第18話 朝(昼)
謎のドラゴンと大立ち回りを繰り広げたアリウ隊は、二日ほど休日を貰っている。
さもなければ後処理の翌日の任務は、遅刻欠席多数で酷いことになっていただろう。隊員が食堂に姿を現した時間で明らかだ。
直接戦闘に加わらなかったカルマとドリューが比較的元気で、普段よりやや遅い七時半ごろ。
ハルニアが哨戒任務の始まる八時。
ゲイリーが九時過ぎ、ユニスとファニーが十一時ごろ、ベンジャミンに至っては昼をとうに回って、昼食を食べに来た竜騎士たちが食堂を出ていった後だった。
「あー頭いてえ……」
ベンジャミンはがしがしと頭を掻きながら席についた。大あくびを噛み殺し、手に取ったパンにブドウのジャムを塗る。
「さすがに寝すぎでは? もう昼過ぎですよ」
ハルニアが苦言を呈した。彼女は朝食後、一度食堂を離れて休日を楽しんでいたのだが、昼食時に戻ってきて、今は食後の紅茶を嗜んでいたところだった。
「俺もそう思う……」
もそもそとパンを食んで、反論の余地もないと唸った。
昼のピークを過ぎた食堂はかなり静かだ。
他の非番の隊もさすがに昼過ぎまで寝るようなことはなかったらしく、既に食べ終えて食堂を去ったか、ハルニアのようにのんびりとお茶を飲んでいる。
アリウ隊だけ何故か勢ぞろいしていた。がらんとした広間に声がよく響く。
ベンジャミンとハルニアの間に文字通り割って入るようにして、後ろからカルマが顔を覗かせる。小声で耳打ちした。
「副隊長、あれどうにかしてください」
「こらカルマ。隊長をあれとか言わない」
保護者よろしく、カルマの上からドリューも顔を出す。仲のいいことだ。どことなく、かつてのヴィオラ王子とアリウを彷彿とさせる。
「アリウのやつがどうかしたか?」
尋ねると、カルマは返事の代わりについついと裾を引っ張った。促されるまま反対横を見た。いつにもまして顔色の悪いアリウが、うつろな目で皿をつついている。
「どうしたんだあいつ」
「わたしが訊きたいですよ。朝からずーっとああなんです」
「へえ……そいつぁまた」
眠気覚ましに珈琲をすすって、まじまじと親友を眺める。
アリウは視線に気づく様子もなく、のろのろと咀嚼している。
なんともまあ珍しいことだ。
ベンジャミンの知る限り、アリウが不調を表に出すことは少ない。大雨の哨戒任務で熱を出したときも、盗賊とやりあって負傷したときも、平然としていた。高熱に関しては任務が終わって宿舎に戻った後、隣のアリウの部屋から人の倒れる音が聴こえて、初めて異変に気づいたほどだ。
昨日——いや、一昨日も腕の骨にひびが入ったらしかったが、なんともないように事後処理に勤しんでいた。正直化け物じみている。
「なにを言っても『うん』としか言わないですよ」
「『今日の靴下何色ですか?』とか訊いても?」
「それは訊いてないですけど。『明日から毎日手合わせしてください』って言っても『うん』って」
「なんだそれはちょっと面白いぞ」
カルマらしい台詞ではあるが、まともな状態なら絶対に断っているだろう。なにせ、カルマの手合わせはしつこい。日が暮れるまで、いや日が暮れてもなお付き合わされかねない。話をまるで聞いていない証拠だ。ちょっと後日正気を取り戻したアリウに、約束を履行させてみたい。自分がやるのは嫌だが見学するのは絶対愉快だ。
くっくっと笑いを噛み殺す。結果、パンくずが変なところに入ったようで盛大に咽せかえった。呆れ顔のハルニアに背中をさすってもらって落ち着きを取り戻すと、珈琲を胃に流し込む。
「昨日は普通だったよな?」
こそこそと確認した。ほとんど会っていないから自信を持って言い切ることはできないが、おかしな様子はなかったように思う。
「夜に会ったときは普通だったよ」
向かいのファニーが口を挟んだ。
「宿舎に向かってたらゲイリーさんと隊長と遭遇して一緒に歩いてたんだけど、竜舎の前でコガラシの様子を見ていくって」
「なにかあったとしたら、そのときか」
「たぶんね」
「ほーん」
