第10話 毒

 立ち去る妹の元婚約者の背が扉の向こうに消えるのを見届けて、サフィール王は深く息を吐き出した。背もたれにだらりと身を預け、忌々しげに髪を掻き上げる。

「ティファニ」

 一言、短く呼ぶと、どこに隠れていたのかストロベリーブロンドの女性が姿を現した。

 波うつ髪を肩の上で切り揃え、甘い顔立ちながら眼光は鋭い。長年、サフィールの側近を務めている女性だった。

 うながされるまま、アリウが座っていた椅子に腰掛ける。

「見たか、あの顔」

「見ました。今にも殺したくて堪らない、という顔をしていましたね」

「あれで隠せていると思っているんだ、まったく、恐れ入る」

 サフィールは大きく鼻を鳴らした。

「やはり、事故に見せかけて始末しておいたほうがよろしいのでは」

「あの鬼婆の目が光る前で、不審がられない殺し方ができると思うか?」

「それは……無理ですね」

 小首を傾げて少し考える様子を見せたが、すぐに首を振る。

 だろう、とサフィールはため息をついた。

「いっそ騎士団長ごと始末しては? カリュクス家の娘を後任に据えれば、とりあえずはまわるでしょう」

 さらっと恐ろしいことを言い出した。

「とりあえずではだめだ。あの娘はまだ精神が未熟だから、非常事態には対応できないだろう。いつカトレイヒの手が及ぶかわからない状況で、それでは困る」

「それもそうですね」

 ティファニは納得したように頷いた。

「ところで。これ、食べても構いませんか」

 尋ねた視線の先には、手付かずのスコーンやビスケットが並んでいる。紅茶のカップも口すらつけられないまま、冷めて渋くなってしまっていた。

「好きにするがいい。だが、紅茶は淹れなおさせる」

 侍女を呼んで用を言いつけた。

「毒でも入っていると思っているのでしょうか」

 熱い茶を一口飲んで、ティファニが言う。

 自分もおかわりの紅茶を流し込んで、さてなと肩をすくめた。

何も入っていないのに」


 アリウ・フォルトナー。

 十年前のサフィールの計画を狂わせた、唯一の要因。アリウさえ生き残らなければ、妹と両親、腐敗しかけた貴族どもを諸共に処分する計画の本当の黒幕を知るものは誰もなく、すべては闇に葬られるはずだった。だがどうだ、運良く生き残ったばかりか、犯人がカトレイヒの手の者ではなく、サフィールであることに勘付いていた。

 あの男は、てんで滅茶苦茶だ。

 地獄の炎よりも激しく怒っているくせにサフィールを見る目は妙に冷静で、死にたがりのくせに身の危険に敏感だ。

 まだ死ねない、サフィールの魂胆を暴くまで、無念を抱えたまま死ねない。

 そう全身で訴えているようで、酷く気味が悪い。

 考えなしに怒りをあらわにして斬りかかってくれたほうが、まだやりやすかった。気が触れたと難癖をつけて、堂々と幽閉なり処刑なりできた。

「けれど、のほうはちゃんと効いているようで、良かったです」

 品良い所作でカップを置いて、ティファニが甘く微笑んだ。

 こういうとき、この女が敵でなくて良かったと思う。

 薬師であるティファニに言ってアリウに出させている薬は竜血病の進行を遅らせる薬などではなく、その逆。焼けた王城跡から採取したルヴィーダの血を乾かして保存し、それを湯に溶いて、味と匂いを誤魔化すため適当な薬草を加えたもの。体内のドラゴンの血を増やし、侵蝕を早めるためのものだ。

「この調子ならもう少し、死期を早められると思います。騎士団長殿も竜血病の悪化では変に勘繰ることはできないでしょうし」

「なるべく早めろ」

 サフィールは冷徹に命じた。

 カトレイヒ帝国の魔の手が迫っている今、国内に不穏分子を抱えたままなのは好ましくない。

 ティファニが頷いた。

「それから、もうひとつご報告が」

「報告?」

 何かあっただろうか、と首をひねる。

「二週間前に何者かが国境をすり抜けたことを覚えておいでですか」

「無論だ」

「昨日、アルダーの北門で大勢の人間が一斉に気を失った事件ですが、恐らくその件に関連しています」

「網をすり抜けた、ということか」

「はい、やはり疫病や毒物の可能性は低いかと」

「確かなのか。直接診てはいないのだろう?」

「意識を回復した後、全員が頭痛やめまいを訴えていましたが数時間で治ったそうです。加えて打撲痕が見られる者が幾人かいたと聞きます。何者かの襲撃と考えたほうが自然かと」

「襲撃犯の心当たりはあるのか」

「兵士のひとりが、少女と思しき旅人とふたりきりになった途端に意識を失ったと証言しています」

「少女? 少女だと?」

 ガタリと音を立ててテーブルが揺れた。

 銀髪とルビーの瞳が瞼の裏にチラついた。

 いや、落ち着け。死体は黒焦げで判別がつかなかったが、誰ひとり焼け跡から生きて脱出した者がないことは、ちゃんと確認した。地下通路は彼の配下以外の者が使った形跡はなかったし、封鎖した門や扉もこじ開けられた跡がないことは念入りに確かめた。

「……まずいな。昨日の今日で、随分と過敏になっているらしい」

「心を落ち着かせる効果のあるハーブティーでもお淹れしましょうか」

「そちらに毒は入っていないだろうな?」

 冗談めかしたサフィールの問いに、美貌の薬師はくすりと笑ってみせた。

「もちろんです」

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