第13話 騒動1
カンカンカンカン!
夜の街に、やかましく警鐘が鳴り響く。
焚かれた松明が、煌々と王都を照らし出した。
そこかしこで怒声が飛び交い、ブーツの踵が石畳を叩く音や鎖かたびらのがちゃつく音、鞘鳴り、ワイバーンの足音などがいっぺんに鼓膜めがけて押し寄せる。
なんだなんだと顔を出した住民に、危ないから家に籠もっているよう、そばを通りがかった竜騎士や兵士が指示を出す。
街の喧騒を見下ろすようにして、家屋の屋根に小さな人影があった。
目深にフードを被り、器用に棟の上にしゃがみ込む。身体を覆う灰色のマントが風に煽られ、バサバサとはためく。その端はわずかにちぎれ、ほつれた糸が夜風に流れた。
「わあ、すごい騒ぎになっちゃったなあ」
他人事のように呟いた。
フードの下で、紅玉の瞳が煌めいた。紛うことなく、騒ぎの元凶であった。
「ちょっと兄上に話があるだけだったんだけどなー。門番に頼めばこっそり城までいけると思ったのに」
頬杖をついて、むすっと顔を顰める。
門番が腰を抜かして悲鳴を上げた、ところまではいい。聞きつけた別の兵士が代わりに彼女を招き入れ、上に話を通すから待っていてほしいと言ったところも、別に構わない。
問題はその後だった。
よもやよもや、いきなり偽者扱いされた挙げ句、敵国の間者呼ばわりされて追い回されるとは。
おかしいと思ったのは迎えに来たはずの国王直属の兵士ふたりが王城への道を辿らず、ひとけのない路地裏に彼女を連れ込んだ時のことだった。
殺気を感じてとっさに横に動けば、前後から突き出された剣が、彼女がいたはずの場所で交わって鈍い金属音を奏でた。一秒でも遅ければ確実に串刺しにされていただろう、容赦のない刺突。
ふたりの兵士は返り討ちにしたものの、すぐにその場を離れたのが逆にまずかったかもしれない。時間が経ち、ふたりの戻りが遅いのを不審に思って様子を見に来た兵士が、そのことを報告しに駆け戻ってしまったからだ。
せめて近くの廃屋の中に隠しておくとか、時間を稼ぐべきだった。そう気づいたときには既に手遅れだった。警鐘がけたたましく鳴り始め、寝静まっていた王都が目を覚ましてしまった。
「意図的、だよな」
目の下の皮膚を引っ張って遊びながら、低く呟く。
ここで『兄は自分が死んだと思っているから、偽者が現れたと思って殺そうとするのだろう』と思うほど、純真無垢ではない。
なによりこのルビーの瞳は、偽ろうと思って偽れるものでもない。ドラスティア王家は苗字を持たないが、それはわざわざ飾った名前などなくとも、宝石の瞳がなによりの血筋の証となるからだ。
つまり兄は、『門を叩いたのが正真正銘、本物の妹のヴィオラだとわかった上で』『明確な殺意を持って』殺しにきたのだ。
「母上は教えてくれなかったけど、やっぱりあの事件を起こしたのは……」
深々とため息をついた。
一般的に、十年前の事件——炎の惨劇は、カトレイヒ帝国の仕業、ということになっているらしい。つまり、不特定多数の前で顔を晒すか、あるいは神竜ルヴィーダを探して話を通せば、彼女に手を出すことは難しくなる。けれどそれは、彼女にとっても都合が悪い。
上空にちらほらと、ワイバーンの影が見え始めていた。
これは時間の問題だろうなと思いながら見上げた翼の向こうにギラリと光る鈍色が見えて、ぎょっと立ち上がる。
とっさの判断で棟から飛び退くのと、矢の雨が降り注いだのは同時だった。
瓦屋根に鉄の鏃があたって弾かれ、あるいは脆くなった部分を抉る。
二転三転してそのすべてを避け、上空を睨んだ。
「まてまてまてなに考えてんだあいつら! 住宅街だぞ」
住民は屋内に避難しているはずだから大丈夫ということだろうか。万が一に音に釣られて子供でも飛び出してきたら、どうするのだろう。
悪態をつきながら屋根から屋根へ、身を低くして走り抜ける。無人の住宅街が弓使いへの牽制にならないのなら、有人の騎士団ならば、どうだ。
意図を察したのだろうか。
数頭のワイバーンが一直線に急降下してきた。一頭がかぎ爪を閃かせ、頭を潰そうとする。
瓦の上に素早く身を伏せ、頭が熟れすぎたカボチャのように爆ぜるのを回避した。だが、これで終わりではないぞと言わんばかりに、旋回して再び向かってくる。顔よりよほど大きな鉤爪が迫る刹那、横に飛び退いて騎手の足を斬りつけた。
「ッ!」
よもや反撃されるなどと予想していなかったのだろう。小さな悲鳴が上がって、手綱の操作が狂う。ワイバーンが姿勢を崩し、瓦屋根を砕いた。だが騎士の必死の立て直しで転倒を免れ、ふらつきながらも再び高く舞う。風の音に紛れて舌打ちした。
「この馬鹿! 家屋に傷をつけるなとあれほど言ったでしょう!」
若い女性の声だった。
おお、まともなやつがいる。
よくわからない感心の仕方をしながら、足元の瓦礫を蹴り払った。軽く足踏みして、滑ったり足を取られたりしないことを確認する。
ふわりと人影が宙を舞った。優雅に向かいの屋根に着地する。
黒髪を靡かせて、すっくと長身の美女が立ち上がる。
それを合図に、次々と竜騎士たちが周囲の屋根や路地に降りてきた。ふたりを囲むようにして、包囲網を形成する。
