと呟く。

 抜き足差し足、竜舎に近づいた。建物の壁に身を寄せて、出入り口を窺う。

「出てきませんね……」

 沈黙に耐えかねたように、カルマが呟いた。見た目に違わずじっとしていられないタチなのだ。しゃがんだまま、ごそごそと足を踏み替える。

「いや、ちょっと待て」

 ゲイリーがその動きを制止した。

「話し声がする」

「え、ウソ。なにと喋ってんのアレ?」

「アレってお前……」

 人差し指を立て、ゲイリーが壁に耳を当てる。アリウの騎竜であるコガラシの房まで距離があるが、そんなんで聴こえるのだろうか。

 ベンジャミンが疑問に思っていると、ゲイリーが眉を寄せた。壁から耳を離し、首を振る。

「だめですね。聴こえなくなりました」

「最初から聴こえなかったんじゃ——」

 思わず、といったようにカルマが口を挟んだ。が、小声は砂利を踏み締める音にかき消される。

 足音の意味に気づいて、ベンジャミンの肩が跳ねた。ぼけっとしていたから絶対に気づかれないと思ったのに。

「やべっバレた」

「なにがバレたって?」

 底冷えするような声が上から降ってきた。

「ひえっ」

 ギギギと軋む音を立てそうな動きで振り向くと、満面の笑みでアリウが見下ろしていた。どんな怒り狂った表情より怖い。

「こらそこ、こっそり逃げようとしない」

 四つん這いで離れようとしていたユニスとファニー、及びカルマがぎくりと足を止める。ベンジャミンを囮に竜舎の裏から逃げようとしていたらしい。裏切り者どもめ。

 曖昧な笑みで誤魔化そうとするが、アリウは笑みで圧をかけるばかりだ。

「心配かけたようなのは謝るけど、こそこそ後をつけるのは感心しないな」

 残る三人に視線を移して、困ったように眉を寄せる。

「ドリュー……はまあなんとなく想像つくけど、ゲイリーさんとハルニアさんまで……」

「すみません隊長、様子がおかしかったのでつい」

 ハルニアは丁寧に正座をしている。横のドリューも同様だ。

「いやあ、ははは……」

 ゲイリーはというと後頭部を掻きながら目を泳がせた。

 アリウはため息をついた。

「はあ……まあいいです、僕も偉そうに説教できる立場じゃないですし」

 どうやら無罪放免らしい。助かった。

 説教される心配がなくなって、ベンジャミンは勢いよく立ち上がった。

 用はないとばかりに戻ろうとするアリウの肩を掴んで引き留める。

「で、ぼけっとしてた原因は、なんだ?」

 笑顔には笑顔で。視線にめいいっぱいの圧を込めて対抗する。今度はこちらが詰問する番だ。

 そそくさと立ち去ろうとしていた面々も、興味津々で振り向いた。

 一斉に視線を受けて、アリウが苦笑する。

「なんでもないよ、疲れすぎて逆に眠れなかったみたいだ」

 さらりと躱された。

 カルマなどは『なーんだ』と納得したが、付き合いの長いベンジャミンには、それが建前であることくらいすぐわかる。

 急がないと日が暮れるから、と肩にかけた手を振り払われそうになったが、握り潰さんばかりに力を込めて阻止した。

「いでででででなにするんだ馬鹿」

「おいアリウぅ。俺も墓参りについていっていいよなぁ」

「うわガラわるっ」

「いいよな?」

「ああもう好きにすれば?」

 アリウは根負けしたようにため息をついた。今度こそ、竜舎に戻ろうとする。

 再三、ベンジャミンの手が引き止めた。

「だああ、まだなにかあるのか?」

「なにかってお前、その腕で手綱握る気か?」

 アリウの両腕を指し示す。団服の下に隠れて見えないが、前腕が添え木で固定されている。

「? そうだけど?」

 なにか問題でも、とばかりに首を傾げた。

 ベンジャミンは呆れ果てて頭を掻いた。

「悪化するだろうが馬鹿」

 人手が足りていないのとアリウが竜血病なのとで放置されているが、本来なら二、三週間は固定したまま動かしてはいけない。乗竜は強い負荷がかかるので、そもそも避けなければならないのだが——まあ、こいつが聞くはずもない。

