第7話 親友

 団長の執務室や作戦室がある竜騎士団本舎を出て、思いっきり伸びをする。

 日はほとんど沈みかけ、食堂からいい匂いが漂っていた。

 これから夜番の者もいるが、多くの者は一日の任務を終え、竜騎士団は和やかな空気に包まれている。がやがやと騒がしくも居心地の良い雰囲気。

 竜舎のほうにワイバーンの世話をしている隊員たちの姿が見えたので、そちらに向かってみた。

 カルマとドリューがあわあわしながらワイバーンの水浴びをしている。ハルニアが横で手伝い、とっくに相棒の世話を終えたユニスとファニーが冷やかしているようだ。年少のふたりが相棒に翻弄される様子を、けらけら笑って眺めている。相棒に振り回されて世話に手間取るのは、新人竜騎士の誰もが通る道だ。ゲイリーは早くにトンズラしたようで、ベンジャミンの姿も見えない。

「あ、隊長!」

 近づくアリウに気づいたカルマが大きく手を振った。盛大に水が飛び散った。巻き添えを食らったドリューが袖で顔を拭く。

 ぐしょ濡れのままカルマが突進してきた。とっさに一歩横にずれて回避する。

「わっ、とと」

 殺しきれなかった勢いのままにアリウの横を通り過ぎた。つんのめり、めげずに振り返る。

「隊長〜、手合わせしてください! ドリューもユニスさんもファニーさんも付き合ってくれなくて」

 頬を膨らませるカルマにアリウは苦笑するしかない。

 そりゃあもちろん、朝から夕方までの哨戒任務を終えた後で手合わせなんかしたがる人間はそういないと思う。カルマの騎竜タナトスも恐ろしい勢いで駆けてきたと思うと、必死で彼女の裾を咥えて引っ張った。

「ほら、タナトスもやりたがってる」

「逆だと思う……」

 ドリューがアリウの思考を代弁してくれた。

「悪いけど、他に用事があるんだ」

 頭を撫でると、ぐるりと見まわした。やはり、探し人の姿はない。

「誰か、ベンジャミン見てないかな?」

「んーん、知らない。けど、帰ってくるとき、お城の近くでネコの塊が見えたよ。ひょっとしてあれかも?」

 答えたのはファニーだ。

「そうか、ありがとう」

 礼を言って立ち去ろうとすると、ユニスが「ばいばーい」と手を振った。

 ユニスとファニーの姉妹はよく似ている。長く伸ばした茜色の髪と、同じ色の瞳。通った鼻筋も薄い唇もそっくりで、見分けがつかない。双子かと思うほどだが、年子であって双子ではないらしい。だが性格はバラバラで、いつも気怠そうなのがユニス、明るくよく喋るのがファニーだ。髪型もわかりやすく、ポニーテールと下ろしたままでわけている。

 まだ門限までは間があるので、堂々と正門に向かった。

 途端、背筋に寒気を感じて振り返る。

 なんだ、今の殺気は。

「どしたの隊長?」

 ぱちりと、ユニスと目が合った。不思議そうに首を傾げる。

 ハルニア、ユニス、ファニー、カルマ、ドリュー。目に映る人影は変わらず、五人だけだ。

「——いや、なんでもないよ」

 首を振って、今度こそ正門に向かった。外に出て、城への道を歩き出す。

 首筋がまだちりちりするような気がしたが、気のせいだと言い聞かせた。よくある、わけではないが、どこからか敵意を向けられること自体は、そう珍しいことでもない。

 竜騎士団長の孫で、門限破り常習犯にもかかわらずちゃっかり小隊長の地位に着き、炎の惨劇では他のたくさんの人たちの家族や友人、恋人を差し置いて生き残った。加えて、国王からも目をかけられている(と思われている)。恨みや嫉妬を買う要素は十二分に揃いすぎているのだ。


