第8話 パンジー

 翌朝、アリウとコガラシはいつもより遅く赤竜丘陵に向かった。

 一日非番なので、わざわざ暗い時間に起き出す必要も、あえて門限を破る必要もない。用事はあるがどちら昼過ぎなので、悠々と朝食を食べてから墓参りをしても、じゅうぶん間に合うのだ。


 その日の丘陵はどこか落ち着きがない気がした。

 恐らくは、昨日の闖入者のせいだろう。とはいえ今日のことは、今日の哨戒担当の隊に任せておけばいい。


 いつものように墓を訪れると、巨大な鉄の門を開けて中に入ろうとする。

 踏み出そうとした足が柔らかいものに触れて、慌てて数歩さがった。

 門の下に見覚えのない花が置かれていた。

 屈んで拾い上げる。

 白と赤のパンジー。萎れているが、摘んでからそう時間が経っているふうではない。昨日来たときにはなかったはずだ。

 一体誰が?

 特別に許可を得ているアリウを除けば、この辺りに立ち入ることができるのはサフィール王くらいなものだ。だが、陛下が墓参りに来ることはない。

 あとでルヴィーダに訊いてみよう。

 花を丁寧にハンカチで包んで、服の内側にしまい込んだ。ルヴィーダが通したのなら不審な輩ではないはずだが、気にかかる。

 改めて、墓地に踏み込んだ。墓石の名前をなぞる。

 ——ヴィオラ。

 パンジーの、別名。

 少しだけ、胸がざわついた。


   *


 門を出ると、強風が吹き荒んだ。頭上に影がかかり、巨大なドラゴンが土埃を舞い上げて着地する。

 アリウは慌てて膝をついた。

「おはようございます、ルヴィーダ様」

 〈うむ、おはよう〉

 旋律をもって答え、神竜は大きな瞳でアリウの顔を覗き込む。ついでに、スンスンと鼻を鳴らした。あまりの風圧に、髪が全方向に暴れ回る。

 な、なにかしただろうか。

 ない心当たりを探して記憶をひっくり返す。

 ルヴィーダは瞬きひとつせず、まじまじと見つめていた。

 不安になるころ、旋律が問いかけた。

 〈貴様、早朝にも来なかったか?〉

「えっ」

 驚いて目を瞬かせた。

 それではまるで、ルヴィーダも来訪者の正体を知らず、アリウと勘違いしたと言っているように聞こえる。

「いえ、来ていません」

 首を振った。拾った花を取り出して、見せる。

「ただ、さっきこれを拾いました」

 大きな目が、さらに大きく見開かれた。口を開け、閉じて、またぽかんと開ける。

「心当たりがあるんですか?」

 ルヴィーダは口を閉じて黙り込んだ。何か言おうとするように再び口を開け、結局何も言わずに首を振る。

 それは毎朝ルヴィーダが見せる仕草と同じだった。抱えた秘密を打ち明けようとして、やっぱり、とやめるような。

 心当たりは、あるらしかった。けれど、護国の神竜ともあろうものが打ち明けられないのなら、相応の理由があるのだろう。

 そうですか、とアリウは引きさがった。

 〈今日のところは帰るがいい。我は念のため、丘陵を見てまわる〉

 樹海を飛翔する神竜と遭遇して肝を冷やす竜騎士たちの姿が容易に目に浮かび、頬を引き攣らせる。

「ええと、お手柔らかにお願いします」

 ルヴィーダはよくわからない、というように首を傾げた。


 コガラシの背に乗って王都に戻る道中、花を取り出して日の光に翳してみた。

 ヴィオラの名前と髪色と瞳の色を持つ、小さく可憐な花。

 ルヴィーダがアリウと間違えたということは、侵入者と彼の気配が近いということだろう。気配が近いというのはきっと、血が近いということ。つまり家族か、あるいは同じ竜の血を浴びた——。

 いや、やめよう。

 首を振って思考を追い払った。

 幾度となく、可能性は考えた。

 アリウがルヴィーダの血を浴びて生き延びたのだから、そばにいたヴィオラや王妃殿下だって、生き延びていてもおかしくないじゃないか、と。

 そのたびに否定して、打ち消した。

 遺体は黒焦げで、どれがどれだか判別がつかなかった。だから、もしもを願った。

 だが城の出入り口という出入り口は開かないように外側から細工されて、こじ開けられた形跡もなかったという。そんな状態で、どうやって生き残ったというのか。

 期待して、希望を抱いて、苦しくなるのは自分だ。

 花を視界に入れないようにして、しまいなおした。


   *


 飛び去るアリウとコガラシの後ろ姿を眺めながら、ルヴィーダは人間の身体を吹き飛ばしそうなため息をついた。

 振り切れない過去をずるずると引き摺ったまま、毎朝律儀に墓参りを続ける青年を見るたび、脳裏をよぎるのは銀髪の、美しい人間の女性の声。

 全身を血に染めながら強さも意志も失わぬ、気高い姿。

「私たちが生きていることは、決して、誰にも知らせないでください」

 彼女は太陽の瞳でまっすぐにルヴィーダを射抜いた。礼を失わず、けれど媚びず。

 宝石の輝きを持たぬ瞳を美しいと思ったのは、それが初めてのことであった。

「この子の生存は、この国に混乱をもたらすでしょう。そしてそんな環境で育てば、この子はきっと、修羅になる」

 ——だから遠い異国で、私が育てます。

 反論したくとも、目の前に広がった景色が彼女の正しさと、己の罪を証明していた。

 そしてそれ故に。

 ルヴィーダは口をつぐみ続けた。

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