第16話 ヴィオラ
謎のドラゴン襲来の後は、恐ろしい忙しさだった。
王都に戻る途中で増援の竜騎士部隊と出会って事の次第を(簡単にとはいえ)説明する羽目になり、戻った後も団長に詳細な報告をせねばならず、イヴェット副団長に『ベンジャミンを危険な目に遭わせなかったでしょうね』と絞められ(副団長もなぜかボロボロだった)、薬室や研究室にも妨害に使われた煙や黒竜について思い出せる限りのことを話し、その間にワイバーンの診察やらアリウの腕の手当てやらして、ようやく解放されたのは日が昇りまた暮れた後のことだった。
ぐったりと宿舎を目指す途中で、ユニス、ファニー、ゲイリーの三人とばったり出くわした。珍しい組み合わせだ。アリウほどでないにしろ、小隊の騎士たちはみな根掘り葉掘り事情を説明させられたらしく、一様にげっそりしている。ゲイリーですら飲みに行く余裕はないようだ。
ちなみに動物に関して知識の深いベンジャミンは今もまだ研究室だ。副団長は早めに救い出してあげてほしい。そろそろ眠気を堪えきれずに気絶しているころだと思う。
「うわ隊長生きてるじゃん……あたしたちより報告に追われてたから死んだと思ったのに……」
「死んでほしかったみたいな言い方だ……」
疲れのせいか、ファニーの言葉は普段の数倍辛辣だ。ユニスのほうは言葉を口にする元気もないようで、死んだように妹に寄りかかっている。
君のお姉さんのほうが死人みたいになってるけど。
アリウはそう言いたくなるのをどうにか堪えた。
その後は特に目立った会話もなく、ぞろぞろと宿舎に向かう。そんな気力もなかったし、早く部屋に戻って寝たい気持ちが勝っていた。食事も湯浴みもろくに済ませてはいないが、大目に見てもらいたい。
時おり他の隊の騎士が好奇心を抑えられない様子で話しかけてきたが、土気色の顔を見るなり申し訳なさそうに回れ右していくので助かった。代わりに明日の朝、食堂に行ったら質問攻めに遭うだろうと思うとやや憂鬱ではある、が、今質問攻めに合うよりはいい。
見上げた空は昨夜とは打って変わって暗かった。松明が煌々と輝いていないばかりでなく、月も分厚い雲の向こうに顔を隠している。
考える余裕ができて、騒動のきっかけとなった不審者はどうなったのだろう、とふと思い出した。
随分と小柄な少女だった。恐らく、背格好はカルマと同じくらい。副団長がボロボロだったのは彼女とやり合ったせいか。捕まったとは聞かないから、まだ逃げ回っているのだろう。
——無事に逃げてくれるといいけど。
無意識の思考にはっとした。
まだ彼女と襲ってきたドラゴンとの関係もわからないのだ。余計なことは考えるべきじゃない。
ぶんぶんと首を振った。ゲイリーが怪訝そうな視線を寄越したが、気づかない振りをした。
そうこうしている間に、竜舎のそばを通りがかった。
「あ……僕は少しコガラシの様子を見ていくよ」
ゲイリーとファニーが頷き、ユニスが妹の肩に顔をうずめたまま小さく手を振る。
三人と別れて、ひとり、暗い中庭を歩く。
ワイバーンが闊歩する地面はでこぼこで、人間にはかなり歩きにくい。辺りがこれだけ暗ければ、なおのことだ。寝不足と疲労もあいまって、段差に足を取られてつんのめった。
「わっとっと」
頭から地面に突っ込むことは回避したが、よろめいて両膝と片手をつく。ずきりと腕が痛んだ。
人に見られなくて良かった。
膝についた土埃を払う。のろのろと立ち上がる途中で、唐突に動きが止まった。
雲が割れ、隙間から月明かりが差し込んでいる。その光に照らされて、目を惹くものがあった。
「なんだこれ」
かがみ込んで、地面に落ちた銀糸を拾い上げる。
土の上に落ちていたにもかかわらず、泥に塗れてはいない。まだ落ちて間もないのだろう。手触りは絹のように滑らかで、絹よりも細く柔らかい。まるで髪の毛よう。
——どくん。
心臓が大きく脈打った。
昨晩、一蹴したはずの世迷言が、毒蛇のように鎌首をもたげる。