   *


 竜騎士団と王城はそう離れていない。だから、そう経たずに、ファニーが言及した『ネコの塊』を発見した。

 ネコの塊とはなんぞや、という感じだが、正直、アリウは他に表現する方法を持ち合わせない。

 文字通り、大量のネコが折り重なって寝て、それが小さな山を築いているのである。

 そのそばにしゃがみ込む。ネコ山の端から、靴の踵が突き出しているのが見えて、ため息をつく。

「おいベンジャミン、こんなところで寝てたら風邪引くぞ」

 そう声をかければ、突き出した靴がピクリと動いた。

「う、うごけない……たすけろ……」

 か細い声が聞こえて、再度ため息をつく。靴の踵に手をかけて、思い切り引き摺り出した。

 いい具合のベッドを奪われたネコたちが、抗議の声を上げながら去っていく。

 あとには黒髪の美青年が、土埃にまみれて残された。

「いや〜助かった。気づいたら大量のネコに乗っかられてて死ぬかと思ったあ」

「こんなところで寝るからだろ」

 たははと笑う親友に、呆れ果ててため息をつく。

 立ち上がるのに手を貸して、ついでに土埃を払ってやった。こいつは酷く無頓着なので、放っておくと泥まみれのままうろうろしていることもある。

「そんなことより、ルビーラビットはどうなった?」

「そうだ! 聞いてくれよアリウ!」

 今の今までの無気力はどこへやら、急に生気を取り戻してアリウに詰め寄る。乱暴に肩を揺さぶった。

 アリウは力任せにベンジャミンを引き剥がす。

「いや待て。めんどくさい気配がするからここではやめろ」

「じゃあ酒場だな。飲みにいくから付き合え」

 返事も待たず、ずんずんと歩き出した。

「はい? おいちょっと、僕は一言も酒場とは」

 遠ざかる背中に呼びかけたが、歩みが止まることはない。諦めて、駆け足で後を追った。


   *


「あいつらほんっと信じられねえ!」

 酒場を訪れてすぐ、ベンジャミンは麦酒を注文した。すぐに運ばれてきたそれを一気に飲み干し、ジョッキの底を勢いよくテーブルに叩きつける。

 酒場は既にできあがった労働者たちで溢れていて、その行動は取り立てて目立ちはしない。だがアリウは彼らしくない乱暴な振る舞いに、驚いて目を瞬かせた。

 姉のイヴェットと同じ艶やかな黒髪と紺の瞳。髪は片側に流して紐でまとめている。姉がつり目の美人であるのとは反対に目尻が大型犬のように垂れ、歩けば見とれる者は少なくない。

 だがこの男、とんだ怠け癖の持ち主であり、地べたでも屋根の上でもワイバーンの背でも、寝転がれる場所があればどこでも寝る。おまけに異常なほど動物に好かれる性質が災いして、しょっちゅうネコやカラスや鳩に群がられているので、彼に惚れていた年頃の子女はみな、愛想を尽かしてしまった。無理もないが、見る目のないことだ。

 ベンジャミンの話は愚痴と早くも回り出した酒で要領を得なかったが、だいたいのところはこうだった。

 要は、上層部はルビーラビットを処分したがっているのだという。

 ルビーラビットは北の地方のカーバンクルだ。雪の時期が一年の半分を占めるような地域に、主に生息している。そんなところからどうやってドラスティアまで運ばれてきたのかわからないが、相当な手間と時間がかかったことだけは確かだ。当然、帰すのも同じだけの労力を要することは、間違いない。

 かといって、赤竜丘陵に住まわせるのも難しい。

 竜は身内以外を己のテリトリーに入れたがらない。対するルビーラビットも、他の生き物の下につくことを嫌うのだという。

 王都に置くのも難しい。ストレスを感じたルビーラビットが暴れ出して、住民を傷つける可能性がある。

 では四つめ、野に放す。ドラスティアの生態系を破壊する可能性があるので、これもだめだ。

 結果、残された選択肢は殺処分のみとなる。


「人間の都合で連れて来られたのに手に負えないから殺すとか、ふざけるなってんだ。そもそもこっちが何かしなければ暴れたりしない」

 ベンジャミンは四杯目のジョッキを飲み干しながらくだを巻いた。

 確かに、という思いと、無理もない、という相反する思いを同時に抱いた。

 数百万の民を預かる立場としては、万が一で民を危険に晒すわけにいかないだろう。けれど、そんな勝手な言い分で殺されるカーバンクルは堪ったものじゃないだろう、というのも、心優しいベンジャミンがそれに憤るのも理解できないわけじゃない。