「連れてってやるから後ろ乗れ」

 襟首を掴んでずるずると雪姫の房まで引き摺る。

 後ろからぼそりと「……夫婦喧嘩みたい」という声が聴こえたが、無視した。

「んじゃ俺はこいつ連れて赤竜丘陵まで行ってくるから。かいさーん」

 ひらひらと手を振った。


   *


 真白の竜が秋の青空に舞い上がる。

 残された六人は、羽ばたきが巻き起こす小さな砂嵐から目を庇った。風が過ぎ去って見上げたときには、白鳥と見分けがつかぬほど遠くなっている。

「なーんか副隊長に上手いこと利用された感じがするんだけど」

「アイツ性格悪いよ……」

 憮然として、姉妹が文句を言った。不貞腐れて地べたに寝っ転がってしまう。

「まあでも、アリウ隊長との付き合いは一番長い方ですから。ちゃんと悩みを聞き出してくれると思いますよ」

「えっ寝不足っていうの嘘だったんですか⁉︎」

「まさか気づいてなかったの? ガキだねカルマは〜」

「隊長、腕の骨折れて平然としてる人だよ……?」

「が、ガキじゃないですー! ドリューは黙ってて!」

 賑やかな一行を無視して、ゲイリーが竜舎に近づく。堂々とコガラシの房を開け、中を覗き込む。

「ゲイリーさん? なにをなさっているんですか?」

 見咎めたハルニアが眉を寄せた。ゲイリーは悪びれる様子もなく、房を物色する。コガラシが鬱陶しげに唸ったが、お構いなしだ。

「いやあね、ちょっと怪しすぎるでしょう」

「怪しすぎる……?」

「昨晩ユニスとファニーが隊長に会ったとき、自分もいたんですよ。確かにあのときは疲れてるだけで妙な様子はなかったが、帰りが遅かったのが気になりまして」

「なんでゲイリーさんがそんなこと知ってんの?」

「部屋が扉の側なんで、出入りする音は全部聴こえるんですよ」

 ファニーが口を挟んだが、とにかく、と咳払いして、ゲイリーは話を続ける。

「それで起きたらあの調子じゃあ、そこでなにかあったと考えるのが自然でしょう。例えば——」

「例えば?」

 ゲイリーは黙って肩をすくめた。意図的に明言を避けたのだと思われた。

 ユニスとファニーまで加わって竜舎全体を捜索したが、結局、めぼしいものは見つけられなかった。

 念のためコガラシの翼の下まで覗き込んだが、食べかけの生肉が落ちているのみだ。

 戸が閉まり、竜舎は薄暗がりに戻る。

 がっかりしたような、ほっとしたような空気を漂わせながら、足音が遠ざかった。

 完全な静寂が訪れた後、ごそごそと動き出す影があった。

 ゲイリーの騎竜の翼の下に隠れていたヴィオラであった。

「いやあ、コガラシが話を通してくれて助かった」

 固まった身体を伸ばし、膝の泥を払う。

 さすがに自分のワイバーンが匿っているとは思いもよらなかったのだろう、房の中をチラリと一瞥しただけで去っていった。

「アリューのやつは黒髪に連れていかれたけど、大丈夫か……? あいつ昔から隠し事苦手だからな……」

 教師たちの目を逃れ、こっそりと隠れたときのことを思い出す。隠れ場所を言わないでと頼んだのに、あっさり視線の方向でバレてしまったのだ。少しは無表情を覚えてくれているといいが。

