第11話 異変
城を出てすぐ、アリウは門のそばにうずくまって盛大なため息をついた。
どっと出た疲れが一気に肩にのしかかってきた。額をぐりぐりと膝に押しつける。
あれでは、王を疑っていると自ら告白したも同然だ。
「そのうち消されるかも……」
割と冗談ではなく、そう思う。
地の底を這うようなため息が出た。
惨劇直後のアリウは悲しみと悔しさと酷い喪失感で、考えることもままならなかった。やっと思考が働くようになって、初めに感じたのは怒りと混乱だった。
誰もが敵であるはずのアーサー王子を褒め称え、犯人を捕らえた彼に感謝していた。
アリウが彼を糾弾し暴れまわらずに済んだのは、冷静だったからなどではない。生き延びたとはいえ致命傷を負ったことに変わりはなく、痛みで口をきけなかったからだ。後から考えてみればこれがアリウを救ったのだが、当時は煮えくりかえったはらわたで全身が焼ける思いだった。
「……ちょう」
傷が癒えるころにはいくらか冷静な思考ができるようになっていたが、おかげで余計なことに気づいてしまった。寝台の上で飽きるほど企てた復讐計画はどれも、万にひとつも成功する可能性がない、ということに。
そしてさらに時間が経つころには、王となった彼の死がもたらす影響についても考えが及ぶようになっていた。アリウ個人の感情は置いておいて、サフィール王は稀代の名君だ。炎の惨劇による人員不足をひとりで補っているその手腕がぽっかりと抜ければ、あちこちに綻びが出るのは必定。加えて後継ぎがいないとなれば、波乱は免れない。
振りかぶった剣をどこに下ろせばいいのかわからず、さりとて目にしてしまったことや怒りが消えるわけでもなくて、高く上げた腕ばかりが疲れていく。
「……いちょう」
もし、もしも。
本当に考えたくないことだけど、万が一。
サフィールが惨劇を起こした理由が民を守るためだったとして。
そんな過激な手段を取る人間が今さら、もうひとり殺すことぐらい、躊躇うとは思えない。
当人に告げたように、死ぬこと自体は別に怖くない。自分ひとりか他の全員のどちらかしか助からない状況が訪れたとして、たぶん、命を投げ出すことに抵抗はない。
けれど他人の命を勝手に秤にかけるサフィールの行為を黙認してしまっていいものか、アリウはずっと悩み続けている。
「あの、隊長」
強めに肩を叩かれて、がばりと顔を上げた。
急に顔を上げたことに驚いたのか、大きく見開かれた女性の目と、アリウの目が合う。
前に垂れた薄桃色の髪を耳に掻き上げて、首を傾げた。色眼鏡の奥で瞳が瞬きする。
「は、ハルニアさん?」
「はい。すみません、何度か声をかけても反応がなかったもので……どこか具合でも?」
「いえ! こちらこそすみません。ただの考え事というか、なんというか」
ブンブンと首を振る。
「そうですか。問題ないようでしたら、少し散歩に付き合っていただけませんか?」
「はい? あ、いや。それは構いませんが……」
どうして、と尋ねかけて、視線を感じはっとした。門の左右に立つ兵士たちが横目でこちらを窺っているのが目に入ったのだ。ハルニアの意図を察して、慌ただしく立ち上がった。
「ハルニアさんはどうして王城に?」
「これを直してもらっていました」
指先でとんとんと色眼鏡を叩く。なるほどと頷いた。瞳の色素が薄く、光で目が眩みやすいという彼女にとって色眼鏡は必需品だが、通して見ても歪みが少ないガラスを扱える職人は王城にしかいない。明かりとりの窓ガラス程度ならば街の職人に作ってもらえるが、眼鏡や色眼鏡となるとそうもいかないのだ。
いつの間にか、太陽は低く沈んでいた。半分ほど雲がかかっているのも相まって、時間帯の割に暗い。
「暗くなるのが早くなると、冬が近いのを感じますね」
歩きながら、ハルニアが呟いた。
「そうですね。朝も真っ暗ですし」
「ふふ。その感想を抱くのはさすがに、まだ隊長だけだと思いますよ?」
「えっ?」
失言に気づいて口を押さえた。確かに、アリウが朝、赤竜丘陵を離れるころには、既に日は昇っている。そして恐らく、多くの竜騎士が起き出すのもその頃だ。アリウが毎朝のように墓参りしているのは公然の秘密ではあるが、言いふらすものでもない。
「ああ〜っ」
呻いて頭を抱えた。その様子を見て、ハルニアが口元に手を当てる。。
「まあいくら私のほうが先輩とはいえ、隊長を咎めたりはできませんけど」
そう、悪戯っぽく笑って見せた。
「……意外と意地が悪いですよね」
顔を覆った指の隙間から、恨めしく彼女を睨む。ハルニアはわざとらしく首を傾げた。
「そうでしょうか」
「そうですよ。あと、意外とこう……緩い?」