「明日陛下との茶会に招待されてるから、どうにか頼んでみるよ」

 アリウはそう言ってベンジャミンをなだめた。

 聞き入れてもらえる気は、まったくしなかったが。

 ベンジャミンはヤケのように片っ端から料理を平らげ始めた。数人前の料理をまとめて注文して、誰か他に呼んだのかと思っていたが、一人で全部食べるつもりだったらしい。アリウとそう変わらない体型のどこに、それだけの酒と食べ物が収まるのか。

「ああ、そういえば副団長が心配してたよ」

 思い出したように話題を振れば、食べ物で治りかけていたベンジャミンの機嫌がみるみる逆戻りした。

「あいつはいい加減弟離れしろ!」

 ダンッとジョッキを叩きつけて吠えた。

「いつまで子供扱いする気だ。帰る時間は報告しろだの行き先は伝えろだの友人は選べだのもう〜〜〜二十三だぞ俺」

 気持ちはわからないでもない。うん。イヴェット副団長がベンジャミンにやめさせたい付き合いは十中八九、アリウのことだろうし。

 でも一応伝えとかないとまた怒られそうなので許してほしい。

「ほんふぁほほひょひ、あえみはふぁ?」

「飲み込んでから喋れ」

 アリウは呆れて、ジョッキを押しつけた。

 受け取ったベンジャミンはもがもがと咀嚼し、麦酒で流し込む。口元を手で拭って、言い直した。

「そんなことより、あれ見たか?」

「あれ?」

「城壁に設置された巨大弩砲バリスタ

 ああ、と顔を顰めた。

 サフィール王の政策の一環で数週間前から設置のための工事が始まり、つい先日、完成した姿をお披露目した巨大兵器だ。全部で四基あり、それぞれが威嚇するように王都の外を向いている。

「随分と突拍子ない気はするよな。リリウムともピタトリスとも関係は悪くないし、僕たちが生まれてから攻め込まれたことなんて、一度もないのに」

「だよなあ」

 城壁が高くなっても、城壁の上に仰々しい兵器が設置されても、あまり危機に対する現実感というのは湧いてくれない。たかだか小隊の隊長と副隊長ではろくに情報が下りてこない、というのもあるかもしれないが、ただただ、煩わしいと感じるだけだ。

「戦争でもすんのかねえ」

 はーやだやだ、と言いつつも、ベンジャミンの食事の手が緩むことはない。

 炎の惨劇を運よく免れた当時の大人たち——領地の留守を任されていた者や病欠していた者——は、事を重く捉え、あれから着々と国の護りを堅めている。けれどアリウやベンジャミンのような当時の子供には、未だ、ピンと来ない話だ。

 ベンジャミンも貴族ではあるのでパーティに出席していたようだが、子供たちは夜が更ける前に帰されていた。例外は主役のヴィオラと婚約者のアリウだけ。

 帰された子供たちにとってはただ、朝起きたら両親が死んでいた、という朝靄のような現実が玄関口に置かれていた。そういう日だった。

 アリウだけが惨劇を肌で感じた。だがそのアリウにしても、カトレイヒ帝国の脅威と言われるとどこか、おとぎ話ように感じてしまうのは仕方あるまい。

 東の帝国との間には、魔龍山脈が横たわっている。

 普通の山越えはまず無理な山脈だ。一箇所、隣国リリウムと接する部分に峡谷があるが、軍隊を通らせるには狭すぎる。リリウムが陥とされる前に、ドラスティアに援軍を求める使者が来るだろう。備える間もなく電光石火で攻め入られる、などという事態は、まずありえない。

 昼間交戦した二人組が少し気にかかるが、たったふたりの間者で何ができるというわけでもない。

 それに、あの事件はそもそも——。

 普段、考えないようにしているほうに思考が行きかけて、慌てて引き戻した。ジョッキを煽り、空にする。

 ベンジャミンにならって、底をテーブルに叩きつけた。

 気の抜ける音しか鳴らなかった。

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