「お前たちは退路を固めていなさい。手出しは無用です。乱戦になれば敵が有利になります」
美女が片手剣を抜き放ちながら指示を出した。竜騎士には珍しい獲物だ。剣は槍に比べて間合いが狭いぶん、ワイバーンの翼を傷つけないように振るうのが難しくなる。翼に邪魔されて、極至近まで近づかなければ刃が敵に当たらないのは言うまでもない。それだけ、自信がある武器ということだろう。
「そこの侵入者!」
こちらに向かって呼びかけてきた。剣を傾け、松明の灯りを反射させる。
「大人しく投降しなさい。さもなければ——斬ります」
「いや侵入者って……ちゃんと招き入れられたんだけど……一応」
ぶつくさ言いながら短剣を構え直した。
投降の意思はないと、言わずとも伝わったようだ。女性の足に力がこもり、次の瞬間、その姿は目の前にあった。
鋼が火花を散らした。
*
竜騎士団は蜂の巣を荒らしたような騒ぎだった。
絶えず怒声が飛び交い、慌ただしく騎士たちが行き来する。
まるで戦争だ。
コガラシの支度を整えながら、アリウはぼんやりと考えた。
「アリウ隊、ウォーレン隊、早くしろ!」
通りがかりざまに怒声がかけられ、はっとして準備を急ぐ。小隊のメンバーはまだ揃っていないが、来たときにはすぐ出られるようにしておかなければ。ベンジャミンが駆け回って起こしてくれているはずだ。
「隊長! なにがあったんですか?」
駆け寄ったカルマが息せききって尋ねた。寝起きと見えて、髪の毛がひと束、横に跳ねていた。後ろにはドリューとベンジャミンの姿も見える。ユニスとファニーのすがただけまだないが、ハルニアとゲイリーは既に横で準備をしているし、ベンジャミンが戻ったということは全員起こし終わったのだろう。
「王都に侵入者だそうだ」
「ってことは、その侵入者を捕まえるんですね」
「いや、僕たちの任務は王都の外の哨戒」
「は? なんでそうなるんです?」
背後からぬっと現れたファニーが不機嫌そうに顔を顰めた。横に眠そうに欠伸をするユニスの姿もある。どこから出てきたんだろう。
アリウは驚きで爆音を奏でる心臓を押さえて、首を振った。彼も詳しいことは聞かされていない。ベンジャミンを見たが、彼も首を振った。
「城外から奇襲の可能性があるそうですよ。それに備えての哨戒だとか」
横からゲイリーが補足した。
「……? なんでゲイリーさんが知ってるんですか?」
「たまたま起きてたんで、副団長から言伝を預かったんですよ」
飲んでいた、の間違いではないだろうかと思ったが、口に出すのはやめておいた。
全員をうながして、次々と明るい夜空に飛び立った。
「フォルトナー! 私の隊は西側を見て回る! 貴様らは東側を頼む」
一足先に離陸していたウォーレン隊の隊長ウォーレンが、やけに偉そうな口調で叫んだ。カルマとドリューが『なんだこいつ』という顔をしたが、他のメンバーは悪気なくそういう話し方をするやつだとわかっているので、肩をすくめるだけだ。
「了解した!」
叫び返すと、ウォーレン隊は西に、アリウ隊は東に、ワイバーンの首を向けた。
家屋に影響を与えない程度に速く飛びながら、侵入者というのはどれだろう、と興味本位に街を見渡す。
南のほうの住宅街にそれらしき影があった。複数の竜騎士が包囲網を作り、その中心でふたりの人影が戦っている。遠くからでも見間違えようのない美しい黒髪は、副団長のイヴェットだろう。となれば、あれは副団長直属の部隊か。
戦っている相手は、アリウの想像よりも小さい。
先日捕え損ねた二人組の背の低いほうと、そう変わらないくらいだろうか。副団長と対等に渡り合えているところから判断して別人だろうが、目深にフードを被っていて確信は持てない。
副団長の剣戟の勢いを利用して、侵入者の身体が宙を舞った。
灰色のマントがはためき、その先端が不自然にちぎれているのが遠目にも見えた。夕方、ハルニアが射損ねた相手だ、と思い当たったが、待て。それよりも。
アリウはコガラシの手綱を握ったまま、完全に硬直してしまった。
風に煽られ、侵入者のフードが剥がれ落ちる。
下から現れたのは、月よりも氷雪よりも美しい銀の髪だった。こんな美しい銀髪の持ちぬしを、アリウはたったふたりしか知らない。
ならば、駆けゆく後ろ姿の向こう側。追い縋る竜騎士たちに背を向け、退路を見据える瞳は、まさか。
「なにしてるんですか隊長!」
どこか焦ったようなゲイリーの声が、アリウを現実に引き戻した。乗り手の困惑を反映したように、コガラシまで飛ぶのをやめてしまっていた。
「わ、悪い、すぐ行く」
慌ててコガラシに合図を出した。
ホバリングのために小刻みに動いていた翼が止まってなめらかに滑空し、そこから力強く羽ばたいて上昇と前進を再開する。
その翼の動きに隠れて、人知れず激しく首を振った。
もし、この不可解な命令が、アリウを王都から遠ざけるためのものだったとしたら。
いや、そんなはずはない。
「……考えすぎだ、ばかやろう」
言い聞かせるはずの言葉は、自分でも信じきれていないことがよくわかる、懐疑に満ちたものだった。
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