もし、本当に、昨日の命令がアリウを王都から遠ざけるためのものだったとしたら。
夜襲に対する警戒のほうがついでで、黒竜の襲撃が偶然だったとしたら。
そんなはずはない。
自分に言い聞かせようとした。別の目的のために哨戒隊を出したら本当に敵が見つかったなんて、偶然にしては出来すぎている。酷いこじつけだ。ペテン師だってもっとましな話を考えるだろう。
けれど一度抱いてしまった疑念はじわじわと膨らんで、脳裏にこびりついて剥がれようとしなかった。
髪を手に握ったまま、竜舎を見上げる。この周囲で人が隠れられそうな場所など、ここ以外にない。
重く大きな扉を押し開けて入った竜舎は、外よりもさらに暗かった。
手探りでランプに火を灯し、持ち上げる。
淡い光の中に、全貌が浮かび上がった。
竜舎の中はかなり広く、天井も高い。ワイバーンたちがストレスを溜めないよう、中での行動は制限しないようになっている。鉄と石材を組み合わせて作られ、多少暴れたぐらいではびくともしない。
長い高い広いと三拍子揃った建物の両側の壁に並んでいるのが、各々専用の房だ。
普段ワイバーンたちはそこで過ごし、退屈すると広間に出てきて遊ぶ。竜舎の外から房に直接入れるよう扉がついていて、アリウが普段掃除のときに立ち入るのも、そちら側からだ。ワイバーン同士のじゃれあいに巻き込まれて押し潰されることがあるため、基本的に広間への立ち入りは推奨されていない。こちら側に関しては掃除も年に二回、すべてのワイバーンを外に出してから行うことになっている。
にもかかわらず、わざわざ広間側の扉から入ったのは、人を探して行動不審になっているところを他の竜騎士たちに見られたくないからだった。この時間はほとんどのワイバーンが棒でくつろいでいるし、うっかり潰される可能性も低い。
ひとつひとつ房を覗き込んでいくと、ランプの光を当てられたワイバーンが煩わしげに目を細めた。謝りつつ、足早に棒のそばを通り過ぎる。少し覗いただけでも、中に人がいないのは明らかだった。
二百を数える房を見て回るのは当然、かなりの時間を要した。足が棒になり、やはり先ほどの考えは早とちりか、所詮都合のいい妄想かと思いかけたとき、ワイバーンの呼吸に混じってより軽やかな吐息が聴こえたように思われた。
立ち止まり、耳を澄ませる。心臓の音で、よく聴こえない。
意を決して歩みを再開した。足音が酷くうるさかった。
すぅ、すぅ。
はっきりとその音が聴こえたのは、コガラシの房の前だった。高くかすれた寝息。昨夜、副団長と戦っていた少女であるのは明らかだ。心臓が高鳴るあまり、口から飛び出そうだった。
呼吸を忘れたまま、房を覗き込む。
まず目が合ったのは相棒のコガラシだった。
元気そうな様子に安堵する。煙の影響は完全に抜けたようだ。
コガラシはくいくいと首を動かして、自分の後ろを指し示した。恐る恐る、覗き込んだ。
二本脚を器用に折りたたみ、座りこんだ胴の横。尻尾と胴体に挟まれるようにして、銀髪の少女が寝息を立てていた。
アリウは叫び出したくなるのを必死に堪えた。思ったよりも少し背が小さく、ほっそりとしているが、ほとんどが夢にまで見た成長したヴィオラの姿そのままだ。
眉は大きく勝気で、鼻は小さいが筋が通っている。口が小さく開いて、白い歯が覗いている。
瞼は閉じていて瞳は見えない。
が、人の気配を感じ取ったのだろうか。
睫毛が震え、うっすらと瞼が開く。
深いルビーの瞳が月明かりに煌めいた。
数度、宝石が瞬いた。手を組んで頭上に伸ばす。小さくあくびした。
それから、視線に気づいたようにこちらを向いた。吊り上がった目尻が柔らかく下がり、口元が笑みを形作る。
「お、やっぱり」
鈴鳴りの声が、耳に転がるように飛び込んだ。
「フォルトナーってのはおまえのことだったんだな、アリュー」
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