 まあいいか、と肩をすくめてアリウが持ってきてくれたパンを齧った。天窓から見上げた空は青々として、雲ひとつ見えない。

「わざわざワイバーンになんか乗って、どこ行ったんだろ」

 独り言に呼応するように、コガラシが小さく瞬きした。


   *


 さて、一方でベンジャミンに強制的に連行されたアリウはというと、雪姫の背に揺られながら、ぶすくれていた。

 雪姫の背には二人乗り用の鞍が乗せられ、ベンジャミンが前で手綱を取る。アリウはというと後ろで暇を持て余しつつ、過ぎ去る景色を眺めるしかない。

「はあ。どうしてわざわざ二人乗りしなきゃならないんだ……」

 ぼやいた言葉はしっかりベンジャミンの耳に届いた。がばりと振り返る。

「雪姫の飛行に文句でもあるのか⁉︎」

「一言も言ってない! あと前を見ろ!」

 アリウが鞍の上で仰け反った。

「雪姫は優秀だから心配ない」

 言いつつも、大人しく前に向き直る。

 実際のところ、ベンジャミンは数えるほどしか王家の墓に行ったことがないので、手放しで向かうのは少々不安がある。丘陵自体には任務で度々踏み入るものの、王墓の正確な位置は不明だ。上空から森を俯瞰して眺めているにもかかわらず、アリウの案内がなければ数分と立たずに迷う自信がある。

「あ、その高い樅木のとこ左」

「うい」

「そこの倒木のとこ斜め右」

「うい」

 時折下される指示に従って空を駆ける。手綱を繰りながらも、考えるのはどうやって話を切り出すかだ。

 他の隊員たちがいる場でついていくと宣言したことでどうにかふたりきりの状況には持ち込んだが、下手な話の振り方をすればすぐにでも逃げられかねない。

 結局、考えている間に王墓に着いてしまった。

 雪姫の背を降りて、錆びついた鉄の門をくぐる。

 アリウが墓石を軽く掃除し、近くで摘んだ花を供えるのを、門の支柱に寄りかかって見ていた。さすがに邪魔するのは気が引けた。かといって自分も参るのはなんとなく違う。

 ベンジャミンとアリウは幼い頃からの付き合いだが、友人として、婚約者としてヴィオラ王子と仲の良かったアリウとは違って、ベンジャミンはほとんど王子との面識がない。一応は貴族なので登城したことはあるものの、直接王子と会う機会はほとんどなかった。パーティで遠目から姿を見たり、剣の稽古の折、遠くの塔から羨ましげにこちらを睨む姿が目に焼きついているくらいである。あちらはたぶん、アリウしか見ていなかっただろうけど。

 アリウの作業がひと段落ついたのを見計らって、その背中に声をかけた。

「亡霊にでも会ったか?」

 肩がビクリと跳ねた。

「……どういう意味?」

 平静を装った声が返ってくる。だが返事の前の間と頑なにこちらを向こうとしない顔が動揺を物語っている。

 やっぱりな、と息を吐いた。

「お前がそこまで動揺する理由なんて、ひとつしかないだろ」

 少し考えてみればわかることだ。

 黒竜出現前、間者の破壊行動でなぜか王都のに哨戒に行かされたこと。イヴェットと相対する間者を見て、後ろ髪引かれる様子だったアリウ。

 黒竜の出現に「陛下はここまで予期していたのか」と感嘆したが、今朝になってアリウの様子を目にしてみると、ほんのわずかにだが抱いていた違和感が、そこかしこに浮き上がる。

 ただ、そこから導き出される結論は、あまり気持ちの良いものではない。

「まあ、深くは聞かねえよ」

 硬直したままの背に向かって、肩をすくめた。深入りしたくない、というのが正直なところではあった。

 露骨に背中の筋肉が弛緩する。深々と息を吐く音が聴こえて、思わず笑ってしまう。

「で? なにを悩んでるんだお前は?」

 歩み寄って顔を覗き込んだ。

「……聞かないんじゃなかったのか?」

 不機嫌そうな顔が見返した。

「『深く』はな」

「こ、こいつ……」

 拳が飛んできそうになったので、素早く飛び退いた。まあまあと宥めつつ、返事をうながす。

 アリウは喉の奥でうなった。どうにかして記憶を消せないかとでも考えるように、ベンジャミンの頭を睨みつけてくる。

 さすがに聞き出せないか、と判断して、降参のしるしに両手を挙げた。

 アリウは隠し事が下手くそだが、頑固でもある。なにも口にしないと決めた彼から情報を引き出すのは、拷問でも難しいだろう。

「物は相談なんだが」

 切り口を変えて、話を持ちかけてみる。隣にしゃがみ込んだ。

 アリウが警戒心をあらわにする。面白くなって、にやりと笑いかけた。

「お前らが企んでることって、すごい騒ぎになったりしないか?」

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