「ええ、絶対そんなことないですよ!」
後ろから声が聞こえてきて、ぎょっとして振り返った。
——誰もいない。
首を傾げながら前を向こうとすると、裾を引かれた。見下ろすと、藤色の瞳と目が合った。見下ろされた少女は不満そうに口を尖らせる。
「カルマ。盗み聞き?」
「違いますよー、人聞きの悪い。隊長とハルニアさんが並んで歩いてるのが見えたので走ってきたら、ちょうど聞こえたんです」
「あ、そう……」
アリウとハルニアは顔を見合わせて、苦笑した。
「それより、ハルニアさんが緩いはずないですよ。この前も、ちょっと寝坊しただけですっごい叱られましたもん」
もうちょっと大目に見てくれてもいいのに、とカルマが不満を垂れる。おや、とアリウが抱いた疑問を口にする前に、ドリューが走ってきてカルマを捕まえた。
「ちょっとカルマ、隊長たちの、邪魔しちゃ、だめ、だって」
ぜえぜえと息を切らせ、カルマの頬をぐりぐりと挟む。カルマはひらりとその腕を逃れて舌を出した。ハルニアが柔らかく微笑んだ。
「たまたま会って話していただけですから、大丈夫ですよ。おふたりはお買い物でも?」
「ううん、ドリューがあれ見たいって言うので、わたしはその付き添いです」
カルマの指差す先を見上げる。高い高い城壁の威容の上に、黒々とバリスタの影があった。
「いらないって言ったのに……どうせ興味ないでしょ」
ドリューがムスッと呟く。
「ああ、あれ。……どうせなら、一緒に行こうか。僕から頼めば、触らせてくれると思う」
「いいんですか⁉︎」
日が差すように、ドリューの顔が輝く。その変貌ぶりにやや驚きつつ頷いた。
長く急な階段を登って壁の頂上まで行くと、赤い夕陽が目を焼いた。
だがそれも短い間のことだった。すぐに魔龍山脈の向こうに日が沈み、残光が淡く地を照らす。
城壁の上部は、広く長い通路になっている。普段は哨戒の兵士が交代で行き来して王都の外を見張り、有事には防衛の要となる。
四基のバリスタが設置されたのもこの城壁の上だ。
アリウが近くの兵士に見学の許可を取ると、責任者に話を通してくれた。許可が下りてドリューに頷いて見せる。ドリューはわくわくした表情を抑えきれない様子で、いそいそとバリスタに近づいた。ハルニアも興味があるのか、あるいはまだ少年に過ぎないドリューが気掛かりなのか、ついていって近くにしゃがみ込む。
「面白い?」
後ろから覗き込んで尋ねれば、ドリューは目をキラキラさせて頷いた。
「これ、すごい勢いででっかい矢を撃ち出すんですね。先週、試し射ちしてたところを遠くから見てたんですけど……。すごい、こんなに大きいんだ……ひょっとして、ドラゴンの鱗も貫通できたりするのかな」
「へえ……」
相槌を打ちながら、一体何にこんな代物を使うんだろうと首をひねった。
幻獣と契約を交わしている国は少なくない。けれどその幻獣はユニコーンであったりペガサスであったりリヴァイアサンであったりと、地上での戦闘力を持つ例は稀だ。
ハルニアもそれなりに興味があるようで、ああでもないこうでもないとドリューと言葉を交わしている。アリウはというとてんでさっぱりで、そばで目を瞬かせるばかりだ。
「隊長~、暇だから手合わせしてくださいよ」
同様にふたりの会話についていけず、なおかつ暇を持て余した者がもうひとり。後ろからカルマがのしかかってくる。
「ええ、今から?」
アリウは困惑して振り向いた。
高い城壁には辛うじてまだ光が届いているが、街はそろそろ夜が訪れる頃合いだ。家々の煙突から煙が立ち昇り、夕餉の刻を知らせている。
「もう暗いし、演習場使えないと思うなあ」
「演習場じゃなくて、ここで」
「ここで? 怒られるよ」
「ワイバーンなしでも?」
「なしでも」
カルマは思い切り頬を膨らませた。年相応で大変かわいらしいが、しがみつく力は顔に見合わず万力のように強い。普段から身長より大きなハルバードを振り回しているだけのことはある。
「じゃあ次の休みの日! いいでしょう?」
「うーん暇だったらね」
適当にあしらいつつしがみつく腕を引き剥がした。
「というか、昨日の朝もハルニアさんと手合わせしてなかった?」
「しましたよ。今日の昼間はファニーさんに付き合ってもらいました」
「よく付き合ってくれたね……」
絶対零度の瞳を思い浮かべて、つい感嘆にうなってしまった。
「なんでそんなに?」
「わたし、槍と弓下手くそじゃないですか」
「まあ、そうだね」
「そこは『そんなことないよ』って言うところじゃないですか?」
カルマはジト目でアリウを睨んだ。小さくため息をつく。