カリカリのベーコンを頬張りながら、食事に戻ったファニーを観察する。無意識にだろうが、興味がなさそうに見えて、視線はしばしばアリウに注がれている。
「で、お前らなんでそんな機嫌悪いの」
『ら』と言ったのはファニーの隣で居眠りしている——ように見えるユニスも含めてのことだ。
「え? 機嫌悪そうには見えませんけど……」
思わず、といった様子で呟いたのはドリューだ。ファニーはちらりと視線を向けて、つんとそっぽを向いた。
「別に。隊長のクソ野郎いつにもまして死にたそうな顔して腹立つとか思ってませんけど」
「思ってるんじゃねーか」
すかさず突っ込みをいれた。
当人は気づいていないだろうが、入団したてで隊も違うころから、この姉妹はアリウを敵視している。普段は上手く隠しているし、嫌がらせとかそういう陰湿なことはしないので放置しているが、一体あの憎悪はどこからくるのか。どうしてわざわざ嫌いな相手の入ったのか。いろいろと気になることは多い。
だがまあ確かに、アリウがいつもより面白——じゃなくて、めんどくさ——でもなかった、大変なことになっているのは間違いない。
皿の中身もベンジャミンたちが食べているものと違うようだし、朝からあの調子なんじゃないだろうか。
ただ、死にたそうな顔というのは違うな、とベンジャミンは判断する。どちらかというと、興奮して心ここにあらずといった表情だ。それに、なにか悩んでもいるようでもある。ここにいる者にそう言っても六人全員がそんなわけないと否定しそうだ。だが、伊達に付き合いが長いわけではない。
そういえば、ヴィオラ王子との婚約が決まった日も、こんな顔をしていた気がする。幼い頃の記憶だから朧げではあるが、アリウが婚約を嫌がっていると周りの大人たちが勘違いして一悶着あったのは、忘れようがない。
とにかく話くらいは聞き出さなければ、とアリウの目の前で手を振ってみた。
反応はない。
肩を叩いてみる。
これも反応はない。
「おいアリウ」
声をかけたが聴こえていないようだ。
特定の単語にならば反応するんじゃないかと、頭を捻った。
「もう昼過ぎだが墓参りはいいのか?」
揺さぶりながら問いかけてみる。
「はか……まいり……?」
辛うじて反応があった。だがぼんやりとしたまま、目の焦点が合っていない。
「おーう重症だこりゃ」
呆れ返って呟いた。
竜騎士団の規則を丁寧に毎日破ってまで欠かすことのなかった墓参りすら忘れている上、反応もおぼろげとは。
「ヴィオラ王子の墓参りだよ。今日はまだなんだろ?」
畳みかけると、初めてまともな反応があった。
「そうだったヴィオ——」
急に目があったと思うと、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。かなり乱暴な立ち方をしたので足と膝と腹が椅子やテーブルに当たって痛そうな音がした。長椅子なので必然的に隣のベンジャミンまで腰を引かれ、よろめく形だ。
「うおっ、お前急に——」
抗議して初めて、ベンジャミンの存在に気づいたようだった。
「あれベンジャミンおはよう。みんなも、いつのまに」
「そんな気はしてたけど全然気づいてなかったのな」
「えっ、というかもう昼?」
「聞いちゃいねえ」
「ごめん行かないと! また後でね」
テーブル上のカゴに積まれたパンを数個、掻っ攫うと、慌ただしく出ていってしまった。嵐のような勢いだ。らしくもなく乱暴に扉が閉まり、バタバタと足音が遠ざかる。
静寂の訪れた食堂で、残された面々は顔を見合わせた。
「……怪しいな」
「怪しいですね」
「怪しいね」
誰からともなく口にする。
「竜舎で一体なにがあったんでしょう」
「間者でも匿ってるとか?」
「間者?」
「ほら、黒竜のときの」
「さすがにそれは——」
ベンジャミンは会話には加わらず、黙って耳を傾けていた。
口にはしないが、彼の頭にはひとつの仮説がある。
パンッと手を打ち合わせて注目を集めると、嬉々としてこう告げた。
「よし、つけてみるか!」
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