「はあ、まあいいです。……とにかく、隊長はじゃあ別の武器を使えばいいって言ってくれましたけど、他の武器をワイバーンに乗った状態で扱うのもやっぱり難しくって。人一倍練習しなきゃ、早く強くなれないから……」
「なにか焦る理由があるの?」
純粋に疑問に思って、尋ねてみた。カルマはまだ十四と、現在の竜騎士団で最年少だ。一般的な竜騎士の武器である槍と弓こそ下手だがそれはアリウも同じこと。騎乗しての戦いはまだ覚束ないが、白兵戦ならば既に騎士団の中でも上位に食い込める腕だと思う。客観的に見れば、焦る理由は見当たらない。
「早く強くなって、陛下に恩返ししたいんです」
即答が返ってきた。聞くんじゃなかった、と唇を噛んだ。
「わたしとドリュー、惨劇で両親が死んじゃって孤児院育ちなんです」
アリウの内心など知るよしもなく、カルマが話し続ける。
「帰る家を用意してくださっただけじゃなくて、直接訪ねて来てくださることもあって」
知ってますか、陛下、すっごく優しいんですよ、と目を輝かせるカルマに、そうなんだ、と当たり障りのない言葉を返すことしかできない。
「身体壊したら取り返しがつかないから、ほどほどにね」
そう言って、彼女から目を逸らした。
話し込んでいる間に、辺りはだいぶ暗くなっていた。長く伸びていた影もほとんど見えなくなり、見上げれば星々が瞬いていた。
そろそろ帰ろうかとハルニアとドリューのバリスタ組に声を掛けに行こうとして、妙な方向から視線を感じた。城の外側。何もないはずの草原からだ。
胸がざわついて、壁から身を乗り出して目を凝らした。黒い茂みが不自然な動き方をした。かすかに、鈍い銀色が光を反射する。
とっさに声を上げた。
「ハルニアさん!」
彼女の反応は早かった。近くの兵士の手から弓矢を取り上げ、引き絞る。狼狽える兵士をよそに、草原に向けて一気に撃ち放った。
草の間に、黒い影が動いた。間違いない、人だ。ハルニアが二射、三射と撃ち放ったが、軽々と避けられた。見る間に遠ざかり、射程から外れてしまう。
「すみません、逃したようです」
ハルニアが弓を下ろして首を振った。
「い、一般人だったらどうするんですか⁉︎」
ドリューが泡を食ったように叫んだ。
「大丈夫です、一般人ならこんな暗い時間にこそこそと外をうろついていたりはしませんし、こちらに矢を向けたりもしません」
「矢?」
「ええ、かすかに鏃の反射が見えました」
ハルニアとドリューの会話をききながら、アリウは兵士に外を見てくるよう頼んだ。それに気づいたハルニアが奪い取ったことを謝罪して、兵士に弓矢を返す。
しばらくして戻った兵士は、ハルニアが放った三本の矢と、灰色の布を握っていた。矢を完全に躱しきることはできずに、マントが破けた生地らしかった。この辺りでは見ない布地だ。
渡された生地を触ってみる。かなり折り目が粗く、ごわごわしている。耐寒性はあまりありそうにない。恐らく、南方で生産される生地だろう。ピタトリス諸国か、あるいはもっと南か。
「これ、昨日の人たちでしょうか?」
覗き込んだドリューが尋ねた。
「いや、違うと思う。彼らのマントは茶色だったし、分厚かった」
アリウは首を振った。礼を言って兵士に布きれを返し、自身の推論を伝える。アリウたちはたまたま居合わせただけで非番なので、彼から上に報告を入れてもらう必要がある。
「戻ろうか。ここにいたら邪魔になる。後から事情を聞かれるかもしれないから、それだけ覚えておいて」
そう言って、三人をうながした。カルマは状況についていけず、半分ほど口が開いたままだ。
城壁の階段をほとんど下りきったところでようやく思考が追いついたようで、はっと後ろのアリウを振り返る。
「えっ今のって敵だったんですか?」
「今さら?」
呆れ顔でドリューが突っ込んだ。
「敵かはまだわからないけど、相当不審だったのは確かだよ。この時間に王都に入りもせずうろついているのはかなり怪しい。門はぎりぎり開いている時間だから、入りたければ入ればいいのにそれをしない。つまり——」
「門番に顔を見られたくない?」
その通り、と頷いた。
真っ当な人間なら、門番に顔を見られたぐらいで困ることなどないはずだ。となると、考えられるのは似顔絵が出回っている悪党か、敵国の間者か。どうやらカトレイヒ帝国の手の者が赤竜丘陵をうろついているらしいとわかった後で、さらに南方の間者までいるとは考えたくないのだが。
随分ときな臭くなってきた。夜風の匂いにピリッとしたものを感じて、鼻に皺を寄せた。
今のところ、一介の竜騎士にすぎない彼らにできることはなにもない。それが少し、もどかしかった。
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